精霊たちの街
土木建築の精霊と大工の精霊たちは、メルの依頼を受けてタルブ川の畔に小規模な街を完成させた。
魔鉱石を採掘する鉱夫や技師たちがメジエール村までやって来るのを食い止めるため、船着き場の近くに快適な遊興施設を用意したいとメルは考えた。
そこで土木建築の精霊と大工の精霊に仕事を頼んだのだけれど、何やら立派な観光名所みたいなものが出来上がってしまった。
当初予定していた宿屋を含む数軒ほどの施設は、何処へ消えてしまったのか…?
「どうだい…?おったまげたろう!」
「うはぁー。これはぁー、でかすぎとちゃうかぁー?」
棟梁の横に立つメルが、呆れたような顔になった。
歓楽街の建設費用は、妖精女王陛下のポケットマネーから賄われる。
ユグドラシル王国の国庫からメルにお小遣いが支給されていたけれど、大した額ではない。
「こんなに立派なもんは、頼んでおらんわ。わらし、支払いがでけへんヨ」
「ぐはははっ…。支払いに関しては、心配いらねぇー。ユグドラシル王国国防総省から、国家事業だって言われたぜ…!」
「ほれっ、桟橋から見てくれよ」
土木建築の精霊と大工の精霊が、得意げな様子でメルを案内した。
「ひゃぁー。すごいのぉー」
桟橋付近の土地は堅牢に埋め立てられて、広大な敷地に趣ある東洋風の家屋が建ち並んでいた。
妓楼には朱塗の柱が使われていて、扁額に大書された『楽園』の文字が立派だ。
背景の森と見事に調和した建築物群は、水辺の遊里だった。
これぞ、THE歓楽街。
「お知らせ、聞いてません」
「妖精女王陛下にも、メールが届いてると思うぞ。『砦を建造しろ!』って言われたからな」
「ぬぬっ…。マジか…?ややっ、マジだ。国防総省からのメールだ。わらし、読んでいませんでした」
「まあアレだ。こんくらいでかくねぇと、結界魔法を仕込めないからな。ここは、ちょっとした迷家になっている」
「親方たちには、とんでもない仕事を頼んでしまった。スンマセン」
「気にするねぇー。オイラとメル坊の仲じゃねぇか!」
ヘロヘロに疲れ切った大工の棟梁が、やり切った顔でメルの背中をどやしつけた。
土建屋の親方も、メルの頭をワシャワシャと撫でた。
メジエール村になぞらえてミジエールと名付けられた歓楽街には、ユグドラシル王国国防総省より派遣された多くの精霊たちが住み着いた。
水棲の精霊であるセイレーンやサハギンが、人に化けて歓楽街を運営することになったのだ。
これはユグドラシル王国国防総省の意図するところである。
当初メルが計画していたものではなかった。
ミジエールの歓楽街は、タルブ川を遡上してメジエール村へ侵入しようとする危険な敵への備えとなった。
概念界のユグドラシルが、現象界に重なろうとしている現在。
ユグドラシル王国国防総省にとって精霊の子が御座すメジエール村の守備は、最重要事項であった。
バルガスたち冒険者も、冒険者ギルドの拠点をミジエールに移転させた。
メジエール村には冒険者たちの仕事がなかったし、サハギンを相手に訓練すれば剣の腕も上がる。
「第一…。メジエール村で無駄飯を食らっていると、肩身が狭い。メルは冒険野郎一番星なんだからよぉー。少しは冒険者の気持ちを汲んでくれ」
「そう言うものですか…」
「村の役に立てりゃ、俺たちもでかい顔ができるようになる」
「もしかして、妓楼があるからじゃないの…?」
「……………」
バルガスは視線を逸らして、メルの問いに答えなかった。
どうやら冒険者のバカ垂れどもは、美しいセイレーンの姐さんたちを相手に夜の冒険がしたいらしい。
「お相手は、人外ですぞ…」
「ふっ。上等だ。冒険者が冒険しないで、どうするよ!」
