妖精女王陛下のコイン
夜陰に紛れて、帆をたたんだ漁船がタルブ川を遡る。
細長い小舟だが、魔法で作りだされた水流に押されてグイグイと進んでいく。
日中は葦原に小船を隠して休息を取り、夜間のみを移動に充てる。
夜目が利く、特殊能力者のみに可能な航行だった。
小舟に乗る人影は5名。
「舳先を右へ。気をつけろ、左前方に浅瀬だ」
「了解」
真っ暗な中で進路を見極めるマーカス・スコット曹長の視力は、暗視装置に勝るとも劣らない。
「しかし…。夜間しか移動できないのが、厄介だな」
「やむを得ませんな、中尉どの。ウスベルク帝国の帆船とでは、速度が違いすぎる」
「ミュラ軍曹のアイデアで漁船に偽装したけれど、何の意味がある…?」
「停泊中に見咎められる可能性を考えれば、無駄とは言えやせんぜ」
「まあ、そうなのだが…。この漁民が着る服は、何と言うか…?」
マリーズ・レノア中尉の感性からすると生地が少なく、肌の露出が多すぎた。
ふとした拍子に、色々と見えてしまいそうで落ち着かない。
しかも盗んできた古着なので、そこはかとなく…。
「臭い…!」
「貧しい漁師が身に纏う衣装ですから、我慢してください」
「分かっている」
5名の中の紅一点は、諦めたように頷いて見せた。
「くそっ。それにしても虫が多いな」
「虫よけの香が、役に立っていないぞ」
「痒くて、やってられん!」
「ほら。現地民が、虫刺されに使っている薬だ。塗っておけ」
ミュラ軍曹が、虫刺されの薬を投げ渡した。
ポラック兵長は自分に薬を塗り、軟膏が入った容器をヘイズ上等兵に回す。
季節は夏だ。
タルブ川を遡行する余所者は、蚊やブヨの洗礼を受ける。
これは水蛇ザスキアからのメッセージだった。
とっとと帰れと…。
隠密行動中のレノア中尉たちは、魔動船で移動を開始したときから精霊たちに監視されていた。
人目に触れずとも、閉鎖型動力ディスクの使用は妖精や精霊たちの関心を引く。
ユグドラシル王国による支配度は4と低いが、タルブ川は水蛇ザスキアの管理領域である。
未だレノア中尉たちが無事でいられるのは、偏に雑魚と思われているからだった。
斎王ドルレアックが、同胞であるエルフに慈悲をかけたところも大きい。
無闇やたらと殺して良いほど、エルフの生き残りは多くない。
ときおり船底に何かが当たって、ドンドンと鈍い音を響かせる。
「魚か?」
「魚の姿をしていますが、ある種の妖怪変化です」
「人食いだ。水面に手を入れると、指を食い千切られるぞ」
「畜生め。こちらを獲物だと思ってやがる」
「鬱陶しいな」
しかし鬱陶しいからと言って、水中の魔物をどうこうは出来ない。
潜入作戦に際して、持ち運べる物資には限りがあった。
「毒を撒きますか?」
「やめておけ、ポラック兵長。キリがない」
スコット曹長が首を横に振った。
所詮は魚の体当たりだ。
魔動船を沈めるほどの威力はない。
危険が無いのであれば、強力な毒は温存しておきたい。
「……ッ。魚が浮いてきたぞ」
「けっこう、デカイな…」
「おっ。あっちにも、浮かんできた」
「体当たりで、脳震盪でも起こしたんでしょう」
「魚が…?」
かつてハンテンの尻に食らいついた猛魚である。
名前に恥じることない獰猛な魚だ。
しかも、一定のサイズを超えると知恵を持つ。
魔動船に突撃をかける猛魚たちは、水蛇ザスキアの指示を受けて行動していた。
魔動船を転覆させようなどとは、考えていない。
船底に設置された、閉鎖型動力ディスクの破壊が目的である。
閉鎖型動力ディスクの使用は、ユグドラシル王国で重大な違法行為に定められた。
発見された場合は問答無用で没収し、破壊することになっていた。
違反者には、最低でも5年間の強制労働が課せられる。
こうした事情を全く知らないレノア中尉たちは、バカな魚が魔動船を食おうとしていると思い込み、いつ迄も止まぬ執拗な体当たりに腹を立てるのだった。
◇◇◇◇
ある日のこと…。
『ユグドラシル王国を名乗りながら、いつ迄もペグなんぞ使ってられるかぁー!』と叫んだメルは、自国の通貨を造ろうと心に決めた。
妖精女王陛下は、詰まらないところで見栄っ張りだった。
ドゥーゲルとゲラルト親方に製造を依頼して、二か月ほど前に何とか満足のゆくデザインが完成した。
表面は妖精女王陛下の顔で、裏面に世界樹と数字が刻印されている。
『よい♪』
さっそく魔法料理店での支払いに、新しいコインを使ってもらうことにした。
ユグドラシル王国の通貨は、ニッケル合金を素材として鋳造された銀ピカのコインだ。
メルのお金なのでメル貨と呼んでいたら、いつの間にか通貨単位がメルカになってしまった。
コインは日本円の1円玉から1万円札になぞらえて、9種類を用意した。
コインの種類は、大きさやデザインで識別できる。
