ウィルヘルム皇帝陛下の企み
妖精女王との謁見を許されたウィルヘルム皇帝陛下は、信頼できる配下の者たちと会議室のテーブルを囲んでいた。
フーベルト宰相、ヴァイクス魔法庁長官、ルーキエ祭祀長の三人。
メンバーはいつもの通りだ。
公式な政ともなれば、元老院に諮らなければならないけれど、現状に於いて精霊樹と妖精女王の存在は秘匿されていた。
だから妖精女王との謁見も、内々の顔合わせと言った意味合いが強かった。
もっとも、それはウィルヘルム皇帝陛下の側が、勝手に思い込んでいるだけであった。
ウスベルク帝国建国以来の忌まわしき呪いであった屍呪之王が滅せられ、帝国民を狂気に染め上げる悲惨な封印の儀式は不要となった。
ウィルヘルム皇帝陛下は重たい岩を頭の上から取り除かれたような、晴れ晴れとした気分を味わった。
何となれば、邪霊封印のために大量虐殺を命じた歴代の皇帝たちは、例外なく精神を病み、変死していたからだ。
(危ういところで難を逃れた…)
ツイていた。
誠に喜ばしい限りである。
ウィルヘルム皇帝陛下にしてみれば、エーベルヴァイン城に精霊樹が生えた一件も、運を味方につけている証左に思えた。
本来であるなら、ウスベルク帝国を挙げて祝いたいところだ。
が…。
ウスベルク帝国は内憂外患に悩まされて、明日をも知れぬ状況にあった。
(誰か何とかしてくれ…!)
ウィルヘルム皇帝の心情を表すなら、この一言に尽きた。
得体の知れぬ呪いは、鬱々と心を蝕む。
そして明々白々な人の敵意は、キリキリと胃を締め上げる。
ウィルヘルム皇帝は、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵の叛意を知ってから胃薬が手放せない。
できれば…。
ここはひとつ勢いに乗って、モルゲンシュテルン侯爵も妖精女王に片づけて貰いたいところだ。
(屍呪之王を始末できるのだから、バスティアンの一人くらい簡単であろう…?)
どうしても、そう考えてしまう。
それなのにクリスタとアーロンは、この件に関して常になく冷ややかだった。
何とかして協力を取り付けようとしたが、相手にしてもらえなかった。
ルーキエ祭祀長の泣き落としで、どうにかこうにか妖精女王に拝謁を許されたが、クリスタの反応は芳しくなかった。
と言うより、過去の経験から推測するなら、激怒して引きこもる直前に思えた。
クリスタは腹を立てると、『調停者』の役目を放りだして失踪する。
堪え性のないエルフにありがちな欠点だった。
(クリスタさまの機嫌を損ねてはならん!)
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵の脅威を排除できずに持て余している現状で、調停者を怒らせるのは非常に不味い。
そのような事態は、絶対に避けなければいけない。
自分で自分の首を絞める馬鹿には、なりたくなかった。
ウィルヘルム皇帝は、クリスタに頼ることなく窮地を乗り切らなければいけなかった。
チャンスは、目のまえに転がっていた。
妖精女王との謁見である。
この機会を逃す訳にはいかない。
『どうすれば妖精女王を自陣に取り込めるだろうか…?』
それこそが本日、ウスベルク帝国の未来を担う知恵者たちが、真剣に話し合うべき議題であった。
「コホン…。信頼おける我が家臣たちよ。今日…。帝国は未曽有の危機に瀕している…」
「重々に承知しております…」
ウィルヘルム皇帝の言葉に、フーベルト宰相が深く頷いた。
「あの魔動機…。魔導甲冑は、恐るべき魔導具でありましょう。モルゲンシュテルン侯爵領に派遣した帝国騎士団が、大きな損害を受けて逃げ帰ったのも致し方なき事…。逆賊バスティアンめは、間違いなくミッティア魔法王国と通じておりますぞ!」
ヴァイクス魔法庁長官は、モルゲンシュテルン侯爵を売国奴と罵った。
「しかし…。プロホノフ大使が連れて来たミッティア魔法王国の特殊部隊は、地下迷宮にて壊滅いたしました。特殊部隊の報告を信じるのであるなら、二体の魔導甲冑が為す術もなく破壊されたと…。喜ばしいことに、精霊たちは我らの味方です」
ルーキエ祭祀長が、まるで自分の手柄みたいに誇らしげな顔になった。
「悪魔王子の仕業であろうが、あやつにバスティアンを討ち取るよう命じることは出来ぬ。ワシの配下ではないからな…。おそらくは、妖精女王の手駒であろう」
「でしたら陛下…。何とかして妖精女王に、お願いできぬものでしょうか?」
