もっと大きくて強かった
ヴラシア平原に布陣したウスベルク帝国の軍勢とモルゲンシュテルン侯爵家の軍勢は、かなり離れた距離で睨み合った。
弓などの投射兵器が到達する距離を考慮した配置だと思われるが、それにしても離れすぎていた。
「ふむっ…。我が軍が望む距離より、少しばかり離れている」
ロナルト・ポラック騎士団長は多脚ゴーレムの荷台に立ち、遠眼鏡を手にしていた。
「この距離を潰せるような投射兵器は、ウスベルク帝国の陣に見当たりません。ちらほらと長弓を見かけましたが、弓兵など戦力外でしょう」
戦争屋ワルターはロナルト騎士団長を見上げ、ハキハキと応じた。
不安はあるけれど、もうすぐ戦争が始まる。
この活力に満ち、戦場に張りつめた空気は心地よい。
コートの裾をバタバタとはためかせる寒風が、ワルターの熱気を程よく冷ます。
「魔装化された部隊に原始的な弓矢の攻撃など、些かも脅威とはならん。魔法による物理障壁で、弾かれるのがオチだ!」
「魔導甲冑による投石を恐れた結果、あの位置になったのでは…?」
「それはまた、なんとも情けない話だな。自軍の攻撃が届かぬのでは、何も始まらん。投石による被害を免れたとしても、戦に勝てぬではないか」
ロナルト騎士団長は、ウスベルク帝国の軍勢を見下すように言い放った。
「今になって、どうしたらよいのか考えているのかも知れませんよ」
「まあよい。こちらの作戦は当初と変わらぬ。魔導甲冑五十体と多脚ゴーレムで横隊を組み、歩兵の守りとする。罠に気を配りつつ、少しずつ横隊を前進させる」
「単純ですね」
「工夫など、必要なかろう!?」
どこまでも傲慢な、ロナルト騎士団長だった。
「負ける気がせん!」
「全くですな!!」
ロナルト騎士団長とワルターは、ヴラシア平原に到達するまで戦闘の機会を与えられず、悶々としていたのだ。
行軍中に通過した村々は無人で、腹いせに耕作地を踏み荒らし、家屋や穀物倉庫を焼き払っても、心が晴れなかった。
暴力に恐怖して泣き叫ぶ女子供や、理不尽な扱いを受けて悔しさに顔を引きつらせる村人を眺めなければ、強者の愉悦に浸れない。
職業軍人である一部の男たちは、常に己の暴力衝動を持て余し、攻撃の機会に飢えていた。
なので前もって村人を避難させたメルの作戦は適度なストレスとなり、ロナルト騎士団長やワルターから正常な判断力を奪った。
「おまえたち、準備は良いかぁー!?」
「「「おおぉーっ!!!!」」」
「殲滅せよ!」
「「「おぅ!!」」」
モルゲンシュテルン侯爵家の軍勢は、勢いに任せて前進することしか考えていなかった。
◇◇◇◇
「話に聞いていたより、でかいじゃないか!」
マンフレート・リーベルス将軍は、ゆっくりと前進し始めたモルゲンシュテルン侯爵家の軍勢を見て、苦り切った顔になった。
部下たちの手前、指揮官が情けない姿を見せてはならない。
そんなことは百も承知しているのだが、ミッティア魔法王国の新型魔導甲冑は大きすぎた。
「歩兵と比較して、騎馬の三倍は背丈があるか…?」
何で攻撃すれば、アレにダメージが通るのだろうか?
誰か、教えて欲しい。
「取り敢えず、騎兵の機動力で敵軍の後背をつくか…?」
「いいえ、マンフレート将軍。我が軍の陣形は、現状維持でお願いします。勝手な真似は止めて下さい」
「グヌヌヌヌッ…。アーロン殿。ここは戦場ですぞ。貴殿こそ、余計な口出しは控えて頂きたい!!」
マンフレート将軍が黒い眉毛を吊り上げ、アーロンを怒鳴りつけた。
「卿は、お飾りの将軍にすぎません。ウィルヘルム皇帝陛下はマンフレート卿に分からせるため、この討伐軍を組織されたのです」
「何だと…。聞き捨てならん!?」
マンフレート将軍は動揺した。
そして、その動揺は騎士隊の面々にも、さざ波のように広がって行く。
「ほら…。援軍が来ますよ!」
アーロンが上空を指さした。
アーロンを視界に入れていた数名の騎士が、上空を見上げた。
「光が…」
「光が降ってくる」
「あれは魔法陣か!?」
今やウスベルク帝国の軍勢八万人が、鈍色の雲に覆われた空を見上げていた。
「メルさま。お待ちしておりましたぞ!」
ウィルヘルム皇帝陛下がこぶしを握り、上空に向かって叫んだ。
雲の切れ間から光が差し、太い柱となって、ウィルヘルム皇帝陛下の後方に突き立った。
ゴゴゴゴゴゴゴゴォーン。
ヴラシア平原に、地鳴りのような銅鑼の音が轟いた。
「門だ」
「異界ゲートです!」
光の柱から、巨大な門扉が姿を現した。
軋む音と共に扉は開き、二体のゲートキーパーが門扉の両脇に控えた。
こめかみに二本の角を生やした、異形の邪精霊だ。
鬼人である。
門扉から湧きだす白煙とオーブの乱舞を背に、メルの親衛隊がバグパイプを奏でながら前進してくる。
英国紳士風の大きなお友だちに続くのは、魔法学校の生徒たちで編成された軍楽隊だ。
「あれれ…。なんか、小さな子たちが出て来たぞ」
「なんで子どもが…」
ブガブガ、ドンドコ、キンコンカン、それはもう賑やかである。
