お食事会を終えて
メルが催したお食事会は、盛況のうちに幕を閉じた。
デザートに供した葛餅も大いに喜ばれ、冒険者たちは満足そうな顔で帰っていった。
「分かりやすくて、大変にヨロシイ!」
メルは根が単純で、想像していた以上に軽薄な冒険者たちを高く評価した。
決して冒険者たちがバカだと、貶している訳ではない。
(心の底から世間を怨むテロリストとかじゃなくて、本当に良かったよ。たとえ悪党であっても、この世界から人を減らすのは、概念界の弱体化に繋がるからねぇー)
その他にも切実な理由があり、手っ取り早く邪魔者を殺してしまうのはメルにとって悪手だと言えた。
メルがしているゲームは将棋だった。
討ち取った敵を永久に盤上から排除してしまう、チェスではない。
手駒が少なすぎるメルには、チェスのようなプレイ方法が許されていなかった。
(闘うための駒は、敵から盗んで使います。コッソリと、バレないようにね。何しろ、うちは弱いですから…。ガチンコで真正面から衝突した日には、ボコボコにやられてしまうでしょう…。もうホント、どうしようもないよね)
ゲームで言えば、軍事シミュレーションゲームのハードモードだった。
それなのにメルの領地はメジエール村だ。
ほぼ無理ゲーである。
だが都合の良いコトに、敵はメジエール村を舐め切っていた。
それもこれもクリスタが、精霊樹再生計画を秘密裏に進めてきたお蔭だった。
そうであれば、メルにだって幾つか打つ手があった。
どれもこれも汚い手段ばかりだけれど、この際、贅沢など言っていられない。
メルには樹生の記憶がある。
病気で死にかけているときに、『その臓器は、これまで僕を助けてくれたんだ!』とか言って、患部の切除を拒絶するのはアホである。
気心の知れた仲間であろうと、取り除かなければいけない場合には、きっぱりと諦めるしかない。
それが嫌なら、普段から健康管理を心掛けるべきなのだ。
組織だって身体と変わらない。
メルがイメージする疾病はガンである。
生き残るには早期発見が肝だ。
(僕の存在を敵に知られていないのが、最大のアドバンテージさ。敵が精霊の子を知ったときには、もう遅い)
ガン細胞の無限増殖が、敵対勢力を窮地に追い込むだろう。
チートはバレていないからこそ、意味があるのだ。
リアルでは、隠し通すことが重要だった。
切除されないために…。
「マルティン商会、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵、そしてミッティア魔法王国かぁー。ウハァー、敵が多すぎじゃ。最後のは国じゃん。女児が闘うには、デカすぎるんとちゃうかい!」
メルは処理すべき敵を指折り数えた。
近くにクリスタが居たなら、泣いて駄々をこねるところだ。
(クリスタは精霊樹の植樹で、走り回っているからなぁー。困っているときに頼れる大人が居ないって、精神的にキツイよ。僕がストレス性の円形脱毛症に罹ったら、どうしてくれるのさ)
クリスタが精霊樹の苗木を運んでいったのは、ミッティア魔法王国の国境付近に当たる辺境地域だった。
幾ら文句を言いたくても、そこまでメルの声は届かない。
カメラマンの精霊だって、万能ではないのだ。
「ミッティア魔法王国のボケがぁー。ウスベルク帝国を見下しくさった内政干渉は、大概にせぇ…。バスティアンのアホも、ミッティア魔法王国にロボを強請るなっ!」
メルは大きなエルフ耳を弄りながら、不愉快そうにぼやいた。
それらの敵でさえ、実際には前哨戦に過ぎない。
本命は別の場所にいた。
ユグドラシル妖精王国の妖精女王陛下が最大の敵と定めるのは、蟲の女王である。
かつて世界樹を喰い荒らし、現象界の精霊樹を残らず枯らし尽くした凶悪な蟲の軍隊と、これを率いる蟲の女王なのだ。
「グヌヌッ…。女同士の闘い…!」
ガジガジ虫の親分には、意地でも負けられなかった。
そんな事ばかり考えていたので、オープンテラスの片付けは一向に進まなかった。
片付けが終わるまでがお食事会であり、片付けは料理長の仕事だった。
フレッドとアビーがメルを手伝わないのは、余計なことをすると叱られるからである。
大切なオモチャの片付けと同じで、メルにはメルの手順があった。
誰かに手を出されると、メルがヘソを曲げるのだ。
