リスクと向き合う男たち
七人委員会のゼルゲは、ドルレアン侯爵の屋敷を訪れていた。
マリーノ・ドルレアン侯爵は、枢密院において一大勢力を率いる議員のひとりだった。
「それでゼルゲさまは、ウスベルク帝国併吞に反対なさると」
「その通りだ。領都ルッカに突き立てられた黒い針は、七人委員会の長老サラデウスでさえ説明できぬ代物だった」
「たかだか石柱一本を恐れて、引き下がるのですか?」
「棒きれで腕を叩かれ、相手にそれしか出来ぬと決めつけるのは愚かであろう」
「確かに…」
マリーノ・ドルレアン侯爵が、ゼルゲの言葉に頷いた。
「では、枢密院での協力を頼みたい」
「お任せください。それとなく反戦の雰囲気を作りましょう」
「ありがたい。わしはグウェンドリーヌ女王陛下を説得しようと思う」
「お急ぎください。帝国軍との衝突は、間近に迫っております。時間がございません」
「うむっ。ご忠告、痛み入る」
ゼルゲは謝意を表し、ドルレアン侯爵家を辞した。
「バルディーニよ。ゼルゲ殿を始末しなさい」
「はっ。マリーノさま」
「ウスベルク帝国から手を引くなど、あり得ぬ話。屍呪之王をミッティア魔法王国の管理下に置くというだけなら…。魔鉱石の話さえなければ…。ここで手を引くこともできたでしょう」
「…………」
「マルティン商会がへまをやらかし、枢密院は甚大な被害を被りました。我々の投資額は、膨大です。こうなればミッティア魔法王国を危機に曝そうとも、元を取り戻さなければなりません」
「…………」
「そうですね。魔動車の事故が良いでしょう。原因は魔動ディスクの故障です」
「畏まりました」
バルディーニは深々と腰を折り、マリーノ・ドルレアン侯爵から与えられた使命を果たすべく、暗殺者ギルドへと向かった。
三日後、ゼルゲは暴走車に跳ねられて死んだ。
ゼルゲが手にしていた杖は、なんの役にも立たなかった。
◇◇◇◇
「11番は、呪われている」
ロバート・ウォレス少佐(人族)は11番倉庫に生えた方尖塔を眺めて、力なく肩を落とした。
あの黒い柱は、どこから来たのか。
誰の仕業なのか。
そもそも…。
「こいつは、いったい何なのか?」
ミッティア魔法王国の技術者たちが幾ら知恵を絞って調べても、分からないものは分からない。
「侯爵さまから、調べておけと命じられたが…。あれ以来、音沙汰がない」
「そんなもの、放っておけば良いでしょう」
戦争屋ワルターが蔑むような目つきで、ウォレス少佐を一瞥した。
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵は、かなりの気分屋だ。
非常に扱いが難しい危険人物なので、接触は必要最低限に留めたかった。
魔法による意識操作が得意なワルターでさえ、モルゲンシュテルン侯爵の傍には居たくない。
「しかしだなぁー。十中八九、危険と分かっておる物を放置はできぬ!」
「どうしても気になるなら、見えないように壁で囲っておきなさい」
「ワルター。あんたは無責任だな。エルフってのは、どいつもこいつもアンタみたいに無責任なのか?」
ウォレス少佐は不愉快そうに、ワルターを詰った。
「フンッ!」
「態度も最低だな、オイ」
前任者のヨーゼフ・ヘイム大尉が職場放棄さえしなければ、ワルターも単なる観戦武官でいられたのだ。
そのヨーゼフ・ヘイム大尉が人なのだから、ワルターに言わせるなら無責任なのは人族だった。
何なら自領の民を殺しまくっているモルゲンシュテルン侯爵だって、人族だ。
エルフ族だから無責任だとか、そんな与太話は認めない。
「そうは言ってもですね…。侯爵から追及されたところで、ウチの技術者たちには満足な答えを用意できません。技術者は、学者や研究者じゃないんですよ」
「ふうーん。そういうもんかね」
