ジュディットは待っていた
チルとルイーザは、昨夜のうちに魔法学校へ帰って行った。
今回の遠征について、魔法王が詳細な報告を欲しがっているらしい。
おそらくは、リルメルたちの能力について知りたいのだろう。
バルガスと冒険者連中は、メジエール村の老人たちに気兼ねして立ち去った。
かつてメジエール村で迷惑をかけた自覚があり、宴会の席に混ざるのは気まずかった。
それと交代するように、アビーが温泉宿を訪れた。
ラヴィニア姫が、宴会の話をアビーに伝えたのだろう。
ただ酒が飲めると聞いて、遠慮するようなアビーではなかった。
フレッドとアビーは夫婦で美味い酒を楽しみ、大宴会場でだらしなく沈没した。
清々しい朝である。
メル、ラヴィニア姫、ディートヘルム、ダヴィ坊やの四人は、同じ部屋で目を覚ました。
「おはよう」
メルがぼさぼさの髪で、朝の挨拶をした。
「おはぁー♪」
ディートヘルムも、元気よく挨拶を返す。
「あーっ。気持ちの良い朝。メルちゃん、洗面所で顔を洗ってくるね。ディーも、一緒においで…」
「あい。ラビーねえ」
ラヴィニア姫がディートヘルムの手を引いて、部屋を出た。
「ふぁーっ。ユカタって言うのか…?タタミとフトン…。これは、なかなか良いな」
ダヴィ坊やは、まだ少し寝たりなさそうだ。
布団が気持ち良かったのだろう。
「デブ、気に入りましたか…。わらしたちも顔を洗って、朝ゴハンを食べに行こう」
布団は仲居さんたちが、片付けてくれる。
エルフさんの温泉宿では、朝食の膳に美味しそうな温泉卵が出た。
ツヤツヤした炊き立てゴハンと、緑が鮮やかな山菜の味噌汁。
宿屋では定番の味海苔に、刻みネギが香る納豆。
小皿に載った、白菜と胡瓜の漬物。
メインディッシュは、ハムステーキとポテトサラダ。
それに小魚の甘露煮が、二尾ついている。
「ふぉーっ。なんか旅館の朝ごはんデス!」
メルは嬉しそうな顔で、朝食の膳と向き合った。
「うまぁー」
「美味しいねぇー」
ダヴィ坊やとラヴィニア姫にも、好評だった。
ゴハンをお替りして、モリモリと食べる。
最後に濃いめの緑茶を啜り、口をさっぱりさせて、ご馳走さまだ。
ディートヘルムはアビー母さんに連れられて、温泉に行った。
家族風呂があるので、フレッドも一緒だ。
朝食は、おあずけである。
ウド、ワレン、ヨルグ、レアンドロに、クルト少年は、早々に朝食を済ませて大浴場を試しているようだ。
昨夜から持ち越した酒気を抜くには、ちょうど良いだろう。
「メルさん。ここは素晴らしい施設ですね」
ロビーで寛いでいたアーロンが、声をかけてきた。
アーロンも朝食に満足したようで、上機嫌だ。
和洋折衷な間に合わせっぽい朝食だけれど、美食家アーロンを唸らせる出来栄えだった。
ケット・シーたちも、知らぬ間に料理の腕を上げたようである。
なんにせよ、おもてなしの心は尊い。
暫くして、タリサとティナが合流した。
「親が口煩くてさぁー。やっと抜け出してきたよ」
「ほーん。タリサも大変じゃのぉー」
「メジエール村では、普通です。私たちが外泊するなんて、無理です。昼間だけでも、母さんの許可を得るのが大変でした」
タリサとティナは、長期間の外出が難しい。
女子の親は、そうそう容易く娘の外泊を許したりしない。
当然だった。
「しゃぁーない。わらしが、あーたらのご両親に話を通しておくわ」
シーシーと爪楊枝を使いながら、メルが偉そうにふんぞり返った。
「説得役が、メルじゃねぇー」
「メルちゃんは、子供だもん。大人の説得には、信用が足りないと思う」
「けっ!えーわい。そしたらファブリス村長を連れてくから、問題なかろぉー」
不満そうなメルを見て、ラヴィニア姫が笑った。
「メルちゃん。タリサとティナには、ご家族で来てもらえばいいんじゃない?」
「はっ…。その手があったやん」
メルが手を打ち鳴らした。
「げぇーっ。家族と一緒とか、あたしが嫌だよ」
「幼児ーズのリゾートですから、親とは別に来たいです」
タリサとティナは不服そうだ。
「なにも、いつもって話じゃないだろ。一度、家族を連れてきて、どんな場所か見せればいいだけだぜ。違うのか…?」
ダヴィ坊やが、不思議そうに訊ねた。
「んっ。言われてみれば、その通りね。おぉーっ、ダヴィの癖して賢いじゃん」
タリサが姉貴ぶって、ダヴィ坊やの頭を撫でた。
