鎮魂ビジネスから産まれた霊蔵壺
メルとミケ王子は、魔法学校の校庭で話をしていた。
冬の夕暮れ時である。
殆どの生徒たちは、学生寮に籠ってヌクヌクとしている。
かつて浮浪児だった子供たちに、冬の寒さを楽しもうなどと言う風流さは、これっぱかしもなかった。
なので粉雪が舞う校庭には、メルとミケ王子しか居ない。
「フーン。お届け物ですか?」
「そう」
「領都ルッカに潜伏中の、ビンスさんまで……?」
「そそっ」
「お断りします。そもそも、どうやってあそこまで行くのさ?」
「空を飛んで」
「はぁーっ!?」
ミケ王子の目が丸く見開かれた。
「ボク一人で、ゼピュロスに乗るの……。そんなの絶対に嫌です。あいつ、ボクとの念話を拒絶するし……。あいつに意志を伝えられるのは、メルだけじゃん!」
「そう言うと思って、ミケ王子にプレゼントを用意しました」
メルが妖精の角笛を兎さんのポーチから取りだし、夕焼け空に向かってポェェェーッと吹き鳴らした。
「ギョエェェェェェェェーッ!」
上空から黒い影が降下してきた。
子供のように小さなワイバーンだった。
その背中には、ミケ王子が乗れそうな鞍もついている。
「こちらが、王子専用ワイバーンになります」
「マジで」
「当然、ミケ王子との念話が可能です」
「すごい。ボク専用なんだ」
小柄なワイバーンが、ミケ王子に頭を擦りつける。
もうミケ王子を主人と定め、懐いているようにしか思えない。
ミケ王子はワイバーンの首を撫で、心ここに有らず。
「王子専用ワイバーン。如何でしょうか……?欲しいですかぁー?」
「うん」
「今なら、王子専用の飛行スーツをセットでお付けします。コレ。カッケェーでしょ」
「うんうん」
ミケ王子が激しく頷いた。
「では、お届け物をしてください」
「それは嫌です」
「どうしてですかぁー?」
「領都ルッカは濃厚な瘴気に覆われているので、ボクの能力を十全に発揮できません。鼻が痛くなるし」
ケット・シーにとって、風の妖精は運動機能を補助してくれる大切な要素だ。
これが損なわれると、普段の行動にまで支障をきたしてしまう。
「ほーん。そこは問題なかヨォー」
「何故に……?」
「わらしがミケ王子に、邪妖精さんを譲渡するからデス。妖精さんとちごぉーて、邪妖精さんは瘴気をものともせんよ」
「それはまた、夢のような話ですね」
ミケ王子は半信半疑の様子だ。
メルを見る目が、嘘つきを蔑むように細められた。
「まぁーた、そういう目で見る。わらしとデブは、領都ルッカでも平気で動いてたデショ。精霊魔法も、ぎょーさん使ぉーて見せたし……。わらしらは普段から邪妖精さんの助けを得ておりますゆえ、瘴気など恐れませぬ」
「マジかぁー?」
ミケ王子の気持ちが、ググッと傾いた。
王子専用ワイバーンが、欲しい。
邪妖精は、格好よい。
邪妖精、有能。
妖精女王陛下の依頼を受ければ、父王や同胞たちに大きな顔ができる。
素直に頷けないのは、騙されるのが悔しいからだ。
メルを信じたい。
「さあ、起業しまショ!」
「キギョウ?」
「ミケ王子は、ミケネコ便のシャッチョウ(社長)さんです」
「シャッチョウさんとは、なんぞや……?」
「エヘン。シャッチョウさんは、責任ある、とぉーても偉い立場の方デス」
メルが偉そうに胸を張って告げた。
「うぉーっ。偉いんだ。王さまより偉い?」
「はい。シャッチョウさんは、天下一」
「ちょっとだけ、やりたくなってきたかも……」
いつだって、メルと何かをするのは楽しかった。
胸が高鳴る冒険への誘いだ。
「やりまショ、ミケさん。男なら、ここはドーンと引き受けねばあかんヨ!!」
