ナチュラルに強者
長命種であるエルフは、年老いるほどに頑迷固陋さを増していく。
満足に動けなくなっても、偉そうな態度を改めようとはしない。
『老いては子に従え』などという格言とは、まったく無縁の存在である。
若さを失うにつれ、アスケロフ山脈の如く高い自尊心を守ろうとして、いっそう底意地が悪くなるのだろう。
さて…。
それでは、調停者クリスタについて考えてみよう。
世界樹の実を食べたクリスタは、肉体の衰えを知らなかった。
若い頃のように動けなくなり、視野が狭くなってしまうようなことはない。
しかし、クリスタにとって世界は、もう遊びつくしたオモチャのようなものである。
毎日が、新鮮ではないのだ。
これは不幸と言えよう。
思考する生物は、外界と己の関係を体系づけようとする。
そこから、様々な意味が生まれる。
子供が好奇心旺盛なのは、自分と世界を知ろうとしているからである。
新しい事象と出会い、これを自分と関連づけていく。
何故、なに、どうして…。
それ故に子供の世界は、いつだって新鮮なのだ。
もし子供にとって毎日が新鮮でないとしたら、とっても不幸である。
そして老いを知らないクリスタも、そこは子供と変わらなかった。
退屈は、心を腐らせる病だ。
そう言うことである。
なのでクリスタは、メルの相手をするのが好きだった。
メルを喜ばせることができるほど、子供あしらいに長けてはいない。
むしろ子供をあやすのは、大の苦手である。
だけどメルは面白い。
クリスタの好奇心を刺激するのだ。
メルと一緒にいれば、クリスタは退屈せずに済んだ。
もし調停者としての使命が無ければ、ずっとメルを眺めて暮らしたい。
お爺ちゃんお婆ちゃんが、孫の世話を楽しむのとも少し違う。
そこには、ワクワクがあるのだ。
メルは普通の子供じゃない。
言うなれば、決して飽きることがない、魔法のビックリ箱みたいなものだ。
クリスタにとって大切なのは、ワクワクだった。
その日、ウィルヘルム皇帝陛下との秘密会議(?)を終わらせたメルは、市場で買い物をして料理を作るとクリスタに話した。
『クリスタも、ゴハン食べる?』
『ああ、勿論さ』
『そしたら…。わらし、美味しいものを作る』
『よぉーし。そういうことなら、市場を案内してあげようかね』
『クリスタの案内かぁー』
『不満かい?』
『わらしなぁー。チルたちと悪者の手配書を貼って歩いたから、テートに詳しゅーなった。案内は、要らんかなぁー』
『つれないことを言うんじゃないよ。あたしが、オマエさんと一緒に出掛けたいのさ』
『そっかぁー』
メルがニカッと笑った。
メルは子供である。
子供の約束ほど、当てにならないモノはなかった。
料理の材料を買いに行っても、途中で楽しそうなオモチャを見つけたりすれば、それを買ってメジエール村へ帰ってしまう。
自分の欲望に正直なだけだから、叱っても無駄である。
認めたくはないが、子供にすれば面白そうなオモチャを前にしたら、大人との約束なんて一瞬にして頭から消え失せる。
それは自然現象だ。
メルに約束を守らせたいなら、クリスタがついて行くしかなかった。
『メルがこしらえる料理は、美味しいからねぇー』
メルの料理は久しぶりである。
『今日は、何を食べさせてもらえるのやら…』
『ウヘヘヘ…。それは、できてからのお楽しみジャ!』
否応なく、好奇心をそそられた。
『馬車と御者は、アーロンに頼んで用意させよう』
そんなやり取りを経て、二人はエーベルヴァイン城を後にした。
「メル…。メルや。どこへ行ったんだい…?」
