気遣って欲しい男の娘
ミジエールの歓楽街で最も立派な建物、夢の館。
花街に夜の帳が落ちると各部屋の照明に灯が燈されて、大きな窓は内側から柔らかな燭光を放つ。
花街の通りから見上げると湯殿がある区画からは盛大に湯気が立ちのぼり、まるで影絵を見ているような錯覚に陥る。
その幻想的な景観は、花街で遊ぶ男たちを夢の中に漂うような心地へと誘う。
レノア中尉たちは、斎王ドルレアックが御座す高楼に収監された。
斎王ドルレアックの願いをメルが快諾した結果である。
メルは斎王ドルレアックに甘かった。
斎王ドルレアックとクリスタの諍いは、詳しく聞かされていないし興味もない。
もし仮に詳しく知っていたところで、メルにしてみれば遠い過去の話であり、どうでも良いことだった。
『さいおーさまは、美人でやさしいお姉さん!』
それが幼児ーズの共通見解であり、メルの認識だ。
未だ斎王ドルレアックが男の娘であることは、メルにバレていなかった。
そして、斎王ドルレアックにグレゴール・シュタインベルクという想い人ができたいま、性別詐称は秘中の秘となった。
ザスキアとの融合でささやかながらオッパイが生え、股間のモノは縮んだけれど油断はならない。
せめてグレゴールが生きている間は、斎王として生娘を演じ続ける覚悟だ。
ちょっとした悪戯から始まった恋愛ごっこが、いつの間にやら遊びでは済まなくなっていた。
斎王ドルレアックは、本気で中年冒険者のグレゴールに懸想してしまった。
正直なところ、『オマエ、男だったのかぁー。騙したなぁー!』とか、グレゴールに罵られたら、罪悪感と悲しさで立ち直れそうになかった。
そのスリルと結ばれぬ運命が、斎王ドルレアックの歪んだ恋心を燃え立たせている訳だけれど、純愛だからOKなのだ。
であるからして、斎王ドルレアックの正体を知るレノア中尉たちには、しっかりと釘を刺しておかなければならなかった。
『われに忖度せよ!』と…。
「殺してしまえれば、ズンと楽であるのにのぉー」
ザスキアなら邪魔者など頭から丸呑みにしてしまうところだが、斎王ドルレアックの立場ではそうも行かない。
妖精女王陛下は不殺を望んでいたし、エルフ族を率いる長としても可能であれば同族を生き長らえさせるべきだった。
無闇やたらと殺して良いほど、エルフ族は残っていない。
どちらかと言えば、ギリギリ滅亡を免れているような状態である。
ミッティア魔法王国では人族との混血を繰り返し、純血のエルフ族が消え去ろうとしている。
斎王ドルレアックに混血を蔑む差別意識はない。
ただ世界の多様性を保つために、純血種の滅びを受け入れることが出来ないだけだ。
それはエルフ族の長として引き受けざるを得ない、厄介な役目だった。
「ふっ。マリーズ・レノアよ。久しいのぉー。状況が状況ゆえ、特別に直答を許す」
「なぜ…?どうして、このような場所に、斎王ドルレアックさまが…?」
「私は斎王である。ドルレアックなどと言う名は、二度と口にするでない!」
「しかし…」
「しかしも案山子もあるか…!私は精霊に仕える斎女たちの長、斎王だ。エルフ族を率いる、統領である。役名のみが、私の名。俗世とのしがらみは、とうに捨てた」
「グウェンドリーヌ女王陛下の弟君でありながら、尊き御名をお捨てになると…?」
レノア中尉が後手に縛られたまま、身を乗り出した。
「黙れ、レノア。私は裏切者で盗人の姉など、持った覚えがない。あれは、もはやエルフ族と認めぬわ!」
「なんと…?」
「我らエルフ族の聖地グラナックより御神木である聖樹さまを奪ったクソ女は、心底から穢れた盗人エルフであろう…?オマエたちも、そうは思わぬか?」
斎王ドルレアックが、手足を縛られて床に転がされたエルフたちをギロリと見回した。
その口調は、アスケロフ山脈で暮らしていた斎王ドルレアックのモノだった。
調停者クリスタを呪い続けた口調である。
