邪魔者は蹴散らします
メルの報復作戦は失敗に終わった。
だけど皆が空の旅を楽しむのは、良いことだ。
風竜だって、なんとなく嬉しそうである。
「メル。詰めないと、皆が乗れない。我慢して、パパの膝に座れ」
フレッドがメルに言った。
幾ら大きなゼピュロスの背中であろうと、十人以上の大人が乗れば窮屈だ。
「しゃーないのぉー」
メルは妥協して、オネショ事件の恨みを水に流すと決めた。
フレッドに仲直りのチューだ。
「うおっ!」
これに驚いたのがフレッドである。
家族間で親愛の情を表す、軽妙なキスではない。
幼児ーズのメンバーが仲直りのときにするキスは、互いに舌を絡ませ合うアレだ。
しかも、どこで誰と練習したのやら、とても初めてとは思えない巧みな舌づかいだった。
父親として、どえらいショックだった。
「メ、メルゥー?今のは何ですか!?」
「フッ。仲直りの儀式じゃ」
いきなり娘にディープキスをされて、たじろがぬ父親は居ないだろう。
「レッツらごぉー!」
メルがこぶしを突き上げ、元気よく叫んだ。
「何それ。意味が分かんない」
ルイーザは、メルの掛け声に顔を顰めた。
「うむ。いざ行かむ…。そういう意味だな」
メルに代わって、ダヴィ坊やが掛け声の意味を解説した。
「「レッツらごぉー!」」
チルとルイーザが唱和した。
「キィエェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェーッ!」
ゼピュロスが首をもたげて吼える。
「おい、メル。誰から、こんなキスを教わったんだ?」
「ぱぁーぱ、うっさいわ。しゃべくっとると、舌を噛むどぉー」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉーっ。ケツが沈んだぞ!とっ、飛んでいるのか!?」
「そう興奮せんと、落ち着け…。なっ。ちゃんと座ろう。危ないから、水平飛行に移るまで黙ろうな」
メルがフレッドの膝をポンポンと叩いた。
フレッドがディープキスの動揺から立ち直るより早く、皆を乗せたゼピュロスは離陸した。
巨大な翼を広げ、魔法の上昇気流を真下から受けて、グングンと空高く舞い上がる。
「気をつけて行ってきなぁー!」
「あーい。婆さま」
地上で手を振るクリスタの姿が、あっという間に遠ざかって行った。
「婆さまって、何よ。クリスタさんってエルフだけど、若い女の人じゃない」
「あーっ、ルイーザは知らなかったな」
困惑するルイーザに、ダヴィ坊やがしたり顔で頷いた。
「クリスタさんは、森の魔女さまだ。メジエール村では、魔法で年寄りの振りをしているんだ」
「エェーッ!あのお婆ちゃんとクリスタさんが、同一人物なのぉー!?」
ダヴィ坊やの説明を聞いて、ルイーザが絶叫した。
「あーっ。ああーっ。あてんしょんぷりぃーず。当機ユグドラシル・エクスプレスはこれより、ルデック湾上空を飛行し、領都ルッカを通過、目的地であるヴラシア平原を目指します。到着予定時刻は、今より一時間後となります。途中、ヴランゲル城には止まりませんので、ご注意ください」
メルがコッソリ練習してきた機内アナウンスの物真似を披露したが、誰も聞いていなかった。
「なんじゃ、おどれら…。わらしの芸に、少しは関心を示さんかい!」
それは無理と言うものである。
異世界には機内アナウンスなどないのだから、どれだけ上手に真似たところで無駄だ。
「……すん」
メルはモモンガースーツのフードを目深に被り、俯いた。
「けっ…。相手にされんのは、知っとったわ」
遠い目になり、切なげに前世の暮らしを思い出す。
一方、初めてドラゴンに乗った大人たちは、もう大騒ぎである。
「すっげぇー」
「こんなデカイのが、空を飛ぶのかよ」
ウドとワレンは、驚きと興奮で身を震わせていた。
「はぁー。これは快適ですね。ドラゴンが全く羽ばたかないとは、思ってもいませんでした」
アーロンは知られざる風竜の生態に触れて、胸を熱くした。
「魔法かぁー?これは悪魔チビの、空飛ぶ魔法なんだな!」
高所が苦手なバルガスも、青褪めた顔に引き攣った薄ら笑いを貼り付けていた。
手下たちの前で、無様な姿は見せられない。
「あははっ…。こいつは、楽しいなぁー」
「親分、無理せんでいいですよ」
「バカ野郎。むっ、無理なんかしてねぇぜ!」
これを機会に、メルに対する苦手意識が天元突破である。
スコンと抜けるように、晴れ渡った空。
