家族の食卓
メジエール村の雑木林で、メルは穴を掘っていた。
既に欲しい苗木をキープしたラヴィニア姫が、メルの採取作業を見守っている。
ライトニング・ベアとベイビーリーフ号があるので、雑木林は目と鼻の先になった。
移動手段が手に入れば、距離はグンと縮まる。
メルが地べたに移植ゴテを突き刺し、軍手をした小さな手で折れないように牛蒡を引っ張る。
「んんっ。エイショ!」
ズボッと牛蒡が抜けた。
「うぇーい。ゴボー、ゲッツ!」
「うぇーい。オメデトォー!」
「立派なゴンボウです」
「見たら分かります」
「うぇーい」
「うぇーい」
メルとラヴィニア姫は、頬っぺたに泥をつけてノリノリだ。
「パパがいない夜ぅーっ、お風呂はママと一緒ぉー♪」
調子に乗ったメルが、道具を片しながら歌い始めた。
「アビーさんと一緒に入るんだ」
メルがカクカクと頭を振る。
「パパがいない夜ぅーっ、ベッドもママと一緒ぉー♪」
「えーっ。ベッドも一緒なの…?」
この質問にも、嬉しそうに頷く。
「パパがいない夜ぅーっ、ママを喜ばそぉー♪」
「うんうん。フレッドさんの代わりだね」
ラヴィニア姫は、疲れたアビーの肩を揉むメルの姿を思い浮かべた。
「わらしの超絶技巧でぇー、アフンと言わせたるぅー♪」
「えぇーっ!!」
「わぁ。いきなり大声。ビックリしたわ。なにぃー?」
「ちょちょちょちょっ、ちょっと待とうか。パパが居ない夜に、ママとベッドで超絶技巧ですって…?!その歌詞は、良くないと思うよ。いやいやいや、歌詞だけじゃなくて…。メルちゃんが、そっ、そんなことをしたらダメだって!!」
ラヴィニア姫がメルの肩をつかんで、ガクガクと揺すった。
「な、ななっ、何がですか…?ラビーさん、わらしの歌の何処がいかんとね?わらし、分かりません!」
「分からないんですか…。それじゃ説明します。メルちゃんがアビーさんにアフンと言わせるのは、間違っています。それはフレッドさんだけが許されている行為です」
「まぁまは、酒の肴が美味いと『アフン♪』言います。ダメ言われても、わらしは超絶技巧で料理をこさえるのデス!」
「……あっ。ゴハンの話かぁー。わたしは、てっきり」
ラヴィニア姫は、自分の勘違いに気づいた。
「んっ…?ラビーさんは、何だと思ったのですか?」
メルが訝しげに、ラヴィニア姫の顔を覗き込んだ。
「何でもありません!」
ラヴィニア姫が、頬を赤らめて俯いた。
よく考えてみたら、弟のディートヘルムが一緒である。
おそらく多分、アビーとメルが二人きりになる場面はないだろう。
ときどき酔っぱらったアビーに擽られて、ヨダレを垂らしながらメルがチビってしまうことはあるけれど…。
ラヴィニア姫が好きな、『夜に咲くユリ』みたいなイチャイチャはない。
後宮に閉じ込められた妃たちの艶話とは、まったく違うのだ。
ラヴィニア姫は、エロ小説の読み過ぎだった。
「そう、あれです…。メルちゃんが、お母さんを好きすぎだからイケナイんです!」
「はぁーっ?!わらしが大好きは、ラビーさんデショ」
「ホントに…?」
「うん」
「うれしい」
ラヴィニア姫が、メルを抱き寄せた。
ごまかしのチューだ。
「「んんーっ!」」
メルはチョロインだ。
チューさえしておけば問題なかった。
大人のベロチューなら、ちょっとした疑念なんて直ぐに何処かへ消えてしまう。
「「ムチュー♪」」
メルの手から、ポトリと牛蒡が落ちた。
◇◇◇◇
メインのおかずは、牛肉と牛蒡の炒め物だ。
牛肉の切り落としパックとコンニャクを花丸ショップで購入。