見すぼらしい漁民に扮したまま拘束されたミッティア魔法王国の工作員たちは、斎王ドルレアックの憎悪に当てられて身体を縮こまらせた。
その威圧は、グウェンドリーヌ女王を遥かにしのぐものであった。
大蛇に睨まれた獲物の如く、身が竦む。
「……っ」
「あの女は、穢れたエルフと呼ぶが相応しい!」
斎王ドルレアックは毒蛇の目つきで、グウェンドリーヌ女王を罵った。
「ダークエルフ…?!」
「そんな…。いくら斎王さまとは言え、口が過ぎますぞっ!」
「あの女の肩を持つのなら、キサマもダークエルフであろう。そのように捉えて良いな、マーカス・スコットよ?」
「げふっ!」
スコット曹長の鳩尾に、斎王ドルレアックの爪先がめり込んだ。
「ゴホ、ゴホッ…」
スコット曹長が痛みに耐えきれず、涙目になった。
「フンッ。痛くて、痛くて、息も出来ぬか…?だが、その程度の痛み、我らエルフ族が泥棒女に舐めさせられた屈辱に比べたら、どうと言うこともないわ!」
更なる蹴りが、スコット曹長を襲う。
華奢な肉体から繰り出されたとは思えない、鋭くて重い蹴りだった。
「ガッ。ヒュゥーッ。ゲホゲホ…!」
「この芋虫が、身の程を知れ!」
斎王ドルレアックは、苦痛に身悶えるスコット曹長の顔を踏みつけた。
「そんな…?」
秘術によって超人化されたスコット曹長は、少女のような斎王ドルレアックにいとも容易く屈服させられた。
踏みつけられた頭部は、まるで床に釘づけでもされたかのように、ピクリとも動かせなかった。
手足の自由を奪われていたとしても、考えられない事態だった。
「キサマらの信じる強さなど、その程度のものだ。それを妖精女王陛下に斬りかかるなど、笑止千万!」
斎王ドルレアックが、『ホホホ…!』と笑った。
勝ち誇って見せる斎王ドルレアックの所作は、得も言われぬほど美しかった。
毒蛇のように酷薄な目つきをしていても、その表情は涼しげで毛筋ほども心の昂りを感じさせない。
「ドミニクよ。こやつらは、その方に下げ渡す。エルフの里で牢に繋ぎ、見せしめとせよ。然るのち、反省の色あらば再教育を施せ」
「ははっ。斎王さまの、御心のままに…」
ドミニク老師が斎王ドルレアックの前に畏まり、深々と頭を垂れた。
「見せしめって…?」
「子どもらに、泥を投げさせる。まあ、たまに石ころも混じっておろうが、大したことはあるまい」
「そんなもの捕虜の扱いではない!」
「オマエたちの食事は、家畜に与えておるエサと同じものだ。こちらも栄養たっぷりなので、心配は要らぬぞ。まあ、たまに虫なども混じっておろうが、気にすることはあるまい」
「ふざけるな!俺たちは、調停者殿に会いに来ただけだ。このような仕打ちは、許されん。ミッティア魔法王国の怒りを買うぞ」
ミュラ軍曹が吠えた。
「我々の荷を確認して貰いたい。そこにミッティア魔法王国からウスベルク帝国へ派遣された、特使としての身分証明書が入っている」
「残念ながら、その身分証に意味などない。ここはユグドラシル王国であり、ウスベルク帝国ではない。諸君は不法入国者であり、犯罪者だ。しかも、妖精女王陛下に斬りつけておる。重罪だ。言い訳は通らんな」
ドミニク老師は呆れ顔で事実を並べた。
「あなた方が正式な国家を名乗るなら、本国に身代金の請求をしてもらいたい。捕虜の虐待は、国際法で禁じられている」
レノア中尉が硬い口調で訴えた。
「ふぅー。全く、己の立場を弁えておらんようだな。ワシらは旧体制の決まり事になど、従う気はない。御神木を盗みよった忌まわしい女と、同じテーブルには着かぬ!」
「ならば我らを虐待すると申すのか…?!」
レノア中尉はエルフらしさを全開にして、怒鳴り散らした。
「危ういところを救われたと言うのに、この恩知らずどもが…」
「何だとぉー!」
「キサマらの身柄は、私が妖精女王陛下に歎願して引き取らせて頂いたのだ。妖精女王陛下はキサマらをニキアスとドミトリに与えるおつもりだった」
