お披露目
先日の謁見でアマンダ皇妃は、初めて調停者クリスタに目通りを許された。
ウィルヘルム皇帝の妃として皇室に迎えられ、既に十数年の歳月が経っていた。
これまで長い間、話にしか聞いていなかった尊い存在である。
アマンダ皇妃が幼い娘のように舞い上がってしまったのも、致し方のない事であった。
伝説の聖女であるクリスタは未だに美しく、二十代半ばにしか見えない淑女だった。
抜群にスタイルの良い黒髪の古代エルフ種であり、夜の女王と呼ぶに相応しい存在感を纏っていた。
エックハルト神聖皇帝は、この地にウスベルク帝国を建国するに当たって調停者から許しを得たと、ウスベルク帝国建国記に記されている。
それなのに調停者クリスタは、謁見の間でウィルヘルム皇帝とアマンダ皇妃に臣下の礼を取り、『自分は妖精女王陛下のメッセンジャーである』と告げた。
聖なる地に精霊樹が根付き、精霊の子が誕生したのだと言う。
「ウィルヘルム皇帝よ。今後、あたしの立場は、妖精国ユグドラシルからの使者と心得て頂きたい」
「クリスタさま…。そのような国が、いったい何処にあると仰るのか?」
「今はまだ、小さな村に過ぎません。ではありますが、やがてはウスベルク帝国を併合する大国となりましょう」
「メジエール村か…。精霊樹と言えば、封印の塔を押しのけて生えた霊妙なる樹だが…」
「あれは屍呪之王を苗床として生えた、精霊樹です。妖精女王が、この地にも加護をお与えになりました」
「なんと…。屍呪之王から…。実にありがたい話だ」
ウィルヘルム皇帝は、漸くの事で悪魔王子の存在意義を覚った。
魔法庁の管理を離れて凶悪化した地下迷宮は、エーベルヴァイン城に聳える精霊樹を守るものであり、その統括責任者が悪魔王子なのであろう。
悪魔王子に寝首を掻かれる心配から解放されて、ウィルヘルム皇帝の顏に安堵の笑みが浮かんだ。
「アマンダ皇妃よ。こうして顔を合わせるのは、初めてとなりますね。クリスタと申します。お見知りおきを…」
「調停者さま。ウスベルク帝国と民を呪わしき災禍よりお救い下さり、感謝の言葉もございません」
「あたしは何もしていません。屍呪之王を滅したのは、妖精女王陛下です」
「それでも…。妖精女王陛下をお導きになられたのは、クリスタさまです」
謁見の間でクリスタと会ったアマンダ皇妃は、『この方が世界を屍呪之王から、お救い下さった…!』と正しく理解して、床に跪いた。
「ありがとうございます。調停者さま」
皇妃が自ら席を立ち、床に額づく。
前例のない行為であった。
『大勢の遊民たちや帝国民を死なせずに済んだ…!』
アマンダ皇妃の胸中には、伝説の聖女であるクリスタに向けられた、溢れんばかりの感謝があった。
昔語りの女主人公でもある『夜の女神』は、アマンダ皇妃にとって憧れの女性像だった。
実際にクリスタと顔を合わせたアマンダ皇妃が、少しばかり心臓をバクバクさせていたとしても、仕方のない事であった。
調停者クリスタを迎えた晩餐会で、ウスベルク帝国の統治者たちが話し合ったのは、ガッコウと名付けられた新しい施設の運営方針であった。
アマンダ皇妃には、理解できない政の話だ。
もっともアマンダ皇妃は、ボーッとクリスタを眺めていられたなら、それだけで幸せだった。
少しも退屈などしない。
それに、笑みを浮かべながら会食の席でおとなしくしているのは、皇妃としての務めでもあった。
皇妃の立場で政ごとに首を突っ込むのは、『よろしくない…!』とアマンダ皇妃は教育されてきた。
この点に関しては、正しくもあり間違いでもあると言えよう。
ただ、アマンダ皇妃は口を挟むべきタイミングを知る、賢い妃であった。
一方、ウィルヘルム皇帝陛下と、そのわきを固めるフーベルト宰相、ヴァイクス魔法庁長官、ルーキエ祭祀長の三人は、悲壮な顔つきである。
飼い主に無視された犬のように、塩垂れていた。