スプーンを使って引きちぎったコンニャクは、鍋に入れて一煮立ちさせる。
この作業で、コンニャク特有の臭みと灰汁を抜く。
コンニャクに含まれる石灰を除くことで、牛肉が硬くなることも防げる。
牛肉は一口大に切る。
牛蒡はタワシで擦って洗う。
泥が落ちて白くなったら、そのまま笹掻きにする。
せっかくの香りを逃さないように、皮をむくような真似はしない。
「ええ匂や…」
「ねぇね、それはナニ?」
「ムッ。危ないから、こっちへ来たらいけません。お湯が、あっちっちだよ」
ディートヘルムは邪魔にならないよう、追い飛ばす。
「美味しいモノ。美味しいモノ、作るの?」
「うん。お姉さんが頑張るからネェー。よい子は、ママのところに居てちょうだい」
「ボクも手伝う。お料理する!」
「ママのところに、居ようね」
ディートヘルムの首根っこを攫んで、アビーに渡す。
「まぁま。これ、見といてや」
「任せなさい」
カワイイ弟だが、料理は真剣勝負なのだ。
心を鬼にして処さねばなるまい。
「ネェネのバカー!」
「……っ」
もう挫けそうだ。
メルのメンタルは豆腐だった。
砂糖、醤油、ダシ、酒などの、調味料を用意しておく。
味付けは、心もち濃いめを目指す。
とは言っても、炒め物なので汁が煮詰まる。
そこも考慮しての濃いめである。
メルの料理スキルは、相変わらず計量カップ要らずだった。
ちらりと材料を見ただけで、調味料の分量が決まる。
鍋に油を引いて、輪切りにした鷹の爪を投入。
焦がさないように気をつけながら、油に辛みを移す。
次いでコンニャクを炒め、笹掻きにした牛蒡を入れ、手早くかき混ぜる。
この段階で素材に油を纏わせないと、炒め物らしさを損ねてしまう。
素材から出る水分と調味料が合わさり、ただの煮物になってしまうのだ。
それはもう、油分を含んだ煮物だ。
牛肉を加えて炒める。
完全に火が通るまえに、調味料を投入する。
料理の『さしすせそ』だ。
『さ』は砂糖、酒ではありません。
鍋に砂糖を加えたら、良くなじませる。
醤油、酒、ダシを投入する。
因みに、『せ』が醤油である。
味の染みやすさや、香りを残すための順番だ。
酒やダシがなければ、水でも構わない。
素材に醤油を行き渡らせるために、希釈しているのだ。
ただし酒やダシを使えば、水を使うより味に深みが出る。
蓋をして、暫し味を染みさせるべく煮る。
そして味見だ。
「柔らかい。うまぁー」
ここから強火で汁気を飛ばしていく。
仕上げにゴマ油を回しかけ、白ゴマを散らす。
フワリとゴマの香りが漂った。
「完成じゃぁー!」
牛肉と牛蒡の炒め物が仕上がった。
「斎王さまから貰った巻貝」
淡水の巻貝だ。
ミジエールの湿地で採れるらしい。
「ほとんどタニシやね」
清水で完璧に泥抜きされた巻貝だ。
メルは塩茹でして、既に試食済み。
欠片も、泥臭さを感じなかった。
キモは取り出しづらかったので、潔く諦める。
「くっ。すぐに千切れよる。サザエみたいには、上手くいかんのぉー」
今回はダシを取るために、真水から茹でた。
爪楊枝を身に突き刺してから、くるりと回す。
ポイポイと巻貝の身を殻から抜き取って、ボールに放り込む。
「醤油、味醂、砂糖、酒、ショウガ、鷹の爪じゃ!」
暫く甘辛いタレに浸けてから、串にさして焼く。
巻貝の串焼きは、アビーが缶酎ハイを飲むときの摘まみだ。
「これはミジエールの歓楽街で、ケット・シーの屋台に売らせよう」
巻貝の半量は、味噌汁の具に使う。
そのためのダシである。
味噌汁にすれば、濃厚なダシが味覚を楽しませる。