「あれは、魔法学校の制服だろ」
「あちゃぁー。ウィルヘルム皇帝陛下は、巨人族が援軍だって言ってたのに…」
「こりゃまた小せぇーのが、ぞろぞろと来ちまったな!」
「いいや。あの子たちは、力強い援軍だろうが…」
「そりゃそうだ。ありがたい」
騎士隊の中には、魔法学校の生徒と演習した者がいる。
小さな魔法使いたちへの期待は、当然のことながら大きい。
魔法学校のミニドラゴンも、軍楽隊の最後尾について門を潜った。
四頭のマスコットは、呆れたような目つきで騎士たちのまえを通り過ぎた。
『オマエら、不甲斐ないな!』と、言わんばかりに…。
「面目ない」
「みんな、しゃんとしろ。ドラゴンに笑われるぞ」
「背筋を伸ばし、気勢を上げろ!!」
これまで不安そうにしていた騎士たちの顔に、覇気が戻った。
「オレたちは、勝つぞぉぉぉぉぉぉぉーっ!!」
「ウラァァァァァァァァァァーッ!」
鞍上で、激しく剣と盾を打ち鳴らす。
「我らに、精霊の加護アリ。妖精の助けアリ!」
「ユグドラシル、万歳!!」
その叫びは、前線で盾を構えていた重装歩兵にも伝染していく。
「これは…。どういうことだ?」
「妖精女王陛下の援軍が、到着したのです」
アーロンが、マンフレート将軍の問いに答えた。
「あれは、ドラゴンか…?」
「小さいですが、ドラゴンですね」
「しかし…。どうやって…?」
巨大な門を指さすマンフレート将軍は、声を震わせていた。
「マンフレート卿は幼児だとメルさんを侮っていましたけれど、妖精女王陛下ですから…。条件さえ整えば現象界の距離くらい、容易く無効化します」
支配度百パーセントのエリアにて、メルは神出鬼没だった。
ただし異界ゲートの座標設定はユグドラシル王国国防総省の負担となるので、必要に迫られない限り使用しない。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!!」
兵たちの間に、驚きの叫びが響き渡る。
「何じゃ、あれはぁー!?」
「キタァー。ティターン」
「まじでトロールだ!」
巨人族。
パンツを穿いた巨人たち。
統率するのは、言わずと知れたユーディット姫。
「なあ、素晴らしかろう。卿も、そう思わぬか…?」
「…………」
ウィルヘルム皇帝陛下が、マンフレート将軍の肩を軽く叩いた。
体高が騎馬の三倍はあろうかと言う、ミッティア魔法王国の魔導甲冑。
その二倍を軽く超えるであろう巨人族は、一体でも充分に脅威だ。
それが五体も味方に付いた。
ウィルヘルム皇帝陛下の言い草ではないが、素晴らしい。
しかし、余りの驚きに、マンフレート将軍は頷くことさえできなかった。
のっそりと巨人が歩くたびに足音が響き、地は揺れる。
ズシン、ズシン、ズシンと…。
「これが妖精女王陛下の、お力ですよ」
「…………っ!」
したり顔で語るアーロンが、憎たらしい。
こんなものは、経験しなければ分かるはずがない。
「大きい」
兵士の一人が、分かり切ったことを呟いた。
見上げる角度から、『頭部が雲に届くのではないか?』と錯覚を起こす。
純粋に大きい。
それはもう、空想上の存在と出会えた感動だ。
誰もが、巨人族から目を離せなかった。
だから巨人族の後に登場した幼児ーズは、注目されなかった。
皆が巨人族に心を奪われていたので、スルーされた。
「うーむ。さすがに巨人たちの後だと、オレさまも目立てないか」
メジエール村の悪童、ダヴィ坊やが不満げに言った。
「あんたさぁー。目立たなくても良いデショ。注目されると恥ずかしいし…。ティナ、さっさとチルたちの傍に行こう」
「そうですね」
タリサとティナは、そそくさと軍楽隊の後を追った。
魔豚トンキーの背に跨った妖精女王陛下メルとラヴィニア姫は、手を振ってウィルヘルム皇帝陛下に頷いて見せた。
ミケ王子とハンテンも、キリッと凛々しい顔つきでトンキーの横に並んでいた。
「そこで項垂れとるんは、ショーグン?」
「マンフレート・リーベルス将軍です。メルさん」
アーロンがメルの質問に応じた。
「うむっ。デアルカ……」
魔豚トンキーが、マンフレート将軍の近くで足を止めた。
メルは口元を扇で隠し、トンキーの背からマンフレート将軍を見下ろした。
「マンフレ何某よ。以前わらしを幼児あつかいして、大言壮語とかぬかしよったが……。ウケケケ……。今どんな気分……?」
「グギギギギギギギッ……!」
マンフレート将軍は、言葉もなく奥歯を噛み締めた。
巨人族を除くユグドラシル王国の援軍は、ウスベルク帝国の陣形中央を進んで前面に展開した。
「ショクーン。それでは虫けらどもを蹴散らしましょう!」
メルがトンキーの背で、声を張り上げた。
「ウゴッ!」
戦闘開始の号令を待ちきれなかったのか、一体の巨人が石を投げ…。
「あっ!?」
ヴラシア平原の上空を弓なりに飛んだ石は、モルゲンシュテルン侯爵家の部隊で大量の動力ディスクを運んでいた多脚ゴーレムに、命中した。
ドゴォーン!!