「クリスタさま…。そのぉー。平民や遊民たちの子供に、魔法学校で新たな魔法学を教えるというのは…」
ヴァイクス魔法庁長官の問いかけには、異議を申し立てる力が籠ってない。
「妖精女王のお考えです。腐った特権階級のクズ共には、何も教える必要がないと仰せでした…。己の学問にしがみつく愚か者にも、興味はないと…」
クリスタも既に決まったコトであると、ヴァイクス魔法庁長官の意見を突っぱねた。
魔法庁に勤める魔法使いたちを再教育する予定はない。
メルが説明した魔法学校は、飽くまでも子供たちと妖精たちを取り持つためのモノであった。
(今いる特権者たちに、更なる力は与えんよ。妖精たちと良い関係を取り結べるのは、権勢欲に汚れていない子どもたちであろう…)
クリスタは果実酒のグラスに口をつけ、芳醇な香りを楽しむ。
ついうっかり、口もとに笑みが浮かんでしまう。
こうして穏やかに会食が出来るのも、全てはメルのお蔭だった。
クリスタとしては、メルに提案されてメッセンジャーを務めるくらい、苦でもなかった。
むしろ楽しい。
小さな精霊の子に翻弄されるウスベルク帝国の為政者たちを眺めるのは、実に面白い。
「わが皇姫や皇子でさえ、その学び舎には受け入れて貰えぬのか…?クリスタさまが、直接に教鞭をとられるのであろう…。何とか貴女から、妖精女王に口添えをしてもらえないだろうか?」
「皇室の御子たちについては、妖精女王陛下から何も伺っておりません」
クリスタが冷たい口調で応えると、ウィルヘルム皇帝陛下は執拗に食い下がった。
「魔法学校の施設は、エーベルヴァイン城の敷地内に国費で用意するのだぞ。多少の便宜を図って頂いても、罰は当たるまい!」
「ウィルヘルム皇帝陛下…。誰に罰を当てるかは、当てる側が決める事でしょう…?それを当たらないと決めつけるのは、陛下の勝手ですけどね…」
アーロンがステーキを切り分けながら、ちょろっと口を挟んだ。
「………くっ!」
『おまゆう…?』である。
経験者は語ると言い換えるべきか…。
なんにせよ、アーロンにしては出来過ぎたツッコミであった。
「申し訳ございませんが、私もお尋ねしたい。何故に、わが帝国騎士団を魔法強化して下さらぬのでしょうか…?彼らにこそ、新しき魔法を学ばせるべきではないかと、愚考する次第にございます」
己の子供を魔法学校に入れて欲しいと要求するウィルヘルム皇帝陛下の横から、フーベルト宰相が我慢できずに口を挟んだ。
モルゲンシュテルン侯爵領の独立宣言によって、ウスベルク帝国は危機に瀕しているのだ。
どう考えても皇子たちの教育より、軍事が優先されるべきであった。
「何を仰られようとも、妖精女王陛下の決定は変わりません」
フーベルト宰相の道理を踏まえた訴えにも、事態を変える力はなかった。
そのとき、ルーキエ祭祀長がボソリと言葉を漏らした。
「妖精女王陛下が、精霊の子であらせられるのなら…」
「そうだぞ…。ルーキエ祭祀長、妖精女王は精霊の子だ。ここはルーキエ祭祀長が、代表して交渉に当たるべきだ」
「ウィルヘルム皇帝陛下…。妖精女王陛下に対して交渉など、不遜ですぞ…。わたくしは只、我が精霊宮にて妖精女王さまをお祀りしたいだけです」
「いや、ルーキエ祭祀長さま。何とかして、妖精女王陛下を説得して頂けませんか?」
ウィルヘルム皇帝とフーベルト宰相が、ルーキエ祭祀長を煽った。
「わたくしとしては…。精霊宮を預かる身として、直接に妖精女王さまとお会いし、お言葉を賜りたいのです…!」
ルーキエ祭祀長は、目に涙を浮かべて訴えた。
「お願いです。どうか…。どうか、お願い致します!」
そして晩餐の席から立ち上がると、文字通り床に這いつくばり、クリスタの足に縋りついた。
「……ひぃ!」
クリスタの口から、思わず悲鳴が漏れた。
このようなシチュエーションでは、蹴とばして終わらせる訳にもいかない。
(あたしの足にしがみつくなんて、ルーキエの馬鹿めが…。なんて真似をしおる…!)
