森がヤバかった
鈍色の雲間から差し込む眩い光は、言葉に尽くせぬほど美しく、荘厳だった。
畏れ敬う心を忘れた傲慢な者たちは、天より舞い降りた巨大な門扉を目にして、その下卑た顔に驚きの表情を浮かべた。
ゴオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーン!!!!
冷え切ったヴラシア平原の空気を銅鑼の音が震わせる。
「何だあれは…!?」
ロナルト・ポラック騎士団長は最新式魔導甲冑の魔晶板を操作して、そこに映し出された敵陣営の様子を拡大した。
「でっかい門だ!」
「邪霊が二体。どうやら異形のようですな」
戦争屋ワルターは、多脚ゴーレムの操縦席から伝声器を使用してロナルト騎士団長に答えた。
魔導甲冑より多脚ゴーレムの方が、操縦席に設置された魔晶板は大きく、解像度も良い。
「ワルター。転移門から出てきたのは、鬼か…?」
「あのサイズからして、人ではない。でかすぎます。こっちの魔晶板で、角らしきものが確認できました。オーガでありましょうか?」
ロナルト騎士団長の魔導甲冑を荷台に載せた状態なので、通話に不自由はなかった。
「フーム。暗黒時代の生き残りか…。オーガなど、とっくに滅びたものと思っていたよ」
「あぁーっ!?」
異界ゲートを確認していたワルターが、間の抜けた声を漏らした。
「今度はなんだ…?」
「妙ちくりんな楽師どもの後ろから、小さなガキが…。ゾロゾロと出て来ました」
「…………!?」
絶句である。
全くもって意味が分からない。
「帝国側は、何を考えてやがる?」
「戦場にガキ…。子どもの死兵かぁー!?」
太古の昔に失われた転移門とゲートキーパーの鬼人を見せられたかと思ったら、そこから姿を見せたのは可愛らしい軍楽隊だ。
「魔獣の群でも引き連れて来るかと思えば、情けないことだ」
「妙ですね。何のつもりでしょう?」
子供たちがウスベルク帝国軍の最前列に整列し、賑やかに楽器を奏でた。
このままモルゲンシュテルン侯爵家の部隊が前進すれば、最初に蹴散らされるのは子供たちだ。
「取り敢えず、様子見だ」
「お見合いですね。慣例に従い、降伏勧告の使者を送りますか?」
「おい、ちょっと待て…。まだ出て来るぞ!」
「…………ッ!」
次に、異界ゲートを潜って現れたのは、ミニドラゴンだった。
「あれは竜…?」
「あちゃぁー。小型ですが、牛より遥かに大きいですね」
「兵士が騎乗して操れるのか…?」
「どうでしょう…。見たところ、あれらの竜に鞍や鐙は無さそうです。しかし初見なので、何とも言えません」
「4頭か…。数は少ない」
「数だけでなく、大きさでも、多脚ゴーレムの方が勝っています」
ワルターは、強引に攻めれば何とかなりそうだと踏んだ。
ロナルト騎士団長も、同じ結論に至った。
「ここで見合うのは悪手か!?」
モタモタしていたら、異界ゲートから何が現れるか知れたものではない。
ゲートキーパーの鬼人二体とミニドラゴン四頭で、充分だ。
「さっさと門を潰す方が良さそうですね」
「よし。戦闘開始だ」
ロナルト騎士団長が頷く。
「魔装化部隊、突撃せよ!!」
モルゲンシュテルン侯爵家の部隊に、戦闘開始の命が下った。
そのタイミングで雲を突くような巨人が五体、異界ゲートから姿を見せた。
『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!!』
ウスベルク帝国の陣営に、歓声が轟く。
「巨人族…」
ロナルト騎士団長の表情が凍った。
「なんだそりゃ…」
ワルターが目を見張った。
新型の魔導甲冑より、でかい。
背丈で、優に二倍はある。
「聞いてないよ…!?」
だが突撃を命じられた魔装化部隊は、ヴラシア平原を疾走する。
ウスベルク帝国の陣営を踏みにじるべく、戦闘速度で…。
誰もが呆けているところに、岩が飛んできた。
「うわっ!」
横隊の左翼で、岩に直撃された多脚ゴーレムが大破した。
「次が来るぞ!」
「どこに落ちる?」
「くっ、近い。こっちに来やがる」
どおん!
二発目の岩は魔装化部隊を直撃せず、横隊の前方に着弾した。
しかし慣性の法則があるので、そのまんま勢いよく突っ込んでくる。
ガゴォーン!
