三輪バギー、バラバラ事件の顛末
「とらっく、最高ー♪」
メルから贈られたトラックの運転を覚え、ラヴィニア姫は有頂天になっていた。
ブォォォォォォォォォォーン!
アクセルを踏み込むと、ドライバーシートに身体が押し付けられる。
タコメーターは設定されていた最高値を軽く振り切る。
窓の外を緑の畑が、飛び去って行く。
遠くに見えていた民家が、グングンと近づいてくる。
ラヴィニア姫はサーキットを周回するように、トラックに乗ってメジエール村の舗装路を疾走した。
「んーっ。ご機嫌です。ベイビーリーフ号は、王さまの馬車より快適だよ」
動きづらいドレスを着ていたって、ベイビーリーフ号の運転に支障はきたさない。
ハイヒールをペッタンコ靴に履き替えれば、何も問題なかった。
安心安全は何処に…?
最初メジエール村の舗装路をトロトロと走っていたときには、メルが助手席にいた。
それが乗り物酔いにノックアウトされてからは、ベイビーリーフ号に近寄ろうとしなくなった。
他人が運転する車に乗ると、酔いやすい。
バッドステータスの乗り物酔いは、無病息災でも回避不能だ。
モモンガァーZの三半規管ガードで対抗できるけれど、それはそれで問題があった。
モモンガーZは、シームレス・タイプの全身スーツだ。
気温や気圧の変化にも対応した、耐Gスーツである。
モモンガーの全頭マスクを被れば酸素濃度を調整された空気が供給され、気圧が低い高高度でも活動可能になる。
頸部の接合部位には希少な錬金素材が用いられていて、確りとスーツ内の気密性を保つ。
当然ではあるが、スーツの強度を保つために排泄用の穴など存在しない。
それ故にチャックやフック、ボタンなどは一切使用されておらず、首の位置からペロリと脱がなければお尻を出せない。
そこらでスポポンとモモンガァーZを脱ぎ捨てられないメジエール村では、トイレが不便なのだ。
舗装路の周辺には、村人たちの目がある。
10歳になったメルは、もう冗談で裸になることが許されていなかった。
メルはラヴィニア姫に手書きの運転免許証を渡し、教習所ごっこを終了させた。
数日ほど前に、ラヴィニア姫とメジエール村の妖精たちは、密約を取り交わした。
両者の間に立ったのは、300年もの長きに亘ってラヴィニア姫と苦楽を共にして来た妖精たちである。
メジエール村の妖精たちを説得するのに、然したる苦労はなかった。
元々はっちゃけたい妖精たちは、すぐさまユグドラシル王国異界研究所が定めたレギュレーションを放り捨てた。
ブォォォォォォォォォォーン!
見る見るコーナーが迫る。
本日、5回目のチャレンジだ。
「ここだぁー。うりゃっ!」
ラヴィニア姫はサイドブレーキをかけ、瞬間的に後輪をロックさせてからガツンとアクセルを踏み込んだ。
サイドブレーキを外せば爆発的な回転力を得た後輪が、グリップを失って空転する。
ギャルルルルルルルルルルルルルーッ!
タイヤが白い煙を上げ、車体は横滑りを始めた。
すかさず、カウンターステアを当てる。
ドリフト成功だ。
「ウヒャァー!重心が高すぎて、倒れそう…」
可愛らしいけれど、車高があって安定の悪いベイビーリーフ号は、オーバーステア状態における強い遠心力で外側に傾いていく。
「ちくせう。妖精さん、お願いします!!」
妖精さんたちがどっこいしょと、勢い余って倒れかかったベイビーリーフ号を正常な位置に押し戻す。
ドスン!
