さよならアーロン!
ハンテンはマダラ狼のボスに向かって突進した。
自分より遥かに大きな敵を前にして、些かも臆するところはなかった。
小細工はない。
前足による牽制とか、転身してからの耳齧りとか、そう言ったケチな真似はしない。
王だから…。
「わぉーん!」
ハンテンは屍呪之王だから、堂々と真正面からぶちかます。
「ハッハッハッ…!」
ヘッドバットの一撃だ。
マダラ狼のボスは、ハンテンを舐め切っていた。
群れを率いるボスであるからには、度重なる実戦で己の強さをよく理解していた。
彼我の力量を見極める目も、それなりに磨かれていた。
ただ…。
そうした経験と技量に偏りすぎたせいか、野性の勘が働かなかった。
だから、ハンテンの突進をフェイントだと決めつけた。
群れのナンバー2でさえ、ボスに正面から挑もうとはしない。
何とかしてボスの牙を掻い潜ろうと、攻撃の瞬間に踏み切る角度を変えるのだ。
そこに一拍のスキが生まれる。
変わり身すると分かっていれば、転進に呼吸を合わせて叩けばよい。
(コイツも、ズタズタに噛み裂いてやる…!)
その瞬間を見極めようと、ボスは迫りくるハンテンを注視した。
マダラ狼の仔より小さなハンテンが、正面からぶつかって来る筈などないと、決めつけていた。
もし仮に突っ込まれたとしても、それがどうした。
腹に潜り込まれても、あのように小さな身体で何ができる。
赤子のように小さな顎だ。
噛みつかれたところで、タカが知れている。
だからボスは、突進してくるハンテンを待ち受けた。
だが、それは悪手だった。
激突の瞬間…。
『ドスン!』と、信じがたい衝撃がボスの胸部を襲った。
とんでもない力で突き飛ばされた身体が宙に浮き、空き地の端まで転がった。
慌てて起き上がろうとしたが、四肢に力が入らない。
息をしようとした口から、血が零れだした。
毛の生えていないピンク色の敵が、余裕の表情で近づいてきた。
ニヤニヤと笑っている。
それなのにボスは、身体を起こして威嚇することさえできない。
小さなピンク色の敵は、ボスの鼻先で片足を上げると、あろうことか『ピュッ!』と排尿した。
「ギャン!」
シッコを浴びせられてしまった。
名誉と命を賭した闘いに負けたが、止めは刺されなかった。
ピンク色のケモノに、情けを掛けられたのだ。
無念だった。
完膚なきまでの敗北だった。
「わんわんわん…。わぉーん!」
ハンテンがボスを踏みつけ、月に向かって吠えた。
勝ち名乗りである。
邪霊の特殊能力を使用せずに勝利したコトが、ハンテンの心を昂らせた。
決闘に死霊術を使うのは、とてもイケナイことだと思った。
何より、ラヴィニア姫を深く悲しませてしまう。
そんな真似は、金輪際したくなかった。
その夜、マダラ狼の群は解散した。
そしてチビが、ハンテンの友だちになった。
◇◇◇◇
ウィルヘルム皇帝陛下の書状を携えた使者が、メジエール村を訪れた。
リーゲル船長が指揮する微風の乙女号に乗船して、帝都ウルリッヒから遥々アーロンを連れ戻しに来たのだ。
ハンテンが乗っていた船である。
微風の乙女号は、途中下船したハンテンより早く、メジエール村に到着した。
まったく残念な邪霊デアル。
「アーロン殿、一刻の猶予もございません…。至急、帝都までお戻りください!」
「えぇーっ。わたしにも都合と言うモノが、あるんですけど…」
「これは帝都の…。いいえ、ウスベルク帝国の危機であります…。皇帝陛下の、ご命令です」
使者が小声で囁いた言葉に、アーロンは打ちのめされた。
師匠のクリスタに叱責されたので、なるべく早めに帝都へ戻らなければいけないと、覚悟はしていた。
だけどラヴィニア姫との関係が、未だ修復されていない。
これでは、ラヴィニア姫やユリアーネ女史に変態と誤解されたまま、別れることになる。
アーロンは僅かばかりの時間を使者から貰い、メルを説得しに行った。
「ねぇ、メルさん…。本当に、勘弁してくださいよ…」
アーロンがメルに向かって言った。
「そぉー、言われてものぉー。わらし、とっても忙しいデス…」
メルはタケウマでトコトコと歩きながら、アーロンの横を通り過ぎた。
「その…。変なモノの練習は、いつだって出来るでしょ?」
「レースで、タリサたちに負けうのはアカン…」
メルが真顔で答えた。
「じゃあ、レースの訓練が終わったら…」
「トンキーの、さんぽデス」
