悪党は逃がしません
手配書の貼り付けを終わらせたメルは、冒険者ギルドに戻った。
魔法学校へと帰るチルたちとは、途中で別れた。
冒険者ギルドの事務所では、ゴットフリート・フォーゲルの姿を捨てたギルベルト・ヴォルフがケット・シーたちに書類の整理をさせていた。
「たらいもぉー」
「お帰りなさいませ、メルさま!」
「なんや…。おまぁー、薔薇の館はええんかぁー?」
「あちらは水蛇のザスキア姐さんに、頼んであります。よき後任者を派遣して頂き、やっと肩の荷を下ろせました。やはり餅は餅屋です。冒険者崩れが娼館を経営するのは、ちと難しいかと…」
「悪徳貴族どもの処遇は、あらかた終わったデショ。あとはもう、好きにしたって構わんヨ。ただミケ王子が冒険者ギルド統括だって、喜んでおったから…」
メルは受付フロアを見まわし、ミケ王子が居ないので苦笑した。
三日天下だった。
いや、二十日ほど、偉そうにふんぞり返っていた。
「ミケさんは屋台の仕事が忙しいので、呼び戻されました」
「そう…?わらしは、みぃーけだと冒険者ギルド統括としての貫禄が足らんから、首になったと思ぉーた」
「クビだなんて、とんでもない…。そのように不名誉な話ではありません。調停者さまから正式に冒険者ギルド統括を命じられたのは、アーロンさまです。私もアーロンさまの代理ですよ…。人手が足りないので、やむを得ずですね。冒険者ギルド統括は、仕事としての優先順位が低いのです」
生まれ変わったギルベルトは、気遣いの人だった。
せっせと働くケット・シーたちにも当たりがソフトで、職場の雰囲気は良好だ。
「婆さまかぁー。相変わらずの無茶ぶり。コーテェー陛下の相談役と、冒険者ギルド統括の仕事は両立できへんとちゃうか…?アーロン、可哀想じゃのぉー。申し訳ないけど、笑うわ。それはそうとして、アーロンとフーベルト宰相は、密輸品の倉庫を30件も摘発しよった。ほんま、大活躍デス」
「そっちの逮捕者が多すぎて、冒険者ギルドまで手が回らないのが実状です。何のかんので、取り調べに時間が掛かりますから…」
元老院のメンバーからも逮捕者が続出して、査問委員会が開けない。
ウスベルク帝国は、底に穴が開いた泥船のようである。
「面倒くさいのぉー。わらしに任せてもらえたら、ぜんいん埋めたるのに…」
「いやいや…。そうも行きませんよ」
メルに罰せられて半人半妖と化したギルベルトが、顔を引きつらせた。
「ふーん。ケット・シーに運ばせておる冒険者ギルドの書類は、どうすんねん?」
「一応、フーベルト宰相が目を通されるそうです。前冒険者ギルド統括のグレゴール・シュタインベルクさんは、マメに記録を残していたようなので、よぉーく調べれば帝国貴族とミッティア魔法王国の癒着を見つけられるのではないかと」
「一瞥して分かる不正だけでなく、じっくりと精査したいってコト?」
「その通りです」
まったくの無駄である。
これから屋敷を解体するのに、棚の埃を掃っても意味がなかった。
ガジガジ蟲が棲みついた建物は、ぶっ潰すしかない。
そもそも詳細な事情を知りたければ、グレゴール・シュタインベルクに訊ねるべきだ。
必要であればクリスタが、そのように取り計らっていたはず。
「フーベルト、相変わらず小者じゃのぉー」
フーベルト宰相は、トップに立てない男だ。
責任感が強く、組織運営力に長けた切れ者だけれど、王の才覚はない。
その点、ウィルヘルム皇帝陛下は、さすがだと言えよう。
機を見るに敏、生まれ持った直感で正解にしがみつく。
アーロンを辟易とさせるようなヘタレの癖して、その手につかんだチャンスは意地でも放さない。
独裁者に求められる資質は、ひとつだけ。
