伝説の妖精郷
11番倉庫が襲撃された事件は、ミッティア魔法王国から派遣された兵士たちを酷く動揺させた。
魔法技術力の高さを鼻にかけたミッティア魔法王国魔法軍の指揮官は、マリーズ・レノア中尉の報告を受けても信じられない様子だった。
「ウォレス少佐殿。我々は本来の任務に戻るので、後のことをお願い致します」
「いや、ちょっと待てレノア中尉。モルゲンシュテルン侯爵への報告は…」
「お任せします」
「11番倉庫の防御結界は、中尉の部隊に設置を任せたはずだ。そこに賊が侵入したのだから、貴様には報告の義務があるだろう!」
「おや…。ウォレス少佐殿に、事件の報告書を提出してありますよね。10万ピクスの強力な結界は何らかの手段で破られ、我々は最新型の魔力発生器を失いました。バラバラに破壊された魔導甲冑は、ほぼ修復不可能な状態です。こちらも本国へ報告すると共に、魔導甲冑の補給を要請してあります。侵入者に関しては現状で不明な点が多く、更なる調査が必要となるでしょう」
マリーズ・レノア中尉は、報告書の概要を口頭で繰り返した。
「いや…。そうではなくて、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵への報告があるだろう」
「それはウォレス少佐殿の役目であります」
「貴様も同行しろと命じているのだ!」
「お断り致します。我々は、ようやく手がかりを掴んだのです。襲撃者の追跡を優先しなければなりません…。それでは、失礼!」
寸分の隙も無い敬礼をして見せたマリーズが、マーカス・スコット曹長を伴ってウォレス少佐の執務室を後にした。
「スコット曹長。部下たちを集めろ」
「すでに連絡をしてあります」
「移動の足は…?」
「ミュラ軍曹が、小型の魔動船を漁船に偽装中です」
「よし」
レノア中尉が頷いた。
「漁師の装束は、現地で調達させます」
「うん。偽装魔法は、ピクスの消費が馬鹿にならない。隠すのは耳だけにしたい」
マリーズ・レノア中尉の特殊部隊は、エルフ族で構成されている。
ウスベルク帝国では、エルフ耳が嫌と言うほど目立つのだ。
「グレムリンかぁー」
「レノア中尉は、警邏隊の証言を信じるのですか…?」
「うん。複数人の調書を照らし合わせて、矛盾が生じなかった」
「目撃されたのは、見たこともない獣人の子供ですよ。それが光ったと…」
「オモチャを壊すように、魔導甲冑を破壊する獣人の子供。何となくユーモラスで、興味を引かれる。是非とも、この目で見てみたい」
マリーズにブレはない。
マリーズ・レノア中尉は、奇妙で可愛らしいものが大好きだった。
『調停者クリスタ』の捜索は雲をつかむような話だし、無味乾燥で少しも面白くなかった。
ウスベルク帝国に放った部下たちも、マルティン商会を調べた後が続かない。
帝都ウルリッヒは強力な結界に守られていて、屍呪之王が封じられた地下迷宮に足を踏み入れることさえ叶わず、エーベルヴァイン城への侵入も失敗に終わった。
何やら強者に弄ばれているようで、釈然としない。
ハッキリ言って不愉快だった。
それが今、無性に楽しくなってきた。
「はぁー。襲撃者の追跡はともかく…。真っ向からウォレス少佐の命令を拒絶して、大丈夫なんでしょうか…?」
「ん。出世に興味はない。それに私が同席したら、事態を悪化させるだけではないか…?」
「まあ、そうなんですけどね。俺たちエルフは、普通にしていても偉そうに見えるらしいですから」
「その通り。この手の付帯業務は、鬼門だ。謝罪とか、エルフには難しい。我々が関われば、面倒ごとを増やすばかりだ」
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵のご機嫌取りなど、ロバート・ウォレス少佐(人族)に任せておけばよい。
そもそも空気を読まず、愛想の欠片もないマリーズを同席させても、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵の機嫌を損ねるだけだ。
「確かに…。港湾施設の防衛自体、我々の任務ではありませんからね」
「そう。手を貸しただけ…」
「なるほど…。文句を言うくらいなら、最初から自分たちでやれって、話ですね」
「そそっ!」
マリーズ・レノア中尉の部下たちは、グウェンドリーヌ女王陛下の御前でも跪かず頭をさげない。
エルフなので仕方ない。
アーロンの腰が低いのは、クリスタに泣くほど扱かれた結果だった。
しかし、他人に頭を下げたところでアーロンが偉そうなのは、周知の如くである。
侵入者により、新型の魔導甲冑が破壊された。
この知らせを受けたバスティアン・モルゲンシュテルン侯爵は、薄く笑った。
「ウォレスよ。自慢の魔導兵器も大したことはないな」
「ははっ。言い訳のしようも御座いません」
「驕るなよ。もとより、オマエたちの魔法技術に期待などしていない。所詮は人形遊び!」
「……ッ!」
「帝国騎士団を翻弄するには手ごろな道具だが、屍呪之王と対峙して何が出来る…?」
バスティアンに言わせるなら、屍呪之王を鎮めることができる自分こそ最強なのだ。