「それって…。やる気が、ないんですよね?」
アーロンが置かれた状況は、絶望的であった。
アーロンは新居を追い出されてから、ダヴィ坊やの宿屋に泊まっていた。
毎日、朝から晩まで、メルの行動を監視するためだ。
「誤解を解いて下さいって、お願いしたのに…。あれから一度も、この広場を離れていませんよね。ラヴィニア姫と、一度も言葉を交わしていませんよね!」
「やむなし…。わらし、ヘーミン。ヒメ、おひめさま。ミブン、ちゃうねん…。ちっさい声、とどかんヨォー!」
「ちっ。また、ペラペラと嘘っぱちを並べて…。わたしは緊急の用事があって、帝都に戻らなければなりません。正直に申し上げるなら、非常に心残りです。メルさんの怠惰が、心配です。いいですかメルさん。アナタは、妖精女王さまでしょ。うーんと、偉いんです。だからぁー。ちゃんと、ラヴィニア姫を説得してくださいよ。それでもって、進捗状況は手紙に記して届けるように…!」
「ウヘェー!なんか、めんどいわぁー」
メルが小声でボヤいた。
「面倒くさいとか、ちょっと酷くないですかぁー?」
「やぁー。ヌスみ聞きは、シンシでないヨ…」
「耳が良いから、イヤでも聞こえてしまうんです!」
エルフの耳は、地獄耳。
アーロンは己の要求を噛んで含めるようにして伝えたけれど、ウンウンと頷くメルを信用するコトなどできなかった。
何となれば、終始メルの視線は宙を泳いでいたし、挙動の端々にウソの兆候が見て取れたからだ。
アーロンには、説得に費やせる時間が残されていなかった。
これはもう、奥の手を使わねばなるまい。
「ホントに、お願いします。わたしを見捨てないでください。ほら…。帝都に行ったとき、メルさんは魔法で動くオモチャを欲しがっていましたよね?」
その台詞に、メルの耳がピクリと反応した。
「アーロン殿、お急ぎください。出立の時間が迫っています」
「もうちょっと…。ほんの少しだけ待ってくれ!」
アーロンは使者の台詞を遮って、メルに向き直った。
「メルさん、お約束しましょう…。帝都でオモチャを見つけたら、片っ端から郵送します。すごいヤツ。もう、ビックリな魔法具を仕込んだ、最先端のオモチャですよ!」
「ホント、ですか…?」
瞳をキラキラさせた幼女が、タケウマを操ってアーロンの傍に近づいてきた。
この瀬戸際に来て、アーロンは初めてメルの関心を惹くことに成功したのだ。
嬉しそうな顔でアーロンを見つめる女児は、驚くほどに愛らしかった。
天真爛漫、純真無垢、ピカピカの妖精女王さまだ。
カワイイに決まっている。
(おいおい…。何だよ、この物体は…。天使か…?)
傾国の幼女デアル…。
おねだりモードのメルを目にして、『グビリ!』と喉を鳴らすアーロンだった。
抱っこして、膝の上にのせて、頭を撫で繰りまわしたい。
妖精女王のチャームは、保護欲を掻き立てる稚さにある。
それが妖精たちを統べる力だった。
「ホントにアーオンは、オモチャを買うてくれユン?」
「もっ、勿論ですとも…。だから、メルさん。ラヴィニア姫のコトは、よろしく頼みましたよ」
「ふぁい…。わらし、引き受けマシタ…」
「信じてますからねェー!」
アーロンは叫びながら、使者に袖を攫まれて連れ去られた。
まるで、市場へドナドナされる仔牛のように…。
クルト少年の荷馬車に乗せられて遠ざかるアーロンと使者を見送りながら、メルはコテンと首を傾げた。
(まぁーた、帝都で事件が起きたのかぁー?悪魔王子さんか姫さま方に、調査をお願いした方が良いのかな…。フレッドたちが巻き込まれてケガでもしたら、アビーだって悲しむだろうし…。仕方ない…。強制イベントの気配はないけれど、手抜きをせずに頼んで来よう!)
メルは異界ゲートを使って、地下迷宮のコアを訪れることにした。
このゲートが存在する事実は、今のところミケ王子しか知らない。
もしアーロンなんかに気づかれたら、『使わせて欲しい!』としつこく頼んでくるに決まっていた。
そして一たびメルが頷きでもしようものなら、ずぅーっと便利に使いまくるだろう。
「わらしのウチは、ツゥーロとちゃうんヨ…!」
メルはタケウマから降りて、ボソリと呟いた。
だけどフレッドとアビーにだけは、異界ゲートの存在を教えようと思う、メルだった。
飽くまでも寂しそうにしている、アビーのためである。
フレッドのコトは、どうでも良かった。