浮いていたタイヤが、地面に設置した。
ブォォォォーン。
ベイビーリーフ号は舗装路と正対し、進行方向に向けてスムーズに加速していく。
「ありがとぉー」
取り敢えず、安心安全ではある。
「メルちゃんに教わった、どりふと。わたしも出来た♪」
ラヴィニア姫の顔に、得意げな笑みが浮かんだ。
モンスターマシンになってしまったけれど、事故は起こさない。
ハンドルを握ると、性格の変わる人がいる。
アクセルを踏み込むと興奮して、小鼻の開く人がいる。
「あのね、あのね、ユリアーネ…。ベイビーリーフ号を運転していると、わたしは自分が大きくて強くなったみたいに感じる。すんごく気持ちいいの!」
「そっ、そうですか…」
ユリアーネ女史が、困ったように苦笑した。
心底嬉しそうなラヴィニア姫に、『トラックの運転を控えなさい!』とは言いだせない。
たとえ一日中、トラックでメジエール村を走りまわっていたとしても。
「わたし、すごく楽しいの!!」
「良かったですね」
どちらかと言えば内向的で活発さに欠けるラヴィニア姫が、可愛らしいトラックを手に入れて生まれ変わろうとしていた。
キレッキレの走り屋に…。
「メルちゃんに、悪いことしたなぁー」
メルの三輪バギーを見て、冷たくあしらったことが悔やまれた。
あれはあれで、きっと楽しいのだ。
ベイビーリーフ号を走らせるようになった今なら、理解できそうな気がした。
◇◇◇◇
メルとラヴィニア姫は中の集落で魔法料理店のオープンテラスに陣取り、お茶を楽しんでいた。
メルの試作した水羊羹を味わいながら、何処を探しても見つからない三輪バギーについてラヴィニア姫が訊ねた。
そして、メルの悲しい物語を聞かせてもらった。
三輪バギー、バラバラ事件である。
「なるほどぉー。それでメルちゃんは、ションボリしていたんだ」
他人事として聞いても、腹が立つ話である。
「まあ、ちょっと切ないデス」
「ドゥーゲルさんが、そんな酷い人だとは思わなかったよ」
「見せびらかした、わらしがいけません」
「えーっ。子どもから預かった物を勝手に分解する方が悪いでしょ。メルちゃんは良い子ぶってないで、ちゃんと怒りなさいよ!」
失望はあった。
だが怒れと言われても色々と複雑な事情があり、メルには本気で怒ることが出来ない。
メジエール村の道はドゥーゲルに舗装してもらったし、魔鉱石の製錬所も急ピッチで建設されている。
将来的には、メルが操縦できる巨大ロボも作って欲しかった。
『おまぁーなんぞ、首じゃ!』とは、言えない。
言える筈もなかった。
ただ悲しいのは、あれ以来、花丸ショップに三輪バギーが並んでいないことだ。
花丸ポイントがあっても、ショップに並ばない商品は買えなかった。
「わらし、悲しい」
「もう、メルちゃんたら…。悲しんでいないで…。ほれ、怒れ。怒ってみ…」
黙りこくったメルの頬っぺたをラヴィニア姫が突っつく。
何だかラヴィニア姫の方が、怒っていた。
ちょっと落ち着いてもらいたい。
「弟のディーがなぁー。おねいちゃん好きすぎて、わらしの真似ばかりするのデス。そんで、わらしのオモチャをコッソリと持ち出して、しょっちゅう壊しよる。子ろもは欲しいと思ったら、もう我慢できません。壊されとぉーなければ、見せたらアカンのです」
樹生も、よく和樹の玩具を壊した。
兄ちゃんの宝ものを滅茶クチャにして、何度も泣かせたものである。
決して、悪気は無いのだ。
ただ羨ましくて、自分も遊んでみたかっただけである。
だけど小さいのでプラモデルとミニカーの違いが分からず、力任せで床に押し付ける。
ガァーッと走らせて、メキョッとなって、タイヤが取れてしまう。
直そうとして、更に壊す。
「羨ましいのは、心が寂しいです」
ディートヘルムの気持ちは分かるので、叱るに叱れなかった。
メルのビー玉コースターは、ディートヘルムとシャルロッテに奪われてしまった。
最近のメルはビー玉を転がして遊ぶ時間より、破壊された仕掛けを直す時間の方が長い。
