哀愁のハイエルフ
ラヴィニア姫はションボリとした様子で、花壇に水を撒いていた。
とは言っても、手にしたジョーロはとっくに空っぽで、水を撒いているように見えるだけ。
すっかり呆けているのだ。
原因はメルとのやり取りにあった。
まだ寒さが残る春先のこと、ラヴィニア姫は妙ちくりんな格好をしたメルに、『帝都ウルリッヒへ行こう!』と誘われた。
冒険者ギルドへ殴り込みをするみたいな話なので、冷たい態度で断った。
余りにもあんまりな話なので、断った自分は悪くないと思っている。
だけど、その後32日間、メルからは音沙汰なし。
ラヴィニア姫が中の集落を訪れても、メルの姿はなかった。
『ごめんなさいね』と言って、アビーはメルの近況を教えてくれた。
どうやら夜には帰っているらしいが、毎日のように何処かへ出かけてしまう、との話だった。
ラヴィニア姫は手習い所へ通っていないので、直ぐに時間を持て余してしまった。
そうなればもう、嫌でもメルのことしか考えられなくなる。
幼児ーズの仲間に訊ねても、アビーから教えてもらった以上の情報は得られなかった。
毎日、朝早くからメルは出かけてしまい、夜になるまで帰らない。
もしかして、メルに避けられているのではないか…?
アビーや幼児ーズの皆は、メルに頼まれて嘘を吐いてるかも知れない。
救いのない過去を持つ、ラヴィニア姫である。
一度でも暗い妄想に囚われたら、もう際限がない。
メルと幼児ーズの皆は、自分を除け者にして遊んでいる。
そのようなシーンを想像すると、とても惨めで居た堪れない気持ちになった。
又もや、ラヴィニア姫はハンテンを抱きしめて、引きこもり生活に突入した。
どれほどユリアーネ女史やメアリが宥めても、ラヴィニア姫の心が浮上することはなかった。
そして33日目にして、ようやくメルがやって来た。
ラヴィニア姫は仲直りのハグをしようと、玄関先に駆けつけた。
だけど、その素直な気持ちは、メルの姿を見るなり消え失せてしまった。
ラヴィニア姫が泣くほど心配していたのに、メルは能天気な様子でデートをしようと言いだす。
変な乗り物に跨って、何処かへ行こうとラヴィニア姫を誘うのだ。
そのまえに、言うことがあるのではないかと思った。
(そうだよ。わたしを放っておいて、ゴメンナサイもないとか…。信じられない!)
だから…。
だからデートを断ったのは、間違っていない。
「えい!!」
ラヴィニア姫は、手にしていたジョーロを投げ捨てた。
また、メルが遊びに来てくれなくなったら、どうしよう…?
今度は、どれだけ待たされるのかしら。
50日間、それとも100日間。
それを考えると、自己正当化の何と虚しいことか。
自分が悪くなくても、メルとは会いたい。
何日も離れていたくないのだ。
「はわわわわっ…。どうしよう。どうしよう。どうしましょう?!」
どうしようもなかった。
もし仮に酔いどれ亭を訪問して、『会いたくない!』とメルに拒絶されたら…。
「死にたい!」
ラヴィニア姫は、芝生の上を転がった。
ゴロゴロ、ゴロゴロと転がった。
「わんわん、わんわんわん…!!」
転がるラヴィニア姫を叱りつけるように、ハンテンが吠えた。
翌日になると、何事もなかったかのようにメルが姿を見せた。
しつこく玄関の呼鈴を鳴らす。
ラヴィニア姫は充血した目を擦りながら、玄関のドアを開けた。
頭がぼーっとして、満足に働かない。
朝までまんじりともせず、メルのいない生活について考えていたからだ。
「ラビー。遊びに行こう」
しれっとした顔で、メルが言った。
「………………」
「ほら…。わらし、スカート穿いてきた」
「うん」
メルの口から謝罪の言葉はなかったけれど、王子パンツではなくてワンピースだった。
普通に可愛らしい、クリームイエローのワンピースである。
「そんでなぁー。わらし、反省しました。今日はドゥーゲルのとこに、三輪バギーを置いてきたわ」
「そう…」
「ラビーを喜ばそうとして、空回り。わらしが、はしゃいどっただけデシタ。なので今度は、ちゃんと考えました。ラビーに、プレゼント持って来たで」
「ぷれぜんと?」
「はい。ゴイスーな、贈りものデス!」
メルがラヴィニア姫の手を握り、グイグイと引っ張った。
しかめっ面は止められないけれど、メルに手を握られて嬉しいラヴィニア姫だった。
足を踏ん張って抵抗しても、握られた手を振り払ったりはしない。
そんなことは、絶対に出来なかった。
それは屋敷のまえに、ドーンと置いてあった。
「何これ?」
「花丸ポイントで買うた、妖精さんのトラックです」
「とらっく?」
「ラビーにも分かるように説明するなら、お馬さまのおらん馬車じゃ」
「えーっ。馬車ぁー?」
ラヴィニア姫は狼狽えた。
小さくて可愛らしい、ミントグリーンのトラック。
座席はゆったりとしていて、荷台が少し狭い。
でも荷車より、たくさんの荷物を運べる。
魔動機関を搭載しているので、ガソリンは要らない。