ワルターの左を並走していた多脚ゴーレムが、真正面から岩に激突した。
岩石の破壊力は印象より大きく、多脚ゴーレムは華奢だった。
「くっ…。こんなにでかくて重い岩をどこから運んできやがった!?」
ワルターは顔を引きつらせるが、実のところウスベルク帝国側に岩を用意する苦労などない。
メルが土の妖精に頼んで、現地でガンガン造らせているだけだ。
主な材料は、ヴラシア平原の地面だった。
支配度百パーセントのエリアであれば、かなりのムチャでも通るのだ。
「うおぉーっ。直撃しなくても、避けなきゃやられる」
「気をつけろ!!空から、岩が降ってくるぞ。隊列は崩して構わん。各自の判断で、回避せよ!」
ロナルト騎士団長は魔法拡声器を使って、魔装化部隊に指示を下した。
「ヌォォォォォーッ!」
「うぎゃぁー!」
「ヒィー!」
次から次へと飛来した岩が、魔導甲冑や多脚ゴーレムを削っていく。
つい先ほどまで自分たちの勝利を確信していた魔装化部隊は、阿鼻叫喚の大混乱に陥った。
「……っ。こんなの無駄死にだ」
「魔導重機の近くに居ると、巻き添えを喰らうぞ!」
「巨人の狙いは、魔導甲冑だろ!?」
そもそもモルゲンシュテルン侯爵家の魔装化部隊を脅かす罠など、ヴラシア平原には存在しなかった。
ズドン、ズドンと跳ねて地面を転がる岩があれば、落とし穴など不要である。
「うぉ!」
「伏せろ!!」
飛来した岩を避け損ね、またもや多脚ゴーレムが転倒した。
巻き込まれた随伴歩兵が、ひっくり返った多脚ゴーレムに潰される。
救助に駆けつける余裕などない。
想定外の事態に直面して、理性が吹き飛んだ。
もう軍規など、どうでもよくなった。
「……はぁはぁ」
「俺たち…。この戦場に、必要ないよな…?」
「撤退しよう」
命令違反であり、あからさまな敵前逃亡だった。
遠く…。
ヴラシア平原を囲む寒々とした森に、季節外れの靄が立ちこめた。
ラヴィニア姫の手で植林された精霊樹から、いっせいに火と水の妖精が飛び立つ。
オーブの乱舞だ。
美しい光の粒が舞い踊り、広大な荒れ野を白い霧で埋め尽くしていく。
雪に覆われて凍てついた大地は急速に温度と湿度を上げ、魔導重機の動きを止める泥濘へと変貌しつつあった。
◇◇◇◇
その朝、ボッチ人魚のジュディットが目を覚ましたとき、既にメルの姿は寝室になかった。
「くっ…。布団が冷たい…」
何処かへと消えてしまったメルを探し求め、ジュディットは雪のメジエール村をふらついた。
「メルちゃん、やぁーい。どこですかぁー?メール、メル、メル、メル!」
メルが居ないと忽ち不安になる、ボッチ人魚のジュディットだった。
「おはようございます、アビーさん」
「あら、ジュディーさん。おはヨォー」
ジュディットは酔いどれ亭の店先で、アビーに挨拶をした。
「メルちゃんを知りませんかぁー?」
「んっ?メルちゃんなら、用事があるって言ってたわよ」
アビーはシャベルで雪をどかしながら、ジュディットの質問に答えた。
「エェーッ。メルちゃんは小さい子どもなのに、用事があるんですか…?」
驚きの事実だった。
いつも遊んでいるようにしか見えないのに…。
「まあまあ、この寒いのに店先で立ち話もないデショ。中に入って、ストーブで暖まりなさい」
「あい。お邪魔します」
ジュディットはアビーに背を押されて、酔いどれ亭に入った。
「人魚さん、ネェネは忙しいのです」
ストーブに張り付いていたディートヘルムが、ジュディットに説明した。
「フーン。そうなんだぁー」
「妖精さんのジョオーさまだから、色々と大変なんだって…。ボクも、置いてかれてばかりです」
「やだやだ、やだぁー。メルちゃんに置いてかれるのは、イヤーッ!」
「どうどう…。落ち着けェー」
ディートヘルムが、呆然とした様子のジュディットを宥める。
まるっきり、不甲斐ない仲間を見る目つきだ。
「でも、メルちゃんなら…。日が暮れるまでには帰るって、言ってたわよぉー」
アビーがジュディットに、情報を与える。
「本当に!?」
「ホントホント。ネェネが嘘をついても、ママには通じないんだよぉー」
ディートヘルムが得意そうに胸を張った。
メルに置いていかれて泣いていたディートヘルムも、最近では慣れっこだ。
笑みを浮かべて、ちょっとした軽口も叩ける。
「はい、お茶をどうぞ!」
アビーがお茶を淹れて、ジュディットに勧めた。
「どうぞ!」
ディートヘルムも勧めた。
気持ちが落ち着くハーブティーだ。
「この寒いのに、何の用事やら…?」
ジュディットが茶碗を手に取って、ズズーッと啜る。
「そそ。多分、ダヴィ兄ちゃんも出かけてる」
「えーっ、ダヴィもですか…。あたしだけ、ノケモノ…!?」
ジュディットは、自分が置いていかれたショックを隠せない。
「人魚さんだけじゃないデショ。ボクもだよ」
ディートヘルムは、プゥーッと頬っぺたを膨らませた。
「メルちゃんとダヴィは、どこに行ったのかなぁー?」
酔いどれ亭の食堂で椅子に座ったジュディットが、テーブルに肘をついて寂しそうに呟いた。
今ごろメルたちは、楽しく遊んでいるのだろうか…?
