無垢な心
お久しぶりです。
ノートPC買いました。
液晶ディスプレイが大きくなったよ。
そんでもって、お小遣いはパァーじゃ!
メルがギルベルトと一緒に薔薇の館を訪れたのは、帝都ウルリッヒに巣食う薬漬けの貴族たちを排除するためだ。
手っ取り早く危険薬物の流通を止めるのが、まず第一の目的であった。
第二の目的は、エドヴィン・マルティン老人と危険薬物の関連性を調べることだった。
ゴットフリートことロペスが、薔薇の館に危険薬物の販売記録などを残しているだろうと踏んでの襲撃である。
どちらもギルベルトだけで達成可能な、メルの同行を必要としない任務だった。
であるなら、何故にメルがついてきたのかと言えば、それは大人の世界に興味を惹かれたからだ。
メルの男子高校生な好奇心が、夜のお店と聞いて居ても立っても居られなくなったのだ。
しかし…。
(うわぁー。これはダメだ。前世の僕が、ドン引きしてるよ…)
美女たちの我儘ボディーに囲まれて、子犬のように撫で繰り回されながら、メルは死んだ魚のような目になった。
(脂粉と香水の匂いが、キッツイです。おっぱいも、こんなに沢山あるとウザイ…)
そして何より、浮気をしているようでラヴィニア姫に申し訳がない。
「わらし、やっぱり帰ります」
「えーっと。ユグドラシル王国代表のお嬢さまは、先ほどの殿方を待たなくても良いのでしょうか…?」
「おひとりで帰られるのは、危険です」
「お連れさまの用事が終わるまで、わたしどもと一緒に待ちましょう」
女たちは巧みにメルを引き留め、薔薇の館から出て行かせまいとする。
メルのカボチャパンツは、お尻が見えるほど引き摺り下ろされ、青い腹掛けも半ば脱げかけていた。
(こいつら…)
女同士なのに…。
幼気な少女を脱がせて、どうしようと言うのか…?
ゴットフリート・フォーゲルが陰から娼婦たちを操っているのだとすれば、これは足止めである。
美女たちにメルの身柄を押さえさせて、ギルベルトに言うことを聞かせようという腹だろう。
嘘くさい口調と底が透けて見える安っぽい演技に、メルは胸やけを覚えた。
世の成人男子どもは、こんなものに騙されているのか…?
メルは何だか悲しくなった。
(姐さんたちも、無駄なことを…。ゴットフリートは、もう終わったんだよ)
だが、それを口にすることは出来ない。
このあとギルベルトが、ゴットフリートに成り済ます予定だから。
「まあ、スベスベのお肌。お嬢さんは、なんてカワイイのでしょう」
「見てみて、ほっぺがモチモチよ」
「エルフさんの、尖がり耳ですねぇー」
「はぅ、耳はアカンよぉー。触らんでなぁー。こらっ、やめんかい。こちょばゆい!」
娼館で働く女たちは、少なからず危険薬物の影響を受けて、正常な判断ができなくなっていた。
メルを篭絡したければ、子供が喜びそうな珍しいお菓子などで釣るべきなのだ。
「うふふ。耳が気持ちいんですね」
「はぅーっ!」
さりげなく服を脱がせて触りまくったりすれば、メルがビビッて逃げ腰になるのは当然だった。
そのうえ弱点の耳を攻撃されたら、おとなしく我慢などしていられない。
「おへそに、ちゅーしますよぉー」
「全部、脱がしちゃえ」
「エイエイ…」
「ヒィッ!」
美女たちが豪華なソファーに美少女を押さえ込む図は、それなりに背徳的で淫靡な光景だ。
だけど襲われた側が、鼻の下を伸ばして興奮するとは限らない。
現にメルは、ひきつけを起こしかけていた。
「やっ、やめてくらはい…。うひゃひゃひゃ…。そんなところ、擽ったらアカンで…。やめい!」
「あららっ。暴れないで我慢すれば、だんだんと気持ちよくなってくるのに…」
「そうですわ…」
「はぁはぁ…。ならんわ、ボケェー!」
顔を真っ赤に染めて、メルが叫んだ。
性的に未成熟な樹生からすれば、美女たちの愛撫はイヤらしくて気持ちが悪い。
胃もたれするのも、仕方のないことだった。
「あっ。逃げた」
「お待ちになって…」
「だれか、あの子を捕まえなさい」
「さらばじゃー!」
好奇心は猫を殺すと言うが、まさにそれだ。
(大人の世界、コワァー!)
