友だちって…
メルは立派なお姉さんとなるべく、手習い所へ通うことになった。
そもそもの発端は、アビーとフレッドの説教にあった。
「おいおい、メルよ。そのヘンテコな喋り方を何とかできないのか…?」
「あふぅーっ。今さら、何を言うてますの…?おとぉーさま」
「ねぇ、メルちゃん。耳が痛いかも知れないけれど、よぉーく聞いてね…。もしもディーが、メルのお喋りを真似したらどうするの…?」
「何か問題でも…?わらし、おかしいデスカ…?なぁーんも、問題なかろうモン!」
メルは両親の発言に逆らい、真っ向から対立した。
とは言っても、自分の話ことばが普通でない事は分かっていたので、とても気まずかった。
「オマエさぁー。そのヘンテコな話し方をディートヘルムにさせて、平気なのか?カワイイ弟が、世間で恥を掻くんだぞ」
「ぐっ…」
「ディーが、メルの話しかたを真似しなかったとしても、お姉ちゃんとしてどうなのかしら…?ディーに嫌がられたりして…」
「ぐはぁーっ!」
「この際…。ちゃんとした方が、良くねぇか?」
完全に追い詰められた。
崖っぷちではなく、崖から真っ逆さまに突き落とされた。
このような経緯があって、メルはタリサやティナが通う手習い所で、正しい帝国公用語を学ぶことになった。
「朝日が、キラキラ綺麗です。わたしは台所で、母さんを手伝ってゴハンを作ります。美味しいパンを焼きましょう。今日は家族で、お買い物に行こう。父さんが、そう言いました」
「ヨロシイ…。ダヴィくん、よく出来ました…。では、その続きからメルさん」
「あいっ」
ブラバン先生に指名されて、メルは開いた教科書を手に立ち上がった。
緊張でメルの膝が、カクカクと震えた。
メルに引っ付いてきたダヴィ坊やは、スラスラと教科書を読んで見せた。
ブラバン先生も、満足そうな様子で頷いていた。
(何だよ…。何でダヴィまで、手習い所に通うのさ。しかも、ちゃんと読めるとか…。これじゃ僕が、さらし者になっちゃうでしょ!)
ダヴィ坊やの得意げな顔が、滅茶クチャ不快だった。
「……くっ。て、て、テーブルにはぁー、ジャームのびんが置いてあいましゅ。フタが固いのでぇー、わらしにはぁー開けれません。とぉーしゃん、こえを開けてくらさい…」
「んーっ。メルさんは、ちゃんと音読の練習をしてきましたか?」
「やった。わらし、やったもん!」
メルはバーンと、教科書を床に叩きつけた。
「ヒィッ…!なっ、なな…、何ですか、その無礼な態度は…」
「スンマセン」
さっそく、手習い所の問題児童になった。
ブラバン先生をビビらせる、不良生徒の誕生だった。
教室にクスクスと笑う声が広がった。
「あいつ、スゲェー!」
「メルって、樹にぶらさがってた子だろ」
「耳がちげぇーよ。ありゃー、タダもんじゃなかんべ」
「そそっ、あの耳なぁー。数年前の精霊祭で、精霊の子に選ばれた女の子だぜ」
などと感心したように話しているのは殆どが男子で、嘲るような笑い声は女子のものだった。
お行儀の悪い女児が笑いものにされるのは、仕方のない事である。
(やらかしてしまった…。みんなから、目をつけられちゃったかな…。どうしよう?)
ウィルヘルム皇帝陛下が相手でも踏ん反り返って見せるメルなので、ついうっかりアウェーで同じような傲慢をかましてしまった。
言い訳させてもらえるのなら、教科書の音読が難しすぎてイラッとしていたのだ。
(思い通りにいかないのって、腹が立つでしょ…!)
メルは色々と自己正当化を計ってみたが、通じそうになかった。
(やっべぇー。僕は、こう言うの苦手なんだよね。教室なんて、最悪シチュエーションじゃん。メジエール村の子に、暴力を振るうのは問題外だし…。おうちに帰りたい。助けて、ママン)
手習い所の教室には、四十名ほどの子供たちが無造作に詰め込まれていた。
年齢は五歳くらいから十歳くらいまで、全員が一緒の教室である。
年長の生徒たちは、学習レベルと適性に合わせて別の教科書を開いていた。
基礎の基礎である読み書きは、ブラバン先生が付きっ切りになる。
学習レベルが高い生徒たちは指定された問題を解いて、担当の先生に見てもらうのだ。
この手習い所には、錬金術師の工房で働く師匠が教師として参加していた。
魔法薬を調合している魔女の小母さんも、三日おきくらいに顔を見せるらしい。
こうして手習い所の授業を引き受けた教師たちは、生徒に才能を見いだせば徒弟として雇い入れる。
年長の生徒たちは、それぞれに何がしかの才能を秘めていた。
親は子供に家業を継がせるより、メジエール村のために役立って欲しいと考えているのだ。
お昼休みになると、メルは女子生徒たちにどつかれながら、手習い所の裏庭に連行された。
「アンタさぁー。何さまのつもりでいるわけ?」
「ブラバン先生に失礼じゃない」
「ちゃんと喋れないチビの癖して、生意気なのよ!」
「分かるかなぁー。私たちは、お行儀の悪い子に来て欲しくないの」
背の高い女子が、メルの胸を叩くように突いた。
虐めである。
メルは邪霊や貴族のオッサンにも動じないけれど、女子による虐めと虫が苦手だった。
