幼児ーズの入団式
ラヴィニア姫が住む屋敷からメジエール村の中央広場までは、見晴らしの良い農道が続き、迷子になる危険などない。
ユリアーネ女史は同行したがったけれど、ラヴィニア姫としては自分の力を試したかった。
とは言っても、精霊樹を目標にして、ひたすらまっすぐ歩くだけだ。
「なんだか不思議な気持ちです。ひとりで外を歩くなんて…。ちょっと不安で寂しいけれど、誇らしい…?」
青空を見上げて、ラヴィニア姫は微笑んだ。
今日は青いリボンのついた麦わら帽子に、白いワンピース姿である。
タケウマで転べば汚れてしまうだろうに、ユリアーネ女史と小間使いのメアリから気にするなと言われた。
「それにしても、お日さまが暑いです」
これもまた、封印の塔では経験し得なかった新しい感覚だ。
ジリジリと肌を焼く夏の日差し。
農道から外れて点在する雑木林からは、蝉の鳴き声が聞こえて来る。
疲れてイヤになっても前に進まなければ、目的地に到着しない。
その事実さえ、ラヴィニア姫にとっては発見だった。
「わたくし、なぁーんにも知りませんのね。もしかして冒険の旅って、これのすっごく長い感じなのかしら…?」
耕作地の彼方に、ハンテンとよく似た雲が流れていく。
「この道を…。あなたと一緒に、散歩してみたかった。想像するだけでも、楽しそうね♪」
歩きやすいドタ靴を履いたラヴィニア姫は、ハンテンの姿を想像しながら簡単なダンスのステップを踏んでみた。
「おもっ…。靴が重たい!」
足元の違和感が半端なかった。
浮かれているラヴィニア姫を見張るように、畑のなかをミケ王子がコッソリと追跡していた。
その姿は真っ黒で、只今ミケ王子はネコスケとしての任務に就いていた。
ミケ王子のお仕事はラヴィニア姫の安全を守り、可能な限り快適に過ごさせること…。
(カワイイお姫さまを見守るのは、王子の役目さ。まさに、ボクが望んでいた仕事…。ボクにピッタリ!)
ご褒美は、チーズだった。
最近…。
ミケ王子は、チーズに嵌っていた。
チーズは美味しい。
しかもメルは、色々なチーズを持っているのだ。
それを全て制覇するのが、ミケ王子の楽しみだった。
ラヴィニア姫は『中の集落』をテクテクと進んで、漸く中央広場に到着した。
だけどメジエール村の中央広場に、幼児ーズの姿はなかった。
「おかしいなぁー。毎日、ここで遊んでいるって言ってたのに…」
タケウマの練習にやって来たラヴィニア姫は、中央広場に幼児ーズが居ないので、『酔いどれ亭』を覗いてみることにした。
村の子供たちと遊ぶと言う、難易度が高い決意をしたばかりなので、ラヴィニア姫のヤル気ゲージはMAXだった。
そんなラヴィニア姫を待ち受けていたのは、想像を遥かに超える試練だった。
「おはようございます」
「あらっ、ラヴィニアちゃん。遊びに来たのね」
さすがはフレッドの妻。
そしてメルの母親。
ラヴィニア姫がメジエール村を訪れてから、数度しか顔を合わせていないにもかかわらず、既に帝国の貴族令嬢さまを『ちゃん』づけで呼ぶ。
傭兵隊の作戦行動時にしか上下関係を認めない、頑固なほどの平等主義を貫き通すブレない美人ママ。
それがアビーだった。
「あのぉー。メルちゃんは、何処にいるのでしょうか?」
いきなりの平民あつかいに面食らいながらも、もう既に自分がウスベルク帝国と縁を切った腹づもりでいるラヴィニア姫は、アビーの親しげな言葉遣いを抵抗なく受け入れた。
『この人は、やさしい人なのだ!』と、素直に思わせる温もりが、アビーには備わっていたからだ。
(わたくしの両親が、アビーさんみたいだったら良かったな…)
ラヴィニア姫は、少しだけメルが羨ましくなった。
「みんなは、裏庭にいるよ。ラヴィニアちゃんもタケウマで遊びたいなら、もう少し早く来ないと…」
「えっ?そうなんですか…」
「夏は暑いでしょ。あなたも、汗だくじゃない。だから朝の涼しいときにしか、あの子たちはタケウマで遊ばないのね」
「それでは、裏庭で何をしているんですか?」
「自分の目で見ると良いわ。近道だから、こっちへいらっしゃい」
アビーはラヴィニア姫の手を引いて食堂を横切り、厨房へと向かった。
厨房の裏口をくぐり抜けたラヴィニア姫は、目の前の光景に驚いて硬直した。
水を張った金盥に、日焼けした幼児たちが座り込んでいる。
楽しそうに水遊びだ。
いや、指摘すべきは其処じゃない。
「ハダカ…?」
なんと…。
幼児ーズは、一糸まとわぬ全裸であった。