このような事態を全く想定していなかったクリスタは、暑苦しい信仰心を前にして為す術をなくした。
晩餐のテーブルを囲む男たちは、呆気に取られて固まっていた。
咄嗟の機転が利かない、役立たずどもである。
すると見かねたアマンダ皇妃が席を立ち、クリスタの横にやって来た。
「あらあら…。ルーキエ祭祀長さま、お行儀が悪いですよ…。クリスタさまを困らせてはなりません」
「しかし、アマンダ皇妃さま…」
「お行儀が悪いです!」
「申し訳ございません…」
アマンダ皇妃は子供を諭すようにして、ルーキエ祭祀長をクリスタから引きはがした。
「アマンダ皇妃さま、ありがとうございます。助かりました」
「いいえ。こちらこそ失礼を致しました。ルーキエ祭祀長には、後ほどきつく言い聞かせておきます」
「いえいえ…。ルーキエ祭祀長も、行き過ぎた信仰心から為されたコトでありましょう」
「はい。それはそうとして…。クリスタさま…。わたくしも妖精女王さまに、お会いしてみたいですわ」
「アマンダ皇妃さまの、お望みとあらば…」
アマンダ皇妃に救われたクリスタは、迂闊にも気安く頷いてしまった。
クリスタにしてみれば、『その内には…』と言う含みを持たせたつもりでいた。
だが…。
そのようなごまかしは、無邪気なアマンダ皇妃に通用しなかった。
「まあ、ステキ…。わたくし、どんなドレスを着てお会いしたら良いかしら?」
「えっ…?」
「クリスタさま…。妖精女王さまは、焼き菓子など、お好きでいらっしゃるのかしら…。それとも、お人形とかの方がよろしくて…?」
「いや、妖精女王陛下は…。そのぉー。都合なども、色々とありますので…」
「お会いしたいです!」
「はぁ…」
「可能な限り、早くお会いしたい」
アマンダ皇妃の食いつきは激しかった。
このチャンスを逃して、またもや十年待ちとか我慢ならなかった。
「………さっ、さようでございますか?」
「はい。宜しくお願い致します」
アマンダ皇妃は、ニッコリと笑って頭を下げた。
まるで、明日にでも精霊の子に会えるような、喜びようだった。
(くぅーっ、押し切られてしまった…!何でかねェー?幾つになっても、女子供のあしらいが上達しないよ)
命がけの闘争にも動じないクリスタであるが、こうした日常的なアクシデントには、からっきし弱かった。
居丈高な男が相手であれば、如何様にも従わせる自信を持っていたけれど、可愛らしくお願いされると途端に断れなくなってしまうのだ。
「はぁー。師匠は、修行が足りませんね。もっと世間の荒波に揉まれないと…」
「喧しいわ、アーロン。減らず口を叩くんじゃない」
「痛い!」
隣の席で呟いたアーロンの足をクリスタが踏みつけた。
かくしてメルの、精霊宮デビューが決定した。
今年もよろしくねー。 (*´▽`*)