どこで、なにをして…。
「ネェネは教えてくれません。内緒だそうです」
「ナイショって…」
「その代わり。ネェネが内緒で出かけた日は、ゴメンナサイの御馳走があるよ」
不満げだったディートヘルムの顔が、少し綻ぶ。
「ハイハイ…。先ずは、温かなスープですよぉー」
アビーがテーブルに置いたのは、クラムチャウダー・スープだった。
二枚貝で出汁を取った、具材たっぷりのミルク・スープだ。
メルが用意した、ゴメンナサイの御馳走である。
「温かくて、美味しいねぇー」
「アッツ。フゥーフゥー。これっ、貝の味がするぞ」
「ほぉーら。お芋にキノコ、ベーコンも入ってるよぉー。パンとサラダも食べてね」
「ボク、このパン大好き」
こんがりとトーストしたバゲットに、生ハムやチーズ、香りのよいピクルスなどが挟んである。
マスタードを利かせたマヨネーズソースも、バゲットの生地をしっとりとさせ、食べやすくしている。
「サラダも山盛り」
ジュディットは大ぶりの木鉢を見て、目を丸くした。
「ドレッシングは、こっちの器からよそって…。そこのスプーンを使うの」
「んーっ。不思議な味がするタレだぁー」
半熟卵が飾られた温野菜のサラダは、トロリとしたドレッシングをかけて食べる。
「ボクは、マヨネーズの方がいい」
ディートヘルムは、頑固なマヨネーズ愛好家だった。
「ジュディーさんは、これで足りるかしら…。朝ごはん…?」
「朝から、ゼイタクです!」
温野菜をモグモグと頬張っていたジュディットが、アビーの質問に答えた。
石に貝を叩きつけて割った、過去の貧しい食生活を思い出し、ふと目頭が熱くなる。
冬の海は暗い灰色で風が冷たく、独りぼっちは只ひたすらに寂しかった。
何故口ずさむのかも忘れてしまった復讐の唄は、ジュディットを悲しくさせた。
海底を上手に泳げても、自慢する相手が見つからなかった。
一緒に楽しいを探す、気の合う仲間が欲しかった。
信頼できる誰かに、昨日見た素敵な夢を打ち明けたかった。
大事にしていた石は、もう捨てた。
今ではメルから貰ったミスリル製のフォークが、ジュディットの宝物だった。
キラキラのフォーク。
(ブンメイの利器だ)
フォークとは、肉(具)を突いて刺す道具である。
けっして、もつれた髪を梳かすために使うものではない。
フォークで温野菜を突き刺す。
「うぅーっ。シクシク…。温かいゴハンなんて、それだけで贅沢ですぅー」
寒くてお腹を減らしていたジュディットは、一瞬で酔いどれ亭の一員となった。
こうなればもう、同じ食卓を囲む仲良し家族である。
「温かいゴハンが、贅沢ねぇー。それなら遠慮せずに、贅沢をなさい」
アビーが優しく笑った。
「はぁいー。毎日、贅沢がいいです」
ジュディットも笑顔だ。
フレッドたち傭兵隊の面々と冒険者連中は、エルフさんの温泉宿で寛いだ直後から帝都ウルリッヒの警備に就いている。
『当分の間は帰れない!』と言う、話だった。
亭主のフレッドが家に居ないのは、やはり寂しい。
楽しくゴハンを食べるなら、母と息子の二人よりボッチ人魚さんを交えて三人の方がよい。
「なるほどぉー。家族が増えるのって、嬉しいもんだね。ジュディーさんも、うちの子になりなよ」
「人魚さん、ネェネのネェネ…?」
「ウンウン…。ディーの言う通りですね。こりゃあメルに、お姉さんが出来たってことかぁー」
アビーはディートヘルムの台詞に深く考えもせず、同意した。
「うーむ。そういうことでしたら、人魚さん。たぁーくさん、ボクと遊んでくれなきゃ駄目ですよ。だって、大きなネェネですから…!」
「…………んっ?」
ジュディットが、ディートヘルムの子守に指名された。
「さあさあ、早くゴハンを食べ終えて…。いっしょに遊びましょう」