クリスタはメルを呼びながら、あちらこちらへと視線を彷徨わせた。
しかしメルの姿は、どこにも見当たらない。
市場の雑踏は、小さな子供を探すのに適した場所と言えなかった。
ほんのわずかな油断だった。
文字通り一瞬である。
「まったく…。信じられないよ」
ずっと気をつけていたのに、ちょっと手を離したら、もう居ない。
「はぁー。何てことだい」
深々と溜息を吐く。
「ブブ…。居るんだろ。メルのところまで、連れて行っておくれ!」
羽虫がクリスタに近寄ってきた。
〈先導します。わたしに、ついてきて下さい〉
〈よろしく頼むよ〉
羽虫はクリスタの要望に応えて、道案内を引き受けた。
カメラマンの精霊は、常にメルの居場所を把握している。
よって、メルが何処に居るか分からないときは、非常事態ということになる。
〈こちらです。すぐ近くに居ます〉
まだ、慌てる時間ではなかった。
「おやっ?」
通りの前方に、人だかりが出来ていた。
何かが、起こっているようだ。
「ブスブス、ブゥース、ブタ娘!」
人だかりの向こうから、女の罵り声が聞こえてきた。
「嫌な予感しかしないんだけど…。あの子ったら、ケンカでもおっぱじめたのかね…?ちょっとスミマセン。ここを通してください」
クリスタは人込みを掻き分けて、強引に進んだ。
「おい。姉さんを通してやりな」
「おっと、すまねぇ。オイラが邪魔か…。ちょっくら横に退けるぜ」
若く美しい女に頼まれたら、物見高い男たちも率先して道を開けてくれる。
「ありがとう…。ありがとうございます」
こうした場面で、恵まれた美貌を利用しないのは馬鹿だ。
「グヌヌヌヌッ…。わらし、ブスでないよ。カワイイです」
「もう泣きっ面。失礼ですけど、笑っちゃいますね。ブタの耳、よわぁー」
「くのぉー。汚物の臭いをまき散らす、エンガチョ女め…。わらしが浄化しちゃる!」
間違いない。
メルの声だった。
場所は市場の入口付近。
その先は帝都ウルリッヒの城門から続く、タンブレア大通りである。
「ふんっ。ブタの癖して、随分と生意気デスネ。おチビとて、容赦はしませんよ。まじ泣かす」
「なんやねん…。めんちゃいするんわ、おどれの方じゃ!?」
見物人たちの輪を抜けた先で、メルと見知らぬエルフ女が睨み合っていた。
メルの周囲に、無数のオーブが舞い踊っている。
かなり危険な状態にあった。
妖精女王陛下はプッツンだ。
切れかけている。
「メルゥー。こんな場所で喧嘩をするのは、おやめなさい!」
クリスタが、大きな声で叫んだ。
クリスタに一喝されたメルが、肩をびくりとさせて振り返った。
「だって、婆さま」
「なんだね?」
「あの身の程知らずなエウフが、わらしをブタ呼ばわりしやがったのです」
「ほう…。帝都ウルリッヒにエルフとは、これまた珍しい」
クリスタはメルが指さした女に、視線を向けた。
隠蔽魔法で偽装しているが、成人したエルフだった。
その左腕は、特殊な木から削りだされた魔法具のように見えた。
「おや…。随分と変わった義手だね?霊気を纏っておる」
「うぬっ…。その声。その姿は…。紛れもない、クソ女クリスタ…。フフフッ…。あなた、こんなところに居たのですか…。とうとう見つけましたよぉー」
「あれっ?ひょっとして、婆さまの知り合いですか…?」
「ウーム」
クリスタが首を捻った。
「ふっ…。このわたくしを忘れたとは言わせませんよ。さあさあ、あの日の決着をつけましょう」
「あの日の決着……?何のことやら…。申し訳ないが、あたしには心当たりがありませんね」
「えっ!?」
「はてさて、どちら様でしょうか…?」
