さよなら赤ちゃん時代
追風の水鳥号が、メジエール村への玄関口となる桟橋に停泊した。
桟橋の管理人小屋とデュクレール商会の小さな倉庫しかない、実に寂しい場所だった。
足元はぬかるみ、大人の背丈より高く伸びた草が生い茂っている。
まったく整備されていない、湿地帯である。
冬場は地面が凍るので移動が楽だけれど、それ以外の季節であれば桟橋から管理人小屋の先まで続く足場板を使う。
従って積荷の運搬も、全て人力に頼るしかない。
「よぉーし。みんな足もとに気をつけるんだぞ!」
「行きは、よいよいだぁー!」
「積み降ろすのはヨォー。布地やら、香辛料やら、軽いもんばっかだからな…。だけど値が張るから、絶対に落とすんじゃねぇぞぉー!」
「こちとら、合点承知だっての…。言われるまでもねぇ。問題はメジエール村からの、積み込みだろうが…。秋口の一番便だぁー。積み替える荷物は、どっしりと重たい穀類や塩漬け肉じゃねぇか…。うんざりするぜ!」
「やれやれ…。ひでぇ船着き場だよ」
船乗りたちは荷運び人に早変わりして、せっせと積荷を倉庫まで運んだ。
足場板を移動する男たちの喧騒に驚いた水鳥が、一斉に青空へと飛び立った。
「ここは秘境だ。船荷を運び込む場所じゃねぇよ」
「無駄口を叩かず、ちゃっちゃと運べ」
「足場板を拡張する計画は、どうなっちまったんだよ?」
「知るか、ボケェ!」
担いでいる荷物が軽いせいで、船員たちの口も軽かった。
「もうちょっと…。二倍、いや三倍に広げてくれよ。土地は余ってるんだからさぁー」
「うるせぇよ。なんか事情があるんだろ!」
「単にケチなだけじゃねぇか…?オレは、そう思う」
デュクレール商会で働く船員たちは、足場板を広げて欲しいと商会トップに訴えたけれど、なかなか許可が下りなかった。
一般には存在を秘されているメジエール村なので、『調停者』が頷かなければ足場板の拡張工事も行われない。
現状では、手押し車さえ使えない状態だった。
帝都ウルリッヒと比べたら、不便なコトこの上ない。
ましてミッティア魔法王国とは、比較にもならなかった。
積荷を運ばされる船員たちが嘆くのも、仕方のないコトであった。
「このような遠方にまで、ウスベルク帝国の支配が及んでいるとは驚きですな」
舷梯を降りたゲルハルディ大司教が、周囲の景観に感極まった様子で声をあげた。
見渡す限りの大自然である。
「ところがどっこい…。ここはウスベルク帝国に属していないんだ。とても歴史が古い、独立した村なのさ」
「なんと…。これは失礼なことを申し上げた。教えて頂きありがとうございます、フレッドさん。貴方や村人たちの誇りを傷つけぬよう、言動には気をつけましょう」
「そうしてもらえれば有難い…。ここまでの船旅でご覧になられた開拓村などは、全てメジエール村をモデルにしている。これからの世界は、徐々に変化していくだろう。メジエール村をオリジナルとしてね」
「原点ですか…。これはまた、大きな話ですな」
「それでは、妖精郷へようこそ…。ゲルハルディ大司教さま」
フレッドの台詞に、ゲルハルディ大司教が息をのんだ。
(おいおい、爺さん…。本気でバレてないと、思ってたんですか…?)
ゲルハルディ大司教に向けられたアーロンの視線が、残念な人を見る目つきに変わった。
(それにしてもフレッドさんは、何を考えているのか…?)