「えっ?」
少なくとも今日は、メルが帰ってくるまでジェンガ地獄だ。
◇◇◇◇
ロナルト騎士団長が操作する新型魔導甲冑は、巨大な怪物の体当たりを喰らって四散した。
手足が捥げて、文字通りバラバラである。
安全性を重視した操縦区画の設計が、からくもロナルト騎士団長の命を救った。
五体満足で取り敢えず歩けるのは、正直なところ奇跡だった。
「プギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィーッ!!!」
怪物の咆哮が、ヴラシア平原に響き渡る。
「アレは何だ…?」
ロナルト騎士団長は怪物の咆哮に怯えて、びくりと身を震わせた。
「あやつ、ミッティア魔法王国の誇りを…。一撃で、粉砕しよった!」
馬よりでかいブタなど、これまで見たことがなかった。
そんなものはドラゴンと同じで、怪物だろう。
「ロナルト騎士団長…。そちらにおいででしたか…」
「ムッ。ワルターか?」
「はい…。私の近くに寄ってください。結界を張り直します」
ワルターは動力ディスクを腰に括り付け、背中に担いだ魔道具から強力な結界を発生させていた。
「物理障壁か…?」
「気休めです。巨人の投石には無力ですよ」
「言わんでもよい。分かり切っておる」
ロナルト騎士団長は、とっくに長靴を無くしていた。
腰の近くまで泥沼に浸かっていては、前に進むのもままならない。
「歩くのが楽になれば、文句など言わんさ」
物理障壁の効果で、ワルターを中心とした結界内に泥は侵入して来ない。
汚らしい水に浸かっている状態だが、泥濘よりはよい。
「戦場は濃霧に包まれて、周囲の様子が分かりません。こうなると逆に、巨人の投石を恐れる必要はないでしょう」
「まったく…。この季節に濃霧が生じるとは、奇妙なことよ」
「忌々しい話ですが…。それもこれも、敵が大規模魔法を使用した結果だと思われます」
「ちっ。自国の話で恥ずかしい限りだが、ウスベルク帝国の魔法庁に、そんな技術力があるとは知らんかった!」
これでは、真夏の湿原地帯だ。
「どう考えても自然現象ではありません。そもそもヴラシア平原は、こんな泥沼じゃない。春を迎えても、地面は硬いままです」
「そうだよな。夏になれば、ここは青々とした草が茂る原野だ」
「我々が知らない魔法技術です。異界ゲートや巨人を含め、そこは素直に認めましょう」
魔導甲冑と多脚ゴーレムは、機体の重さが災いして泥に沈み、追い打ちの投石により完膚なきまで破壊された。
悪夢のようだが、全て現実の出来事だった。
「未知の魔法技術か…。コテンパンに、やられた。大敗だ。侯爵さまに、何と報告したものか…」
「敗北…?それでは済みませんよ。ここで終わらせる訳には行かない。私はミッティア魔法王国に、援助を要請します」
「可能なのかね…?このような状況下で…」
ワルターもロナルト騎士団長も、ドロドロでぐしゃぐしゃだった。
惨めと言えば、これ以上に惨めな状況も滅多になかろう。
それでもワルターはこめかみに青筋を立て、意気軒昂、血気盛んだ。
追い詰められて逆上し、目を血走らせていた。
自分をこのような境遇に陥れた敵が、許せなかった。
「……ッ。くそが」
苦り切った顔で、ロナルト騎士団長に聞こえないよう、舌打ちするワルター。
「ロナルト騎士団長は、根っからの武人とお見受けする。どうやら、政治の本質を分かっておられません…。本国は、まず間違いなく、増援を送ってくることでしょう」
勝つと決めつけて始めた戦争だ。
「そうなのか…?」
「ヴランゲル城まで戻り、軍を再編しましょう」
今さら、負けて終わることなどできなかった。
ミッティア魔法王国の枢密院も莫大な投資故に損切りを決断できず、不都合があれば難平するに決まっていた。
