ドワーフもいた
帝都ウルリッヒの商業地区に建つ、マルティン商会の本社。
その会長室でエドヴィン・マルティン老人は、鉱山探索技師たちの代表から報告を受けた。
「魔鉱石の埋蔵量は、我々にも想像がつきません。膨大であるとしか…」
「ご苦労だった。よく成し遂げてくれた」
「ありがとうございます」
恵みの森に分け入った鉱山探索技師たちは、数ヵ月をかけて漸く採掘現場からタルブ川への運搬路を切り拓いた。
これが記念すべき第一便だった。
「見たところ、純度も申し分ありません」
「ふむっ。ブレル君、こいつが山ほどあると考えて良いのだな?」
「その通りです。それどころか鉱脈が露出していて、現状では掘削の必要がありません」
「シャベルとツルハシで、事足りる状態か…?」
「はい!」
エドヴィン老人は、ブレルが持ち込んだ石と拡大鏡を机に置いた。
「その…。如何でしょうか…?以前、エドヴィン会長から見せて頂いた鉱石と、遜色のないレベルにあると思いますが…」
「ブレル君…。確かに、これは良い石だ…」
ヨーゼフ・ヘイム大尉ことヤニックが、マルティン商会に持ち込んだ鉱石の話である。
「ふぅーっ。こいつは大きな儲け話だよ。本来であれば慎重に事を運ぶべきところだが、急がねばなるまい」
「と申しますと…?」
「戦争さ…。同じ魔鉱でも、平時と戦時では価格が違う。それはもう、目を丸くするほど違うのだ」
「ウスベルク帝国の内乱ですね」
「いいや。ミッティア魔法王国とウスベルク帝国の戦争だ。大きな戦だよ」
エドヴィン老人が机に顔を伏せ、ほくそ笑んだ。
ウスベルク帝国の内乱から、ミッティア魔法王国とウスベルク帝国の戦争へと向かう道は、既に整えられている。
ミッティア魔法王国枢密院の貴族議員たちには、マルティン商会の資金が流れていた。
貴族議員の過半数は、ウスベルク帝国との戦争を支持するだろう。
女王グウェンドリーヌが反対しても、ミッティア魔法軍の将校が戦端を開く。
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵の支援に派遣された兵たちは、ミッティア魔法軍に離反しても構わないと考えていた。
それだけの賄賂がマルティン商会から兵たちに渡されていたし、逸脱を唆す先導者も派遣部隊に紛れ込ませてあった。
「戦争と言うものは、我々の稼ぎになるのだ。あらゆる市場が激変するからな。如何なるときであれ、安く買って高く売り抜けるのが資本家の基本だよ」
「はぁ。わたしは一介の鉱山技師ですから、商売のことはよく分かりません」
「気にすることはない。キミたちは魔鉱石を掘りだし、モルゲンシュテルン侯爵領に運んでくれ。こちらは、精錬プラントを稼働させる!」
「しかし…。戦争となりますと…。屍呪之王は、どうなさるのですか?」
「ふふん。キミは、屍呪之王を見たのかね…?私は何十年もウスベルク帝国で暮らしているが、その影すら見た覚えがないのだ。聞こえてくる噂と言えば、不確かなモノばかり…。屍呪之王より、エーベルヴァイン城に生えた樹を調査すべきだと思うね…。胡散臭い歴史書に書かれた幻に振り回されるのは、もうウンザリなのだよ」
精霊樹との疑いが持たれている大樹は、エドヴィン老人にも見ることが出来た。
何しろ大樹の枝は、エーベルヴァイン城の城壁から突き出ているのだ。
「ところでメジエール村に造られた施設ですが、実に驚かされました」
「ほう…?キミたちに用意した、保養施設のことかね?」
「はい、とても素晴らしものでした。わたしたちを迎えてくれた楼閣も、美しく気立てのよい女性ばかりで…。すっかり寛がせて頂きました」
「それは良かった」
「タルブ川の傍に建てたのも、慧眼だと思います。採掘現場で荒んだ作業員たちとメジエール村の住民を接触させなければ、トラブルを未然に防ぐことが出来ます!」
それはメルが用意させた施設だった。
そうとも知らずにブレルは、メジエール村の桟橋付近に新設された楼閣を誉めそやした。
正確な報告を受け取ることが出来ないエドヴィン老人は、ブレルの言葉を聞いて満足げに頷くのだった。
「ふっ。せっかく用意した施設だ。思う存分に活用してくれたまえ!」
「ありがとうございます」
更なる飛躍を確信するエドヴィン老人の顔は、喜びに満ちていた。
マルティン商会にもたらされる情報が、メルやクリスタの思惑によって改謬されているとも知らずに…。
ユグドラシル王国国防総省の『天の声』作戦により、エドヴィン老人の目と耳は塞がれていた。
◇◇◇◇
広大無辺な恵みの森を縦断して、道なき雪原を北へ旅すること十日。
遥か遠くに、人の侵入を阻む巨大な壁が立ちはだかる。
峻厳たるハルフォーン山脈。
その中腹に、クリスタは立っていた。
ポツンと独りで…。
「やれやれ…。妖精女王陛下ときたら、ほんにエルフ使いの荒いこと…」
吐く息が白い。
周囲の全ては凍てつき、空気も薄かった。
