暑い夏は冷製デス…
アーロンが帝都ウルリッヒに連れ去られて、幼児ーズは平和な日々を取り戻した。
横合いから干渉する大人の存在は、子どもにとって煩わしいだけだ。
大人なんてものは、助けて欲しいときにだけ居れば善し。
アーロンの如き喧しいだけの男は、皇帝陛下にこき使われていれば良いのだ。
だがしかし、メルは魔法仕掛けのオモチャが欲しかった。
「こぉーれは…。アーオンのキゲンを取ゆしか、ないんかのぉー?」
ラヴィニア姫と仲良くするのは、望むところである。
ただしアーロンが良い奴だと説得するのは、また別の話だ。
それは、途轍もなく難しいコトに思えた。
(もっとも最大の障害は、僕がハンテンを助けられなかったコトにあるんだけどね…。そちらは取り敢えず、執行猶予が与えられたのかなぁー?)
クロ猫に化けたミケ王子からの情報により、ラヴィニア姫がメルの正体に気づいていないと分かった。
当座の憂いは晴れたのだ。
ウスベルク帝国に暮らすエルフの数は、非常に少ない。
尖った耳の子どもなんて、走り回って探しても見つからないだろう。
それでもラヴィニア姫がメルの正体に気づかなかった理由は、ふたつある。
ひとつに、ユリアーネ女史やアーロンがエルフなので、ラヴィニア姫はエルフの希少性を正しく認識していなかった。
ふたつに、メルと出会った夢自体をハッキリと記憶していなかった。
ミケ王子はメルに頼まれて、ラヴィニア姫とユリアーネ女史の会話から情報を拾い集めていた。
〈メルー。心配いらないよ…。ラヴィニア姫は、ぼんやりと夢を記憶してるだけだもん。ハンテンのことは繰り返し、ボクに話して聞かせるけど…。メルの姿は、忘れちゃったみたい…。『あの娘…。ハッキリと顔を見たのに、思いだせないの…』って、悲しそうに言ってた〉
〈微妙だぁー。わたしとしては印象的な登場を心掛けたのに、覚えていないの…?〉
〈えーっ。だけど記憶されているのは、イヤなんでしょ?〉
〈うううっ…。屍呪之王をやってしまったから、酷いやつとか思われるのが辛い。罵られたら、泣いちゃいそうです…〉
〈だったら、素直に喜んだら…。ラヴィニア姫はユリアーネ女史に連れられて、明日の午後に『酔いどれ亭』を訪れるよ。美味しいゴハンを食べたいんだってさ…♪〉
フレッドが居ないので、『酔いどれ亭』はお昼の営業を休止していた。
だから、お昼は幼児ーズのランチタイムである。
どうもエルフと言うモノは自分勝手で、他人を含めた段取りを組むのが下手くそだ。
クリスタしかり、アーロンしかり、おまけにユリアーネ女史もデスカ…。
(事前確認をしたり、お店に予約を入れたりしないのは、エルフの種族的な特性なのか…?それとも、特殊な文化習慣によるものか…?しかし…。何でもかんでも、行き当たりばったりなのは感心しないよ。もしかして、根本的な欠陥が脳にあるとか…?ウワァー、それはヤバイよ。そうなると、僕も同じなのかなぁー!)
メルの表情が一気に曇った。
メル自身も料理の手順を除けば、ほぼスケジュールを組まないと気づいてしまったからだ。
他人と何かを相談することも、極端に少ない。
色々な事を言葉で説明するのが、苦手だから…。
突き詰めれば…。
メルたちが自分勝手な原因は、人間関係のスタンスにあった。
エルフだからではない。
四人がそれぞれに、特異なコミュニケーション障害を抱えていたのだ。
その筆頭はクリスタである。
クリスタは誰が見ても、明らかに引きこもりでしかない。
どのような理由があるのか分からないけれど、他人との接触を避けているのは確かだった。
〈だからさぁー。メルは、明日のゴハンを考えなきゃダヨ…。聞いてるの、メル…?〉
〈ウンウン…。ミケ王子の仰る通りです〉
メルは力なく頷いた。
ミケ王子からの報告が無ければ、又もや残念な事態に陥るところだった。
〈ありがとう、ミケ王子!〉
メルはマグロの赤身をパクパクと食べるミケ王子に、感謝の気持ちを伝えた。
ミケ王子は猫だけど、イケメンだった。
マウントしたがりだけど、心根はヤサシイのだ。
〈どういたしましてさ…。この潜入任務は、キライじゃないよ。ラヴィニア姫もユリアーネさんも、すごく親切だから…。ネコスケって名前で呼ばれなければ、もっと良かったんだけどね!〉
〈さぁーて、明日は何の料理にしようかな…?みんなで、ワイワイしたいよね…♪〉
コミュ障は良くない。
健やかで明るく楽しい未来のために、面倒くさがらず、お喋りをしよう。
そう心に誓うメルだった。
片栗粉と言う調理用素材がある。
煮汁にトロミをつけたり、プリプリ感を与える。
