魔法学校の開校日
空は青く晴れ渡り、涼しい風が吹いていた。
花香る、春の風だった。
この日、チルは魔法学校に入学する一生徒として、セレナやキュッツと共にエーベルヴァイン城の門をくぐった。
言うなれば、生まれて初めての経験なので、呆れるほど広い城の敷地に驚き、あんぐりと口を開けた。
どんだけ…。
どんだけ貴族たちは、見栄っ張りなのか…?
間近に城を見上げた三人の顏が、大きすぎる建造物に鼻白んだ。
「山だ…」
「これは山だよ」
「山で間違いないね…」
「「「貴族って、絶対にバカだ…!」」」
三人は城を建物と認めないことにした。
記念すべき魔法学校の開校日を迎えて、大勢の入学希望者が精霊樹の根元に集合した。
殆どは幼さを残す遊民の子供たちで、薄汚れた衣服を纏い、痩せこけていた。
フレッドやチルたちが声をかけて集めた、遊民保護区域の子供たちだ。
なので救済を必要とする孤児が、優先されていた。
彼らに衣食住を与え、妖精たちと仲良くしてもらうのが当面の目標だった。
そのようにメルから指示を受けて、チルたちは張り切ったのだ。
校庭に集まった入学希望者を見まわすと、場違いな雰囲気の連中が目に入る。
身分の高そうな大人たちだった。
「怪しげなオッサンが、チラホラと混じっている」
「あーっ。あいつらねぇー。なんで大人が、此処に居るのかしら?しかも、どことなく貴族っぽいし…」
「メルちゃんの話によるとぉー。魔法庁の魔法研究者とか、騎士団の人が混ざっているらしいよ」
「あいつらに、施しは必要ないだろ!」
魔法学校は魔法を学ぶ場所だけれど、入学希望者を集めるときの謳い文句は、安全と衣食住の提供である。
キュッツが怒っているのは、孤児たちに用意された枠を大人に奪われたと思ったからだ。
「大丈夫だよ。あいつらは、員数に含まれていないから…」
「そうなの…?」
「だって、メルちゃんだよ。メルちゃん、偉そうなオッサンが大嫌いじゃん!」
チルは訳知り顔で、ムフフと笑った。
「それじゃなにか…。あのオッサンたちは、見せしめなのかよ…?」
「うん…。メッチャ恥を掻かせて、蹴りだすんじゃないの…」
「イヤイヤ…。あの人たち、お城の偉い人でしょ。そんな事したら、不味くない?」
帝都ウルリッヒでは、繁華街を散歩しただけで衛兵に追い散らされるのが、浮浪児の日常である。
フレッドたちに拾われて以前よりマシになったとは言え、セレナが『偉い人』を怖がるのも至極当然だった。
「セレナ…。あたいたちのメルちゃんは、妖精女王さまなんだよ。ウィルヘルム皇帝陛下より、ずっと偉いんだ。胸を張ろう!」
何故かチルが、偉そうに踏ん反り返った。
見上げる精霊樹の周囲には、嬉しそうに妖精たちが飛び交っている。
こんなに沢山の妖精を目にするのは、チルも初めてだった。
気分が高揚して踊りだしたくなる。
(妖精女王陛下、万歳!)
チルは心の中でメルを讃えた。
ここで何が起きようとしているのか、チルには想像できた。
とても良いコトだ。
「みんなが妖精さんたちと仲良くして、強い子に生まれ変わるんだ。そうしたらさ…。もう貴族なんて、怖くない」
「そう言うもんか…?」
「うーん。チルが言うんだから、きっと本当なんだよ」
「明日が、待ち遠しくなる。その先にだって、ワクワクが沢山…!」
セレナやキュッツの胸にも、新しい未来への希望が芽生えた。
瞳に生気が宿り、背筋もシャンと伸びる。
「それにしても、キレイな建物だな…。大きくてピカピカだ」
「あれは校舎だね。あそこで魔法を教わるんだよ」
「向こうの建物はナニ?」
「生徒が住む学生寮です」
「立派だなぁー、って…。なんで、チルが知ってるんだよ?」
キュッツが不満そうな顔で、チルを睨んだ。
「えへへ…。実はあたい、待ちきれなくてさぁー。メルちゃんにお願いして、見せてもらったの…。ここはぁー。地下迷宮を使えば、城門を通らずに来れるんだよ」
「キタネェ―。狡い。チルだけ、特別扱いかよ!」
「抜け駆けじゃん。チルって、そういうところあるよねぇー。わたしは、置いてきぼりにされて悲しい」
「だって、アンタたち地下迷宮が苦手でしょ。怖い、怖いって」
二人に責められても、チルは全く動じなかった。
「そんなの…。メルちゃんと一緒なら、ちぃーとも怖くないよ!」
セレナがチルの肩をつかんで、ゆさゆさと揺らした。
精霊樹のまえに設えられた演壇に、灰色の長衣を纏った背の高い老人が立った。
鍔広の三角帽子は、現在でも魔法使いが好んで使用するものだった。