「先ずは、残り物の確認じゃ…。よっこらせのせっ…」
メルは大鍋に残ったソバツユを保存容器に移した。
これはこれで、ご馳走に変身するのだ。
「うへへーっ。予定してたより、よぉけぇーソバツユが余りよった。鶏肉さんやシイタケさんも、タップリじゃ。やはり天ぷらを出さんかったのは、正解じゃのぉー!」
天ぷらの衣がツユを吸うので、天ぷら蕎麦にするとツユの消費が激しい。
そもそも冒険者たちの頭数が多いので、天ぷらなんて面倒くさくて揚げる気にならなかった。
もっとも一番の理由は、メルが天ぷらを必要だと考えなかったところにある。
「具ぅーのない掛け蕎麦ならまだしも、わらしが拵えたソバツユに天ぷらなんぞ要らん!」
鶏肉がゴッツリと入ったソバツユに、天ぷらは邪魔だった。
お椀に蕎麦を入れたら、その上に天ぷらを載せるのでさえ難しい。
ところで余ったソバツユをどうするのかと言うと、魔法の保存庫で冷やして煮凝りを作る。
低温保存をすれば、大量の鶏肉からでたゼラチン質がソバツユを固めてくれる。
これをあったかゴハンに載せ、刻みネギを添えて頂くのだ。
暑い夏なら、冷やし茶漬けにしても美味しい。
鶏肉とシイタケを大量に含んだ煮凝りは、ゴハンのおかずとして充分な食べごたえを持っていた。
因みに、ささみではゼラチンを加えてやらないと、煮凝りができない。
トリ皮付きのもも肉を使っているからこその、煮凝りである。
メルとミケ王子のご馳走だった。
「ミィーケさんが帰ってきたら、一緒に食べまショ♪」
メルは余った料理の確保を優先して、オープンテラスの片付けを始めた。
◇◇◇◇
緊迫状態にあったメジエール村と冒険者ギルドの対立に終止符が打たれ、メルは手習い所へ戻ることになった。
楽しかったメルの休暇は、あっけなく終わってしまった。
「明日から、手習い所かぁー。春休みほども、休めんかったわ。切ないのぉー」
メルはやるせない様子でメジエール村の中央広場に佇み、手習い所がある方角を眺めた。
夕焼け空に、千切れ雲が流れていく。
清々しいほどの快晴だ。
明日、嵐が来そうな気配は、何処にもなかった。
「雨、降らんかぁーい!」
祈っても雨は降らない。
手習い所を休めるような土砂降りは、期待できない。
「ふんっ。ボォーケン者の、ヘッポコどもめ。粘りが足りんわ!」
メルは、肩を落として嘆いた。
誰に何を言われようと勝手に出歩くメルだけれど、自分が狙われている可能性を持ちだせば、鉄壁の言い訳に出来る。
『手習い所が、冒険者に襲われるかもぉー!』と、フレッドやアビーのまえで心配そうに呟くだけでよい。
そうすれば良心の呵責なく、簡単にズル休みの許可をもらえた。
噓は言っていない。
お友だちを人質に取られたら、メルだってちょっとくらいは苦戦する。
手習い所へ通う子供たちにしても、怖い思いなどしたくないに決まっていた。
将来有望な子供たちに、トラウマ級の人間不信と対人恐怖症を植え付けてはいけない。
悪いけれど冒険者たちの面構えは、陽気に笑っていてもケダモノだった。
近くに立っているだけで、子供たちを不安にさせるだろう。
メジエール村の人々をトラブルに巻き込んではいけない。
ところでメルは、凶暴でいかつい冒険者の顏より、ルイーザとファビオラのドヤ顔の方が苦手だった。
女の子たちに睨まれると、途端に俯いてしまい何も言い返せなくなる。
「わらし、ヘタレじゃけぇー」
行儀、行儀と、くどくど注意されて、心が萎えてしまうのだ。
メルの中身は樹生なので、むしろ活発な男子たちと混ざってヒャッハーしたかった。
病弱で動けなかった前世とは違い、今なら好きなだけ走って転がって騒ぎまくれるのだ。
それなのにメルが股を開いて椅子に座っているだけでも、ルイーザとファビオラはハシタナイと顔を顰める。
「明日からまた、アイツらのしたり顔を拝まなきゃアカンのかい…!」
先生や生徒たちはみな、ルイーザとファビオラの意見に賛同した。
行儀作法に関しては、幼児ーズの援護射撃を受けられず、ひとりポッチのメルである。
タリサ曰く。
『お行儀くらい、メルも身に付けておきなさいよ!』と言うことだ。
女の子は、お淑やかにすべし。
「わらし、オトコよ…」
だれもメルの前世など知らないのだから、仕方がなかった。
また前世記憶について話しても、皆から嘘吐き呼ばわりされるに決まっていた。
