精霊魔法を学ぼう
ディートヘルム(弟)を抱っこしたメルは、『酔いどれ亭』の店先で椅子に座っていた。
傍から見れば、仲良し姉弟の微笑ましい日向ぼっこだ。
ところが、『その実態は…?』と問えば、精霊魔法の基礎講座であった。
「ディー、見えますか…?」
「うん。ねぇーね。ピカピカ、とんでるよ」
「ヨウセイさんだよぉー。どのヨウセイさんですか?」
「みず!」
ディートヘルムは水色の光を指さして、迷わずに答えた。
「正解デス!ディーは、お利口さんですね。天才…。さすがは、パパとママの子ですねぇー」
メルはゆっくりとしたペースで、正しく発音した。
ディートヘルムと一緒のときには、丁寧な言葉づかいやお淑やかさに注意を払う。
大好きなディートヘルムに、粗暴な言動で接することは出来ない。
(そんな真似をしたら、フレッドとアビーにディートヘルムを取り上げられちゃうよ!)
フレッドとアビーは、メルに再教育を施そうとしていた。
(メルは女の子だけど…。僕は女性として王子さまとの出会いを求めたりしないから、言葉なんて通じればいいと思います)
こうした怠惰で投げ遣りな態度が、フレッドとアビーに危機意識を持たせてしまったのは、メルにも何となく理解できた。
フレッドとアビーは、自分たちの愛する娘がヤクザか酔っぱらいみたいな口調で喋るのをやめさせたかった。
そのためにディートヘルムを利用して、メルのヤル気に働きかけているのだ。
メルとしてもディートヘルムについて考えるなら、『今のままでは不味い!』と焦る気持ちがあった。
(僕に姉さんが居て、メルみたいだったら…。ちょっと嫌だ!)
そう言うコトである。
(弟のためだからねぇー。ここは性的な齟齬を感じても、我慢せねばならんでしょう)
メルの少年らしいガサツさは、フレッドの内面を全く想像しないところにあった。
フレッドだって、小さな娘にヤクザ口調で捲くし立てられたら、人並みに心を痛めるのだ。
(親って、ホント面倒くさいよね…。僕を女の子らしくさせても、上手くいく未来なんて想像できないのにさぁー)
本心を明かすことは出来ない。
養い親をがっかりさせたくは無いから…。
メルはネコを被る。
ケット・シーたちと変わらない。
アビーを模倣して、女性らしさを身に纏う。
メルにとって女性らしく振舞うのは、語尾にニャーをつけるのと大差なかった。
「ディー。次のヨウセイさんは…?」
「うんとねェー。ツチ!」
ディートヘルムが緑色のオーブを見て答えた。
「地のヨウセイさんです。正解だよぉー!」
「ヨウセイさん、よっつ」
「地・水・火・風の四大元素が、ヨウセイさんの種類です」
「あか、あお、きいろ…。あとぉー、みどりいろ!」
「うんうん…。よぉーく、出来ました」
フレッドとアビーがメルを女の子らしく教育しようとしているように、メルもまたディートヘルムに英才教育を施していた。
黄色みを帯びた金髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ男児が、メルの膝に乗って嬉しそうに笑う。
それは風と大地の色だった。
「ミドリの草原を吹き抜ける、さわやかなそよ風…。ディーは初代ヨウセイ王となるに相応しい、男の子ですネ!」
「こらっ、メル…。勝手にディーの未来を決めるんじゃねぇ!」
「ウギャァー!おとぉー、手加減せんか。ほっぺ、痛いわ…」
「俺の息子は、王さまなんかにさせんぞ!」
フレッドに頬っぺたを抓られたメルは、ディートヘルムを膝に抱いていたので逃げられなかった。
我が身より弟の安全を優先させるのは、メルにとって至極当然のことだった。
◇◇◇◇
「ルイーザさん、よく頑張りましたね。私の授業は、これで終了です」
手習い所の職員室にルイーザを呼びだしたマーシャ先生は、優しそうな笑みを浮かべて言った。
「ありがとうございます。マーシャ先生…」
「ルイーザさんは、地・水・火・風をしっかりと理解して、四枚の魔鉱プレートを立派に完成させました。とても良い出来です。そこで手習い所から、素晴らしい提案があります…。簡単に言えば、ご褒美ですね!」
『ご褒美』と耳にして、ルイーザは姿勢を正した。
「数年前のことですが、ウスベルク帝国に魔法学校が開校されました。それも帝都ウルリッヒにある、エーベルヴァイン城の敷地内に校舎が建てられたそうです。その魔法学校が、優秀な生徒を募集しています。このメジエール村からも、何人かの子供たちを送りだすことになるでしょう」
「……そうなんですか?」
「他人事ではありませんよ。私はルイーザさんとファビオラさんを推薦しようと考えています…。魔法学校は全寮制で、生徒から授業料を取りません。もちろん、生活費も魔法学校が負担してくださいます。ルイーザさんは、精霊魔法を専門的に学んでみたいと思いませんか?」
「わっ、わたし…。もっと、たくさん勉強したいです!」