「ルーキエ祭祀長よ。おまえがワシに訊ねてどうする…!如何にして妖精女王に、頼みごとを聞いてもらうか…?それを考てもらうために、おまえたちを集めたのだ。存分に相談して、良い方策を聞かせて欲しい。ワシに忠義を示せ。おまえたちが有能である処を見せてくれ」
ウィルヘルム皇帝は恥ずかしげもなく、問題を丸投げした。
そのうえティーカップを口に付けながらの、上から目線である。
「そう仰られても、私には妖精女王さまのことが分かりませぬ…」
「確かに…。ルーキエ祭祀長が戸惑うのは、もっともだ。お会いしたことがないから、妖精女王の性格を推しはかろうにも手掛かりさえない」
「ヴァイクス魔法庁長官…。私の部下が、それらしき存在と接触している。おそらくは、妖精女王さまで間違いない」
「それは本当ですか?」
「アーロン殿の話を基にして、デュクレール商会に問い合わせてみたところ、『妖精女王らしき女児が、微風の乙女号に乗船していた』と言う証言を得たのだ…。アーロン殿やメジエール村の一行と、同じ便であった。船員たちは、女児の耳がエルフのようでなかったと話していた。しかし、アーロン殿は偽装の魔法が使える。耳くらい、どうとでも誤魔化せよう」
フーベルト宰相は、ヴァイクス魔法庁長官に同意を求めた。
「確かに仰る通りです。アーロン殿であれば、エルフ耳を隠すことも出来ましょう」
「フーベルト宰相、詳しい話をお聞かせ願いたい」
「フーベルト、話を続けよ」
会議室のテーブルを囲む面々は、フーベルト宰相の言葉に飛びついた。
「畏まりました、ウィルヘルム皇帝陛下…。デュクレール商会の船員たちは、例外なく間諜の修練を積んでおります。その記憶力と観察眼は、信頼に値します。そして、彼らが言うには…」
「船員どもが言うには…?くうーっ、勿体ぶるでない、フーベルトよ。早く、その先を聞かせぬか…!」
「はいっ、ウィルヘルム皇帝陛下。彼らの報告によれば、妖精女王は小さな子供と変わらぬようです。船では退屈を持て余し、連れて来たネコと遊んでいたそうです」
フーベルト宰相が、報告書を指で突きながら言った。
「なんと…。ただの子どもであるか…」
「間違いないのだな?」
「帝国公用語も片言で、甲板を歩く足もとは、甚だしく危うげであったと…。屈託のない笑みが、愛らしかったとも聞いております」
「フーム。そうなると、頼みごとの内容を伝えるのが難しくなりますな」
「子どもに、暗殺紛いの仕事は頼めませぬぞ」
「おまえたちは、アホか?そこは、悪魔王子に請け負わせればよかろう!」
こうしてウィルヘルム皇帝陛下を筆頭とするウスベルク帝国の統治者たちは、根本から誤った情報を共有する羽目になった。
ネコと遊ぶ、稚い幼女。
構って欲しくて、大人の後ろをついて回る愛らしい女児。
男どもの願望によって脳裏に描かれたイメージは、メルの実態からかけ離れていく。
不十分な言葉は、往々にして重要な核心部分をぼかしてしまう。
帆柱に向かって、全力でミケ王子を投げつけるヒャッハーな幼女。
その絵をイメージしろと言う方が、無理なのだ。
それでも『子供』と言うワードは、彼らが進むべき道を漠然と指示していた。
「ネコと戯れる妖精女王…」
「さぞかし愛らしい風景であろう」
「船員たちに、手作りの軽食も配ったそうです…。たいそう、美味であったとか…」
「ネコが好きで、料理も好き。食いしん坊な、幼児でしょうか…?何とも言えぬ、親しみを覚えますなぁー」
「はぁー。ワシも、その場に居たかったのぉー」
四人の男たちは、だらしなく口元を綻ばせた。
揃いも揃って、ニヤケ顏である。
もはや対策会議は、グダグダだった。
斯くして妖精女王を出迎える精霊宮は、ピンク色の花で美しく飾られることになった。
床や壁には、沢山のオモチャや人形が並べられた。
そこにはアマンダ皇妃のアイデアも盛り込まれて、子供が実際に入れるほど大きな、お菓子の家も用意された。
扉を開くことも出来るし、家の内部も種々のお菓子で作られていた。
小さな卓子や椅子、食器棚にタンスまで設置してあった。
可愛らしくて美味しい、お菓子の家だ。
帝都ウルリッヒのお菓子職人たちが腕によりをかけて拵えた、文字通りのスイートホーム。
明らかにメルのストライクゾーンだった。
普段のメルであれば、このような『おもてなし』を前にしたら、頼みごとを引き受けずにいられなかっただろう。
だが…。
ある意味で正解だけれど、今回に限りメルが釣られる可能性は無かった。
メルにとってラヴィニア姫との関係は、オモチャやお菓子の家より遥かに大切だからデアル。
そしてメルは、欲しいものが手に入らないと分かったとき、とてもイジワルになる。