老人は三角帽子を脱いで、入学希望者たちに挨拶をした。
「さて、お集りの諸君…。本日は天候にも恵まれ、何とも気分の良いコトじゃ。わしは妖精女王陛下より依頼を受けて、このたび魔法学校の校長を務める事と相成った、古い精霊じゃ。『魔法王』と言う名があるのじゃが、諸君には親しみを込めて校長先生と呼んで欲しい。このような活躍の場をお与えくださった妖精女王陛下には、感謝しかない。わしの喜びは、働きによって示されるだろう。カビの生えた爺ではあるが、力の限り諸君を導こうと思っておる…。共に力を合わせて、頑張りましょう」
魔法王は温かな笑みを浮かべ、生徒たちに向かい、一礼した。
長く伸ばした白ひげが、春の風にそよいでいた。
「それでは諸君に精霊文字を教える、四名の先生方を紹介しよう」
魔法王の招きに応じて、フード付きの長衣を着た精霊たちが演壇に上がった。
「フムッ。向かって右から順に、グノーム(地)、アクエ(水)、ヴルカン(火)、プラーナ(風)じゃ。わしの眷属であり、弟子とも言えるのぉー。それぞれの先生方が、諸君に正しい精霊文字と、精霊魔法に必要な魔法紋の記載方法を教えてくださる」
魔法王の演説が続くなか、魔法庁から派遣された魔法研究者たちは嘲るような様子で、私語を交わし始めた。
本物だとか、偽物に違いないとか、実に喧しい。
「こらっ。そこの…。恥を知りなさい。子供らが、真面目に聞いておるのじゃ。何故、大人がガチャガチャと私語を交わすのか…?なんとも、嘆かわしい限りじゃ。礼儀を弁えられぬなら、早々に立ち去るがよい!」
魔法王は、魔法研究者たちを叱りつけた。
「いや、ご老人。申し訳ないが…。其方が『魔法王』を名乗りおるのは承服できぬ。どれだけ魔法学に優れておるかは知らぬが、幾らなんでも行き過ぎた騙りであろう…。『魔法王』と申せばだ。この世界における魔法学の、象徴であらせられるぞ!」
「そうじゃ…。精霊と名乗るのも、実に怪しい。私は魔法に携わり、七十過ぎまで生きたが、精霊なんぞ一度も見たこと無いわ。嘘っぱちも、大概にせんか!」
顔を紅潮させた魔法研究者たちが、魔法王に怒りをぶつけた。
魔法学校へ入学しようとやって来た大人たちの態度は、多種多様だった。
憤慨する者もいれば、意地の悪そうな笑みを浮かべる者もいた。
その反対に、魔法王の話を静かに聞く者もいた。
「其の方が…。飽くまでも『魔法王』を名乗るのであらば、証拠を見せるがよい」
魔法博士と思われる一人が、勝ち誇った様子で魔法王に言い放った。
「なるほどなぁー。妖精女王よ。玉のなかに、石ころが混ざっておるぞ」
魔法王が悲しそうに告げた。
「なんと…」
「言うに事欠いて、我らを石ころ呼ばわりか!」
「口が過ぎるぞ、傲慢な狂人めっ!」
「ここを何処だと心得おる。ウスベルク帝国の中枢、エーベルヴァイン城であるぞ。勝手に浮浪児なんぞを集めよって、臭くてかなわん…。出て行くのは、オマエらだ!」
子供たちが喚き散らす大人を見て、怯えだした。
メルの思惑もあって、集められた入学希望者には小さな子供が多かった。
この一部始終を校舎の窓から眺めていたメルは、ウィルヘルム皇帝陛下に訊ねた。
「こえで、納得したか?」
「あの、あのバカ者どもめが…!」
「トッケンシャーなんて、あんなものデショ…」
「いや…。あれほどとは…。命令違反も甚だしい。くっ、腐っておる」
ウィルヘルム皇帝陛下は、悔しくて歯ぎしりをした。
せっかく、メルを拝み倒してウスベルク帝国からの参加者を認めてもらったと言うのに、優秀だと信じていた魔法博士たちは、全く状況を理解していなかった。
怒りと恥辱で、ウィルヘルム皇帝陛下の顏が真っ赤に染まった。
「コォーテェー、部下に舐められておゆ…。アカンのぉー!」
メルは両手を広げた『呆れました』のポーズで、首を横に振った。
「申し開きも出来ませぬ…!」
「魔法王は、ヒトを傷つけん。やさしい、お爺ちゃんデス。あやつらが相手では、何を証明したって難クセつけらえうだけヨ…。おまぁーが何とかせんのなら、悪魔王子に頼むわ。そぉーなゆと、血塗られた開校日になってまう」
「………クッ!」
「不吉じゃー。テェーコク、もぉー終わってしまうかもな」
メルが意地悪そうな笑みを浮かべた。
小鬼の顏をしていた。
ウィルヘルム皇帝陛下は、足の指をブーツの中でモゾモゾさせながら畏まった。
(ミッティア魔法王国を傘下に収めるまでは、忌まわしい貴族病(水虫)から解放されぬと言うのに…。更なる呪いをかけられでもしたら、気が狂ってしまうぞ!)