絶好のフライト日和と言えよう。
「おい、見ろよ。水平線が丸い」
「さっきまで居た島が、もうあんなに小さい」
「揺れもしなければ風もないのに、なんて速さだ」
「畜生め。孫子の代まで自慢できる経験なのに、俺には嫁さえ居ねぇ!」
「ブハハハッ…。ちげぇーねぇ。右に同じだ」
ゼピュロスの背に乗る皆の心も、浮き立つようである。
しかしフレッドの心には、疑心暗鬼の暗雲が立ち込めていた。
愛娘の貞操が疑われる、由々しき事態だった。
既に疑惑の種子は、芽吹いてしまったのだ。
「メルが、不純異性交遊だと…?俺のカワイイ娘に手を出しやがったのは、どこのどいつだ!?」
小声でブツブツと呟くフレッド。
「ぱぁーぱ、どうしましたか?」
「いや、何でもねぇよ」
「ふーん」
しっかりと聞こえているくせに、メルは素知らぬ振りだ。
危険を察したダヴィ坊やはすかさず身を屈め、周囲を見回すフレッドの視界から逃れた。
「まったく、メル姉は…」
ダヴィ坊やが力なくぼやく。
とんでもない誤解である。
全てはフレッドの妄想に過ぎなかった。
それなのにメルは面白がり、ニヨニヨと笑っている。
妖精女王陛下は、どこまでも罪作りな少女だった。
◇◇◇◇
モルゲンシュテルン侯爵領とミッティア魔法王国の混成部隊が通過する危険エリアから、ウスベルク帝国の民である村人たちを避難させる計画は、順調に進んでいた。
目的地上空から降下するさいに、嫌がるバルガスをメルが蹴落とすと言ったハプニングはあったけれど、誰一人としてケガをすることなく着地に成功した。
二体のリルメルが作りだす異界ゲートは正常に作動し、村人たちをメジエール村や開拓村へ次々と転移させた。
各地の村人たちが、帝都ウルリッヒから派遣された見知らぬ救助隊を拒まなかったのは、祖先の霊に諭されたからである。
カメラマンの精霊と孫機のベルゼブブたちは、実に良い仕事をしていた。
耳元で囁かれる不思議な声が、村人たちに決断を促したのだ。
祖父母の代から守り続けてきた土地を捨てるのは、断腸の思いであろう。
顔さえ知らぬ遠い祖先が祀られた墓も、諦めなければならない。
「さぞかし、辛いだろうな」
フレッドは、村人たちに同情を禁じ得なかった。
ロマノ村からヒギンソン村へと移動している最中に、メルたちは領主軍と遭遇することになった。
「フレッドさん、領主の騎馬隊です」
アーロンがエルフ耳をぴくつかせ、揉め事の到来を告げた。
「数は…?」
「二十騎ほどでしょうか…。我々の後方です。林道から来ます」
村々を訪ね歩いて、既に三日。
この地の領主であるマクファディン子爵も、ようやく異変に気づいたようだ。
だが、もう遅い。
ときに街道の左右へ救出部隊を分けて効率化を図り、残す村はあと一ヶ所のみ。
林道の向こうに、小さく騎馬隊の姿が見えた。
隊列の中から、一騎が駆け寄って来る。
黒い顎ひげを蓄えた騎士だ。
「貴様ら、そこを動くな!」
「そのように声を荒げて、何事でしょうか?」
マクファディン子爵の騎士が怒鳴りつけてきたのに対して、アーロンは涼しげな顔で応じた。
「不逞の輩め。村人たちを何処へ連れ去った!?」
「不逞な輩とは、これまた異な事を…。私は代々の皇帝陛下に仕えさせて頂いております相談役、アーロンと申します。我らは帝都ウルリッヒより罷りこした、ウィルヘルム皇帝陛下の使者にございます。この度の用向きは、これより戦地となるであろう危険区域から、大切な帝国民を安全な場所まで避難させることです」
「な、何だとぉー!マクファディン子爵さまの領地で、断りもなく勝手な真似をしおって…」
「事態が事態ゆえに急いでおります。不手際に関しましては、マクファディン子爵さまの寛容なる対処を望みます。こちらに、ウィルヘルム皇帝陛下のご署名が入った命令書もございます。とくと、ご覧ください」
アーロンはウスベルク帝国の刻印が入った革のフォルダーを開き、馬上の騎士に命令書を掲げて見せた。
「グヌヌヌヌッ…。このようなもの、偽のサインじゃ!!」
「あっ!」
黒い顎ひげの騎士は腰から抜き放ったロングソードで、アーロンに斬りつけた。
命令書とフォルダーが切り裂かれ、宙を舞う。
「こやつらを公文書偽造罪で、打ち首にせよ!」
追いついてきた騎士隊に、黒い顎ひげの騎士が命じた。
騎士隊の面々がメルたち一行を逃がさないように取り囲み、抜剣した。
プレートメールを纏った騎士たちはフェイスガードで顔を隠し、見るからに厳めしい。