ラヴィニア姫からしたら、あり得ない光景である。
戸外で全裸になるなんて、狂気の沙汰としか思えない。
そもそもタライと言うものは洗濯の道具であって、子供が遊び場にするとか想像の埒外だった。
市井であれば湯浴みにタライを使用する家庭もあったが、残念ながらラヴィニア姫の知識には存在しない。
戸外での行水ともなれば、貧民窟を訪れなければお目に掛かれない習慣である。
遊民居住区域でさえ、それなりの生活レベルにある住民は戸外で全裸にならないのだ。
『他人まえで肌を晒すのは、恥ずかしくてだらしのない行為だ…!』と言うのが、ウスベルク帝国民に共通した認識だった。
「イナカ…」
そう…。
メジエール村は、とびっきりの田舎であった。
「みんなぁー。ラヴィニアちゃんが来たわよ!」
アビーが水遊びをしている幼児ーズに声をかけた。
「おーっ。ラヴィニアも、フクを脱げ」
「冷たくて気持ちいいよ!」
「早くおいでェー」
「………あぅ!」
ラヴィニア姫を誘う幼児ーズの陰に隠れて、メルは黙っていた。
ラヴィニア姫の気持ちは、痛い程に理解できる。
最初はメルも、アビーとお風呂に入るのでさえ厳しかった。
裸を見られることに然したる抵抗を感じないメルであったが、オッパイの揺るぎない存在感に慣れるまで、かなりの時間を要した。
滅茶クチャ恥ずかしいのだ。
(いま思えば、アレは何だったのだろうか…?)
メルは自分の裸より、アビーの裸をまえにする方が恥ずかしかった。
そこはメルなりの事情でしかない。
ではあるモノの、ラヴィニア姫の気持ちは何となく理解できた。
(アビーだって、さすがに裏庭で行水はしない。大人の女性だから、色々と幼児とは違うんですよ…。そこはラヴィニア姫も自意識は大人だから、恥ずかしいのが当然でしょ!)
平気でプラプラさせているダヴィ坊やとか、ときおり脚を広げて丸見えになるタリサやティナから目を逸らし、メルはしみじみと羞恥心と言うモノについて考えた。
(そもそも…。自分がオトナだとか思うから、おかしな事になるんだ。幼児ーズなんか、マッパで広場を歩けるよ。どこが見えたって、誰に見られたって、ヘッチャラじゃないか…。僕だって、ヘッチャラさ。未成熟なんだもん…。まあー。やると叱られるから、自重はしてるけど…)
そこまでメルが開き直れたのは、偏にバッドステータスのお蔭である。
幼児退行の恩恵を受けないラヴィニア姫ともなれば、それはもう身を捩るような羞恥心と闘っていることだろう。
しかも男より女の方が、ずっと恥ずかしいに決まっていた。
羞恥心とは、文明社会が植え付けるモノだから…。
今世もまた、女性に羞恥心を押し付ける社会だ。
そして女性の恥じらいは、女性美の価値を約束する仕組みでもあった。
(ラヴィニア姫ってば、耳まで赤くなってるじゃん…。おーっ、それでも脱ぐのか…。ガッツあるよね!)
ここは助けたくても、何ひとつ出来るコトのないメルだった。
アビーはラヴィニア姫を手伝って、脱いだ衣装をキレイに畳んでから、カゴに載せていた。
ドタ靴もキチンと揃えて、近くに置いた。
全裸になったラヴィニア姫は、消え入りそうな風情で幼児ーズと肩を並べ、金盥に腰を下ろした。
水がフチから溢れた。
ある意味コレハ、幼児ーズの入団式であった。
文字通り洗礼なのだ。
『ラヴィニア姫が何とか乗り切ってくれるように…!』と、メルは心から祈った。
「よっし、新入りカンゲーのキス行くよ!」
「えーっ?」
「オレも、オレも仲良しさんのチューだ」
「キス、いやぁー!」
冷たい水に浸かったら、つぎは仲良しのキスだった。
幼児ーズの入団式は、容赦なく続いた。
裸でのハグとキスは、半端なく精神的なダメージが深い。
自分が大人だと思い込んでいる場合は、特に…。
幼児のキスに、大人が考えるような意味など存在しなかった。
そんなもの、何度チューしたってノーカンだ。
(だけどさぁー。ラヴィニア姫にそれを言っても、救いにはならないよ…!)
かつて自分も、ちびっ子たちの洗礼を受けたメルは、ニタリと薄く笑った。
メルが友情のキスに慣れるまで、ほぼ半年の期間を必要とした。
今ではダヴィ坊やとも、ブチューな関係である。
メジエール村の子供たちにとって、キスは友情を確認する大切な儀式だった。
親愛の情を表すコミニュケーションの手段なので、やむを得ないのだ。
最後にメルも、フニャフニャになったラヴィニア姫をギュッと抱きしめて、唇が触れるだけの軽いキスをした。








