初めてのお客さま
メルは招かれざる客の侵入に、目を丸くして固まった。
今まさに夢にまで見たカレーライスを食せんとする状況で、なんと間の悪いことだろうか…。
(わぁーっ。この人、エルフ女児のヌードをガン見だよ。魅惑のぷにぷにお肌が、男の視線に晒されているぅー。って、見てるのはカレーライスですか…?そうですか。そうですよね…。『服を着ろ!』だって…。まあ確かに、この状況はダメですよね。ハンスさん的にアウトですよ。でも、脱いでたのは僕だけど、勝手に入ってきたハンスさんが悪いでしょ!)
メルはぶつくさと文句を垂れながら、先ほど脱ぎ捨てた衣類を身に纏った。
カレーライスをお預けにされた恨みは大きい。
「はんす…。なに、よぉー?」
その分メルの対応も、素っ気ないモノとなる。
そう…。
ハンスは店のお客さまなのだ。
言うなれば、『酔いどれ亭』の常連客で、金払いの良い太筋客でもある。
貧乏人どもに酒を奢ったり、誰かの誕生日を仕切って、特別メニューを注文してくれることもある。
休みの日だからと言って、冷たく追い払うのは違う。
サービス業に全く馴染みのない樹生でも、その程度の計算は出来た。
自営業のメシ屋なのだから、営業中でなくとも近隣住民への態度は穏やかであるべきだ。
もっともメル(=樹生)が考える穏やかさとは、無視をしたり追い返したりしないと言う程度のモノでしかなかった。
だから、取り敢えず用件を訊ねてみた。
『早く帰ってくれ!』との本音は、全身からビシバシに醸しだされている。
メルの顔は斜めにそっくり返っていたし、眉間にくっきりと縦ジワが刻まれていた。
「フンッ!」
胸元で組まれた腕が、ラーメン屋の頑固オヤジみたいだった。
(カレーライスが冷めてしまうよ…。どうしてくれるんじゃ、ボケェー!)
それなのに、ハンスはカレーライスを睨んで動こうとしない。
「いらたいませ…。ごヨージ、なに?」
「これを一人前くれないか?」
ハンスがカレーライスを指差して言った。
「うち、休みや。ぱぱ、おらんど」
「だけど、ここに料理があるじゃないか!」
「それは…。わらし、こさえた。わらし、喰う…。やらん!」
「頼む…。これを一人前、用意してくれ!」
ハンスはビシッと金貨をテーブルに置いた。
ピッカピカの金貨だ。
だがしかし、メジエール村では金貨で買うような品物がない。
メルの欲しがるような玩具は、お店で売っていないのだ。
「キンカ、要らんわ。おまぁー、他人のモノ欲しがる。よくないです。シッシ…!」
「ええーっ。お願いだよ、メルちゃん。いっつも、奢ってるじゃないかぁー。私が注文したハムとか、ペロッと平らげてるよね?オネダリとか、しまくりだよね?」
「……むむっ」
それはメルの趣味と実益を兼ねた、食堂での正当なる営業活動だった。
フレッドとアビーの承認だって、ちゃんと貰っている。
だけど敢えて言葉にされると弱かった。
「やむなし…。わらし、メシ屋のむすこ。キャクきた。メシだす」
「そこは、娘だろ。息子は違うだろ…」
「おまぁー、こまかいわぁ。いちいち、ちっさいのぉー!」
「おい。間違えたのはメルちゃんだろ。逆ギレして誤魔化すなよ」
「まぁまぁ、そこ座れ。ちょこっと待っとけよぉー。いま、よそってくるでの」
メルはトテトテと厨房へ引っ込んだ。
(僕が作った料理をお客さんが食べたいって言ってくれた。ちょっと仕上がりが不安だけど、なんか嬉しいなぁー。だけどなぁー。早く自分で食べたいのに、ホント間が悪いんだよ。タリサとティナも大概だけどさぁー。ハンスさんは最悪ですよ…。でもでも、僕の料理を注文してくれたヨ…。あっ、もしかして…。初めての、お客さんじゃないですか?)
メルは大きなお皿にカレーライスを盛りつけ、いつものように酸っぱすぎるアビーのピクルスを横に添えた。
不機嫌そうだったメルの顔が、ニンマリと緩んでいた。
照れ隠しで悪態を吐いても、本心では嬉しい。
自分がした何かを他人に喜んでもらえるなんて、すごく嬉しい。
だけど、それを素直に表現できるほど、メルの心は無垢じゃなかった。
前世に於ける長い闘病生活が、健やかな心の発育を阻害していたからだ。
ガッカリな結末に備えて自己防衛本能が働き、喜びの感情を殺してしまう。
他人から褒められたり、何かを求められたりすることに、どう応えたらよいのか分からない。
メルの社交性は、まともに機能していなかった。
捻くれ者。
所謂、ツンデレである。
メルは自覚なきツンデレだった。
メルが盛りつけたカレーライスの皿を持って食堂に戻ると、汗だくになったハンスさんが椅子に座っていた。
「いやぁー。待ってたよ。さあ、ここに載せてくれたまえ」
テーブルには、空になったお皿が置いてあった。
すでにメルのカレーライスは、ハンスの胃袋に収められていた。
ブルーベリーのラッシーも、空っぽだ。
「とても美味しかった。不思議な料理だね。色々なご馳走を食べてきた私にも、材料が分からなかったよ…。さて、おかわりを頂こうかぁー」
「おまぁー、わらしの食った?」
「うむっ、どうにも待ちきれなくてね。だが、メルちゃんの皿では小さすぎて、ぜんぜん足りなかったよ」
そう言うなりハンスは、メルが運んできた大皿を受け取って、ガツガツと食べ始めた。
ものすごく、美味しそうに食べている。
メルのお腹がクルクルと鳴った。
「わらし、ジブンの取ってくゆ!」
メルはプリプリと怒りながら、厨房へ取って返した。
そこに、鍛冶屋の親方が現れた。
「よぉー、フレッド。良い匂いがしやがるから、来てやったぜ…。今日は休みじゃねぇのかよ?」
「おや、ゲラルト親方…。良いところに来たね。『酔いどれ亭』は休みだけど、メルちゃんが料理を作ったんだ」
「ほぉー?メル嬢ちゃんがなぁー。おめェー。四歳児の癖しやがって、てぇしたもんじゃないか…。天才だぁー。フレッドとアビーが泣いて喜ぶぜ。オイラにも、ハンスが食ってるのと同じやつをくれ!なに、不味くっても構わねぇぞ。キッチリ食べ終えてやるぜ。ガハハハッ!」
ゲラルトが豪快に笑った。
「フフッ…。ゲラルト親方。こいつを喰ったら、驚くぞ…」
「そんなに、ひでぇーのか…?なに…。初物なんざ、どっかしら不具合なもんさ」
「逆だ。美味いんだよ。ひっくり返るほど、美味い!」
「マジかよ…。おーい、メルちゃんヨ。オイラのは、大盛で頼むぜ!」
メルが泣きっ面になって固まった。
鍛冶屋のゲラルト親方は、大喰らいだ。
オカワリをされたら、ご飯もカレーも無くなってしまう。
「わらしのカレーが、消えゆ…」
その日。
メルはカレーライスを食べ損ねた。
料理屋の娘として見栄を張った結果ではあるが、幼児なので納得いかない。
自業自得などと言う言葉は、幼児に適用されない。
大人が、それとなく気遣うべきなのだ。
「グヌヌヌヌッ…!」
こいつら、許せんと思った。
メルの顔が歪み、赤ちゃん鬼のような形相になっていた。