相手はマチアス聖智教会の大司教である。
ゲルハルディ大司教は、間違いなくミッティア魔法王国がウスベルク帝国に送りつけた工作員だ。
それもミッティア魔法王国の中枢部とパイプを持つ、大物で間違いなかった。
メジエール村の秘密を語って良い相手とは、どうしても思えない。
「その…。そのですな、フレッドさん。私は教会にも内緒で、この地を訪れましたもので…。どうか、お願いですから…。大司教は、ご勘弁ください」
「フムッ…。ゲルハルディ大司教さまにも、色々な事情がおありと見える」
「まさに、まさに、その通りでございます。位階ばかり高くなっても、自由が失われるばかりでして…。自費出版を目論んでおる『美食の旅』も、なかなかに筆が進みませぬ」
「それで思い切って、飛びだして来られたと…?」
「見つかってしまえば、問答無用で連れ戻されてしまいます。どこに教会の耳があるとも、知れませんので…。ここはひとつ、ビンスと名乗る旅の執筆家と言うコトで」
「心得ました。公人…。聖職者と言えども…。正味は、人でありますからな。ときには個人として、想いを遂げたいこともあるでしょう…。ビンスさん、メジエール村を楽しんでください」
フレッドが朗らかな笑みを浮かべ、ゲルハルディ大司教の肩に腕を回した。
そうしていると、二人は親しい友人のように見えた。
デュクレール商会の小さな倉庫には、頑丈そうな荷馬車が待っていた。
メジエール村に船荷を運ぶ荷馬車だけれど、船客も乗せる。
フレッドたちは御者のルドルフと交渉して、荷台に乗せてもらった。
メジエール村を訪れる客なんて、デュクレール商会の派遣社員くらいだ。
なので今回は、フレッド、アーロン、ゲルハルディ大司教の三人しか居なかった。
それでもルドルフは首を傾げた。
「こりゃあ、どうしたことだ。今回は随分と客が多いじゃないか?」
普段ならひとりも居ないのだから、ルドルフの反応はおかしくない。
『酔いどれ亭』のフレッドは知っていたが、残るふたりは知らない顔だった。
「あんたら…。こぉーんな場所に、何しに来なすった?」
「観光です」
「食べ歩きですな」
「本気かね…」
又もや首を傾げるルドルフだった。
メジエール村には特筆すべき観光名所もなければ、これといった名物料理もない。
あるのは、でっかい不思議な樹だけ…。
(とは言え…。余所者には、精霊樹の尊さなど分かるまい…!)
ルドルフは考えるのを止めて、御者台に登った。
余所者の心配をしても、意味がなかった。
ルドルフの役目は、メジエール村まで荷馬車を走らせることだった。
◇◇◇◇
「なあ、アーロン。メルの樹…。デカくなってねぇか?」
フレッドは遠くに見え始めたメジエール村を指さして、アーロンに訊ねた。
「フレッドさんが留守にしているとき、一気に育ったんです」
「かぁー。またかよ」
「それだけじゃありませんよ。メルの樹に、メルさんが料理店を開きました」
「なぬっ…。あのちびっ子。まぁーた、『酔いどれ亭』にケンカ売ってやがるのか…。アビーは、何してるんだよ!」
フレッドは焼イモ対決を思いだして、不愉快そうに言った。
「メルさんはケンカなんて、売っていないと思います。アビーさんと二人で、仲良くやっていましたよ」
「そうは言うけどなぁー。メジエール村の中央広場付近には、二軒のメシ屋で分け合えるほどの客が居ない。共存なんて無理なんだよ」
メジエール村では、メシ屋や飲み屋を利用する客が限られている。
メルがメルの樹に料理店を開けば、数少ない客の奪い合いになるのは分かり切っていた。
フレッドが怒るのも当然だった。
(メルを見つけたら、問い質す。そして尻を叩いてでも、店を閉めさせてやる…!)