勝機をつかむ強運だ。
よく器の広さだの、公平さだの、人徳とか言われるけれど、そんなものは嘘っぱちである。
人を率いるからには、絶対に成功しなければいけない。
大きな岐路に立たされた時、迷わずに正しい道を選び取れる者がよき王だ。
臣下たちのまえで床に手をつき馬となり、メルを背に乗せてヒヒヒンと鳴く。
メルがスケボーで宮殿内を走りまわることに目くじらを立てず、国宝の壺を割られても犯人探しをしない。
『おまぁー、毛が薄ぅーなったのぉー!』と、メルに頭髪をモシャモシャかき混ぜられても、愛想笑いを浮かべながら耐え続ける。
なかなか、一国の君主に出来ることではない。
それどころかウィルヘルム皇帝陛下はメルの気を引こうと、四日に一度、エーベルヴァイン城の精霊宮にお菓子の家を奉納していた。
帝都ウルリッヒで流行りのオモチャだって、山ほど積んである。
ここまでされたら幾らメルでも、ウィルヘルム皇帝陛下を無下には扱えない。
『爺、可愛いじゃん!』と、ついつい水虫治療薬だって手渡してしまう。
メルを甘やかすお爺ちゃんの地位は、ウィルヘルム皇帝陛下が勝ち取った。
ウスベルク帝国の未来は、ウィルヘルム皇帝陛下の忍耐によって約束されたようなものである。
(つまるところ、精霊の子って座敷童みたいなもんだよね…)
メルは樹生であった頃の記憶を呼び起こし、ニヒルに笑う。
いつまで経っても、童だ。
国家存亡の危機を迎えたけれど、皇族はしぶとく生きながらえるだろう。
王とは神に選ばれし、光り輝ける存在だ。
人々を正しく導く、尊い役割を持つ。
これに背いた者たちの運命は、とても悲惨である。
自分で正しい道を選べず、間違った仲間や指導者につき従い、終には地獄へと落ちていく。
実に嘆かわしい話である。
◇◇◇◇
このところチェイスは、まともに食事をしていなかった。
どこにいても気の休まるときがなく、満足に睡眠をとることさえできない。
もとから悪い人相は、心労と睡眠不足のせいで狂気を漂わせるようになった。
血走った目つき、落ち着きのない挙動、意味不明な独り言、まさに呪われた男である。
手配書などなくても、通りを歩く人々はチェイスを避けた。
何故なら、理由もなく他人に刃物を突き立てるヤツは、どいつも屍食鬼のような風体をしていたからだ。
正しく、今のチェイスみたいに…。
追い詰められ、切羽詰まり、正気をなくしている。
そんな男と目を合わせてはいけない。
「ハァハァ…。畜生めぇー。いつまで、俺に付きまとう気だぁー!」
チェイスはノロノロと剣を引き抜き、石壁に斬りつけた。
白昼堂々と、人目がある中で凶行に及んだ。
「うひゃぁー。キチガイだ!」
「危ねぇぞ。近寄るんじゃない」
「警邏隊を呼びに行け」
チェイスの目には、怨霊の姿が見えていた。
何処へ行こうとついて来る、イジワルそうな笑みを浮かべた子供だ。
そいつはチェイスが目を離したすきに、悪さをする。
未だ取り殺されてはいないが、もう既に我慢の限界だった。
「消えろ、消えろ!消えちまえェー!!」
チェイスは力の限り剣を振りまわし、絶叫した。
追い詰められているのは、チェイスだけじゃなかった。
得体の知れない子供の影に脅かされているのは、リノやセップも同じだ。
もっと言えば、50名近い不良冒険者たちが、追跡型メンヘラ精霊に憑りつかれていた。
「ウゲッ。スープの底に、虫が…」
料理屋で晩飯を食べていたリノは、スープ皿から虫を掬い上げて呻いた。
青白い顔をした子供が、リノを横から覗き込む。
子供は手にした虫をリノに見せて、得意そうに笑った。
〈………ふっ〉
「てめぇ、この野郎…!」
リノは席を蹴って立ち上がり、手にしたスープ皿を子供に叩きつけた。