「ムムム……」
こうしてユグドラシル王国に初の配送業者、ミケネコ便が誕生した。
「早速ですけれど……。この荷物、ミケネコ空輸便でヨロォー」
「あいよ。ボクに任せとき!」
扱いやすいネコだった。
ひとり社長、ミケ王子。
初めてのお使いに、出発である。
◇◇◇◇
「こんにちは、ミケネコ便です。ビンスさんに、お届け物があります」
「いやいや、ミケ殿ではありませんか。このような忌み地に、よくお越しくださいました」
ビンス老人はミケ王子から小包を受け取り、深々と頭を下げた。
「まあ、何とか頑張りました。受け取り伝票に、サインをください」
「デンピョウ……?」
「ここに名前を書いてね」
「ああっ。ここに、ワシの名を記入するのですな。分かり申した」
メルから届いた荷物だ。
気になるので、さっそく包みを開ける。
「ふむっ。小さなカバンですが、これは……?」
花丸ショップで販売されている、魔法の収納ポーチだった。
デザインが可愛らしくて、ビンス老人には似合わない。
「おおっ。中から大きな包みが……」
再び包みを開けると、耳を切り落とした食パンが大量に出てきた。
ポーチを逆さにして振ると、食用油のビン。
パック入りの生卵。
タッパーウェアに保存されたカレー。
紙袋に詰められたパン粉などが、次々と転げだした。
「メモが添えてありますな」
それはメル文字で書かれたレシピだった。
「残念無念……。お恥ずかしい話ですが、ワシには読めませぬ」
ビンス老人はメモを見るなり肩を落とし、解読を断念した。
汚くのたくるメル文字は、専門家でなければ読めない。
メル語研究の第一人者はタリサだけれど、メル文字に関する限り、ミケ王子とラヴィニア姫がトップを競っていた。
ミケ王子は魔法学校の献立レシピから、ラヴィニア姫はメルの秘密ノート(日記)を盗み見て、判読不可能とまで言われたメル文字を学んだ。
「ボクに貸して……」
ミケ王子はメモを受け取り、素早く目を通した。
「新しい料理のレシピだ」
「なんと、それは素晴らしい。であるなら、これらは新しい料理に必要な材料ですな」
「うん。カレーのパンが、作れるらしいよ」
「カリーのパンですか」
「カレーパン」
「カリーパン」
メル文字では、カレーパンと書いてある。
しかし、そこは大きな問題じゃない。
「ふむふむ……。レシピと料理の材料は、依頼の対価だってさ!」
「ほぉーっ。して、その依頼とは……?」
「この地図に記してある場所へ、壺を配置して欲しいそうです」
「……ッ」
メル文字と比較して、地図の完成度が高すぎた。
ブラックバードが作成した地図なので、航空撮影してから簡略化したものと変わらない。
「すごいなぁー」
「全くです。これほどまでに精緻な地図は、見たことがありません」
二人は思った。
この地図の何分の一かで良いから、文字を見やすくして欲しい。
「それで、こっちが壺ですね。うわぁー。ゴロゴロと出てくる」
「これはまた、随分と数がありますな。小振りで黒い。蓋に貼ってあるのは、封印の札でしょうか?」
「うわぁー。ビンスさん、その呪符には触れちゃダメ……。絶対に剥がすなって書いてある。きっと危ないやつだよ」
「くっ!」
ビンス老人は、赤い封印の札から手を離した。
「壺の胴に、何か書いてある」
「確かに……」
「うーん。【来世はハッピー】って、読める」
その黒い壺には、たくさんの悪霊が詰め込まれていた。
メルが荒れ地で集めた、荒ぶる霊たちだ。
メルは鎮魂ビジネスをせっせと育て、莫大な花丸ポイントを稼いだ。
その行き着いた先が、幸せな来世を約束してくれる【ありがたい壺】の販売だった。
