斎王ドルレアックの我儘
今日は歯医者さんの日ぃー。
夜から手術だヨォー。
行きたくないヨォー。
あと六時間以内に、異世界召喚されないかなぁー。( ;∀;)
生まれてこの方、斎王ドルレアックは、これほどまでに己の欲望を強く意識したことがなかった。
「クリスタよ。一度でよいから、私もメジエール村を訪れてみたい!」
「………お断りだね!」
「先日アナタは、ユグドラシル聖樹教会の聖典に記述された、異界門について話していたね。精霊樹の瞬間転移魔法が使えるのであれば、私をメジエール村まで連れていくのは造作もなかろう。何も困難な、長旅をする訳ではないのだ」
「ちっ…。どこで聞かれたのやら…」
エルフの耳は地獄耳。
メジエール村での隠居暮らしに慣れたクリスタは、エグランティーヌやユーディット姫と話すときに油断していた。
それを斎王ドルレアックに、こっそりと聞かれてしまったのだろう。
「盗み聞きは、はしたないよ。褒められた行為じゃない」
「むっ…。私だって、行儀ぐらいは弁えている。客間の扉に、耳を押し当てたりはしない。クリスタの声が大きいので、何となく聞こえてしまっただけだ」
「何にしてもだ。あたしがメジエール村に、オマエさまを連れていくことはない。斎王が聖地を離れるなんて、聞いたこともないからね!」
「斎王の立場を云々するのであらば…。初源の精霊樹を拝み、聖地グラナックを浄化してくれた精霊の子に、感謝の言葉を伝えたい。これは斎王として、当然の願いであろう…?」
斎王ドルレアックは、嫌がるクリスタに食い下がった。
もう絶対についていくと決めていたので、容赦なく昼も夜もクリスタに付きまとった。
まさに思いつめた子供デアル。
「えーい、鬱陶しい!もう、あたしは寝るんだよ」
「寝台の横で、おとなしくしている。アナタに迷惑などかけない」
「………中身は婆だけど、身体は乙女なんだよ。ちょっとは遠慮しないか」
「嫌だ。断る…!目を離せば、その隙に私を置いていくつもりだろう。フッ…。私はクリスタの寝姿に興味など無い。そこは安心するがいい」
「このっ、ガキが…!」
結局クリスタは、子供の我儘に勝てない。
エルフ族の間で既に最長老と目される斎王ドルレアックの外見は、凛とした美少女である。
男の娘だけど…。
「アナタは狡いから、見張っていなければ安心できない」
「あーっ、そうかい!」
「私を置いていくことは、絶対に許さない。置いていったら、死ぬまで恨んでやるからな」
「もぉーっ、煩いよ!」
部族間会議で皆を従わせるときには、美しいエルフ少女の姿をした老獪な教導者である斎王ドルレアック。
だけど、その立派な仮面を外せば、中身は一般常識も怪しい甘ったれな少年でしかなかった。
千年間の長きに渡り思春期を拗らせ続け、一寸たりと精神的な成長を遂げていない。
初恋さえ知らぬ、清楚な男の娘なのだ。
厨二病どころの騒ぎではない。
その幼さを感じさせる斎王ドルレアックの素直な部分が、クリスタの判断をあやふやにさせた。
冷徹になり切れず、斎王ドルレアックを遠ざけたい気持ちが揺らぐ。
クリスタは子供の甘えに、どうしようもなく弱かった。
何より殴ってでも、言うことを聞かせる徹底性に欠けていた。
そのうえ、うまい具合に子供を誘導する知恵や根気も、持ち合わせていない。
アーロンが緩くて締まりのない図々しい大人に育ったのは、間違いなく幼少期からクリスタに師事した結果なのだ。
客人である『調停者クリスタ』をもてなすエグランティーヌは、客間を整えながら斎王ドルレアックの傍若無人な我儘っぷりを盗み見て微笑んだ。
普段なら決して知る機会がないであろう、斎王ドルレアックの少年っぽい初々しさを鑑賞できたのは、エグランティーヌにとって思ってもみなかった幸運だ。
「エグランティーヌ。こいつをどうにかできないかね…?」
「無理です。わたしには、斎王さまに指示する資格がありません。グラナックの城塞には、斎王さまより偉い方などおりませんから…」
「っつ…。こいつが教会の統括責任者だって事実が、あたしには受け入れられそうもないよ!」
「はい…。お察しいたします」
困惑しているクリスタの気持ちは、痛いほど理解できた。
本当に斎王は、困ったチャンである。
「二人とも、私を除け者にして会話をするな!」
斎王ドルレアックが、悔しそうに愛らしい唇を尖らせた。
(斎王さまが、拗ねていらっしゃる。なんか、カワイイ…)
後ほど寝食を共にする仲の良い斎女たちに、斎王さまの新しい魅力を報告せねばなるまい。