一撃大破である。
「ウガァー!」
「ウガァー、ウガァー!」
仲間の抜け駆けに腹を立てた巨人族たちが、次々と石を投げた。
「こらぁー。やめなさい。まだ始まってないデショ!」
ユーディット姫が叱ったくらいでは、切れた巨人を止めることなどできない。
「あーっ。勝手に始めよった」
「もぉーっ。メルちゃんが、紛らわしい挨拶をするから…。決めてあった段取りが、滅茶クチャじゃん」
「スマンのぉー、ラビーさん。始めちゃってください」
「しょうがないなぁー。目覚めよ、わが眷属たち。密かに我らの敵を包囲し、捕獲せよ」
ラヴィニア姫はトンキーの背に立ち上がり、命令を発した。
ヴラシア平原を囲む森が、動いた。
数え切れないトレントたちが、モルゲンシュテルン侯爵家の軍勢に向かって進撃を開始した。
「メルー。どうすんの…?」
「はぁーっ。巨人さんが、フライングしてしまったので、タリサさんも始めちゃってくらはい」
「分かったぁー。それじゃティナちゃん。地形効果、行っときますか」
「うん……。霧よ。白き濃霧よ。平原を覆い、我らの敵から視界を奪いたまえ」
「大地よ。水と混じり合い、泥沼と化せ。敵の足元に、粘りつく泥濘を…!」
タリサとティナが、妖精たちに指示を与えた。
「ありゃりゃ…。始めの合図がなかったけど、精霊魔法の霧だ。地形効果を視認。仕方ないなぁー。あたしたちも、攻撃開始だぁー!」
軍楽隊を指揮していたチルが、叫ぶ。
「おう」
「了解だよ、チル」
チルの台詞に、魔法学校の生徒たちが反応した。
『ウケケケケケケケケケケケケケーッ』
『ひゃぁー、ひゃぁー!』
『ウヘヘ』
『ちゅーちゅー、ドエイン!』
『ワラシ…。チューチュー、すゆぅー』
精霊クリエイト訓練魔道具から産まれたSSSレアな精霊が、魔法学校生徒の手元から何体も放たれた。
その正体はリルメルから派生した邪精霊、デビルメルだ。
名前からして、碌なものではない。
足元を覆う霧に紛れて、デビルメルが疾走する。
マンフレート将軍の思惑とはかかわりなく、猛烈な戦いが始まった。
「くっ。勝手なことを……」
ウィルヘルム皇帝陛下の命令がなかったので、マンフレート将軍は騎士団を動かせなかった。
もっとも命令されたところで、岩が降る戦場に自軍を突進させるのは無謀だった。
「マンフレート卿よ。あの大きな岩が飛んでくる場所に、無防備な騎兵を差し向けることなどできまい」
ウィルヘルム皇帝陛下は、巨人が投げた岩に当たって転がる魔導甲冑を眺め、マンフレート将軍に同意を求めた。
「陛下……」
「意地を張っても仕方がない。わしらは役立たずだ。クリスタ殿が『屍呪之王を封印する!』とか申されて、妖精女王陛下を地下迷宮に伴われたときから、わしには何もできんかった。わしは皇帝だが、国難に際して無力だった。ウスベルク帝国が土台から崩れかけていると言うのに、手をこまねいて見ているだけの駄目な皇帝だ。わしがウスベルク帝国のためにできることは、幼き妖精女王陛下の馬となり、『母君に叱責されて、お尻を叩かれた』などと言った、些細な日常の御不満に耳を傾けるくらいであった」
ウィルヘルム皇帝陛下が、晴れ晴れとした顔で自身の情けなさを語った。
「陛下……」
「しかし今日。わしは気分が良い。敵のゴーレムが飛んできた岩に潰されるところを見て、スカッとした。無力なのは、わしだけじゃない。あやつらも、無力だ!」
「陛下……」
「卿も、この件が終わったら、メルさまの馬をするか?」
「…………っ!」
それは承諾しかねるマンフレート将軍だった。