「ちょっと、ルイーザさん。何をしているのかしら?」
メルを拉致した女子生徒たちの包囲網を破って、タリサとティナが現れた。
その後ろには、ダヴィ坊やの姿もあった。
早い。
非常に素早い対応だった。
「まぁーた、タリサなの…。ちょっと、躾をしていただけよ。悪い?」
「小さな子を虐めて得意になるのは、年長者としてどうかと思うんですけどぉー!」
「あらあら…。虐めてなんかいませんよ。この子がブラバン先生に無礼な真似をしたから、ちょっと叱っただけです」
「ウソは止めてください。ファビオラさんはメルちゃんに、もう来ないで欲しいって言いましたよね」
「ちょっ…。ティナは、余計な口を挟まないでよ!」
ファビオラがティナに向き直り、怒りの形相で怒鳴りつけた。
タリサとティナは多勢に無勢だろうと、相手の方が年長者であろうと、一歩も退く気配を見せなかった。
颯爽とした女将軍のように、敵対する女子たちのまえで胸を張っていた。
「最初から行儀がよいなら、手習い所に来る必要もないでしょ。この子はね。メルは、精霊樹に生ってたのよ。お行儀なんて知らない、サルとおんなじなの…!」
「えっ…?」
『タリサたちが助けに来てくれた!』と思っていたメルは、いきなりサル扱いされて呆然とした。
(サルって何さ。全然フォローになってないんですけど…)
フレンドリーファイアだった。
味方に背中から、ズドンと撃たれた感じだ。
だが、メルに対する扱き下ろしは、そこで終わらなかった。
「そうです…。メルちゃんの常識は野生動物と同レベルなので、お勉強をしなければいけないんです。一緒が嫌なら、ルイーザさんたちが出て行けば良いじゃないですか」
「とにかく、あたしらはメルの味方だかんね。文句を言うやつは、張り倒すよ!」
「サルにお勉強をさせて、何の得があるのよ…?メジエール村に役立つ人たちこそ、手習い所で学ぶべきじゃないかしら…?そう思いませんこと、皆さん」
「そうよ…。ここは乱暴者や、なぁーんにも才能がない子供は、来ちゃいけない場所なのよ」
「ふーん。アンタたちより、メルの方がずーっと値打ちがあるわ」
タリサは意地の悪そうな笑みを浮かべて、集まっていた女子たちを見まわした。
「バカを言わないでくださるかしら…。その子の何処に、価値があると言うの…?」
「ルイーザさん、甘いものがお好きでしたよね。焼き芋は、ご存じかしら?」
「そのくらい知ってるわよ。それがどうしたのよ?」
「あのおイモは、メルちゃんが流行らせたんです。たくさん育てて…。いま植えられているおイモは、メルちゃんが株分けしてくれたものですよ」
「……なっ」
ルイーザがティナの台詞に動揺して、棒立ちになった。
そこにタリサが追い打ちの攻撃を仕掛ける。
「それと砂糖ね。これまでは、帝国産の砂糖を行商人から高値で買うしかなかったけどさ。今年っから、ウチの店で安く売り始めるよ。メジエール村で、作れるようになったからね」
「だから何よ。そんなの知ってるわ。私のお父さまも、砂糖の精製工場にオカネを投資しているのよ」
「ウチの畑でも、材料になる大根を育ててるわ。だから、何だと言うの?」
「……まさか?」
「ふふん。その作物も工場も、メルがいなければ存在しなかったんだよ」
タリサはルイーザに指を突き付けて、言い放った。
「ウソ仰い!」
「うわぁーっ。なに、こいつら。面倒くさい。疑うなら、ファブリス村長に聞いて来いよ。馬鹿じゃねぇの!」
ダヴィ坊やがメルを庇うように立って、女子たちを罵倒した。
ダヴィ坊やの後ろでメルは、『サル』について思案していた。
(僕って、サルと同じレベルなのか…?ディートヘルムは、お姉ちゃんがサルなのは嫌だよね。嫌われちゃうかな…。僕はダメ?)
メルはシクシクと泣いていた。
「メル…。こんな連中は、放っておこう。何よ…。助けに来てあげたのに、泣くんじゃない!」
メルが泣いているのは、タリサのせいだった。
◇◇◇◇
授業が終了して帰路についた幼児ーズは、メルをまん中にして姦しい。
「あたし、助けたよね。メルはトモダチだもん。虐められそうになったら、何度でも助けて上げるよ。トモダチだもん!」
「ありあと…」
「わたし、張り切って声を上げたら、甘いものが食べたくなりました…。アイスクリームとか」
「そう言えば、さいきん食べてないぞ」
「お作りしませう…。いやっ、是非とも作らしてつかぁーさい」
メルは脅迫じみた催促に、力なく頷いた。
「あたしさぁー。メルが作ったカリーラース、久しぶりに食べたいかも。あーっ、でも無理強いしてるみたいでイヤだな。こう言うのって、さりげなく作ってもらうのが嬉しいよね。気持ちが通じ合うってやつ…?トモダチ同士で、何となく気が合って嬉しいの…。分かるよね。トモダチだもん」
「オレはピザが好き。お肉の薄切りが、たぁーくさん載ったやつ。あと、トンカツ定食も食べたい。トモダチだから」
「トモダチって、いいですね」
「うんうん…。みんな助けてくえて、アリアトォー!」
妙に『トモダチ』が強調された会話だった。
だけど幼児ーズはメルの尻拭いをしてくれたのだから、文句など言えるはずも無かった。