グラナックの霊峰で精霊に仕える清らかな乙女たちは、美味しいオヤツと可愛らしいイキモノに飢えているのだ。
◇◇◇◇
「ほぉ!ここが、クリスタの隠れ家か…」
「そうだよ…」
「良質な霊気に富む、よい場所ではないか…」
斎王ドルレアックは、うんうんと満足そうに頷いた。
何のことはない、斎王ドルレアックの粘り勝ちだった。
根負けしたクリスタは、斎王ドルレアックと二人の付き人を連れて、聖地グラナックの異界ゲートを潜った。
「はぁー。まったく…。やれやれだよ」
クリスタの顔には、既に疲労感が漂っていた。
エグランティーヌも同行したがったけれど、ユグドラシル聖樹教会の長老たちから許可が下りなかった。
さすがに重要人物が二人もグラナックの城塞を空けることは許されず、エグランティーヌは留守番に残された。
エグランティーヌに師事している巫女見習いの少女ラシェルが、斎王ドルレアックの侍女役を任された。
ラシェルは笑顔が愛らしい少しツリ目のエルフ少女で、ストロベリーブロンドの髪を三つ編みにして纏めていた。
ラシェルの主たる役割は斎王ドルレアックに付き従い、日常的な雑事を手助けするコトにあった。
長老たちの一人も、お目付け役として斎王ドルレアックに同行していた。
護衛の任務も兼ねるドミニク老師は、鍛え上げた肉体が自慢の老戦士である。
四人が転移した先は、恵みの森だった。
異界ゲートの出口となった大きな精霊樹は、クリスタが暮らす庵のまえにドッシリと根を下ろしていた。
初源の精霊樹、エーベルヴァイン城の精霊樹に次ぐ、三番目の精霊樹だ。
ラヴィニア姫が初源の精霊樹から枝を賜り、初めて苗木を育てた記念すべき第一号でもある。
『助けて頂いたお礼です…』と、苗木を植えるときにラヴィニア姫は言ったけれど、とんでもない話だった。
精霊樹の守り役たちに心から謝罪し、感謝の言葉を捧げたいのは、クリスタの方であった。
彼女たちが屍呪之王を宥めてくれなければ、精霊樹の再生など夢のまた夢で終わってしまっただろう。
精霊樹の周りではしゃぐ妖精たちを見るたびに、クリスタはラヴィニア姫の優しい心遣いに胸を熱くする。
そんなラヴィニア姫が、丹精を込めて育てた精霊樹なのだ。
言葉では言い尽くせないほど、愛おしかった。
「斎王…。汚い手で、触るんじゃないよ!」
「ヌヌッ。なんて失礼な女だ」
斎王ドルレアックはクリスタの剣幕に恐れをなし、文句を言いながらも精霊樹の幹から手を離した。
「調停者殿…。この大きな樹が、初源の精霊樹でしょうか?」
「この樹は違うよ。ここは恵みの森で、メルの樹はメジエール村にある」
「左様でございますか…」
お目付け役のドミニク老師は、長く伸ばした顎髭を撫でながら、頻りと感心した様子で精霊樹を見上げた。
その腰には不届き者を殴り倒すために、頑丈そうなメイスを携えていた。
地の妖精に加護を得た、特別な金属から作られた武器である。
人族の村だからと警戒しているようだが、クリスタに言わせれば失礼な話でしかない。
(あたしのメジエール村に武器を持ち込まれるのは、不愉快だよ。あーっ、腹が立つ!)
そんな訳で、メジエール村に拠点を置いた冒険者ギルドの初代ギルドマスターを始末したのは、満月の夜に癇癪を起したクリスタだった。
フレッドたちはクリスタの後始末で、冒険者ギルドと反目せざるを得なくなった。
まあ、遅かれ早かれ、ぶつかっていたのは間違いない。
「それにしても、この森に棲む妖精たちは元気がよい。素晴らしい」
斎王ドルレアックは、精霊樹の周囲を舞い踊る力強いオーブの輝きに見惚れて嘆息した。
そのとき低木をかき分けて、大きな黒い犬が姿を現した。
かつて死にかけていたところをメルに救われた、バーゲストのロルフだった。
あれ以来ロルフは、メルから数回の祝福を受けて、以前より遥かに逞しくなっていた。
ロルフのライバルはトンキーで、その勝率は五割に満たない。
強さの順で言えば、ハンテン、トンキー、ロルフと順位がつく。
因みに、メルはロルフをクロと呼ぶ。
黒いからクロだ。
「ばうっ!」
ロルフは久しぶりに帰宅したクリスタの姿を見て、激しく尾を振りながら嬉しそうに吠えた。
「くっ、斎王さま。お下がりください。あやつは邪霊です」
「なんと禍々しい姿だ。見ろ、あの真っ赤な目を…」
「斎王さま。コワイ…」
「止めないか、オマエたち。あたしの家族を邪霊呼ばわりするんじゃないよ!」
クリスタは憤慨した。
なんともいけ好かない、訪問者たちであった。








