行きとぉないわ!
メルが用意したドンブリは大きい。
カレースープたっぷりの、カレーうどんだ。
こんがりと焼き目の美しい餅が、茶色い汁の上にデーンと載っていた。
「メルー。仕上がった順に、食堂へ運ぶよ」
「まぁま…。オネガイします」
フレッドはうどんを茹で、メルが餅を焼いて盛りつける。
アビーはテキパキと配膳を担当してくれた。
「カリー餅な…。カリー少ないと、食べゆとき悲しいわ。なので、ツユは多めじゃ!」
メルは得意そうに胸を張った。
「わたしは、この薬味が好きです」
アーロンが刻みネギを箸で示した。
刻みネギは青い部位もふんだんに使われて、ドンブリに鮮やかな彩を添えていた。
爽やかな風味だけでなく、シャキッとしたネギの歯ごたえが、単調なうどんの食感に変化をもたらす。
「分かっとるじゃん。アーロン。和風ダシのカリースープに刻みネギは、相性バッチリですよ」
メルが親指を立て、グーッとポーズを決めた。
要するにサムズアップだが、メジエール村には定着していない。
グッドサインだと理解しているのは幼児ーズだけなのだが、残念ながら誰も真似しない。
「ははぁー、教祖さま。お褒めに預かり、恐悦至極にございます」
「はぁ?おまぁー、わらしをバカにしトンのか?」
『そこはサムズアップで返すべき場面だろ!』と、メルは畏まるアーロンに憤った。
「まぁたまたー。そんな訳ないでしょ」
アーロンにしてみれば、メルが怒っている理由など知る由もない。
どうにも噛み合わせの悪い、メルとアーロンだった。
(みんなが居ないと寂しい…)
『酔いどれ亭』の外に積もった雪を眺めて、メルが詰まらなそうな表情を浮かべた。
雪が降る季節になると、幼児ーズの活動も鈍る。
もう少しすれば、ダヴィ坊やが顔を見せる。
おそらく昼過ぎになれば、ユリアーネ女史に手を引かれてラヴィニア姫もやって来る。
だけどタリサとティナは、家にお籠りかも知れなかった。
みんなでワイワイとゴハンを食べられないのは、面白くなかった。
しかし雪の季節は、大人でも危険なので仕方がない。
もっと雪が積もれば、トンキーに橇を引いてもらって、みんなを迎えに行ける。
トンキー用の橇は、ゲラルト親方が作ってくれることになっていた。
(降雪の季節が過ぎれば、橇で移動できるようになる…。そうすれば冬でも、みんなと会えるヨネ)
それまでの我慢だった。
食堂で待つ一同のまえに、カレーうどんが運ばれた。
ドンブリからは湯気が立ち昇り、食堂にカレーの芳ばしい匂いが漂う。
食欲を誘う、美味しそうな匂いである。
「まあ、美味しいは言葉で語るモノでなし…。さあ、みなさん。冷めてしまわないうちに、カリーウロンを頂きましょうか!」
イタダキマスの音頭を取ろうとしていたメルは、横合いからアーロンに仕切られて目を丸くした。
メルがアーロンを嫌う一番の理由は、ここに有った。
アーロンは仕切り屋なのだ。
そして、ちょっとばかりとろいメルの頭越しに、やりたかったところを取り上げてしまう。
メルは、『グヌヌヌヌッ…!』と唸った。
メルの頭が、歌舞伎役者みたいに傾いていた。
その顔つきは、小鬼だ。
だけどアーロンは、まったくメルを見ていなかった。
たぶんメルがアーロンを受け入れる日は、永久に訪れないだろう。
「これはもう、どうしようもないね…」
その様子を脇で眺めていたクリスタは、アーロンの無神経さに溜息を吐いた。
これからメルのご機嫌を取らなければいけないのに、とんでもないバカ弟子だった。
メルを怒らせたら、どうやって帝都まで連れて行くと言うのか…?
妖精女王陛下を力ずくで動かすコトなどできない。
『ダメな子(弟子)ほどカワイイ、と言うのは嘘だ…!』
クリスタは確信した。
ゲルハルディ大司教は、ドンブリに添えられた箸を手にして遠い目になった。
(これは東方の民族が使う、カトラリー。と言うコトは、カリーラースもまた、東方の民族料理なのでしょうか…?)
箸を手にしながら、若き日に旅した東方の景色を思い浮かべる。
小振りの馬を操る騎馬民族たちは、例外なく装飾が施された筒を腰に下げていた。
そこには、箸とナイフが納められていた。
草原で狩った獲物を何処でも調理して食べられるように…。
ゲルハルディ大司教も、その筒を大切に保管していた。
東方を旅した、思い出の品だ。
(あれは、どこに仕舞ったかな。ミッティア魔法王国の実家に、置いたままだろうか…?)
懐かしさを感じながら、箸を使う。
ゲルハルディ大司教は、うどんに似た食べ物を知っていた。
啜って食べることも知っていた。
カレーうどんは懐かしく、だけど新しい料理だった。
「なんてスパイシーな、スープだろうか…!」
美味い。
その一言だった。
プリッとした歯ごたえの豚バラ肉と一緒に食べるうどんは、カレーの風味と相まって絶品である。
『美食の旅』に書き記すべき言葉が、思いつかない。
だけど著述家としての敗北感は、ゲルハルディ大司教を打ちのめしたりしなかった。
そこにはただ、美味しい料理と出会えた喜びだけがあった。
(同志アーロンが言うように、美味しいは言葉で語るモノでなし…。私がすべきは、この巡り合わせを神に感謝することなのでしょう)
ゲルハルディ大司教の謙虚さは、かつてマチアス聖智教会の聖職者たちが美徳としたところであった。
今となっては、『エルフの書』を守ってきたマチアス聖智教会も、覇権主義者たちの道具に落ちぶれてしまった。
やるせなくなったゲルハルディ大司教が、幻のカレーライスを求めて出奔したのも、仕方ない事であろう。
その結果が調停者クリスタとの出会いとなれば、これはもう神のお導きであった。
(さればカリーウロンは、神から賜ったご褒美であろう…)
心して頂かねばならぬ…!
