心を折られたエルフたち
ここはミジエールの歓楽街。
可憐なる斎王さまが統べる花街だ。
滔々と流れるタルブ川のほとり、恵み豊かな森を背景に佇むミジエールの歓楽街は、まさに秘境の楽園である。
夜ともなれば一斉に提灯に灯りが点され、その美しさは幽玄のひと言に尽きる。
また花街でありながら遊女たちの表情に暗い影はなく、男衆もきっぷの良い働き者ばかりだった。
冒険者ギルドの統括責任者を辞したグレゴール・シュタインベルクは、帝都ウルリッヒを捨てて、ミジエールの歓楽街に生活拠点を移した。
斎王に与えられた居心地の良い住まいで寝起きし、花街の治安を守るべく日々精力的に活動していた。
「こんにちは、グレゴールの旦那。お勤めご苦労様です」
「おう。白瑪瑙も元気そうだな」
白瑪瑙は真珠と一緒に、斎王の御座す楼閣で両替商を営む娘である。
背中に垂らした白い髪と赤い瞳が印象的な、美しい娘だ。
白瑪瑙と真珠は双子のようにそっくりなので、会話をしなければどちらがどちらなのか分からない。
もっとも、無口な方が真珠なので、話しかけてくるのは白瑪瑙に決まっていた。
「あらイヤだ。あたしなら、いつだって元気ですよ」
「そう言われてみれば、そうだ」
白瑪瑙は陽気な性格で、グレゴールを見かけると絡んでくる。
「たまには、斎王さまの店にも来てくださいよぉー。奢りますから」
「酒は止めたんだ。それに用心棒が酔っぱらっていちゃ、仕事にならないだろ。そうやって誰でも彼でも誘うのは、やめろ」
「んーっ。そう言われてみれば、そうですね。旦那を誘惑したりすると、斎王さまに睨まれちゃいますものね。グレゴールさんのお仕事を邪魔してはいけません、って…」
「なっ…!」
白瑪瑙が意味深な笑みを浮かべて見せた。
「このぉ、色男…。あたし、妬けちゃうなぁー」
「コイツ…」
「あっ、顔が赤くなった。グレゴールの旦那が、照れてるぅー。あはは…」
「馬鹿なことを言うな!」
白瑪瑙はグレゴールの胸元を指先で突いてから、踵を返して走り去った。
「とんでもねぇ娘だ。ひとを茶化しやがって…」
この街では、色恋沙汰で娘たちと言い争っても勝ち目がなかった。
というか、グレゴールは斎王さまにホの字だった。
すっかりバレている。
グレゴールが斎王に抱く思いは、マドンナを守る聖騎士のような淡い恋心だ。
若者の劣情とは違い、憧れの女に仕える喜びである。
それだけに茶化し甲斐があるのか、よく白瑪瑙に纏わりつかれる。
「ちっ。若い娘にゃ敵わねぇな」
グレゴールに帝都ウルリッヒで飲んだくれていた中年男の面影は、微塵もない。
花街の通りをパトロールして歩くグレゴールの姿は、颯爽とした武士のようであった。
「むっ?」
通り向こうから、子供の声が聞こえてきた。
「この街に子供は居ないはず」
子供が歓楽街をふらつくのは、感心しない。
好奇心に駆られた悪ガキが、メジエール村からやって来たのか。
「歩きだと、大人の足でも一日の距離だ。その執念には畏れ入るが、子供の来て良い場所ではない」
グレゴールは声が聞こえる方へと進み、茶屋の店先でくつろぐメルを発見した。
「妖精女王陛下…。あのチビ助は、いったい何をしているんだ?」
素早く状況を見て取ると、数人の余所者が床几に腰を下ろしていた。
隠そうとしているが、剣呑な雰囲気を漂わせている。
おそらく無腰ではあるまい。
「はぁー。あいつら、どう見ても冒険者とは思えん。キリキリと張りつめやがって、どこぞの諜報部員か…?」
その居ずまいは、鍛えられた兵士のものだった。