「何もかも吸われて、ミイラになってしまえ…」
つい先日、好奇心に負けて薔薇の館で姐さんたちに弄ばれたメルだけれど、他人の事は平気で詰る。
妖精女王陛下は、生まれたときから偉いのだ。
態度がでかいとも言う。
メルはミジエールに配属された精霊や妖精たちを労おうと、妓楼が有する庭園の一郭に精霊樹の苗を植えた。
そして、精霊樹の管理を三の姫に任せた。
「あたし頑張ります」
「うん。ほどほどに頑張ってなぁー」
「いいえー。お世話する精霊樹を預からせて貰えて、嬉しいんです。精一杯やらせて頂きます」
三の姫ことトルデリーゼは、一の姫と二の姫から下っ端あつかいをされ続けてきたので、メルに精霊樹の苗木を任されて嬉しそうだった。
「苗木を用意してくれた四の姫には、感謝です」
「ラビーには、トルデリーゼ姫が喜んでいたと伝えます」
「よろしくお願い致します」
トルデリーゼが、ペコリと頭を下げた。
妓楼の楼主は水蛇だった。
妓女たちからは、『ザスキア母さん』と呼ばれていた。
ザスキアはミジエールの歓楽街を支配する、ボス的な存在でもあった。
「妖精女王陛下に於かれましては、ご機嫌麗しく…」
「うんうん。わらしなぁー。ゴージャスな街ができて、ご機嫌よ」
「この度は我らを召喚して頂き、恐悦至極にございます」
ザスキアはメルに向かって、感謝の言葉を述べた。
「それなぁー。ユグドラシルの危機管理局で決まったことじゃ。わらしに礼を言う必要は、ありません」
「たとえ、国防総省の決めたことであっても…。我らを召喚して下さったのは、妖精女王陛下でございますから…」
東洋風の着物を纏ったザスキアの姿は、美しく妖艶である。
その佇まいは、淑やかでありながら独特の風格を感じさせる。
ちょっとした目つきや所作に、霊妙な雰囲気が溢れだす。
神々しさと言えば、良いのだろうか…。
「いわゆる、水神さまやねぇー」
「フフッ。そのように御大層な身分では、ございません」
ザスキアが静かに面を伏せた。
滅ぼされた種族に、水神の称号は相応しくないと言うことだ。
セイレーンやサハギンたちも、暗黒時代に滅ぼされてしまった種族である。
概念界にのみ存在するモンスターたちは、現象界への復活を夢見てメルのもとに集まっていた。
滅亡した種族たちは、現象界で忘れられてしまえば概念界からも消滅する。
彼らには精霊として現象界に身を置き、人々の記憶に自分たちの存在を印象付ける必要があった。
「わらしは、女将を召喚した。でもって…。女将は、わらしを助くる。お互いさまヨ」
「なんと勿体なき、お言葉…」
「畏まらんでエエがな。みんながあっての、妖精女王陛下じゃ!」
メルは腕組みをして背筋を反らせ、『ニシシッ…!』と笑った。
そんなメルをセイレーンやサハギンたちは、微笑ましそうに眺めている。
態度が偉そうなのに、持ち上げられると照れくさそうな顔で身体をクネクネさせる少女は、何とも言えず可愛らしい。
「ワシらの女王さまは、ほんにめんこいのぉ…」
「ゆくゆくは…。さぞかし立派で美しい女王さまに、おなりでしょう」
「おいら、楽しみだぁー」
ついつい守ってあげたくなる、稚い主人であった。
◇◇◇◇
「女王グウェンドリーヌよ…!」
『女王の間』で水盤を覗き込んでいたエルフの老婆が、トランス状態から回復して声を上げた。
「ふむっ。してイルザよ、どうでしたか…?」
「ワシの水盤は、これより先の兆しをナニも映さぬ。何とも、摩訶不思議なことじゃ…!」
「……そうですか。イルザの占術を用いても、未来は見えませんか」
世界樹から切りだされた椅子に腰かけて、女王グウェンドリーヌがエルフの老婆イルザに頷いて見せた。