だが折檻しようとした子供は、霞のように消え失せてしまった。
子供がいたと思しき位置には屈強な男が座っていて、ぎろりとリノを睨みつけた。
「おい、オマエ…。これは、どういうつもりだ?」
「この酔っ払いが…。いきなり暴れだしやがって…」
皿をぶつけられた男だけでなく、男の連れも激しく憤っていた。
「いや。そうじゃねぇ…。ガキが、俺っちのスープに虫を入れやがった」
「ガキ…?どこにガキが居るんだよ!!」
「兄さんヨォー。飲みすぎだろ。ちょっくら、頭を冷やした方がいいんじゃねぇのか?!」
スープ皿を投げつけられた男はリノを蹴り上げ、飯屋の外へ放り出した。
路地に倒れて動けないリノに、子供の影が近づいてきた。
その手にはフォークが握られていた。
「うぎゃっ!」
リノの脇腹に、フォークが突き立てられた。
その日から、リノの食事には必ず虫が混入されていた。
ベッドにはノミや虱などの吸血虫が棲みつき、部屋の中を無数の羽虫がブンブンと飛び回る。
リノは大小さまざまな甲虫やウジ虫どもに悩まされ、身体に卵を産み付けられた。
腐った脇腹は膿と血でべたつき、肥え太ったウジ虫が顔を見せる。
この窮状を訴えたくても、他人には理解してもらえない。
料理に混入した虫や脇腹の傷口は、リノにしか見えていなかった。
「ちっ。こりゃまた、厄介なヤツに狙われたもんだぜ!」
セップに付き纏う追跡型メンヘラ精霊は、三体に増えていた。
だけどセップには少しだけ呪術の知識があったので、チェイスやリノのように醜態を演じることはなかった。
呪いを受けた翌日には、帝都ウルリッヒから逃げ出す算段を立て始めた。
しかし住み心地がよい帝都ウルリッヒを見限るには、あれやこれやを諦めなければならない。
そこら辺の折り合いをつけるために、かなりの日数をダラダラと過ごすことになった。
そうこうする内に追跡型メンヘラ精霊は、一体から二体へ、二体から三体へと数を増やした。
「餓鬼のオカワリは、いらねぇ!」
もう限界だった。
どれほど帝都ウルリッヒに執着があろうと、取り殺されてしまっては話にならない。
命の危険を間近に感じても、ならず者のセップはだらしなかった。
もっとも、きちんとした予定を組めるくらいなら、ならず者ではなく立派な悪党になっていただろう。
呪われる心当たりは、充分にあった。
追ってくるのが子供となれば、もう形振りを構ってはいられない。
今は三体だが、どれだけ増えるか知れたものではなかった。
実際それだけの人数を殺めているのだ。
「遊民のガキを殺したくらいで、何だってんだよ。オレを呪いやがったのは、何処のどいつだ?」
何人殺そうと、これまで死霊に悩まされた覚えなどなかった。
そんな経験があれば、浮浪児狩りなどしていない。
これは誰かに仕組まれた呪いなのだ。
邪悪な子供の霊をけしかけている呪術師が、背後に存在する。
「せっかく強面のセンパイたちが開拓村に派遣されて、オレらの天下だってのに…。無一文で都落ちかよ」
幾ら探しても、呪術師は見つからないだろう。
連中は揃いもそろって小心者で、熟練の探索者が捜索を断念するほど隠形に長けている。
「こりゃぁー、商人どもを脅し過ぎたか…。殺し屋だと、しくじって依頼主さまの名前を吐かされる危険があるから、回りくどくても呪術師を雇うのは悪くない手だ」
セップの推理では、呪術師にコロシを依頼したのは何処かの商会だった。
何かと言っては金をせびりに来るセップが疎ましくなり、消してしまおうと考えたに違いない。
だがセップの知る限り、呪術には重大な欠点があった。
発動条件を満たすのが難しく、効果範囲も一定の領域に限定される。