余所者の人数と統制の取れた様子から、脱走兵とは思えない。
「草臥れちゃいるが、負け犬の目をしていねぇ」
残される可能性は流れの傭兵か、任務中の軍人である。
そして傭兵は、平和な辺境の村に用がない。
「何だかなぁー。ほんの少し目を離しただけなのに、厄介なのが入り込んでやがる!」
タルブ川で呑気に釣りをしていたら、ちょいの間に花街の治安が脅かされていた。
油断も隙もあったものではない。
「ここで引き下がるようじゃ、斎王さまの用心棒は務まらんのだよ。オマエらが誰の手下か知らんけど、冒険者を舐めんじゃねぇぞ!」
グレゴールは無手のまま、ずんずんと茶屋へ近づいていった。
◇◇◇◇
「これはこれは、妖精女王陛下ではございませんか。少しばかり、お話をさせて頂いてもヨロシイでしょうか?」
「むむっ。ぎるます…。苦しゅうないわ」
メルはグレゴールに声をかけられて、白玉ぜんざいの器から顔を上げた。
「ギルドマスターの役職は、すでに辞任いたしました。いまは、只のグレゴールです」
「おまぁーの名は、呼びづらいんじゃ!」
それ以前に、名前を覚えていなかった。
覚える気もない。
「グレゴールは呼びづらいと…。さようでございますか」
「うむっ。ぎるますで、エエよね」
「しかしですな…」
「エエよね!」
強引に押し切った。
「そちらの方々は、お知り合いでしょうか?」
「うむっ。わらしがカワイイので、白玉ぜんざいを奢ってもろぉーた」
「メルさまの、お知り合いでしょうか?」
「いいや…。知らんヒトです」
メルは空になった椀を卓子に置いて、首を横に振った。
カワイイPは稼いだ。
【ヨイ子のご褒美チョコ】は、アンロックされている。
白玉ぜんざいも食べ終えたので、もうミッティア魔法王国の密偵どもは用なしだ。
「この方たちと話をしたいのですが、少しばかり席を外しては頂けませんか?」
「おいっ、ぎるます。ちと危ないどぉー。気ぃつけなあかんで…」
「ほぅ?」
「こんヒトらは、ミッチアの密偵で武装しとる。多勢に無勢じゃ。おまぁー、ケガするで…」
メルが箸を持った手で、レノア中尉たちを指さした。
「なっ?!」
「どうして…!」
レノア中尉たちは虚を突かれ、顔色を変えた。
一気に茶屋の店先が、殺気立つ。
「ぜんいん、エルフじゃ。そこそこ、まほぉーも使うど…。隠し持っとる得物は…。魔剣か、それに類する魔道具やね」
「糞ったれが…。桟橋の検問所はザルか?」
「いんや。こんヒトらは、検問所を通っておらんヨォー。小舟を岸辺につけて、コッソリと入って来よった。逃げられたら厄介なので、さいおーさまがお招きしたんじゃろ」
「ええっ!」
「ミジエールの街は、ザスキアが張り巡らせた結界の中やけん。害虫は閉じ込めて、一網打尽デス」
メルはスンと鼻を鳴らした。
それが何者であろうと、妖精を虐げることは許さない。
隷属の呪術式を用いた魔道具だの魔剣だのは、残らず没収させてもらう。
「チェェェェェェーッ!」
裂ぱくの気合と共にマーカス・スコット曹長の抜き放った剣が、メルの頭部を襲った。
居合だ。
剣はメルの頭をカチ割ることができず、跳ね返された。
「クッ…。キサンらは、どいつもこいつも…。どぉーして小さい子を一番に襲うのですか…?最初に斬りかかるべきは、こいつデショ。ぎるますヨ。ぎるます…。強そうで、危険そうだから、急いで倒さねばいかんデショ。だいいち、そうやって無視されたら、ぎるますの立場がありませんよね!」
「……ッ。言われても仕方ねぇが、ヒデェ」
グレゴールが悔しそうに俯いた。
「うぉぉぉぉーっ。この化物め。なぜ、俺の斬撃が通じない…?」