クリスタの心ない台詞に、マルグリットは激怒した。
「くっ…。わたくしの名は、マルグリット!」
「マルグリットさんですか…?聞いた覚えがないし、顔も知らない。もしかして、人違いでは…?」
「わたくしを覚えて…、いない?あなた、調停者クリスタでしょ!?」
「確かに…。あたしの名は、クリスタだよ」
クリスタが困惑した様子で頷いた。
「ちっ!しらばっくれるにも程がある。よりにもよって、人違いだって…?」
「そんなに興奮するんじゃないよ。あたしも思い出そうと、頑張っているんだからさぁー」
「わたくしに呪いをぶつけ、何もかもを台無しにした女が…。このぉー、許せません!」
「呪いって、いつの話ですか。仕返しとか復讐だったら、百年間しか受け付けていないよ。それより以前のコトまでは、責任を持てないね」
「黙れ…!千年の長きに亘る恨みを今ここで晴らす!!」
マルグリットの左腕が、禍々しい光を帯び始めた。
「おい。何だかヤバいぞ!」
「さがれ。コラッ!後ろから押すんじゃねぇ」
「あの女が、魔法を使うぞ。オマエら危ないから、逃げろ」
どうやら、大人げない女と生意気な小娘の喧嘩では済みそうになかった。
人込みの最前列に立っていた見物人たちは、我が身の危険を感じ取って後退した。
すぐにでも走って距離を取りたいのに、背後に集まった人々が邪魔で思うに任せない。
「おっかしいわぁー。おまぁーの左手は、なんじゃ!?」
メルが嫌悪感を隠そうともせず、マルグリットに訊ねた。
マルグリットの左腕が放つ禍々しい光の波長に、メルの心が騒いだ。
危険というより、どうにも不愉快なのだ。
とても馴染みがある不愉快さ。
「知りたいのですか、おチビ…?この腕はですねぇー。グウェンドリーヌ女王陛下より賜った、神聖法具よ。貴重な世界樹の木片から造られた、強力な魔法武具なのです」
「…………えっ!?」
「メル、気をつけな。あの左手は、そこらの魔剣と比較にならんほど危険だよ。どうやら、聖地グラナックから盗まれた世界樹で出来ているようだね」
「うふふふ…。ビビったかい。そりゃビビるだろう。でも、今さら謝っても遅いですよ。オマエたちが母娘なのか、師弟なのか、そんなことはどうでもいい。二人そろって、細切れにしてあげましょう」
「ほな…。あっ、ああ、あの左手は…。わらしのご遺体ですかぁー?」
メルの前世である樹生の前世が、グウェンドリーヌに盗まれた世界樹なのだ。
邪悪な蟲どもに食い荒らされて朽ちた、かつての我が身である。
「この漲る力…。はぁー、わたくしは無敵です」
「グヌヌヌヌッ…。おどれぇー、わらしのご遺体を弄びおって…」
メルがブチ切れた。
メルに収容されていた邪妖精たちが、一斉に飛び立つ。
「メル…。メル。落ち着きなさい!」
横に居たクリスタが、慌てふためいた。
人と比較して、妖精が見えるエルフは多い。
ハッキリと見えないまでも、それとなく気配に気づくのが普通である。
妖精女王陛下のメルが激怒すれば、その周囲は戦闘態勢に入った邪妖精で埋め尽くされる。
大抵のエルフは、この状態にあるメルと対峙したら腰を抜かす。
「おチビが先ですか。クリスタより先に、死にたいと…?」
しかし残念ながら、エルフなのに全く妖精の気配を感じ取れない者が、稀に存在する。
「おもろいこと、言うわぁー。滑稽で、笑ってまうわ!」
「何ですって…」
「おまぁーは、既に死地におるどぉー」
「戯言を…」
不感症のエルフ。
それがマルグリットだった。
クリスタの呪いを受けたとき、マルグリットの知覚能力は著しく損なわれた。