メルは泣きながら走って逃げた。
自業自得である。
大人の社交場。
憧れのアダルティーな世界。
毒々しい大輪の花が、咲き誇る館よ。
「サヨウナラ…!」
失望と胃もたれを抱えて、メルが呟く。
「わらし、キラキラに騙されておったよ。大人なんて、なぁーんもエエことないわ!」
はっきり言って…。
帝都ウルリッヒの露店で、インチキ臭い魔剣のオモチャを買わされて以来のショックだった。
子供だましも許せないが、大人だましに引っ掛かって悔しい。
お小遣いを騙し取られた訳ではないが、何か大切なものを失ったような気がした。
「なんか、わらし…。汚れてしまいました。背伸びなんて、するんじゃなかった」
これからは、真面目に生きようと心に誓うメルだった。
ずり下がったかぼちゃパンツを穿きなおし、解けてしまった青い腹掛けの紐をキチンと結ぶ。
精霊樹の異界ゲートを潜れば、いつものメジエール村が待っている。
心根の真っすぐな、幼児ーズの皆が待っている。
帝都ウルリッヒの闇は、アーロンやギルベルト・ヴォルフに任せておけばいい。
チョットだけ、メルには早すぎたのだ。
◇◇◇◇
最近、斎王ドルレアックは、メジエール村のあちらこちらを一人で散策するようになった。
お目付け役のドミニク老師は報告のために、グラナックの城塞へと帰還していた。
『竜の吐息』に残された巫女見習いの少女ラシェルは、すぐに暇を持て余した。
斎王ドルレアックの世話係なので、務めを放棄して勝手に出歩くことはできない。
自室か食堂で待ち続けるのは、ラシェルにとって苦行だった。
退屈で詰まらない。
そうなると、もとから美味しいものには目がなかったラシェルである。
厨房で働くオデットやラルフが、気になって仕方ない。
因みにラルフとは、ダヴィ坊やのお父さんだ。
ラルフは小柄で物静かな、婿養子だった。
それで夫婦仲は円満なので、何も問題はなかった。
オデットとラルフが食事の仕込みを始めると、ラシェルは興味深そうに厨房を覗き込む。
これに気づいたオデットは、作業の合間を利用してラシェルに料理を教え始めた。
ラシェルは少しずつ料理を学んで行った。
「オデットさん。料理は楽しいね」
「そいつは良かった。こっちは、大助かりだよ」
ダヴィ坊やでさえ嫌がる芋の皮むきや鍋磨きが、ラシェルには楽しくて仕方ない。
つまみ食いや味見なんてことも、ラシェルの心をウキウキさせる。
その日、朝食の後片付けを終わらせたラシェルは、メルに御馳走してもらった色々な料理について考えていた。
自分でも料理をするようになると、これまで以上にメルの作った唐揚げやカレーライスが気になる。
だらしなく食堂の椅子に座り、呆けたように独り言を口にした。
「あのピンク色をした謎肉は、いったい何だったのかしら…?」
弾力のある円筒状のパンに挟まれた具材は、何とも言えぬ香りがして美味しかった。
「わたしが知っているお肉とは、ぜんぜん違ってた。パンに挟んであって、美味しかったなぁー」
ラシェルの顔に、蕩けそうな笑みが浮かんだ。
「ピンク色でしたか?」
「ええっ!」
物思いに耽っていたラシェルは、いきなりビンス老人に話しかけられて飛び上がった。
「パンに挟まっていたのでしょう。それはですなぁー。たぶん、すもぉーく・さぁーもんと言う、魚の肉ですな」
「あれは、お魚なんですか…?」
「ワシもメルさんから教えて頂いたので、どのような魚かは知りません。何やら、煙で燻すらしいです。燻製の一種でしょう」
「言われてみれば、煙の匂いだったかも…。すごく柔らかかったので、燻製だと気づきませんでした」
エルフ族にも、食料を保存する様々な加工技術があった。
干し肉などは煙で燻すことも珍しくない。
だけど、鮭やマスを見たことはなかった。
イカリングに関しては、もう何が何だか分からない。
ラシェルは海を知らないのだから、イカを知っている筈もなかった。
そもそも沿岸に暮らす漁師たちでさえ、タコやイカを食べる者は少ない。
「この村に来て、美味しいものをたくさん頂きました。でも、それが何か分からなくて…。気になって、仕方がなかったのです」
「貴方の気持ちは、よぉーく分かります。ワシも、美味しいものが大好きでしてね。知らない料理を食べるたびに、色々と悩んだりしました。でもね…。それが何かを考えるのは、もう止めました」
「えーっ。どうしてでしょうか…?もう一度、同じものを食べてみたいのなら…。それが何かを知らないと…」
「多分ですが…。それが何かを知ったところで、同じものは食べられないんですよ」
ビンス老人が切なそうに言った。
「食べられないんですか…?」
「それらの料理はメルさんが拵えたもので、魔法料理なんです」
「魔法料理ですか…」
「メルさんにしか用意できない素材を用い、特別な調理方法で作られているのです。だからワシは、メジエール村に住み着きました。死ぬまで、この宿屋から離れるつもりはありません!」
マチアス聖智教会の大司教は、信者に説教を聞かせるような口調で言い放った。
「この村から離れたら、もう食べられないのですか?」
「残念ながら…。その通りと申し上げるほか、ございません」
「そんなぁー」
「ですが嘆く必要はありません…。貴女は今、大きなチャンスを前にしているのです。この広い世界で、もっとも美味しい物が食べられる場所に、貴女は居るのです。こんな幸運に恵まれて嘆いては、罰が当たりますぞ」
ビンス老人は大きく両手を広げて、食堂の煤けた天井を見上げた。
だが、その澄んだ瞳は天井を見ることなく、数々のオイシイを見出していた。
つられて天井を見上げたラシェルの脳裏にも、メジエール村を訪れてから食べた美味しい料理が浮かんで来た。
「わたしも、ここに住みたいです」
「その夢は叶いますぞ。メルさんにお願いして、美味しい教団の信徒におなりなさい。なぁーに。貴女がユグドラシル聖樹教会の巫女であろうと、何も問題はありませぬ。何故かと言えば、美味しい教団ほど尊い宗教は存在しないからです」
「はわわぁーっ」
「教主さまは、メルさんですぞ」
「入ります!」
ラシェルは、美味しい教団への入信を決意した。
更に付け加えるなら、ユグドラシル聖樹教会の斎女たちを誘おうと考えていた。
ビンス老人の布教活動は、効果抜群だった。
入信を勧めるべき相手の選択も、実に的確であった。
アーロンとは、比ぶべくもなかった。
さすがはマチアス聖智教会の大司教さまと言えよう。