そのように考えたゲルハルディ大司教は、カレーうどんを神酒のように味わい、スープの一滴まで残さずに平らげた。
「メルさん。とても…。とても、美味しかったです。ご馳走さまでした」
メルは心がこもったゲルハルディ大司教の言葉を耳にして、とても嬉しそうな笑みを浮かべた。
◇◇◇◇
食事が終わると、森の魔女が本題を切りだした。
「今日、ここに来た用事はね…」
「クリスタさま。ゲルハルディ大司教のまえです」
「喧しいよ、アーロン。つまらないことを口にするんじゃない」
「お邪魔であれば、席を外しますぞ」
「ビンス…。アンタはビンスだろ。それともミッティア魔法王国に、義理立てでもするつもりかい?」
「はははっ…。あり得ませんな」
「そうだろうとも…。だったら、そこに座って、あたしの話を聞くと良い」
クリスタはゲルハルディ大司教に、留まるよう命じた。
調停者の権限は、マチアス聖智教会の法王を凌駕する。
失われたエルフ王国の女王は、そもそもが信仰の対象であり、女神に等しかった。
「バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵が、ウスベルク帝国からの独立を宣言した」
「なんだと…。俺は聞いてないぞ!」
フレッドが驚いて声をあげた。
「ウスベルク帝国にとって、極秘情報ですから…」
「いや、隠したってバレるだろ。直ぐにバレるモノを隠してどうする?」
「そうなんですけどね…。ほら…。ウィルヘルム皇帝陛下としては、恥ですから…」
「皇帝陛下は、バカなのか?」
「バカではないですけれど、かなりの見栄っ張りですね…」
アーロンが気まずそうに答えた。
「モルゲンシュテルン侯爵の背後に、ミッティア魔法王国がおるのじゃ。ウスベルク帝国の騎士団が、魔導甲冑に壊滅させられたらしい」
「あーっ。そうですか。屍呪之王が片付いて、遊民保護区域の治安も改善されて来たってのに、今度はミッティア魔法王国に唆された貴族が問題を起こしたってか…?そんなものは、ウスベルク帝国でどうにかしろや!」
「まったくフレッドの言う通りじゃ。あたしも、同じように思ったよ。けどな…。アーロンが言うには、エーベルヴァイン城に精霊樹が生えたらしい」
クリスタの台詞に、メルの耳がピクリと反応した。
「あの樹か…。封印の塔があった辺りに、でかい樹が生えたんで、もしかしてとは思っていた」
「精霊樹が生えたとなっては、帝都ウルリッヒを放っておくことなど出来ぬ」
「聞かせて欲しいんだが、クリスタはウスベルク帝国まで守るつもりなのか?」
「いずれは、全ての世界を正さねばならぬ…。妖精が棲む、かつての世界を取り戻す。それこそが、あたしの役目だからね」
「でっかい話だな…」
フレッドが椅子の背もたれに、身体を預けた。
その視線は天井をジッと睨みつけ、覚悟を決めかねている様子だった。
「不可能だろ…?」
「バカを言うんじゃないよ。店の外を見な。精霊樹が生えているだろ!」
「ああっ…」
「千年前に、皆からムリだって言われたよ。でも、あたしはあきらめなかった。そして、あの樹が生えた」
「分かった。済まなかった。クリスタ…。調停者よ。俺の謝罪を受け入れてくれ!」
フレッドが頭を下げ、クリスタは鷹揚に頷いて見せた。
「それでデスネ。わたし共としては、メルさんの力をお借りしたいのです」
「魔導甲冑を処理するのに、ウスベルク帝国の魔法使いたちでは心許ない。反対されるのは分かっているが、ここはあたしらに譲って欲しい」
「わたしとクリスタさまが保護しますから、メルさんも一緒に帝都ウルリッヒで待機して頂きたいのです」
「イヤじゃ!」
即答である。
「えーっ。メルさんから拒絶されるとは、計算外です」
「アーロン。おまえは、ちょっと黙ってな」
「どうしてですか?」
「おまえが挟まると、ややこしくなるからだよ!」
「婆さま。わらしは、船に乗らんよぉー。アーロン独りで行かせばエエでしょ」
メルはそっぽを向いた。
「精霊樹だよ。オマエさまが植えた苗が、根付いたのじゃ。見たくないのかい?」
「そんなん知っとる。マホーカッチュウも知っとる。わらし…。テート守るで、心配いらんわ」
「……知っておるのかい?」
「わらしの樹ぞ。知らいでか!」
メルが言い放った。
「おいおい。そうしたら、レアンドロたちが地下水路でメルを見たって話は、本当か…?」
「なっ、何を仰るのですか、おとうたま…。ふふっ…。そんなん、あゆわけねぇーデショ」
フレッドの追求に狼狽えたメルは、あたふたと否定の言葉を口にした。
「あーっ。メルちゃんが、嘘ついてる。ウソつきの顏してる」
「やめてくらはい、おかあたま。わらし、ヨイ子。だまって、テートとか行きませんヨ」
「ウソだ。この子、ウソ吐いてるよ」
アビーが、メルの首っ玉を捕まえた。
「まぁま…。ちっさい子を虐めたぁ、アカンヨ」
メルが小さな声で訴えた。