ルイーザは瞳を輝かせて、マーシャ先生の提案に飛びついた。
ルイーザの夢は、マーシャ先生みたいな精霊魔法術師になることだった。
帝都ウルリッヒにある魔法学校へ入学すれば、夢が現実に変わるかも知れなかった。
「それでは…。親御さんには、私からも口添えをしておきましょう」
「よろしくお願いいたします」
マーシャ先生は、意気込むルイーザの姿を見て満足げに頷いた。
「あっ…。それと、この話…。ファビオラさんには黙っておいてね。ファビオラさんが魔鉱プレートを完成させるまで、秘密にして下さい」
「はい」
「ご褒美で、ビックリさせたいから…」
マーシャ先生が、いたずらっぽく笑って見せた。
「わかりました。絶対に言いません!」
ルイーザは喜びの表情で、秘密を守るとマーシャ先生に誓った。
手習い所の教室では、魔鉱プレートを手にした男子生徒が得意そうにしていた。
「へへん…。オレさま、とうとう地のプレートを完成させたぜ!」
「ほぉぉーん。そりゃ、めでたいのぉー」
目のまえで魔鉱プレートを見せびらかす男子生徒に、メルが素っ気なく応じた。
「メルゥー、そんだけかよ。反応が薄くねぇか…。魔法だよ。魔法…!」
「マルセルは、わらしに何を求めよるか…?」
「そりゃぁ、アレだわ…。マルセルくん、すっごい。わらし、あこがれちゃう…。みたいなぁー。女の子らしい誉め言葉を期待しました…」
「ふぅーっ。女の子らしゅーするんは、でら難しいのぉ…」
メルは切なそうに嘆いた。
魔法料理店では髭メガネをつけたガンコ店主だが、普通にしていればキュートな女の子である。
八歳のメルは四歳のころと違って、ふとした拍子に美少女っぽい雰囲気を漂わせるようになっていた。
あと数年も経てば、周囲の男たちが放っておかなくなるだろう。
マルセルとしては早期に唾をつけておきたいのだけれど、幾ら絡んでみてもメルがなびいてくれない。
それどころか宿屋の息子(ダヴィ坊や)に邪魔されて、遊びに誘うことも出来なかった。
「マルセルは、同い年のルイーザやファビオラと仲良くせんか。メル姉は、オレと仲良しさんだ」
「オマエはぁー。チビの癖して、ちぃーとばかり生意気とちゃうんかい?」
「オレの話は、どうでもよかろぉー。しかし折角なので、マルセルには教えておいてやろう。オレとメル姉は、全裸で水浴びをする仲じゃ。オマエが割って入る余地なんぞ、これっぱかしも無いわぁー。何にせよ…。メル姉に魔法の自慢をするようでは、相手にしてもらえんぞ」
「………くっ。てめぇー。ご近所さんなだけで、どんだけ美味しい思いをしてやがるんだ。許せん!」
マルセルが心底悔しそうな目つきで、ダヴィ坊やを睨んだ。
「これが、幼馴染ってやつか…。チクショォー。まったく、勝てる気がしねぇ…」
幼馴染シチュエーションは、マルセルの憧れる恋愛パターンだった。
と言うか…。
長閑なメジエール村で思春期の入口に立ったマルセルとしては、気に入った女子に話しかけるだけで精いっぱいなのだ。
正にトライアル・アンド・エラー。
試行錯誤の連続であった。
落ち込んで自分の席に戻ったマルセルと入れ替わるようにして、これまた自慢げに魔鉱プレートを見せびらかすルイーザがメルのまえに立った。
「うはぁー。また来よった(小声)」
メルは勉強机に突っ伏したまま、憂鬱そうに溜息を漏らした。
「メルさん。これが何か分かるかしら?」
「わらし、ご存知ありません」
「それなら、教えて上げましょう…」
ルイーザは、チャラチャラと魔鉱プレートを鳴らした。
魔法王に貰った魔鉱プレートを見せれば、即座にルイーザやマルセルを黙らせることも出来るだろうが、折角の向学心を踏みにじるような真似は良くない。
妖精女王陛下の立場からすれば、手習い所の生徒たちが精霊魔法に情熱を傾けてくれることを素直に喜ぶべきだった。
それ即ち、妖精と人の和合を求める姿勢なのだから…。
(それなのに、どうした事でありましょうか…?)
とんでもなく面倒くさかった。
「コレはねぇー。魔法の術式が刻印された、プレートなの。私が作ったのよ。手習い所の卒業制作です」
「おおっ。ルイーザは卒業しますか?」
メルの表情が、パァーッと明るくなった。
「何ヨォー。そんなに、私のことが嫌いだったの…?」
「いえいえ…。ちょっと喜んでしまいましたけれど、気にせんといてくらはい」
メルが気まずそうに視線を泳がせた。
「まあ、いいや。それは置いておくとして…。私の卒業制作がマーシャ先生に認められて、ご褒美を貰うことになったのよ」
「ふわぁー。ご褒美ですか…。エエですなぁー。それで、何を貰うんですか?」
「それはねぇー。ひ・み・つ…」
「……はぁ?意味わからんけぇー。アンタさん、あっちへ行ってもらえませんかのぉー!」
メルは小鬼の顏になって、ルイーザをシッシッと追い払った。
ルイーザはメルの態度を気にした様子もなく、最後まで得意そうに魔鉱プレートを見せびらかしていた。