ウィルヘルム皇帝陛下としては、何としてもメルの機嫌を取る必要があった。
「妖精女王陛下…。宜しければ、不埒者どもの処分をウスベルク帝国に任せて頂きたい」
ウィルヘルム皇帝陛下は跪いて、メルに嘆願した。
「よい…。良きに計らえ」
メルが鷹揚に頷いた。
「フーベルト宰相、『魔法王』を罵った連中は把握したな?」
「全員の顔と名前は、しっかりと私の頭に入っております。ヴァイクス魔法庁長官とルーキエ祭祀長から、入学希望者のリストは頂いておりますので…」
「あれらは全員、皇帝の命に背いた反逆者どもだ。問答無用で、引っ括れ!」
「御意…」
フーベルト宰相は衛兵隊を引き連れて、反逆者の捕縛に向かった。
校庭に集合した入学希望者の中から、いっとき野太い悲鳴や抗議の声が上がり、行儀の悪い大人たちは連行された。
「うむっ、過ちは正さねばならぬよ。子供らが見ておるでな…!」
演壇に立つ魔法王が、満足そうに頷いた。
魔法王による入学式の挨拶が終了すると、入学希望者たちは晴れて魔法学校の生徒となった。
魔法学校には入学試験などなく、無礼者を除けば全員が合格だった。
意外なことに、騎士たちが欠けることなく残った。
モルゲンシュテルン侯爵領で魔導甲冑の脅威を目の当たりにした騎士たちは、既得権益にしがみつく魔法研究者や聖職者たちと違い、魔法学校に一縷の望みを託していたのだ。
彼らは虫けらのように壊滅させられた部隊の、数少ない生き残りである。
その表情には、戦場での悔しさに裏打ちされたひたむきさがあった。
だから幼児のような子供たちと一緒に扱われても、卑屈さや不満を見せることはなかった。
メルと魔法王は、騎士たちを合格とした。
(さてと…。ミケさん、出番ですヨ)
魔法王と四名の先生に案内されて食堂へと移動した生徒たちは、せっせと立ち働くケット・シーを見て狼狽えた。
ケット・シーたちは、『猫まんま』の制服となった白のコックコートを着ていた。
頭には同じく白いコック帽子を載せて、食堂内を走り回る。
「ネコ…。ネコが二本足で歩いてる」
「白い服を着てるし…」
「ひゃぁー。この猫ちゃん、お喋りする」
「ケット・シーだ。本物だよ」
「妖精猫族って…。お話の中にしか居ないと、思ってた」
ちいさな生徒たちは、可愛らしい給仕さんに夢中だ。
粗暴な大人たちに怯えていた子も、初めて見るケット・シーに心を奪われてしまった。
「いやん、カワイイ…」
「ネコちゃん、わたしの所にも来てぇー」
「いま、忙しいニャ。あとで行くニャ」
ケット・シーたちは、大きな葉っぱの包みをテーブルに配っていた。
スープカップを配膳している者もいる。
みんな、大忙しだった。
「猫さん。なにこれ…?」
テーブルに着いた生徒の一人が、とうとう我慢できなくなって訊ねた。
「猫まんまの、お弁当だニャ。猫まんまは、お店の名前ニャ」
「食べていいの…?」
「紐をほどいて、葉っぱを広げるニャ」
包みを開けると姿を現すのは、中華風の山菜おこわだった。
まん中には、ボリュームたっぷりの角煮と、半分に切った味付き卵が埋まっていた。
「すげぇー」
「ふぉーっ、肉だ。これは、肉に違いない。でっかい欠片だ!」
「美味しそう…」
「いっ、いただきます!」
生徒たちはレンゲを握って、さっそくお弁当を頬張った。
「おいしいー。こんな美味しいの、食べたことがない」
「スープもあるニャ。キノコのあっさりスープを飲むニャ」
「これ、丸くて黄色い。これは、ナニ?」
「ゆで卵ニャ。白いところは白身で、黄色いのは黄身ニャ」
「うわぁー。おれ、卵って初めて」
食堂は大騒ぎである。
ニャーニャ―、ニャーニャーと騒々しい。
(ミケさんたちの語尾は、やっぱりニャーだったね)
メルとしては大満足だった。