粘りがあるので、食材によく味を絡ませる事ができる。
揚物にも衣として使用できるし、葛餅などのデザートだって作れる。
それだけでなく、片栗粉は料理の温度を強調してくれるのだ。
温かな料理はより温かく、冷たい料理はよりひんやりと…。
片栗粉の正体は馬鈴薯デンプンである。
コチラの世界にもジャガイモのような根菜があるから、アビーと一緒に片栗粉を作った。
メルは手が小さいので、おろしがねを使うのが苦手だった。
こうした場面で『まったく、チビはしょうがないなぁー!』とか、余計なことを言わずに助けてくれるアビーは良いママだった。
フレッドは良くないパパだ。
いちいち腹が立つ。
すりおろした芋は目の細かい布で包み、水を張ったボールに浸ける。
そこでよぉーくシャブシャブしたら、布に包んだまま搾る。
ギュゥーッと搾る。
布で包んだ芋を取りだしたら、暫く濁った水を放置する。
「これで良いの?」
「ボールのソコに、白いコナが沈むデス」
「ほぉー。それがカタクリコなんだ…」
「あい。マホォーのコナよ♪」
要らない水を捨てて白い粉をゲットしたら、再度水を注いで溶かし、沈殿させる。
そうして、また要らない水を捨てる。
不純物を除去する作業だ。
必要なのはボールの底に残った、沈殿物だけである。
片栗粉は花丸ショップでも購入できるけれど、作り方を覚えていたので試したかった。
理科の実験みたいで楽しく、成功した達成感がまた嬉しかった。
「それっ、乾かして使います」
「ほうほう…。どう使うのかな…?」
「キョォーは、肉にまぶすヨ!」
「小麦粉みたいなの…?」
「うーん。ちがうと思う」
メルは片栗粉を完成させるために、妖精たちの助けを借りることにした。
〈妖精さん。その粉から水分を抜いて貰えますか…?〉
〈まっかせなさい♪〉
〈やるやる…〉
〈ちょー簡単…!〉
妖精たちが、あっという間に片栗粉を乾燥させた。
「ヨォーし。オニクを茹でう…!」
こそりとトンキーの不在を確認してから、メルは薄切りの豚肉を取りだした。
ミートスライサーがないと、肉を薄く切るのは難しい。
シャブシャブ用とまで言わなくても、二ミリ幅で充分に嫌気がさす。
冷凍肉を半解凍してから包丁で切るのだけれど、鰹節を削るようには行かない。
おおきな肉をスライスするには、巨大な鉋がついた削り器を必要とする。
そんなものは【酔いどれ亭】の厨房に置けないので、妖精たちに頼んでスライスして貰った。
まあ、花丸ショップで豚こまを買えば済む話だけれど、可能な限りエミリオが育てたブタを使いたい。
妖精たちもメルを手伝うのが好きだから、料理の手間が増えても何ひとつ問題なかった。
メルは豚肉の冷製を作ろうとしていた。
豚肉の冷製には色々なレシピがあるけれど、メルが作ろうとしているのは森川家の母に教わったモノだ。
薄切りの豚肉に片栗粉を塗す。
これをシャブシャブみたいに湯通ししたら、氷水に入れる。
ただのシャブシャブ肉ではなく、片栗粉のプリッとした衣を纏わせるのが森川家の作法だ。
この手順を加えることで豚肉は驚くほどあっさりとした味になり、プリプリとした食感と喉ごしの良さを楽しめるのだ。
食べる直前まで冷やしておけば、ひんやり感も申し分ない。
だけど、片栗粉のつけ過ぎはいけません。
スライムみたいな、デロデロになってしまうから…。
(本当にササッとつけて、余分な粉は落とさなければダメです。なんでも、やりすぎはいかんよぉー)
完成した肉が、水きり用のザルに山となる。
薄くスライスした玉葱とピーマンを大皿に敷き詰め、その上に茹でた肉を盛りつける。
玉葱は水にさらしたりしない。
「まぁま…。ダイコンおろして…」
「ダイコンって、この白いヤツかな…?」
「そそっ。それをコレで、ガリガリすゆ!」
「わかった…♪」
アビーはメルから鬼卸を手渡され、大根おろしの作成に取り掛かった。
メルはアビーが作った大根おろしを陶器の鉢に移し替えた。
大根おろしが完成したら、全てを冷蔵保存庫でヒヤヒヤに冷やす。
「できたぁー!」
「試食していい…?」
「アカンよぉー。食べゆのは、みんなイッショです」
「えーっ。味見はしなきゃデショ?」
「ヒツヨウいらん…。イッショ…。まぁまは、おあずけなのデス!」
頑固エルフは、頑なにアビーの要求を拒んだ。
(もっと冷やした方が、美味しいに決まってるからね!)
今回、豚肉の冷製は、殆どのパートをアビーと妖精たちが担当した。
メルは豚肉に片栗粉を塗しただけ…。
ホント、それだけ…。
まさに料理長の気分である。
アビーはアビーで、小さな娘との共同作業を心から楽しんでいた。