ただし素材は、全てニッケル合金だ。
硬貨だけで紙幣はない。
『金貨はないんか?』
『ありません』
『しょぼい』
『黙れ、デブ…。通貨の価値は、硬貨の素材と関係なぁーわ!』
色味などを変えたければ、今後の工夫が必要になるだろう。
『メル、両替所を作ろうよ』
『おおーっ。ミーケさん、よいアイデアですね』
『ミジエールに、両替商を建てるといいよ』
『あい。両替商はケット・シーに、お任せしましょう』
このようにして大雑把な計画が立てられ、大量に鋳造したコインは、ただいま試験運用中である。
まあ…。
子供銀行である。
ミケ王子のアイデアを取り入れて、ミジエールの歓楽街ではメルカでなければ支払いができないようにした。
ウスベルク帝国の通貨ペグは、ケット・シーの両替商でメルカと交換してもらえる。
両替商に備蓄しておいたコインが度々足りなくなるので、メルカは順調に流通しているようだ。
ここまで来ると、もう子供の冗談では済まされない。
メルはミジエールの歓楽街を目指して、三輪バギーを走らせていた。
後部に接続する台車が完成したので、試運転を兼ねた配達だ。
台車には、ユグドラシル王国の通貨が積まれている。
所謂、現金輸送車だ。
コインの量が多いので、台車に積まれた箱は呆れるほど大きかった。
とてもではないが、メルの樹の異界ゲートを通せない。
箱をバラして小分けしたら、今度はコインの整理が大変そうだった。
「やばい!」
ちょっとした遊び心で始めたメルの子供銀行は、大人たちを巻き込んで思いもよらぬ大事に発展してしまった。
「と言うか…。マジで大人銀行を造らんと、不味いデス」
このままでは、遊ぶ時間が無くなってしまう。
ラヴィニア姫やディートヘルムが、痺れを切らして怒りだしそうだ。
「グヌヌヌ…ッ。めんど臭し。しかし大金を扱うとなれば、ネコには任せられん」
猫の手は、既に借りている。
それに両替商の窓口がケット・シーだと、舐められる。
ネコが店番をしていたら、お金を盗んでくださいと誘っているようなものだ。
「ケット・シーに頼んで良いのは、焼きそばの屋台くらいじゃ!」
信用できる大人の銀行員が欲しかった。
だが銀行もない田舎の村に、銀行員なんて居るはずがない。
それどころか、帝都ウルリッヒでも銀行を見かけたことがなかった。
「こんなことなら…」
『やらなきゃ良かった!』である。
今日もメルの良かった探しは、絶好調だ。
「わたし、お金は大好きです」
中庭の池に咲く睡蓮を眺めながら、『楽園』の主である斎王ドルレアックが微笑んだ。
「えっ。サイオーさまは、お金の管理が好き?」
「いいえ。お金の管理が好きなのは、ザスキアです」
「フォーッ。そっ、それは、ホンマですか?」
緋毛氈が敷かれた縁台に腰を下ろし、スイカをご馳走になっていたメルが目を輝かせた。
「はい。お金を貸しつけたりの、資産運用も得意ですよ」
「はぁー。相談してみるもんやね。アリガタヤ、アリガタヤ…」
「この子たちも居ります」
二匹の白蛇が、斎王ドルレアックの襟元から顔を覗かせた。
「さあ。妖精女王陛下に、ご挨拶をなさい」
斎王ドルレアックに紹介された二匹の白蛇は、美しい女人に変化した。
「「妖精女王陛下…。お初にお目にかかります」」
「白瑪瑙と…」
「真珠です」
「「どうか、お見知りおきを…」」
長く伸ばした白い髪を背中で束ね、つぶらな紅い瞳でメルを見つめている。
白い巫女装束を纏った二人は、双子のようにそっくりだった。
「すっごい、美人さん」
「そんな…」
「恥ずかしいです」
白蛇と言えば金運上昇。
銀行を任せるのに、これほど適切な相手も居ない。
だが、泥棒や強盗が来たら、二人とも攫われてしまいそうな気がする。
「大丈夫かのぉー?」
「フフッ。心配など要りません。『楽園』は、心根の正しい男衆に守られておりますから…」
「もしかして、グレゴール?」
「はい」
斎王ドルレアックは扇を開いて口元を隠し、含羞んだ。
冒険者ギルドの統括責任者を辞したグレゴール・シュタインベルクは、どうやら斎王ドルレアックに魅入られてしまったようだ。
「アータら、仲がよいの…?」
「それはもう、良くして頂いております」
「どんだけ好きでも、グレゴールを食ったらアカンよ」
「あら。そのように野蛮な真似は、致しませんわ」
「そう…」
まあ、二人が幸せなら、口を挟むようなことではない。
いくらでも、イチャイチャすればよろしい。
そんなことより、何としても欲しかった銀行員をゲットである。
「本日、只今より…。お金のことは、サイオーさまに一任しますわ」
「確かに承りました」
「ヨロシュー、たのんます」
メルはスイカに塩を振りかけた。
「美味しいのぉー」
程よく冷えていて、甘いスイカだった。