「それに、調べる時間がありません」
戦争屋ワルターはモルゲンシュテルン侯爵領に雪が舞い降りてから、帝都攻略の準備で寝る間もないほど忙しい。
なので港湾施設の管理者であるウォレス少佐には、物資の搬出入作業に集中して貰いたかった。
余計なことに拘うヒマなどない。
「動力ディスクを5番から40番まで、多脚ゴーレムのコンテナへ詰めろ。こっちのコンテナだ」
「魔導甲冑のメンテナンスパーツは、そっちだ。武器や装備品とごっちゃにするなよ!」
「はい」
「承知しました」
多脚ゴーレムの担当者から、テキパキと指示が飛ぶ。
巨大な倉庫が建ち並ぶ広い通りは、何台もの多脚ゴーレムと大小様々な積み荷、立ち働く輜重兵たちでごった返していた。
「まあ、しかし。面白くはありません」
クリップボードを片手に、進捗状況を書類に記入しながら歩くワルター。
その口から、ポロリと本音が漏れた。
「色々と、前提が覆る」
ウスベルク帝国の文明レベルを未開(サル並み)と称するワルターからすれば、方尖塔は未知の第三勢力による干渉でしかない。
どうやらミッティア魔法王国を超える高度な魔法文明社会が、何処かに存在するようだ。
正直、興味を引かれるが、それ以上に煩わしい。
敵か味方か…。
おそらくは敵だろう。
だが、考えてみた所で分からない。
ワルターの部下たちは方尖塔を破壊するどころか、地面から引き抜いて移動させることさえできなかった。
「11番倉庫と言えば、グレムリンに襲撃された場所だな」
グレムリンは11番倉庫の魔導甲冑を破壊して、逃げ去った。
11番倉庫は、初めてグレムリンが目撃された記念すべき場所となった。
噂ばかりで目撃例のなかったグレムリンだけれど、その外見は獣人の子供らしい。
「素手で魔導甲冑を破壊し、目が見えなくなるほど眩しい光を放つって…。そんな獣人は居ない」
グレムリンと方尖塔。
両者の関係は、あるやなしや…。
「偶然…?11番だ。間を空けずに、同じ倉庫だぞ!」
ひとつ気に掛かることができれば、こうやって次から次へだ。
「屍呪之王や狂屍鬼も、この目で存在を確認した訳じゃないし…。調停者に精霊樹と…。このところあやふやな情報が多すぎて、まったく嫌になる」
ワルターはエルフだ。
傲慢で頑固なエルフは、自らの経験のみを尊ぶ。
「ふぅーっ。ミッティア魔法王国の軍事的な優位性を信じられたら、どれほど楽だろう」
これまでなら圧倒的な魔法技術力の差で、多少の不確定要素は無視できた。
「しかし、あの方尖塔は…」
精霊の創造物。
伝承に語られるストーンサークルを想起せずにおれない。
現代に息づくアーティファクト。
黄泉へと通ずる、石の門。
「…………」
謎の物体が登場したことにより、安全マージンは消えた。
焼けた鉄板の上を転がる小さな水滴のように、ジュッと蒸発した。
「ちっ。これから楽しい祭りなのに…」
戦争屋ワルターの心が、不安に蝕まれる。
◇◇◇◇
雪で白く覆われたヴラシア平原に、ウスベルク帝国軍の騎馬隊が勇壮な姿を見せた。
帝都ウルリッヒの帝国騎士団、二万騎である。
後方支援の魔法使いや聖職者、重装歩兵や槍兵、弓兵などに輜重部隊を併せて、八万の大軍勢だ。
東・西・南・北と中央。
帝都ウルリッヒを守備する五つの騎士団は、それぞれ四千騎ずつの騎兵部隊で構成されている。
これら五つの騎士団を束ねるのが、ウスベルク帝国の黒獅子ことマンフレート・リーベルス将軍だ。
黒い眉毛が凛々しいマンフレート将軍は逞しい軍馬に跨り、薄いアイスブルーの瞳で雪原を見つめた。
目つきが厳しい。
「どうだね将軍?」
ウィルヘルム皇帝陛下が鞍上にて訊ねた。
「常であれば、『楽勝です!』とお答えします」
「ふむっ。それで…?」
「しかしながら、魔導甲冑が相手では最善を尽くしますとしか、申せません」