以来マルグリットは、妖精を感じることが出来なくなった。
不幸なことである。
「神聖法具の一撃を喰らいなさい。このぉ、ブタ娘がぁー!」
マルグリットが左腕を上げた。
「ひぃーっ!」
見物人たちから悲鳴が上がる。
「うぉぉぉぉぉーっ。とばっちりを喰らうぞ」
「どけっ。そこを退いてくれよ!」
「逃げられねぇー!」
タンブレア大通りの一角が、蜂の巣を突いたような大騒ぎに陥った。
「命を刈り取る、大鎌よ!」
マルグリットの魔法義手が、一瞬にして鋭利なカマキリの鎌へと形を変えた。
「ウゲェ…。よりにもよって、虫の足じゃ!キモイわぁー!!」
「フンッ。己の愚かさを嘆きながら、死になさい」
メルが右手を突きだして、コブシを握った。
「暗き土中へ、埋々…!」
「おぐっ!」
マルグリットが振り下ろそうとした左手は、何かに阻まれた。
泥だ。
泥の塊に身体をつかまれて、ピクリとも動けない。
「はっ、放せ。ナニをするぅー!?」
「これより、下へ参ります」
「下…?下って、どういう事よ?」
「下は、地面の中じゃ。深く深ぁーく、埋めます」
「ヒィーッ!やめ。やめろ。止めてェー!!」
マルグリットは足元から突きだした巨大な手に握られ、そのまま地中へと埋没した。
「証拠隠滅!」
浮き上がっていた石畳が元の位置に納まり、先程までの緊張感は嘘のように消え失せた。
タンブレア大通りは何事もなかったかの如く、日常を取り戻した。
「生き埋め完了…」
まさに蟷螂の斧。
挑んだ相手が悪すぎた。
「何だ…。なにが起きたんだ…」
「見えなかった。どうなったのか、だれか教えてくれ」
「わからん。ブロンドの女が消えちまった」
「俺は見てたぞ。魔法を使おうとして、地面に引きずり込まれたんだ」
人垣の最前列に居た見物人たちが、ざわざわと騒ぎだした。
信じられない光景に己の目を疑いながらも、小さな少女の挙動を恐ろしげに見守る。
あの子が、何かをした。
小さくて可愛らしいけれど、とんでもなくヤバイ。
周囲の注目を浴びたメルは、何かしなければと思った。
口をパクパクさせてから、意を決したように奇妙なポーズをとる。
「大事ない。皆の衆、これにて一件落着!」
メルが大見得を切った。
「「「おおぉーっ!」」」
見物人たちに、どよめきが走る。
人々の不信感と恐怖は、潮が引くように消えていく。
カワイイは正義だ。
そして文句なしに強い。
妖精女王陛下は、圧倒的な強者だった。
付かず離れず妖精女王陛下を護衛していた紳士たちにも、活躍の場面はなし。
「まったく…。オマエさまの傍に居ると、退屈する暇がないね」
「エェーッ。わらしのせいですかぁー?途中から、わらしは関係なかったような…」
メルに突っ込まれて、クリスタが気まずそうに視線を逸らした。
「ほらっ。とっとと、この場から離れるよ」
「うへぇー」
「ぼやぼやするんじゃないよ!」
「あい」
「そこをお退き。道を開けなさい!」
クリスタはメルの手を引いて、すたこらと事件現場からの逃走を図った。
魔鉱プレートを手にして、隠蔽魔法や認識阻害魔法を放ちまくる。
「なぁなぁ…。婆さま、なんぞ思い出した?」
「いいや、ぜんぜん…」
「ボケかぁー?」
メルは残念そうな目つきで、クリスタを見つめた。
「あのなぁー、メルや。あたしは、ボケとらんし…。いい加減に婆さまと呼ぶのは、やめなさい」
クリスタは冷酷な魔女だった。
冷酷なので、最初からマルグリットの名を知らなかった。
戦場でマルグリットが名乗りを上げたのに、まったく聞いていなかったのだ。