未だ常識に縛られたフレッドは、実状も知らぬまま腹を立て、空回りしていた。
メルの魔法料理店は、フレッドが考えているような店ではなかった。
『酔いどれ亭』がメシと酒を楽しませる店だとすれば、メルの店は峠の茶屋か駄菓子屋みたいなモノである。
そのうえ、夏にしか商売をしない海の家並みに、店を閉じている時間が長かった。
メルは料理店の運営より、身体を動かして遊ぶのに忙しかった。
メインの客はと言えば幼児ーズで、唐揚げと野菜チップスばかり食べていた。
その唐揚げと野菜チップスは、夕方になれば『酔いどれ亭』を訪れた客が酒の肴に注文する。
『酔いどれ亭』とは、端から喧嘩にならなかった。
メルに言わせるなら姉妹店だった。
荷馬車はメジエール村の中央広場に入らず、デュクレール商会の事務所前で停車した。
荷台から降りたフレッドとアーロンは、自分たちの旅行鞄を降ろしてから、ゲルハルディ大司教に手を貸した。
ゲルハルディ大司教は元気な老人だったけれど、旅慣れていないので手際が悪かったのだ。
「あっ、あれって…。フレッドさんじゃないの…?」
ティナが荷馬車から降りたフレッドを指さした。
「ホントだぁー。メルねぇ、良かったなぁ…。小父さん、帰って来たぞ」
「ホラッ、メルってば…。アビーさんに、教えて来なよ!」
「………おっ、おう」
幼児ーズの皆が、ボーッとして佇むメルを見守っていた。
感動の再会である。
長期間、帝都に滞在していた父親が、やっと帰ってきた。
ラヴィニア姫も含めた幼児ーズの面々は、激しい喜びと驚きでメルが立ち尽くしているものと思った。
全く違っていた。
(おいおい…。聞いてないよ。なんでフレッドのやつ、帰って来ちゃったの…?ずぅーっと、帝都に居れば良いのに…!)
メルはフレッドの帰りを歓迎していなかった。
余りにもショックだったので、フリーズしてしまったのだ。
「あーっ。アーロンも居る。この間、帝都に帰ったばかりなのに…。なんの用があるのよ!」
タリサが口を尖らせて、悪態を吐いた。
「あーろん?おーっ、ホントだ。アイツ、また来たのか…!」
「みなさん…。アーロンが、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「ラヴィニアちゃんが謝ることないよ。アーロンは大人で、ラヴィニアちゃんは子供でしょ。大人の代わりに子供が謝るのは、おかしいと思う」
ティナは頭を下げるラヴィニア姫に、道理を説いた。
「なぁ…。知らない爺さまが、一緒だぞ」
ダヴィ坊やがフレッドとアーロンに寄り添う、ゲルハルディ大司教に気づいた。
「えーっ。誰かしら…?見覚えのない、お爺ちゃんだよ」
「身形からして、帝都の人だと思う。それも、お金持ち。とっても、センスの良い服だし…。生地も値が張りそう…。メジエール村の年寄りだったら、あんな明るい色の衣装は着ないでしょ」
メルが感じた印象からすると、『ちょい悪オヤジ』っぽい装いだった。
オシャレで気楽そうな、隠居爺さんに見えた。
「うわぁー。さすがはティナさんです。衣料品店の娘さんだけあって、よく観察されていますね」
「えっ。うん…。それなりに…」
「ねぇねぇ、ラヴィニア…。その微妙に上からな喋り方は、どうにかならないのかしら…?」
「上からデスカ…?」
ラヴィニア姫はティナを褒めたつもりなのにタリサから不満をぶつけられ、困った顔になった。
メルはラヴィニア姫をフォローして上げたかった。
だが今はダメだ。
気のきいたセリフひとつ、思い浮かばない。
メルの甘い生活が、幕を閉じようとしていた。
アビーに甘えまくった日々が、頭の中を走馬灯のように過ぎ去って消えた。
「うわっ…!メルってば、嬉しすぎて泣いてる」
タリサが目を丸くして叫んだ。
「そんなに寂しかったんか?小父さんが帰って来て、良かったなぁー!」
ダヴィ坊やがメルの肩をガシッとつかんだ。
「ちっ、ちがわい!」
メルはダヴィ坊やの手を払いのけて、『酔いどれ亭』に駆け込んだ。
本当の事なんて言えない。