「其処を退け、マーカス!」
レノア中尉がスコット曹長をつかみ、卓子の陰に伏せさせた。
「死ねよ!」
ポラック兵長が、数発の真空斬を続けざまに放った。
真空斬は軌道を変えて標的の背後から斬りかかる、見えない刃だ。
その威力は大木を切り倒し、鉄板に穴を穿つ。
初見で躱すことなどできない。
「これでも喰らえ!」
ポラック兵長の攻撃にタイミングを合わせて、ヘイズ上等兵が火球を連射した。
こちらも着弾と同時に爆発する、凶悪な火焔魔法だった。
「ふっ。喰らわん!」
ニューンと時間が間延びしていく。
魔法攻撃は、届きそうで届かなかった。
メルがカボチャ姫のダンスを踊った。
完膚なきまで、レノア中尉たちを馬鹿にしていた。
「ええっ?」
「なんで…?!」
全ての攻撃魔法が、目的を果たすことなく消滅した。
「まほぉー消えたん、不思議か…?理由が知りたいか…?」
「このチビ、何をしやがった?」
「なぁーんも、せんよぉー。単に、おまぁーらより、わらしの方が強いってことじゃ。分かったか、ボケェー!」
メルが腰に手を当て、勝者のポーズで仰け反った。
「ミュラ軍曹。ゴレムを…」
「さっきからやっているが、呼び出せんのです!」
「そこの爺、おまぁーのまほぉーは封じた。せっかく精霊さんに頼んで拵えてもらった街をゴレムの素材にされたら敵わんからのぉー」
「魔法を…。魔法を封じただと…?」
レノア中尉の声が掠れていた。
目のまえの少女は、得体の知れない怪物だった。
その力量はグウェンドリーヌ女王陛下と比べても、遜色ないものに思えた。
実際のところ、世界樹の欠片で強化された仲間たちを蹴散らし、悪魔のように高笑いしている。
さっき、可愛いと思ってしまったのは、大きな間違いだった。
何ひとつ攻撃を受けていないにも関わらず、レノア中尉たちはメルに恐怖を感じていた。
「さぁーて、お仕置きの時間じゃ!」
エクスカリボーが、メルの手に召喚された。
「ふざけるな!」
スコット曹長が、剣を振りかざして斬りかかった。
「チャンバラごっこか…。負けないぞ!」
「ちぃっ!」
スコット曹長の剣が、素早くメルの胸を突いた。
だが、まったく刺さらなかった。
そしてメルの振り抜いたエクスカリボーに顔面を強打され、茶屋の外へ無様に転がって行った。
殴られても痛いだけの棒、エクスカリボー。
しかし、その痛みときたら、とうてい我慢できるようなものではない。
「フヴェッ!」
余りの激痛に、スコット曹長の意識が飛んだ。
「逃げるなや。まだ、終わっとらんどぉー」
当然メルが追撃する。
倒れたスコット曹長に、これでもかとエクスカリボーを振り下ろす。
「ギャッ!いっ、イテェー。ヤメろぉー。やめて…。許してください!」
どうやら、完全に心が折れたようである。
「つぎは…。つぎは、どいつの番じゃ…?悪党なら悪党らしゅう、カクゴ決めて手を上げんかい!」
レノア中尉は震え上がった。
「よし、そんじゃ…。風のまほぉー、つこぉーたヤツ。ポラックだったか…?取り敢えず、オマエ。逝っとこうか」
「オレ…?いや、オレは遠慮したい」
「やかぁーしぃー!とっとと、掛かってこんかい!!」
「ヒィッ!」
まだ見ぬ辺境の地に、冒険など存在しなかった。
そこには愛らしい少女の皮を被った、悪鬼が居るだけだった。
レノア中尉たちは調停者を捜し求めて、魔王の領土に踏み込んでしまったのだ。
「帰りたい」
「そこ。私語は厳禁デス!おとなしく、順番を待つように…」
レノア中尉の望みは、叶えられそうもなかった。