遠い祖先より封印の秘術を受け伝えるモルゲンシュテルン侯爵家は、皇族より遥かに尊い家系と言えよう。
屍呪之王を封じるための贄は、モルゲンシュテルン侯爵家によって選ばれる。
この特権意識が、バスティアンを冷酷非道な怪物に育て上げた。
「して…。侵入者どもは、まんまと逃げ果せたのか…?」
「申し訳ありません。予期せぬ魔法を使う相手ゆえに、迂闊にも取り逃がしました。ですが、魔法軍の精鋭部隊を賊の追跡に差し向けてあります」
「ふんっ。せいぜいミッティア魔法王国の名を穢さぬよう、頑張るのだな」
「ははぁーっ。ミッティア魔法王国、魔法軍の面子に懸けて…。必ずや賊をひっ捕らえ、きゃつらの首を御前に並べてお見せしましょう」
ウォレス少佐は顔面蒼白になり、頭を下げた。
「コノ…。クソが!」
モルゲンシュテルン侯爵の居城を辞したウォレス少佐が、道端の立ち木に苛立ちをぶつけた。
力任せに蹴られた立ち木から、ヒラヒラと木の葉が舞い落ちた。
やむを得ず大口を叩いたウォレス少佐だが、賊を捕らえる自信など欠片もなかった。
「グヌヌヌ…。弱小国が相手の、楽な任務だと思っていたのに…」
11番倉庫を襲撃した憎むべき賊は、まるで霞のように消えてしまった。
今のところ各地の検問所からも、不審者を見かけたなどの報告は上がって来ない。
「抜かったわ!」
ウスベルク帝国を魔法後進国と侮っていたウォレス少佐にすれば、まさに虚を突かれた形である。
こうなればもう、マリーズ・レノア中尉の手腕に期待するしかなかった。
◇◇◇◇
「レノア中尉、お待ちしておりました」
下町風の衣装を身にまとった男が、停車した馬車から降りるレノア中尉たちを出迎えた。
「うん。出迎え、ご苦労さま」
「これを」
男が陶器の壺をレノア中尉に差し出した。
「ポラック兵長、コレは何だ?」
「ポップコーンであります」
「随分と立派な容器だな」
「珍しいものですから…。高級菓子店で買い求めた品です」
ポラック兵長は、ポップコーンの購入に五千ペグを支払っていた。
小銀貨にして五枚だ。
ケット・シーが屋台で子供たちに売る場合は、50ペグである。
しかし認識阻害の魔法に邪魔されて、ポラック兵長にはケット・シーの屋台を見つけられなかった。
帝都ウルリッヒは、ユグドラシル王国の勢力圏に置かれていた。
妖精の存在を認めず、ピクスと称して酷使する連中は、この地に足を踏み入れると行動の制約を受ける。
ベルゼブブにより張り巡らされた結界だ。
目に見えても知覚できず、目的とする場所へは永遠に辿りつけない。
町中であろうと、認識阻害の効果は地下迷宮と変わらなかった。
「この菓子は、出回ってないのか?」
レノア中尉は陶器の壺からフタを外し、中を覗き込んだ。
「自分が調べた限り、ポップコーンを扱っているのは高級菓子店のみであります」
「豆菓子のように、屋台で売られていても良さそうなものだが…」
「ポップコーンには船便で運び込まれる、希少な材料が使われています。なので帝国貴族や豪商たちが買い求める、高価な菓子ですね。一般庶民には、少しばかり贅沢すぎます」
「くっ…。コーンのくせに…」
生意気だった。
「美味いな。バターの香りと塩味が、後を引く」
「なんて軽いんだ。モキュモキュとした食感が、癖になります」
「これが五千ペグだと…?すぐに食べ終わってしまうではないか!」
「容器持参であれば、値引きされて3500ペグになります」
「容器代が、1500ペグか…」
それでもポップコーンが高価なことに、変わりはなかった。
「これではない。茶色っぽい、紙の包みに入っていた」
レノア中尉が陶器の壺を眺めながら、11番倉庫で見つけたポップコーンの容器について説明した。
「紙の包みなんざ、何度も使いまわせないでしょう。勿体ない」
「いや…。微風の乙女号に乗っていた船員が、ポップコーンを紙の包みに入れてたぞ」
「デュクレール商会の船か…。マルティン商会なら、すぐに調べられるんだがな」
ポラック兵長が両腕を組み、思案顔になった。
「デュクレール商会は、ウスベルク帝国の諜報機関だぞ。こちらの動きを覚られたくない。無暗に接触はするな」
マーカス・スコット曹長が、ポラック兵長に釘を刺した。
「茶色い紙なら、辺境の村で製造されています」
ヘイズ上等兵が口を挟んだ。
「ウスベルク帝国の開拓村か?」
「いえ、それがちょっと違うんです」
「どう違う?」
「その村は、ウスベルク帝国に属しません。辺境の開拓村より大きくて、千年以上も昔から存在しているんです」
「はぁー。何だそれは…?」
マーカス・スコット曹長は、ポラック兵長の発言に顔を顰めた。
「メジエール村と呼ばれていまして、その歴史はウスベルク帝国の建国より古い。水夫たちは、詩篇に綴られた妖精郷だと噂しています…。桟橋付近の飲み屋に入り浸って、仕入れた情報です」
「マジか…。伝説の隠された村かよ」
「ビンゴだな。『エルフの書』に記された、再生の地だ」
「行こう。そこに、調停者クリスタが居る」
マリーズ・レノア中尉が、笑顔で部下たちを促した。