ルイーザが顔面蒼白になり、震えた。
「大丈夫。心配いらないよ。メルちゃんが居るんだもん」
「ちっとも安心できないんですけど…」
「あたしたちの理事長先生だよ。信じなきゃ」
チルに宥められたルイーザが、下唇を噛んだ。
帝都で浮浪児をしていたチルと違い、ルイーザは暴力に免疫がない。
敵意を隠そうともしない騎士たちに囲まれたら、怯えるのが当たり前だった。
「貴方たちの無礼な態度は、度を越しています。到底、看過し得るものではありません。この件につきましては、マクファディン子爵さまに抗議をさせて頂きたい」
「その必要はない。オマエらは皇帝陛下のサインを偽造した悪党として、処刑されるのだ。たった今、この場所で…」
黒い顎ひげの騎士が、グフフフと下品に笑った。
「子供を除き、皆殺しにせよ。よいか、子供は殺さずに捕らえよ。そいつらが、村人の行方を知っておろう」
「「「承知!」」」
どうやら黒い顎ひげの騎士は、メルたちを村の子供だと思い込んだ様子である。
普通に考えれば、帝都ウルリッヒからの救出部隊に子供が含まれているはずもなく、無理のない判断と言えよう。
「なるほど…。そういう事であれば、私もお前たちを叛徒と見做しましょう!」
アーロンが、冷ややかな口調で言い放った。
その手に、魔鉱プレートの束が握られる。
「ってことは…。やっていいんだな?」
バルガスが嬉しそうに足を踏み出した。
「じゃすとあ、もーめんと!」
メルが大声を上げた。
「えっ?なに…」
「メル姉が、ちょっと待てと言っている」
首を傾げるバルガスに、ダヴィ坊やがメル語を翻訳して聞かせた。
「帝都の地下迷宮で鍛えたショクンからすると、こいつらは雑魚じゃ」
「はぁ…。だから?」
「じゃけぇ、ルールを設けマス。アーロンは、魔法なし。お馬さんにケガをさせたらいけません。鎧を着たボケどもは、殺さずに無手で蹴散らしてください」
「………魔法なし。戦闘不能にするだけ?」
アーロンが確認した。
「そうです!」
「武器は使用禁止か?」
バルガスも不服そうに訊ねた。
「駄目です。なんならバルガスだけ、右手のみで戦えや!」
「ちっ。無茶を言うなよ」
バルガスが忌々しそうに舌打ちをした。
「いくぞ、ウラァー!」
メルの指定した特別ルールで、戦闘が始まった。
「「「「おぉーっ!」」」」
フレッドたち傭兵隊も、無手で騎士隊に襲い掛かった。
「フギャァーッ!」
「何だ、こいつらは…。魔物みたいに強いぞ」
「怯むな。やり返せ!!」
「ぐふっ…」
そして数分と経たずに、マクファディン子爵の騎士たちは地べたに転がった。
「ほれ見ぃー。やれば、できるやん」
「うるせぇーよ。悪魔チビ!」
速攻で二人の騎士を叩きのめしたバルガスが、メルに怒鳴り返した。
結局バルガスは、右手しか使わなかった。
無傷で集められた軍馬は、最後に残った村人たちと一緒に開拓村へ送られる。
軍馬から農耕馬にジョブチェンジだ。
「えっ、ええっ…?これって、どういうことなの…!?」
事態の展開について行けないのが、ルイーザだ。
腑に落ちない顔で、ブツブツと呟いている。
「あはは…。ルイーザが思っているより、あたしたちの味方は強かったんだよ」
「そうなの…?でも、フレッドさんって…。メジエール村で酒場を経営しているオジサンだよ」
ルイーザは周囲の男たちを見回し、再度チルに訊ねた。
「そう言われてもねぇー。実際に強いんだから仕方ないよ」
「うん。確かに…」
「だってさぁー。メルちゃんは、大きなドラゴンを飼ってるよね」
「ぜぴゅろす?」
「そそ…。そのメルちゃんを護衛する人たちがぁー、ヘッポコ騎士なんかに負けるはずないデショ!」
「そっかぁー」
ルイーザにとってフレッドは、メジエール村の酒場を切り盛りする中年男性に過ぎなかった。
傭兵隊のメンバーは、誰もがフレッドと似たり寄ったりである。
バルガスや冒険者たちのコトは、殆ど知らない。
アーロンに至っては、ルイーザとまったく縁のない殿上人だ。
ましてルイーザは女の子だった。
オッサンたちの強さなど、分かるはずがなかった。
ただ、メルの強さだけは知っていた。
高所から落下しても、無傷で笑っているのだ。
魔法学校のミニドラゴンたちと模擬戦闘をして、勝利を収める場面も見た。
「フレッドさんのところで、メルを育ててるんだよね。なるほどぉー、実は強かったんだ…」
こっそりと、フレッドに憧れの視線を向けるルイーザだった。