「なるほどのぉー。マンフレートほどの戦上手でも、魔導甲冑は脅威か」
「ですから以前より、再三再四、軍備増強を具申して参りました。それなのに、陛下は耳をお貸しくださらず!」
「いやぁー。ワシはちゃんと聞いておったよ」
ウィルヘルム皇帝陛下は、怒声を上げるリーベルス将軍から視線を逸らし、小指で耳を穿った。
「でしたら、悪徳商人から押収した魔剣の一本なりと」
「それはできぬのだ、将軍。魔法武器に関しては、何度も説明したであろう」
「そもそも魔法武器は、調停者殿との約定で処分するよう定められています。帝都ウルリッヒにて押収された魔法武器の類は、全て破壊しました」
ヴァイクス魔法庁長官は、ウィルヘルム皇帝陛下の台詞を引き取り、具体的な説明を付け加えた。
「な、なんと、勿体ない。そのようなことを…。この帝国存亡の折に、カビが生えた古き約定など何になろうか!?」
「まず、調停者殿との約定があって、ウスベルク帝国は建国され申した。マンフレート殿、そこを忘れてはなりませぬぞ」
ルーキエ祭祀長が、ヴァイクス魔法庁長官を擁護した。
「ヌヌヌッ…!さすれば、我ら騎士に無策にて切り刻まれろと御命じになるのか!?」
「魔法武器は授けられぬが、援軍を要請してある。何年もかけて、お願いし続けたのだから、まさか反故にはされまい」
「なんですか、その援軍と言うのは…?もしや、あのチビに助けを乞うたのですか?」
武闘派の辺境貴族たちやマンフレート・リーベルス将軍は、妖精女王陛下が大嫌いだ。
礼儀知らずで、生意気で、妙ちくりんな格好をして、とても口が悪い。
一見してメルは、馬鹿貴族のアホな子供と同じに見える。
「あぁーっ。何たることかぁー。陛下は、あのチビに騙されている」
「アーロン卿。ワシはメルさまに、騙されているのか!?」
ウィルヘルム皇帝陛下がアーロンの方に向き直り、心配そうに訊ねた。
「いいえ。そもそもメルさんは言葉を弄するのが苦手ですから、騙したりしません」
「そうだろうとも…」
「ちゃんと話が通じなくて困っているので、嘘は吐きません。だけど間違えたり、忘れたりはありそうですね」
「忘れられる可能性は、ある?」
ウィルヘルム皇帝陛下は、傷ついたような顔になった。
「いやいや…。メルさまは、子供ですから…」
ヴァイクス魔法庁長官が、すかさずフォローを入れた。
「確かに子供だな。そりゃそうか…」
ウィルヘルム皇帝陛下も、アハハ!と顔を引きつらせて笑った。
約束を忘れられたら、一大事である。
「たとえメルさんが約束を忘れても、ユグドラシル王国から連絡が入るので問題ないと思います。それこそ、フレッドさんやアビーさんも居ますし…」
「ふむふむ。言われてみれば、その通りであるな」
アーロンは、ウィルヘルム皇帝陛下の不安を取り除いた。
「皇帝陛下…。子供に戦の援軍を頼まれては、騎士の沽券に関わります」
「いや、マンフレートよ。メルさまは子供だが、何しろ妖精女王陛下なのでな」
皆が話している内にも、次々と折り畳み式の住居が建てられていった。
「お待たせ致しました。こちらが、会議用の天幕になります」
「うむっ。ご苦労であった」
ウィルヘルム皇帝陛下は馬を降り、従者に世話を任せた。
大きめの簡易天幕を前にして、ウィルヘルム皇帝陛下、アーロン、ヴァイクス魔法庁長官、ルーキエ祭祀長と、仲良く雁首を揃えて並ぶ。
その後に、不服そうなマンフレート将軍が続く。
貧乏くじを引いて帝都ウルリッヒに残されたのは、フーベルト宰相だった。
「精霊宮に、お菓子の家を奉納し…。天使の間で、メルさまの馬となった日々。全ては、この戦いのため…。感無量である!」
青空に向かい、ウィルヘルム皇帝陛下がこぶしを突き上げた。