「何それ、絶対におかしいと思う。なんでディーちゃんとドゥーゲルさんが、同列に扱われるの…?ドゥーゲルさんは、立派な大人のドワーフだよ。メルが気まずくて言えないなら、わたしがガツンと文句を言ってあげる」
「えーっ。それは、やめて…。わらし、恰好悪いデショ!」
メルは必死になってラヴィニア姫を止めた。
それはバブル期の日本で流行った、彼氏の不実を彼氏の母親に告げ口する、カワイイ女の歌みたいで…。
どう考えても、オトコらしくなかった。
「アカン。ラビーさんのスカートに隠れて、気に喰わん相手を詰るとか…。鼻持ちならなくて、男の風上にも置けません!」
「だったら、『三輪バギーを返してください』って、自分の口で言いなさいよ」
「えーっ。それも、嫌や。もう三輪バギーの件は、そっとしといて欲しいわ」
「子供を虐めた大人は、ちゃんと責められるべきです。放っておけば、また他の事件が起きるかもでしょ?」
憤るラヴィニア姫に、寛容性を求めるのは無理そうだった。
ダメな大人たちのせいで、300年間も辛い思いをして来たのだから、そこは譲ってくれそうにない。
「なぁなぁ…。ドゥーゲルは、大人ちゃいますヨォー。わらし、妖精女王陛下ですから、ユグドラシル王国では皆さんのママです。だからぁー。みぃーんな、わらしの子ろもよ」
「あらっ。メルちゃんは目に涙をためて、どんだけ大口を叩くのかしら…?」
ラヴィニア姫が、フンッと鼻を鳴らした。
メルがママだなんて、ちゃんちゃら可笑しな話である。
ツッコミ役のティナが居ないので、ここはガツンと言っておかねばなるまい。
「メルちゃん、アビーさんに叱られたんでしょ。魔法のインクでオデコに、『悪ガキ』って書かれたんですってね」
「えぇっ。なんでそれを…?」
「ぜぇーんぶ、ティナちゃんから聞きました。『悪ガキ』は、ママになれないんだよ!」
「この村には、プライバシーがなかとね?!」
カール爺さんの納屋が破壊された事件は、まだ記憶に新しい。
メルとダヴィ坊やは、『カールさんの納屋を壊した犯人は、わたしです!』と、悪事の詳細が記されたボードを首から下げて、6日間ほど反省を強いられた。
ラヴィニア姫がタリサから教えてもらった、笑える話である。
妖精女王陛下は、まだまだ子供だった。
◇◇◇◇
「よっ、メル坊。待たせちまったな!」
巨大な三輪バギーに跨ったドゥーゲルが、中の集落に姿を見せた。
三輪バギーが無音なので、メルとラヴィニア姫はドゥーゲルに声をかけられるまで気づかなかった。
「ドゥーゲル…」
三輪バギー・バラバラ事件から、顔を合わすことなく30日が経過していた。
お互いに気まずくて、自分から声をかけられずにいたのだ。
早合点で頑固な職人ドワーフ爺と、常に説明が足りない身勝手なハイエルフ少女。
横着をして手間を省けば、ディスコミュニケーションは必然である。
二人は深く反省していた。
「おまぁーが乗っとるのは、ナニ?!」
「リバースエンジニアリングだって、言っただろ。メル坊の三輪バギーをばらして、構造を解析した。理屈が分かったから、自分で作ってみた」
「ふわぁーっ。そやけど、もとに戻せますかと訊いたら、分からん言うてたろぉ」
「おらたちドワーフは、モノ造りが誇りだ。あの時点で分からんものを分かるとは言えん。出来ると思っても、不確かなことを口にしないのがドワーフよ」
「胸を張って、そんな自慢されてもムカつくだけじゃ!」
メルが顔を赤くして怒った。
「いやいや…。済まなかった。相談もしないでバラしちまったのは、おらが悪かった。お詫びに、メル坊の三輪バギーを改造して来た」
「改造…?」
「色々と細工を施した上に、デザインも一新よ!」
ドゥーゲルは巨大な三輪バギーに荷車をつけて、頑丈そうな木箱を運んできた。
メルがオープンテラスの席を立ち、荷車から降ろされた木箱に駆け寄った。
「この箱は…?」
「メル坊の三輪バギーが入ってるぜ」
「うひゃぁー。はよ、はよぉー開けてんかぁー!」
メルは木箱の周りを飛び跳ねてまわった。