ラヴィニア姫の実年齢だって、幼児ーズのメンバーたちは認めていなかった。
もっともメジエール村の誰一人として、ラヴィニア姫が三百歳を超えているなんて信じないだろう。
不思議が沢山あるメジエール村に暮らしていながら、村人たちの頭は常識に縛られていた。
村人たちは、基本的に自分が見たモノしか信じようとしないのだ。
それだけでなく、男女間の性差についても妙に喧しかった。
男がカボチャ姫のダンスを踊ろうものなら、そいつは皆から総スカンにされる。
詰まるところ作法などと言うモノは、共通認識に支えられた約束事に過ぎない。
その約束事による縛りが、メジエール村では少しばかり厳しいのだ。
「息が詰まるろ…」
そう言うコトである。
メルの前世である樹生には、膝を揃えて椅子に座る習慣などなかった。
殆どの時間をジャージかパジャマで過ごし、疲れたなら場所を選ばずに寝転がっていた。
それなのに異世界へ転生したら、今度は女性に相応しい立ち居振る舞いをしろと口煩く叱られる。
ようやく最近になって、ワンピースを着ても違和感を感じなくなったところだと言うのに、世間の連中ときたら要求が多すぎる。
「ハダカで、何が悪いとね…!」
前世に於ける入院生活の記憶が影響して、人前で服を脱いでも平気なメルである。
女性らしい繊細さとは、縁遠かった。
術後の診断や介助を受けての入浴など、入院中ともなれば医療スタッフに裸で接する機会が非常に多い。
しかも体力のない樹生は、第二次成長期に入っても性的な身体変化を経験しなかった。
そのような条件が揃っていたら、人並みの羞恥心など育つはずもない。
乙女の恥じらいともなれば、尚更だ。
当初メルがアビーのオッパイに抵抗を示したのは、奇跡だと言えよう。
それとても、幼児化のバッドステータスが作用して、今では完全に消え失せてしまった。
メルの羞恥心がどれほど希薄であるかは、ディートヘルムがアビーにおっぱいを貰っているときに、自分も口を尖らせて親指チューチューしていた場面から推察できる。
フレッドに張り合って大人ぶる癖して、ディートヘルムに向ける羨望を隠すコトさえ思いつかないメルであった。
そこには、他人の目に映る自分の姿がない。
このような存在を世間では『恥知らず』と呼ぶのだ。
まあ、メルは子供なのでセーフだった。
「男だからとか、女だからとか…。わらしには、ヨォー分らんデス」
メルは学芸会で王子さま役を希望したのに、お姫さま役を強要された児童と変わらなかった。
行儀作法とは、メルにとってその程度の意味合いしか持たない。
「手習い所、行きとぉーないわ。お腹、痛くならんかなぁー」
無病息災なので、メルは病気に罹らない。
「わらし、登校拒否児童やねん!」
とても残念な美少女であった。
メルは精霊樹の厨房に設置された保冷庫を開けて、ウーンと唸った。
「パンパンで入らんわ!」
このところお客さんも来ないのに、せっせと下拵えを済ませた素材が保冷庫を占拠していた。
どう頑張っても、お食事会の残り物を収納するスペースはない。
これでは、ソバツユの煮凝りが作れない。
「しゃぁーなし。『酔いどれ亭』の保冷庫を借りよう」
そちらはサイズが大きいし、フレッドは計画的なのでメルのような失策を犯さない。
いつだって『酔いどれ亭』の保冷庫には、充分な余裕があった。
メルの汎用ストレージに保管する手もあったけれど、そこへ入れると忘れてしまう可能性が高かった。
とくに長期の保存は駄目だ。
すぐに使わないモノは、間違いなくストレージの肥やしとなる。
「アカン…。だらしないのは、本当にアカンよ」
メルは自分の至らなさを嘆いたけれど、少しも直そうと思わなかった。
明日できることは、今日やらない。
それが自堕落と言うモノである。
お食事会の後片付けだって、半分以上は妖精たちがしてくれる。
テーブルを拭いたり、食べこぼしを処分したり。
「みんなぁー。ありがとねぇー!」
妖精たちに甘やかされて、自分の欠点を放置するメルであった。
自分に優しく、他人にも優しく。
いつも笑顔で朗らかに…。
無理はしない。
ちゃんとするのは、無理。
だって子供だもん。
「多分きっとぉー。おそらくはぁー。大人になったら、ちゃんとするぅー♪」
それが、メルのライフスタイルだった。