「役に立てず、申し訳ないのぉ…」
「いいえ。先見の水盤が未来を映さずとも、わたしの確信は深まりました」
「ワシには、よう分からん。トシを取り過ぎたせいで、近頃では満足に頭が働かぬわ。この地に移り住んで、凡そ千年の歳月が経とうか…。我らは力を合わせて、あの辛い暗黒時代を乗り越えてきた。今や我が国の地盤は固まり、近隣諸国による干渉も許さぬ。貴女さまが築かれたミッティア魔法王国は、押しも押されもせぬ大国へと成長を遂げたのですぞ。この期に及んで、女王グウェンドリーヌは何を憂いておられるのか?」
「クリスタです!」
女王グウェンドリーヌは椅子の肘掛けを指で叩きながら、吐き捨てるように言った。
「く・り・す・た…。あの…、あの災厄の魔女。滅国のクリスタかぁー?」
イルザが皺くちゃの顔を歪めた。
「そのクリスタです。調停者どのが、ウスベルク帝国の件に絡んでいるのでしょう。屍呪之王をミッティア魔法王国の管理下に置こうとしたのですが、一向に計画が捗りません。わたしの手元に届く情報まで、二転三転して要領を得ないのです」
「慧眼の能力は…?女王グウェンドリーヌの先見は、何か手がかりを示しておらぬのかい?」
「不吉…」
「不吉…?」
「よい色が見えません。立ち込める濃霧に向かって突き進めば、良からぬことが起きそうです。さりとて手をこまねいていては、ミッティア魔法王国の存続が危うい」
女王グウェンドリーヌが授かった慧眼の能力は、漠然とした不安を掻き立てるだけで解決方法を示さなかった。
事態はイルザが想像していたより、遥かに深刻であった。
「そんな…」
「魔法軍の諜報部も七人委員会も、役には立たちませぬ。あらゆる情報が、強い力で歪曲されているようです。先見さえ、まともに働きませんから」
「ううむっ…。ワシの占術だけでなく、慧眼の能力までが働かぬとなれば…。その原因は限られますぞっ!」
「わたしは、クリスタが精霊樹を復活させたと考えています。おそらくは、我らの現象界に概念界が接触しているのでしょう。それも、未来が揺らぐほどの勢いで…」
「女王グウェンドリーヌよ。貴女はご自身が口にした意味を理解していらっしゃるのか?」
イルザは動揺を隠せずに、声を震わせた。
「勿論です…。精霊樹は、一本や二本じゃありません。こうしている間にも、どんどん増えている」
女王グウェンドリーヌの返答は、簡潔かつ直截的だった。
そこにイルザの不安を和らげようと言うような思いやりは、欠片も見いだせなかった。
熱い鉄板の上に置かれた猫は、飛び跳ねて踊る。
人間もエルフも尻に火が付けば、じっとしては居られない。
「ウスベルク帝国を追い詰めたつもりでいたのに、このていたらく…。こうなると、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵を切り捨て、我が軍を引き揚げさせるべきかも知れませんね。なんにせよ、クリスタとの衝突は避けなければいけません」
「クリスタが世界樹を復活させたのであれば、ワシらは勢いを盛り返した妖精たちに、罪を問われますぞ」
「負けると分かっているのなら、罪を認めることになっても闘いは避けるべきでしょう」
「しかし、女王よ」
「わたしは、戦いませんよ」
女王グウェンドリーヌの言葉を聞いて、イルザが力なくしゃがみ込んだ。
(滅国のクリスタを敵に回すなど、冗談ではない…!)
あんな怖ろしい女と戦うことは出来なかった。
「しかし…。参りましたね」
何一つとして打つ手が思い浮かばないのに、何かをせずにはおれない焦燥感に炙られる女王グウェンドリーヌであった。








