大きくて強い
戦場に於いて、兵の頭数は間違いなく力である。
だからウスベルク帝国は、二万もの騎兵をヴラシア平原に投入した。
帝国騎士団の他、後方支援の魔法使いや聖職者、重装歩兵や槍兵、弓兵などに、輜重部隊を併せて八万。
帝都ウルリッヒの防備を空にする、大軍勢だ。
「我ら帝国軍は、このヴラシア平原にて、歴史に残る大勝利を収めるであろう…。各自、武功を立て、子孫に名を遺せ!!」
マンフレート・リーベルス将軍は、毎日のように自陣を見てまわり、白い息を吐きながら兵たちを鼓舞した。
「皆の者、安心しろ。我らには精霊樹の加護がある。妖精女王陛下の援軍が参戦して下されば、ミッティア魔法王国など恐れるに足らんわ!」
ややもすれば鬱になりがちな重装歩兵たちを見かねて、ウィルヘルム皇帝陛下も励ましの言葉を掛けた。
ウスベルク帝国軍の最前列に配置された重装歩兵隊は、ミッティア魔法王国の魔導甲冑と激突し、これを退けるのが本来の役目だ。
であるからして隊員たちの士気は、ヴラシア平原が近づくにつれて急激に落ち込んだ。
今となっては、誰もが恐怖に顔を強張らせ、言葉少なだ。
「おい。陛下が安心しろってよ」
「どうやって…?」
「無理だろ」
重装歩兵たちはウィルヘルム皇帝陛下のありがたいお言葉より、魔導甲冑に勝てる現実的な力が欲しかった。
実在すら疑わしい精霊樹の加護などではなく、猛牛の突進をも跳ねのける魔法の盾が欲しい。
それが切なる願いだった。
「わははは…。そのように暗い顔をするものではない。しょぼくれて肩を落としていると、せっかくのチャンスが逃げてしまうぞ…!」
ウィルヘルム皇帝陛下が自信ありげに腹を叩き、呵々大笑して見せた。
「負け戦であれば、わしは顔を出さんよ。そうであろう?」
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵の叛乱軍は、ヴラシア平原で鎮圧される。
さもなくば帝都ウルリッヒは落ち、ウスベルク帝国の命運も尽きよう。
敗北は許されなかった。
ウィルヘルム皇帝陛下が出陣しているのは、後がないからだ。
ここで負ければ、エーベルヴァイン城に籠っていたところで意味などない。
『負け戦だ』
『勝ち目は、一割もないぞ』
兵士たちの見立ては、概ね上記のようなモノであった。
もっとも、メルを知らない者たちであれば、ウィルヘルム皇帝陛下の言葉を鵜吞みになどできない。
これはもう自分の目で見て確かめるしか術はなく、オバケが居るとか居ないとか、そういったレベルの話だった。
「陛下…。笑ってたよ」
「もう諦めてんじゃねぇか?」
従ってウィルヘルム皇帝陛下の言葉は、重装歩兵たちの心に届かなかった。
「ふむ…。どうやら兵たちは、わしが信用できぬようだ」
「あの者たちは、メル陛下のことを知りません。水虫の呪いをかけられた貴族の中にさえ、メル陛下を信じない愚か者が居るのです。こればかりは、自分で経験するしかありませんな」
「むしろ見方を変えるなら、この状況は兵たちの信頼を一気に勝ち取る好機かと…。この戦が終わった時点で、皇帝陛下は皆から預言者か賢者の如く、崇められましょう!」
ヴァイクス魔法庁長官とルーキエ祭祀長が、己の至らなさに嘆くウィルヘルム皇帝陛下を慰めた。
「なるほど…。では、この調子で…。ユグドラシル王国よりの援軍について、皆に聞かせて歩こう」
「それが、よろしいかと…」
アーロンは皇帝陛下の相談役らしく頷き、賛同を示した。
「それにしても、どのような援軍でしょうな?」
「実のところ、我らは屍呪之王でさえ見たことがない。この先の展開は、想像もつきませぬ!」
ルーキエ祭祀長が口にした疑問に、ヴァイクス魔法庁長官も首を傾げた。
「…………はぁ。おそらくは、度肝を抜かれることでしょう!」
アーロンがポツリと呟いた。
「アーロン殿は、何かご存知ですか?」
「メルさんは、ギガンテスを召喚するようです」
「……んっ。ぎがんてす?」
ウィルヘルム皇帝陛下がアーロンに、問い返した。
「トロール。巨人族ですね」
「「「………………………」」」
巨人族と聞いて、ウィルヘルム皇帝陛下、ヴァイクス魔法庁長官、ルーキエ祭祀長の三名は、宙に視線を彷徨わせた。
しかし残念なことに、付近に高さを測る目安となりそうな比較対象物はなかった。
「巨人って、魔導甲冑より大きいのか?」
「はい、陛下!」
「むぅーっ」
「「………………………!!」」
ウィルヘルム皇帝陛下、ヴァイクス魔法庁長官、ルーキエ祭祀長の三名が、またもや妄想の世界に沈んで行った。
何やら口元が、だらしなくにやけている。
ウスベルク帝国の陣営を歩くウィルヘルム皇帝陛下一行には、マンフレート将軍のような悲壮感がなかった。
気分は物見遊山だ。
自分たちがターゲットでなければ、メルのやらかしは派手なほどよろしい。
「魔導甲冑に、巨人かぁー!?」
「うーむ。ますます楽しみですな」
ヴァイクス魔法庁長官とルーキエ祭祀長は、試合の組合せに興奮する闘技場の観客と変わらなかった。