「どこかで聞いた覚えのある名だ。むっ?もしかして…。それは屍呪之王を生み出した、大罪人どもの名か…?」
ミュラ軍曹が、怪訝そうな顔で呟いた。
「けっ…。いったい、いつの話をしている。斎王さまの脳ミソは、暗黒時代で止まったままかよ。コケ脅しにも程があるってもんだろぉー。幾らなんでも、人族のニキアスとドミトリが生きていよう筈もない。今頃は、すっかり骨になっているさ」
スコット曹長が、斎王ドルレアックを嘲った。
「その通りだ、スコット。ニキアスとドミトリは、帝都ウルリッヒの地下迷宮を守護するリッチだった。それが今では妖精女王陛下の配下となり、救いようのない悪人たちを更生すべく、骨身を惜しまずに働いている。んっ…?スマナイ。言葉を間違えてしまった。彼らには骨しか存在しなかった。もとより身がついておらぬから、惜しみようがないわ」
「リッチ…?」
「馬鹿な…。そんなものが、この世に存在するのか…」
「ユグドラシル王国は妖精郷だ。妖精たちをピクスなどと呼び、労働力の単位として扱うキサマらには想像もつかない土地だ。願えば奇跡は起こり、そこ此処に不思議が溢れる。妖精女王陛下は、その中心に御座すお方だ。そのままであれば、キサマらは骨人形にされる運命だった。せいぜい、私に感謝するのだな」
「感謝だと…?国際法も守ろうとせぬ蛮人が、何を言うか!」
レノア中尉は斎王ドルレアックに諭されると、柳眉を逆立てた。
斎王ドルレアックの言葉は、単なる脅しと思えなかった。
だが、素直に信じることも出来ない。
つい先ほど、メルに完膚なきまで打ち据えられたはずだが、まだ己の常識にしがみついて離れようとしない。
自分に都合の悪い敗北は、なにがしかの詐術によるものだと決めつけたいのだ。
そこは、そろいも揃って頑固エルフだった。
そして彼らは、ミッティア魔法王国の絶大な軍事力を背景にして、斎王ドルレアックを脅せるものと信じ込んでいた。
「ふむっ。どうやら腑に落ちぬようだな」
「当りまえだろ!」
レノア中尉が吐き捨てるように言った。
「それでは、やむを得ぬ」
斎王ドルレアックは仕方なさそうに帯を解き、足元に着物を落とし……。
水蛇ザスキアへと姿を変えた。
「「「「「「ウッ、ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーッ!」」」」」
レノア隊のメンバーは一人残らず腰を抜かし、後退りしながら悲鳴を上げた。
走って逃げたいのに手足を縛られているせいで、立ち上がることも出来ずにジタバタするばかりだ。
黒光りする床の上で、巨大な白蛇がとぐろを巻いていた。
鎌首をもたげた白蛇は、ススゥーッと音もなくレノア中尉たちに近づいて行く。
蝋燭の灯で照らされた広間に、異質な妖が身をくねらせる。
美しくも恐ろしい白蛇の巨体は、真珠のようにヌメヌメと輝いていた。
「くっ、来るな!」
「やめて…。どうか、許してください」
ヘイズ上等兵が目に涙をためて祈り、ポラック兵長は真っ青な顔でガタガタと震えた。
「…………っ」
白蛇はレノア中尉に顔を寄せた。
その頭部は、簡単にレノア中尉を呑み込めそうなほど大きい。
巻きつかれたなら、抗う術もなく全身の骨を粉砕されてしまうだろう。
フィジカルな面だけでも勝ち目がないのに、その身体からは莫大な魔力まで感じる。
強さの底が知れなかった。
「ヒィッ!」
怖い。
「ココハ、妖精郷ナレバ…。万物ヲ己ラノ常識デ判断シテハ、ナラヌ」
ザスキアがレノア中尉に覆いかぶさり、シューシューと掠れるような声で囁いた。
「畏レヨ。みってぃあ魔法王国ノ、愚カナ犬ドモヨ。羽虫ノ羽音ニマデ、畏レ入ルガヨイ…。ソシテ今後、斎王ノ正体ト過去ニツイテ一言デモ口ニスレバ、ソノ命ナキモノト思エ!」
ザスキアは伝えるべきことを伝え、レノア中尉の傍から離れた。
「うっ、うぅーっ」
レノア中尉は不覚にも、漏らしてしまった。