この馬車にはブレーキなどなく、前にしか進まないのだ。
「むっ。あちらに、何か居ます」
「確かか、ワルター!?」
白い霧の中を小さな灰色の陰が、滑るように近づいてきた。
潟スキーに乗った、銀髪の少女と二本足で立つ偉そうなミケ猫だった。
言うまでもなく、メルとミケ王子である。
「おまぁーら、進行方向が間違っとぉーヨ!」
そうメルが告げると、ミケ王子はワルターの背後を右前足で示した。
「正しくは、あっちだニャ!」
初対面の人間が相手なので、気遣いのニャー言葉だ。
「なんだ、キサマラは…!?」
「さては異界ゲートから現れた、邪精霊の仲間だな!」
ロナルト騎士団長はメルに怒気を向け、ワルターが魔道兵器を起動した。
『ウケケケケケケケケケケケケケーッ』
『ひゃぁー、ひゃぁー!』
白い霧の中から飛び出したデビルメルの集団がワルターに襲い掛かり、動力ディスクに齧りついた。
『ウヘヘ』
『ちゅーちゅー、ドエイン!』
『ワラシ…。チューチュー、すゆぅー』
信じられないくらい大きな口を開き、動力ディスクに尖った歯を突き立てる。
「なっ、なんだ、こいつらは…!?」
「もう諦めなされ…。その精霊たちは、おまーらがピクスと呼ぶものを吸っています」
メルはデビルメルの集団を指さし、嫌そうに説明した。
「はぁーっ。適当ふかしてんじゃねぇぞ。そんな真似が…」
「おい、ワルター。そいつらは11番倉庫で魔導甲冑を破壊した、グレムリンだろ!!」
ロナルト騎士団長が、ワルターの肩を掴んで揺すった。
「ぐっ、ぐれむりん…。そんなバカな…!実在していたのか…?」
ワルターは、魔道兵器のトリガーを何度も引いた。
両手にかまえた筒から灼熱の炎弾が発射されるはずなのだが、ウンでもなければスンでもない。
トリガーがカチャカチャと虚しく音を立てる。
「そんなバカな…!」
腰やら背中からデビルメルをぶら下げたワルターの姿は、何とも無様で滑稽だった。
「ラビーさん。オッサンたちの誘導、お願いします」
「了解デェース」
いつの間にやら忍び寄ったトレントが、ロナルト騎士団長とワルターを泥濘から摘まみ上げた。
「うおぉーっ。何をする!?」
「止めろぉー!放しやがれ!!」
宙吊りにされたロナルト騎士団長とワルターが、汚水を跳ね散らかして暴れた。
「危害は加えませんから、おとなしくしてください。日暮れ前に、あなたたちをヴラシア平原の外まで運びたいのです」
ロナルト騎士団長は、声がして来た方を見上げた。
「ふっ…!!」
樹上の枝には、幼げな美しい少女が座っていた。
しかも…。
(あの娘、髪色が緑だ…)
緑髪の人間なんて存在しない。
緑の髪は、おとぎ話で語られるドライアドの特徴だった。
ロナルト騎士団長とワルターを吊り下げたトレント(樹人)は音もなく静かに泥濘を進み、仲間たちと合流していく。
ふとロナルト騎士団長が気づけば、周囲はトレントだらけになっていた。
あっちにもこっちにも、トレント。
わさわさと無数のトレント。
沼地と化したヴラシア平原は見渡す限りトレントで埋め尽くされ、数える気さえ起きなかった。
「これと闘うって言うのか、ワルター。貴殿は気が触れたのと違うか!?」
ロナルト騎士団長は小声で囁いた。
「うるさい。泣き言を口にするなら、黙って戦う方法でも考えろ!私もあんたも、この勝負からは降りられないんだぞ!!」
ワルターも小声で言い返す。
ワルターとて、この戦力差は想定外だった。
もし可能であるなら、安全な場所まで脇目も振らずに逃げ、幼児のように声を上げて泣きたい。
しかしそれは、罪なき者にしか許されない行為である。
そして戦争屋ワルターは、言い逃れのしようもない咎人だった。