最高スピードは時速50キロメートル程度なので、競走馬よりやや遅い。
だけど、メジエール村の中しか走らないから、そんなに急ぐ必要はなかった。
そのうえ妖精さんがアクティブセーフティ機能を代行してくれるので、交通事故を起こさない。
安心安全が約束された、夢の自動車だ。
何より可愛らしくて、ラヴィニア姫にピッタリだった。
「姫さま、どうぞお乗りください」
メルがドアを開けて、ラヴィニア姫を促した。
「うん。ありがとう」
椅子がフカフカだ。
バタンとドアが閉じられる。
反対側のドアを開けて、メルが乗り込んだ。
「シートベルト。これをカチンと留める」
「んっ?」
「安心安全…。そこのハンドルをクルクル回すと、窓が開きマス」
窓の開閉は手動式だった。
ラジオや冷暖房機など、搭載されていない機能も多い。
だけど、そんなことは気にしない。
「では、出発します」
メルはキーを差し込んで、魔動機関をスタートさせた。
アクセルを踏み込むと、妖精たちがピストンを動かす。
クランクに動力が伝わり、タコメーターは一分当たりの回転数を表示する。
ハンドブレーキを外してクラッチを繋ぐと、ゆっくりトラックが動き出した。
「わわわわっ…。動いてる」
「まだまだ…。驚くんは、これからやん!」
メルはギアを切り替えて、スピードを上げた。
「キャァー。走ってるぅ―!」
ラヴィニア姫は大騒ぎだ。
「うんうん、走っとるな。どうやねん。これ、ラビーのトラックやで」
「ホントに?ホントに貰っていいの?」
「ええねん。ええねん。気にせんでも、ええんやデェー」
ラヴィニア姫の不機嫌オーラが消えて、メルは得意満面だ。
花丸ポイントをドカンとつぎ込んだ甲斐があった。
メルが運転するトラックは、舗装された田舎道を軽快に走る。
「これなぁー。ラビーが欲しい木を見つけたら、後ろに積めると思って買うたん」
「あーっ、苗木かぁー。そう言うことなら、精霊樹の苗木を運ぶのにも便利だよね」
「そうそう。雑木林とか森で、腐葉土も集められるデショ」
「わぁー、色んなことが出来るね」
しょぼつく目を擦りながら、ラヴィニア姫がカクカクと頷いた。
すごく嬉しい。
だけどもう、体力の限界だった。
メルと普通に話せて安心して、一気に眠気が襲ってきた。
メルの横で、ラヴィニア姫はコテンと寝てしまった。
「うぎゃぁー。なんで寝ちゃうの?!」
何でと言われても、寝不足なのだから仕方がない。
バタンキューだ。
メルは寝てしまったラヴィニア姫をおんぶして、玄関の呼鈴を鳴らしまくった。
文字通り、とんぼ返りである。
「もう、戻られたのですか?」
「無念なりぃー!」
「あらまぁ、お嬢さま…」
飛び出して来た小間使いのメアリが、あんぐりと口を開いた。
ラヴィニア姫は、メルの背中でスヤスヤと寝ている。
気持ち良さそうに…。
「ラビー、寝てしもうた」
「ごめんなさいね。メルさん」
ユリアーネ女史が、申し訳なさそうに苦笑した。
「わらし…。ピクニックせんと、お弁当をこさえてきた。一緒に食べれんかったから、置いていく。エビフライとハンバーグ、ラビーにあげて」
「承知しました。お嬢さまが目を覚まされたら、ちゃんと伝えておきますね」
「うん。そんじゃ、わらし帰ります」
ラヴィニア姫をメアリに託して背中を向けたメルは、ガックリと肩を落としていた。
「わらしのトーク。寝てしまうほど、退屈かのぉー」
そよ風に耳毛が揺れる。
◇◇◇◇
道端でピィーッと指笛を吹くも、トンキーは現れず。
メルはトボトボと歩いて、ドゥーゲルの工房を目指した。
遠い。
遠すぎて足が棒になる。
「こんなことなら、ラビーのトラックを借りておけばよかった」
意味もなく格好をつけたことが、悔やまれた。
日が地平に沈みかけた頃になって、ようやくドゥーゲルの工房に到着した。
「やった。やり遂げたどぉー。これで三輪バギーに乗れる。もう家に帰れたも同然じゃ」
歩いても歩いても到着しないのが、田舎の我が家だ。
「ドゥーゲルやぁーい。わらしの三輪バギーは、何処かね?」
「おっ。メル坊か。三輪バギーなら、ばらしちまったから使えねぇぞ!」
「はぁ?ばらしたって、どういうこっちゃい?!」
「そこを見りゃ、分かんだろ」
「うぎゃぁー!」
メルの三輪バギーが、バラバラにされていた。
「これ。これっ、元に戻せるんかい?」
「分からんな」
「分からないのに、なんで分解したんじゃ?!」
「リバースエンジニアリングちゅうてな、動作を確認しながら分解することで、構造を学ぶんだ」
悪びれもせず、ドゥーゲルが言い放った。
「あほんだらぁー!」
「やかましいわ。ドワーフに魔道具を渡したら、どうなるかくらい分かるだろ!!」
「かぁーっ。開き直りよったな。やぃワレ!とっとと、もとに戻さんかい!!」
「それが出来りゃ、とっくにやっとる!」
「おまぁー、最低じゃ!」
メルは床に倒れ伏し、シクシクと泣きだした。
ドワーフに、見せびらかしたら、こうなった。
(作者:メル)