販売と言っても、悪霊から感謝を受けるだけで金銭の移動はない。
ただし、悪霊の感謝は花丸ポイントに反映された。
これは花丸ショップあってのビジネスなのだ。
霊蔵壺と名付けられた封印呪具は、彷徨える霊を目的地まで運ぶための安心安全な器であり、敵基地に致命的な損害をもたらす最悪最凶の呪術兵器であり、魂魄集積装置を起動させる燃料でもあった。
圧縮されて霊蔵壺に詰め込まれた悪霊たちは、封印が剥がれた途端に大爆発を起こす。
そして立て坑に投棄された遺体と融合し、大量の狂屍鬼を発生させる。
「悪いものではない……?」
ビンス老人が硬い表情で、ミケ王子に訊ねた。
「善とか悪とか、くよくよと悩んでみても無駄でしょ」
「メルさまに、もう少し常識があれば……」
「ビンスさんは、幼女に期待しすぎ」
「まあ確かに、美味しい教団の教祖さまは幼女ですが……」
ビンス老人やミケ王子には、霊蔵壺の機能など知る由もない。
ただ不安に駆られ、あれこれと想像するのみであった。
それは徒に心をすり減らす、愚かな行為だった。
何しろ真実は、二人の想像を遥かに超えて最悪なのだから。
「うん。ボクらは、美味しいカレーパンを作ろうよ!」
「……ですな。手順を教えて下され」
ミケ王子は気持ちを切り替え、手際よく準備を整えた。
鍋に油を注いで加熱し、バットにパン粉を敷き、ボールで生卵を溶く。
調理台に置いたパンを延し棒で軽く潰して三角に折り、タッパーウェアに入っていた挽肉カレーを三角形の底辺中央部に仕込む。
「パンの縁を軽く水で塗らして、向かい合った三角形の二辺を圧着させます」
「ほぉーっ。そうやって貼り付けるのですか……?」
「これを溶き卵に潜らせたら、バットに置いてパン粉を塗す。あとは、油で揚げるだけです」
「簡単そうですな」
「やってみて」
「はい」
ミケ王子とビンス老人は山ほどのカレーパンを仕込み、適温の油でキツネ色になるまで揚げた。
「こんなに作っちゃって、大丈夫かな?」
「なぁーに。皆が帰って来れば、ペロッと食べてしまいますよ」
「揚げたては美味しいねぇー」
外はサクッとしていて、生地を噛めば、カレーのスパイシーな香りが鼻をくすぐる。
「全くです」
熱々のカレーパンを齧ったビンス老人が、ミケ王子の言葉に頷いた。
「挽肉と刻み玉ねぎが、良い仕事をしています。絶妙な甘さとコクですね」
「具材の選択は、食べる者の都合を考えた工夫ですな。噛み千切れなかった大きな具材がパン生地から抜けると、柔らかなカリーのペーストも一緒に零れてしまう」
メルの挽肉カレーは、シンプルだけど食べやすくて美味しかった。
「あっ……。ボク、大事なことを忘れてた」
「どうしましたか?」
「壺の話……。クリスタさんに見せないで欲しいそうです」
「そうなんですか?」
クリスタはメルに呪術を教えなかった。
それだけでなく、メルが呪術に関わることを厳しく禁止した。
霊蔵壺が見つかれば、叱られるに決まっていた。
「うーん。『ばれたら処す!』って、ここに書いてあるよ」
ビンス老人の顔から血の気が引いた。
「さっさと仕舞いましょう。ミケさんも手伝ってください!!」
「ええーっ。ボク、まだ食べてるのに……」
「クリスタさまに壺を見られたら、ワシは破門されてしまう。片付けが先です」
ビンス老人は床に並べた壺をミケ王子に集めさせ、魔法の収納ポーチに突っ込んだ。
そうしてから床板を剥がし、秘密の場所に魔法の収納ポーチを隠す。
「そんなところに……」
「シーッ。内緒です」
踵で床板を蹴り込めば、もう元通り。
見事としか言いようがない、早業だった。