「フフフッ…。フーベルト宰相は、残念であった。居残り、さぞかし無念であろう。いやぁー、残念であった」
ウィルヘルム皇帝陛下は、頻りと『残念であった』を繰り返すが、とても嬉しそうだ。
「厳正なるクジの結果ですから、恨みっこなしです!」
アーロンが首を横に振った。
これから戦争だと言うのに期待で胸を高鳴らせる、しょうもない大人たちであった。
その後、『我が軍は、巨人族の助けを得るだろう!』と、兵士たちに聞かせて回ったところ、ウィルヘルム皇帝陛下の評判は地に落ちた。
妄言帝ウィルヘルムの名は、【ヴラシア平原の奇跡】と歴史書に記される戦いから、ウスベルク帝国の各地で囁かれるようになった。
◇◇◇◇
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵の軍勢は多脚ゴーレムを先頭に、二日間でクヌート湿地帯を踏破した。
多脚ゴーレムに載せて運ばれる五十機の魔導甲冑は、しっかりと荷台に固定されて転げ落ちる心配もない。
帝都ウルリッヒを目指す部隊は、最新鋭の魔導甲冑を主力とする二万人の部隊だった。
その殆どは歩兵である。
各地を占領するのに人手が足りない場合は、殲滅もやむを得ない。
反撃を受けなければ、放置で良い。
飽くまでも目標は、帝都ウルリッヒの陥落だ。
目指すは、屍呪之王の奪取である。
「ふっ…。通過してきた町や砦からの追撃など、ありはしませんよ!」
戦争屋ワルターは、モルゲンシュテルン侯爵の軍勢を率いるロナルト・ポラック騎士団長に訊ねられ、確信をもって答えた。
「敵は、魔法兵器と魔導甲冑を恐れているのか!?」
「大きさってのは、そのまま脅威なんです。誰だって、こんなでかいコブシで殴られたくないでしょ!」
「まあ、一撃で馬が吹き飛ぶからな…。勇猛を誇る騎士だって、腰が引ける」
「こんなものに余計なちょっかいを出して、目をつけられたら最悪だ。為政者だろうが住民だろうが、馬鹿でなけりゃ分かっている。魔導甲冑を敵にしたら不味いと…」
「でっかいからかぁー」
戦場に於ける兵数の差は、脅威だ。
しかし魔導甲冑が数機あれば、兵数の優劣など容易くひっくり返る。
剣や槍、弓矢の攻撃をものともせず、単機で騎馬の突進を食い止めてしまう。
一騎当千と言うが、突出した兵の戦闘力もまた、分かりやすい強さの指標だった。
「魔導甲冑が自分の町に居座るのは嫌なので、とっとと何処かへ行ってくれるなら御の字です」
「確かに…。魔導甲冑と敵対するリスクを考えたなら、そうそう追撃はないか…。頭数を揃えての挟撃とか、ないな」
進軍の途中に点在する砦や町を無視できるのは、大きなアドバンテージだった。
戦闘による兵の損耗を抑えられるし、大幅な時間短縮を見込める。
「五十機もの魔導甲冑で隊列を組まれたら、攻められる側はなす術もないでしょう。そのうえ魔導甲冑用の強力な魔法兵器まで使用されたら、近づくことさえできません」
「ああ…、夜間の奇襲なんかを警戒していたんだが…。それも報復が怖くて、簡単にはできないってことか…」
「わたしらを全滅させられない限りは、ちと難しいんじゃないですか?」
過去の従軍経験から、ワルターには現在までの状況がクリアに見えていた。
見えないのは、ここから先の展開だった。
11番倉庫に方尖塔を突き立てた謎の勢力は、ウスベルク帝国の軍勢とモルゲンシュテルン侯爵家の軍勢がヴラシア平原で衝突する事態を看過するだろうか…?
「ありそうもない話だ」
であるなら、どのような干渉をしてくるのか。
「想像もつかん」
戦争屋ワルターは答えを導き出せないまま、ヴラシア平原に到着してしまった。
「おいおい、ワルター観戦武官。ウスベルク帝国の連中が、待ち構えていやがるぞ。信じられねぇ。数万だ」
ロナルト騎士団長が遠眼鏡を覗き、苦り切った口調で言った。
「ロナルト卿…。そこまでは予想通りだし、斥候からの報告にもあったでしょう」
「いやいや。あり得ねぇだろ。ここは平地だぞ。魔導甲冑を相手に、騎士隊で何をするつもりなんだ…?あんなに兵力を集めて、どうするんだ!?」
「魔導甲冑に、何らかの対抗策が用意してある…?そうも見えないんだけど…」
ワルターが遠眼鏡でヴラシア平原を眺めまわしてから、私見を述べた。
「だぁーな。重装歩兵を前面に配置した、普通の陣形だ。それらしき工夫は見当たらない。もしかして、落とし穴かぁー?確かなところは、ひと当てして見んことには分からんけど」
「こちらも魔導甲冑部隊を前面に並べましょう。魔導甲冑部隊に歩兵隊を着けて、前進させるとよいでしょう」
「あーっ、そうだな。歩兵にトラップを探させよう」
「これだと魔導甲冑に石を投げさせたら、すぐに終わりそうですね」
「ちっ…。あいつら、馬鹿なのかぁー?普通、籠城だろ。エーベルヴァイン城なら、守りが硬いだろ。なんでヴラシア平原に陣を張った!?」
全ては、メルが決めたことだった。
敵に『ぎゃふん!』と言わせ、『ザマー!』をするために…。