「やめろよ、タリサ。オレの頭を触るな!」
「あはっ。ダヴィでも、照れたりするんですね」
ティナも、嫌がるダヴィ坊やの頭を撫でた。
「くっ…」
最年少の立場はダヴィ坊やにとって、どうにも居心地が悪く、屈辱的だった。
メルはジュディットとの約束を思い出して、海岸に向かった。
もちろん、幼児ーズ全員での移動だ。
ラヴィニア姫、タリサ、ティナの三名にとっては、初めての海である。
「人魚さんデス」
「へぇーっ。人魚って、本当に居るんだ」
「この前、再会を約束して別れました。お魚を獲ってくれるそうデス」
「でも、人魚が居ないじゃん」
タリサは懐疑的な表情で、浜辺を見回した。
「メルちゃんは、ここで人魚さんと待ち合わせたのですか?場所と日時が、間違っているとか…?」
ティナが、スンと鼻を鳴らす。
見渡す限りの水平線で、視界を遮る物など何もない。
海面下に隠れているのでなければ、人魚と思しき存在を見落とす方が難しい。
「ここへ来るまで…。ずっと聞こえていたのは、波の音かぁー」
タリサは人魚などそっちのけで、海を見つめていた。
余りにもでかいのでポカンと口を開け、呆けてしまった。
「タリサ。口…。アホの顔をしとるヨ。フヒヒ…」
「うっさいわぁー!」
もう少し暑ければ、水着でヒャッホーとなるところだが、季節は初冬である。
メジエール村より南方に位置するドラゴンズ・ヘブンとは言え、スキューバーの装備が無ければ凍える。
「海って言うの…?すごいよね。あっちまで、ずっと水。それに奇妙な臭い?」
「タリサ、海の水は甘いんだぞ!」
ダヴィ坊やがドヤ顔で教える。
「飲めるの?」
「うん…」
メルはタリサの質問に素っ気なく答えた。
「味を見ても大丈夫かな?」
と、ラヴィニア姫も興味を示す。
「ラビーさん。海水はなぁー。毒ではないが、飲みもんとちゃうで…。がっつくのは、やめとき」
メルがニカリと笑い、首を横に振った。
砂浜は星砂だ。
海水は澄んでいて透明度が高い。
つまりソーダ水のように青く輝いていて、美味しそうだった。
「これがさぁー。蜜のように甘ぁーくて、後を引くんだな…。うめぇー!」
ダヴィ坊やは海水を手のひらにすくって、飲んだ振りをする。
「フッ。あーたら。ただの水だって、過剰に摂取すれば身体に悪いデス。飲み過ぎて、腹を壊さんよぉーにね」
メルはチチッと舌を鳴らした。
「うん」
ラヴィニア姫が素直に頷いた。
「わかった!」
「気をつけます」
タリサとティナも、おざなりではあるけれど言葉を返した。
ラヴィニア姫、タリサ、ティナの三名は、波打ち際にしゃがみ込んで、海水を手のひらにすくい口に含む。
「ウゲェー。ゲホ、ゲホッ…。何これェー!」
「しょぉーっぱ!!」
タリサとティナが顔を顰め、悪態を吐いた。
「ちっとも美味しくないよ。小川の水と、ぜんぜん違う。見た目は同じなのにぃー!」
ラヴィニア姫も、ベーッと舌を出して呻く。
「ブハハハッ…!!」
ダヴィ坊やが、三人を指さして笑った。
最初に海岸を訪れたとき、ダヴィ坊やはメルに唆されて海水を飲み、大爆笑されたのだ。
自分と同じ失敗をする他人の姿は、とても愉快で滑稽だった。
「くっ…。よくも騙したわね、ダヴィ。覚えときなさいよ!」
「うへぇー。いっつもオレを騙してバカにするタリサが、よく言うぜ」
「ゲホ、ゲホ、ゲホ…。うっさいわ。絶対に仕返ししてやる!」
どうやらタリサの気管支に、海水が入ってしまったようだ。
砂浜に両膝をついたタリサは、苦しそうに咳込んでいた。
「タリサー。鼻水を垂らしながら怒っても、怖くないぞ。ウヒャヒャヒャ…」
「…………(憤怒)」
やめておけばいいのに、ここぞとばかりに追い打ちをかけるダヴィ坊やだった。
まあ他人を罠に嵌めて笑い転げれば、間違いなく恨まれるのだけれど…。
カースト最下位の立場で、これを笑わずにいられようか。
「フゥーッ。こうして待っておっても、埒明かんけぇー。人魚さんを呼ぶべ」
一方メルは恨まれるのが嫌なので、即座に話を逸らした。
ここら辺は、中身が年相応の幼女でないから小賢しい。
樹生の享年にメルとして生きた六年の歳月を足せば、なんと二十二才である。
(すまぬダヴィ。僕はね。タリサに狙われるのは、キミだけで良いと思うんだ。犠牲は二人より、一人で済ませた方が良いデショ。コスパが…)
