ラヴィニア姫とタケウマ
東の空が白み始めると、アビーは太股に張り付いていたメルを引っぺがして、ベッドから起き上がった。
朝になって目を覚ませば、いつだってメルがアビーの身体に抱きついている。
それは脚だったり腰だったりと、色々だけれど…。
とにかく両腕で、ガッツリと抱きついている。
暑苦しいのに…。
「カワイイ…♪」
アビーは作業服に着替え、メルの寝姿を堪能してから部屋を出た。
朝の畑仕事や裏庭の整備は、アビーにとって楽しい仕事だった。
幸せと平和を満喫できるし、小さな達成感も味わえる。
誰に強要されるでもなく、アビーが好きで続けている日課なのだ。
メルに無理強いして、付き合わせるつもりもない。
子どもは良く寝て、思いっきり遊んで、たくさん食べるのが良い。
そうしている内に自分の仕事を見つけだす。
メルだって、もう自分の仕事をしていた。
メルはメジエール村のために、毎朝欠かすことなく『浄化』を行なっている。
朝起き隊も、たぶん仕事と言えるのだろう。
評判は微妙だけれど…。
アビーはメルがこっそりと頑張っているのを知っていた。
「あらっ、トンキー。おはよう」
「ぷぎぃー」
「キミは察しが良いねェー。夜間に雨が降ったから、今日はクズ野菜が多いよ。トンキーの取り分だね」
「ぶっ、ぶっ…♪」
雨に濡れて傷みそうな葉野菜は、トンキーが貰えることになっていた。
捨てるわけではないので、アビーも気前が良くなる。
トンキーの嬉しそうな顔を見ると、傷みそうな野菜を見つけるのも楽しくなる。
ただ…。
以前であればピクルスにしていた野菜なので、メルの機嫌が悪い。
アビーが作る酸っぱすぎるピクルスは、メルにとって大切なおつまみだった。
メルとトンキーは野菜の権利に関して、意見を戦わせていた。
今のところ早いモノ勝ちである。
その日。
メルが朝起き隊の活動を終えて一旦ダヴィ坊やと別れたところに、ラヴィニア姫が姿を見せた。
「おはよう。メルちゃん」
「うはっ、はやぁー」
「タケウマしたくて、急いで来ちゃった」
朝飯前である。
どう考えても早すぎだった。
「ラビーは、朝ゴハン食べた?」
「ちょこっと…。パンとスープだけ」
「わらし、ゴハンよ。いっしょ、すゆ?」
「うん…。実を言うと…。ここまで歩いてきたら、お腹が減っちゃった」
ラヴィニア姫がニパァーと笑った。
とても晴れやかな、愛らしい笑顔だった。
どちらかと言えば、表情に乏しいラヴィニア姫である。
『良いモノを見たな』と、メルは思った。
暫し、幸せな気分に浸る。
「わかった。ゴハン、しよう。ちょっと、待って…」
「うん…」
メルにとってラヴィニア姫は特別だ。
メルは前世で病弱だったこともあって、『三百年近くも寝たきりだった…』と言うか、木乃伊化していたラヴィニア姫に強い仲間意識を持っていた。
メルにとってラヴィニア姫を助けられたのは誇りだったし、これからもずっと仲良くしたい気持ちがあった。
所謂、ズッ友である。
(樹生として生きてた時は、病人同士の友だちって難しかった。なんか互いに気を遣って踏み込めないし、モヤモヤした気分で上手く行かなかった。年が近い程、踏み込んだところで、どす黒い恨み言や嫉妬しかなかったし…。仕方がないと分かっていても、なんだか割り切れなかったなぁー)
メルだって、病院で友だちを作ろうとしたことはあった。
だけど、それは望むようなモノと違った。
簡単に言うと、相手が自分より元気になれば、どうしても妬ましい。
どちらかが退院すれば、縁は切れる。
見舞いになど行きたくない。
病院が嫌いだからだ。
正直に言えば、病人は病院以上に嫌いだった。
どうしようもない自己嫌悪デアル。
(自分を含めて、みぃーんな冷酷非情だったよな…!)
心のゆとりなど欠片もない。
そもそも、不健康で自由の利かない自分に不満があるのだ。
他人との関係が思う通りにならないのは、最初から織り込み済みである。
だからこそ、ハンディキャップと言う単語が存在する。
子供に、そこを納得しろと言うのは無理だ。
大人でさえ、不安や不満でバクハツしそうになるのだ。
もし文句や泣きごとを言わなくなったら、気力が失せて死にかけていると察して頂きたい。
難病を抱えた子どもなんて、本当に痛ましい。
泣きたいほどに…。
(僕とラヴィニア姫には、無邪気で活力に溢れた幼少期の経験が欠落してる…。ラヴィニア姫も妙なこだわりを捨てれば、幼児からやり直せるのになぁー!)