野趣を感じさせる旨味だ。
タニシの味噌汁は貝殻付きらしい。
だけどメルは、見た目より食べやすさを重視した。
「アサリと違うやろ。巻貝は、身を取り出さなきゃ食えん」
食事中にディートヘルムが、味噌汁の椀をひっくり返したら可哀想だ。
と言うか、たぶん酒に酔ったアビーがやらかすだろう。
メルも気をつけないと、やばかった。
「カラなんて邪魔よ」
そもそもカニの味噌汁とか、お椀から取り出さなければ食べられない。
カニの足を取り出すと、殻の中から味噌汁がダラダラと垂れる。
「まったく、始末に負えんわ」
味噌汁の具は、汁を啜りながら食べたい。
そう思う、メルだった。
最後の一品は、揚げ出し豆腐だった。
既に重石をかけ、余分な水分は豆腐から抜いてある。
これを適切な厚さに切ったら、片栗粉が入ったバットに転がす。
余分な片栗粉を落とし、油で揚げる。
タレはソバツユ、薬味は大根おろしとショウガに、細かく刻んだ分葱だ。
「フンフン、フン…♪」
メルが楽しそうに鼻を鳴らす。
フライヤーに沈めた豆腐が、油の中で踊った。
「出来上がり…」
揚げ終えたら、金網に載せて余分な油を落とす。
衣がベットリとした揚げ出し豆腐は、ノーグッドである。
「メルちゃーん。ゴハンが炊けたよ」
「こっちも、出来たでぇー」
魔法料理店で作った料理を『酔いどれ亭』へ運ぶと、何故かそこにビンス老人の姿が…。
「おまぁーは…」
「メルちゃん、言葉!」
すかさず、アビーのダメ出しが入る。
「……すんません。いや、済みません。こんばんは、ビンスさん」
メルは言葉を正して、ビンス老人に頭を下げた。
ディートヘルムの見ているところでは、良い姉でいなければならない。
「こんばんは、教祖さま」
ビンス老人は、恭しく腰を折った。
メルは美味しい教団の教祖だ。
ビンス老人が口にした教祖の一語には、『メルさんは教祖さまなんだから、信徒を邪険にしませんよね!』とのメッセージが含まれていた。
「あのね。あのね。おじいちゃんは、ボクと遊んでくれたんだよ」
ディートヘルムが、飛び跳ねながら報告した。
そう言って欲しいと、ビンス老人から頼まれたのが見え見えである。
「そうなんですか…。弟を遊ばせて下さり、ありがとうございます」
「そんな、他人行儀じゃありませんか。お礼なんていりませんよ。ディーくんは、本当によい子ですから」
「おじいちゃんも、いっしょにゴハン食べよ」
「ありがとうな、ディーくん。しかし、ワシなんぞがおっては、ご迷惑になりましょう」
「ちっ。もぉー、エエわ。そこへ、座れや。いや、すんません。いやいや、済みません…。遠慮なさらず、ビンスさんも一緒にどうぞ」
メルはビンス老人の図々しさに、どうしても勝てない。
アビーやディートヘルムを利用されては、文句を言うことさえ出来なかった。
「ディーも喜びますから、一緒に晩御飯を召し上がってください」
「そこまでアビーさんが仰られるのでしたら、ワシもご相伴に与りましょう」
「どうぞぉー、ビンスさん。ゴハンは、大勢で食べた方が美味しいです。たしか、エールがお好きでしたよね?」
「おうおう、どうかお気遣いなく」
ビンス老人は遠慮するような素振りを見せながら、テーブルにマイ茶わんと箸を置いた。
席に着くなり鼻をヒクヒクとさせて、料理の匂いを堪能している。
遠慮するつもりなど、微塵もなさそうだった。
「ちっ…。ニセ家族がおるわ」
メルが小声で毒づいた。
美食のためであれば、幼児さえも利用する老獪なビンス老人であった。