しかし少しばかり知恵が回っても、精神年齢は見たまんまだった。
ダヴィ坊やとビー玉の勝負で熱くなり、取っ組み合いのケンカをする二十二才はちょっと居ない。
幼児退行化のバッドステータスは、まったく良い仕事をしていた。
「よっこいせと…」
メルは可愛らしい兎さんのポーチから、妖精の角笛を取りだした。
淡いピンク色の兎さんは、花丸ショップで売り出された最新型の魔法収納袋である。
幼児ーズは各自で好きなデザインのポーチを選び、装備していた。
妖精女王陛下からのプレゼントである。
「吹くどぉー」
角笛の端っこを口に咥えたメルが、息んで顔を真っ赤に染める。
ほっぺたが、フグみたいに大きく膨らんだ。
「プィー、プッ。ポペェェェェェェェェェェェェェーッ♪」
間の抜けた笛の音が、砂浜に響き渡った。
チャポン。
待つこと暫し、ジュディットがヒッコリと海面に顔を覗かせた。
半目でメルの方を睨んでいる。
半目のまま、グイグイと近づいて来る。
「約束したのに…。お魚を獲って来れば、ともだちになってくれるって…。だから、お魚を捕まえて…。ずっと、ずっと待ってたのに…。朝から夜まで、毎日毎日…。もう十日だよ。酷くない?酷いよね!?」
ジュディットは小声でブツブツと恨み言を口にしながら、波打ち際までやって来た。
「なあ、人魚さん。なんか怒ってないか?」
「ムムッ…」
エルフの耳は地獄耳。
漏れなく詳細に聞こえているので、メルの額に脂汗が滲む。
「オレ、ちょっと離れてる」
「なんでやデブ!?」
「だって、人魚さん全裸じゃん。オレが居たら、タリサたちに詰られるだろ…?何より、オレが気まずい!」
ダヴィ坊やがメルを裏切り、逃亡した。
「ふわぁぁーっ。待って、デブ」
メルの膝小僧がカクカクと揺れた。
下半身に力が入らず、その場から逃げ去ることもできない。
「こんにちは、メルちゃん」
「……ウヒッ!」
「とても、とても…。会いたかったよ」
「…………ッ」
ジュディットの目つきが怖くて、たわわなオッパイは気にならなかった。
海水に濡れた長い黒髪は顔の半分を覆い隠し、心を病んだ人魚の雰囲気づくりに一役買っていた。
恐怖の余り視線は宙を泳ぎ、お尻がキュンとなった。
「ちょっと、聞いてるの…!?」
何というか、もう修羅場である。
「……どうも。長らくお待たせしたみたいで、すんませんでした」
メルはボッチ人魚の呪詛に恐れをなし、ペコリと頭を下げた。
「ふーん。みなさん、おともだちですかぁー。メルちゃんは、楽しそうで良いですね。あたしは魚を抱えて、来る日も来る日も待ちぼうけ。あたしが不安に苛まれていると言うのに、さぞかしアナタは楽しかったのでしょう。羨ましいなぁー。妬ましいなぁー!」
ジュディットは幼児ーズの女子組をチラ見してから、ネットリとした口調で嫌味を並べた。
その間、下半身の鰭で水面をバシバシと叩き続けている。
「あかーん。人魚さんが、なんか怖い女になっとぉーヨ。なぁなぁ、どないしまひょ…?ラビーさん、わらしを助けて。タリサ、ティナ…。何とか言って(小声)」
メルが目配せで、賢い女子組に助けを求めた。
「普通さぁー、再会を約束したら…。待ち合わせの場所と日時くらい、教えてから行くよねぇー」
ジュディットが、手に持っていた魚をメルの足元に投げつけた。
「ちと時間が掛かったのデス。二、三日のつもりでいたけど、うーんと延びてしまいました。さぁーせん!」
「ムキィーッ。あたしを馬鹿にしているんでしょ!!」
ロマンティックで愛らしい人魚との出会いに期待していた幼児ーズの女子組は、ジュディットの剣幕にドン引きだ。
そして全てを台無しにしたメルに、非難の矛先を向けた。
「アンタさぁー。再会を約束したのに、場所と日時を決めてなかったの…?うわぁー、呆れた」
「人魚さんへの気遣いが、足りませんね。魚を獲って来たら、友だちになって上げるとか…。欲深くて嫌らしいです。深く反省すべきだと思います」
「うん…。意地悪をするつもりなんて、なかったんだろうけど…。無計画なメルちゃんが、悪いよ」
「うわぁーん。そぉー言うの、今はエエから…。お説教は、後で幾らでも聞くよって…。わらしを助けてください。おねしゃすデス」
「「「許してもらえるまで、ひたすら謝りなさい!!!」」」
無神経で迂闊なメルを助ける者は、誰一人として存在しなかった。