メルはラヴィニア姫に、子供っぽく遊んで欲しかった。
頭でっかちなのは仕方がない。
三百才なのだから…。
ちょっと風変わりで歪かもしれないけれど、中身が三百才の幼児で構わない。
泣いたり怒ったり笑ったり、走り回って泥だらけになって、大いにはしゃぎまくって欲しい。
意味がないように思えても、どれだけバカらしくても、活力は感動を生みだす。
生きる喜びそのものだ。
何より、思いきり動けば腹ペコになって、ゴハンが美味しい。
それだけでも良いじゃないか。
(僕たちは、ただ虚無の中に居たのだから…)
メルもまた、珍しくしんみりとした気分でベーコンエッグを作った。
「あらっ、ラヴィニアちゃん。早いわね」
「おはようございます。朝からお邪魔して、申し訳ありません」
「いいのよ。気にしないで遊びに来てね」
「ありがとうございます」
一仕事終えたアビーとラヴィニア姫が挨拶を交わしている間に、朝ゴハンが完成した。
ベーコンエッグに、ほうれん草のバター炒め。
ほうれん草のバター炒めは、少量の醤油とコショウで味を調えた。
作り置きしてあった焼きタラコのおにぎりを皿に載せ、大根と油揚げを具にした赤だし味噌汁を添える。
花丸ショップで購入した黄色いタクアンは、オニギリのお供だ。
パリパリの食感を楽しんで貰いたい。
お膳の上に全てを並べたら、食堂の卓子へと運ぶ。
「なんでオニギリ?」
「まぁま…。炊き立てゴハンは、アチィーでしょ」
「あっ、そう…。ママは炊き立てが、好きだけどなぁー」
「夏は、アチィ―でしょ!」
意見が割れる母と娘であった。
ラヴィニア姫は、食べ慣れたベーコンエッグから手をつけた。
卵の黄身が半熟なので少しだけ抵抗を感じたけれど、メルを真似してベーコンと一緒に食べると美味しかった。
それだけだと強すぎるベーコンの塩味が、マイルドになって食べやすい。
(メジエール村のベーコンは、ちょっとしょっぱすぎると思ってたけど…。こうすれば、美味しく食べれるのね…)
ラヴィニア姫にとっては発見だった。
横に添えられた葉野菜の炒め物も、バターの匂いがして馴染みを感じる。
手を伸ばしやすい料理だった。
口にしてみると、トンカツを食べたときにも感じた独特な味の広がりに気づいた。
(コショウは分かる。でもこれは、何だろう…?)
ラヴィニア姫が味わっているのは、微かな醤油の香りと旨みだった。
食べ慣れたバター炒めが、思っていたモノと違った。
コチラの方が、ずっと美味しい。
「この奇妙な匂いがするスープは、何ですか…?」
「みそ汁…」
メルがラヴィニア姫を窺うようにしながら答えた。
「ミソシル…?」
「最初はアレだけど…。慣れると癖になるよ。ゴハンと合うの」
アビーはオニギリをパクつき、味噌汁を啜る。
すっかり和食に慣らされていた。
ラヴィニア姫も、恐るおそる味噌汁を飲んでみた。
「あっ、想像したのと違う。匂いから、酸っぱいのかと思ってた」
「コンソメより塩味が強いでしょ!」
「うん。でも、これは好きかも…」
食文化の壁は、想像する以上に厚い。
美味しいを伝えるには、幾つもの段階を踏まなければならない。
いきなり欧米人に納豆を食べさせることは、出来ないのだ。
黄色いタクアンも、そう言うことだった。
子供が好きそうな色と、はっきりとした透明感のある塩味。
古漬けと違って、人が嫌うような匂いもしない。
楽しい歯ごたえに、ついつい食が進む。
メルがラヴィニア姫のために用意した、食べやすい料理である。
(オニギリって、手づかみで食べるんだ。なんだか楽しい…♪)
結果として、ラヴィニア姫はオニギリと味噌汁の組み合わせを気に入ったようだ。
豚肉の冷製と違って、食べやすいところが高評価だった。
それでも…。
頻りと焼きタラコに首を傾げていた。
メルはタラコが魚卵であることをラヴィニア姫に教えなかった。
『コンブにしておけば良かった』と後悔する、メルだった。
封印の塔で暮らしていたラヴィニア姫は、たぶん魚を食べたことが無いのだ。
「これっ、ラビーのタケウマ」
「………ちがう」
「なにが?」
「足を置くところ。メルちゃんのと、高さが違う!」
いきなりの不満バクハツである。
「それなぁー。高さ、変えれユ。レンシューしたら、高くせぇー」
「えーっ。こんなじゃ、ぜんぜん高くないよ」
「文句ダメ…。レンシューしましょ」
「分かった…!」
こうして何とかラヴィニア姫を説得し、タケウマの練習が始まった。
「ラビー、歩く!」
「イヤ。立てないのに、歩けるはずないでしょ」
「それはぁー、間違いヨ。うごかんは、歩くよりムズイ。ホハバ、開かんと倒れユ…!」
「おい、メル姉。何で、オレを呼ばん!」
ダヴィ坊やが現れた。
「ラヴィニア…。メル姉は、言ってること分からんから、オレに教われ!」
「うん、お願いします」
「ウヘェー!」
そして、あっという間にメルから、ラヴィニア姫を奪ってしまった。
「おまぁー。ムカつくわ!」
仲良さげにタケウマで遊ぶダヴィ坊やとラヴィニア姫に、嫉妬の焔を燃やすメルであった。