文句を言いながらも、クリスタの表情は晴れ晴れとしていた。
森の魔女さまは引きこもりだと信じられていたが、実はアウトドア派である。
漂泊の旅は、『調停者クリスタ』を若返らせる。
「まあ、今回は目的地ありきじゃが…。どこにも集落がないのは、厳しかった」
恵みの森は原生林だし、雪原も無人の荒野だった。
クリスタは狩猟民のように獲物を捕らえ、夜になると簡易テントで眠った。
ハルフォーン山脈を目指す旅は、正にサバイバルであった。
『婆さま…。この世界には、エルフが住んどるけど、ドワーフはおらんの…?』
『ドワーフねぇ。あの酔っ払いどもは、北の地で暮らしておったのぉー』
『わらし、ドワーフ見たい!』
『アハハハッ…。人も寄り付かぬ北方の辺境ゆえに、見たいと言っても子供の身では無理じゃ』
『行って来て…!』
そう言ってメルが突きだしたのは、精霊樹の苗木だった。
『アハハハッ…。本気かね…?』
『うん』
『…………オニか!』
そんな会話が、クリスタとメルの間で交わされた。
「あーっ。あたしも、子供に甘いよねぇー。なんで請け負っちまったかねぇー」
クリスタは、メルのおねだりに弱かった。
「はぁーっ。バカと煙は、高いところが好きって…。これを登るのかい…?ふざけるんじゃないよ!」
クリスタが見上げる先には、切り立った断崖絶壁。
雪と氷に閉ざされた岩山には、無数の穴が穿たれていた。
岩壁をくりぬいて造られた、洞窟住居群だ。
洞穴から、ちらりと顔が覗いた。
遠目にも分かる、髭モジャの赤ら顔だ。
「ちっ、隠れよった…。デブの酔っ払いどもめ…。さっさと、あたしを迎えに来んかい!」
クリスタは、大声で叫んだ。
「ゲホゲホ…」
乾燥して冷たい空気に、喉をやられる。
「息が苦しい。喉が痛い。頭が重い…」
酸素不足で、軽い高山病を発症していた。
それらの不調は、精霊魔法が速やかに取り除いてくれるだろう。
クリスタに付き従う妖精たちは、楽しそうに輝きながら飛び回っている。
「このロープを伝って、崖の半ばまで登るのかい。まったく、冗談みたいな集落だよ。糞ドワーフどもが…」
ここまで来たら、先へ進むしかあるまい。
クリスタは諦めて、青空を仰ぎ見た。
アウトドアは、大好きだった。
洞窟の内部は、暖かな空気で満たされていた。
陽光の射し込まない通路や部屋を照らすために、石の壁にはランプを置く窪みが設えてあった。
これまた岩で作られた椅子には、魔獣の毛皮が何枚も重ねてあり、座り心地が良さそうだ。
ドワーフ族の住居は、概ね居心地が良い。
問題は、粗末な食糧事情にあった。
ここには、芋と肉類しかない。
あと、芋から醸造されたスピリッツ(火酒)。
「おいっ、ゴラァー。何しに来やがった、テメェ!」
赤々と石炭が燃える暖炉を背にして、毛皮を身にまとった老人が怒声を上げた。
ビア樽のようにずんぐりとした身体、長く伸ばしたモジャモジャの髭。
酒焼けした赤ら顔に、どこか偏屈そうな目つき。
「フゥーッ、フゥーッ!」
老人は筋肉が浮いた腕に、重そうなバトルアックスを握っていた。
彼がドワーフ族を束ねる長老、ドゥーゲルだった。
「随分と、無作法なご挨拶だね。それがドワーフ族の作法かい…?」
クリスタは周囲に集まったドワーフたちを見渡してから、ドゥーゲルに訊ねた。
「んだとゴラァー。ヨボヨボの婆とて、こちとらエルフなんぞに容赦はしねぇぞ。おめぇーらの魔法なんざ、怖くねぇんだよ。いっちょ、勝負するんか…?」
「やだねぇー。あたしゃ、客人だよ」
「キャクゥー?こんな僻地に、客だとぉー。笑わすんじゃねぇぞ!」
「はぁーっ。老いぼれたね、ドゥーゲル。古い知り合いを忘れちまったのかい?」
ドゥーゲルは右目を擦った。
ドゥーゲルの左目は、光を失って白濁していた。
鍛冶職人であるからには、事故による失明とは隣り合わせだ。
数百年前に焼けた金属片が刺さり、ドゥーゲルの左目は機能しなくなった。
最近では、右目の視力も怪しい。
遠からずドゥーゲルは、自分が拵えた精緻な装飾品を観賞できなくなるだろう。
「ぬぬぬっ…!」
ドゥーゲルの右目が、クリスタの偽装魔法を看破した。
「おおっ。オマエ、調停者かぁ…?」
「そうだよ。あたしゃ、調停者のクリスタさ」
「まだ生きとったんか…」
ドゥーゲルが驚愕の表情を浮かべ、あんぐりと口を開けた。
「そりゃあ、こっちの台詞だね」
「はぁー?若い姿のままで、何を言ってやがる」
「ヨボヨボの爺になっても生きている方が、不思議じゃないか?」
クリスタがドゥーゲルの肩をバシバシと叩いた。
「ふんっ。そんで調停者さまが、おらたちに何の用だ…?ここにはヨォー。おめぇーの欲しがるようなもんはねぇぞ」
「あたしは妖精女王陛下の、お使いだよ。この地に、精霊樹を運んできたのさ!」
「「「「「ええぇーっ!」」」」」
洞窟住居群の集会所に集まっていたドワーフたちが、クリスタの台詞に目を丸くした。