「つまり…。幾らでも、逃げようがあるってことよ!」
そう嘯いて、帝都ウルリッヒの城門を潜る。
「ほとぼりが冷めるまでは、住み慣れた町ともお別れだ」
セップの声音に未練が滲む。
「糞ったれが!」
子供の霊は、城門の向こうに佇んでいた。
セップについて来ようとはしない。
どうやら帝都ウルリッヒを囲う石壁が、呪術の効果範囲だった。
「へっ、残念だったな。おまえらとは、これでサヨナラだ。ざまぁーみやがれ!」
セップが右腕を突き上げて吼えた。
殺されることはなかったが、追い払われた。
事実上の敗北である。
「畜生めっ!」
セップは、それなりに魔法が使えた。
強力な焔の魔法だ。
帝都ウルリッヒに暮らす魔法使いは、多かれ少なかれ屍呪之王を生み出した魔法博士、ニキアスとドミトリに傾倒する。
中途半端な悪党であれば、尚更だった。
「正面切って闘えば、呪術師など骨も残さず灰にしてやるのに…」
セップなりに、魔法使いとしての矜持があった。
「コソコソと隠れる、卑怯者めが…」
そう罵りながら自分は逃げる、セップだった。
馬もなければ、馬車に乗る金もない。
どこぞで追剥でもしなければ、飢えをしのげない。
帝都ウルリッヒから離れても、セップの窮状は変わらなかった。
「そこの冒険者。何処へ行く?」
街道を歩くセップに、見知らぬ男が声をかけてきた。
灰色のフードを目深に被り、長衣には沢山のアミュレットを飾っている。
男に魔素の気配は感じられず、セップの目には魔法使いを装った騙りに映った。
「なんだ、オマエは…!」
セップは焔を呼び出し、長衣の男に向き直った。
「私の名は、ギルベルト・ヴォルフ…。伝令係だ。キサマが帝都から離れることは許されていない。それを伝えに来た」
「へっ。魔法使い気取りのコケ脅しが…。何が伝令係だ。見てくれでビビらせようったって、そうはいかねぇぜ。何つったってオレさまは、ニキアスとドミトリの霊に師事した魔法使いさまだからな…。オマエと違って、コッチは本物の魔法使いだぜ!」
「ふむっ。ニキアスとドミトリとは、かつて屍呪之王を作りだした魔法博士のことか?」
「その通りさ。ちっとはビビったか…?オマエのように、イキッている野郎は長生き出来ねぇんだよ!」
「わが師よ。あなた方は、この男を弟子に持ったことがありますか?」
ギルベルトの問いかけに、不快な音を立て、青空が裂けた。
「うおっ!なんだ…。なにが起きやがった?」
現象界の幕が剥ぎ取られて、どろどろとした夜の闇が溢れだす。
セップとギルベルトが立つ空間は結界に覆われ、現象界から切り離された。
中空に浮かぶ大きな赤い月から、逆さになった骸骨が二体、ずるりと滑り落ちてきた。
「ひいっ!」
大きさや距離感が滅茶クチャで、ともすれば滑稽な景色である。
しかしセップにしてみれば、それどころではなかった。
〈知らぬ!〉
〈ワレラの記憶にない〉
二体の骸骨は逆さ吊りの姿勢でセップの顔を覗き込み、首を横に振った。
「はぁはぁ…。なんだ、こいつ等は…。この頭に響く気色の悪い声は、何なんだよ?!」
ニキアスとドミトリの軋るような声音は、指向性を持たない特殊な念話だ。
耳の蝸牛神経を介さず、直に脳幹を刺激する。
「ふざけるなよ。どうせ、ちゃちな幻術だろ。これでも食らいやがれ!」
セップが放った火球は、ギルベルトの頭部を直撃した。
「ふむっ。嘘はいかんな…。ますます、キサマの罪が重くなる」
フードが外れ、そこに現れたギルベルトの顔も、殆ど骨だった。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!」
セップは悲鳴を上げ、失神した。








