人を呪わば…
アーロンが幼児ーズに謝罪した。
一見してクールな優男が、ショボショボの泣きっ面になっていた。
『これは不味いかな…?』と思って、メルが訊ねてみたところ、アーロンは屋敷から追いだされていた。
どうやらミケ王子の悪戯がクリティカルヒットしてしまったようで、そのダメージはメルの予想を遥かに上回っていた。
「わらし…。手おくれに、ならんよぉー。『はよぉー、アヤマれ!』と、手紙したデショ」
「そんな事は、書いてませんでしたよ…」
「ちゃんと書いたしぃー」
無意味な言い争いを経て、事実を確認しようというコトになり、メルはアーロンが取りだして見せた手紙を一緒に覗き込んだ。
「ほらぁー。ココぉー!バッチリ、書いてあるわ…。『早く、謝りましょう…。さもなければ、絶対に後悔します!』って…」
「はぁー?失礼ですが、こんなの文字じゃありません。読めません。ムリ…!」
「うんうん。メルのオシャベリは時々分かんないけど、文字も読めないよね。もう。それって、メル語ですから…」
横合いからタリサが口を挟み、アーロンを擁護した。
タリサはアーロンにお嬢さまとか呼ばれて、折り目正しく謝罪されたので機嫌が良かった。
それだけでなく、お詫びの品として綺麗なリボンをひと巻き貰った。
「メルちゃんは、タンゴ以前に文字キゴウを覚えていませんから…。あちらこちらに、キミョウなナゾ文字がハサまっています」
同じく高級リボンを貰ってアーロン派に転んだティナが、これまた『メルの文字は読めない説』を支持した。
「おまぁーら、ヨウジのくせして、ナマイキぞっ!ふつぅー。ヨウジ言ったら、ジィーは書けん。わらしも、デブもジョウトウです。リッパよ!」
「そうだぞ!おまえら、天才か?!」
「いや…。テンサイって、キミねぇー。ホメて、どぉーすんの?」
メルは呆れて、ダヴィ坊やの肩をどついた。
ダヴィ坊やがメルの味方に付いたが、余り頼りにはならなかった。
いや、むしろ足を引っ張っていた。
「あたしとティナは商人の子だから、手習い所に通ってるのね。お母さんの、メイレイよ」
「わたしの家もタリサのところも、ママがキビシイのです。ちゃんと通わないと、オコヅカイが減らされちゃう」
「ひでぇー!」
ふたりのママは、前世で言うところの教育ママだった。
そして英才教育を受けたタリサとティナは、幼児と思えないほどキレイな文字を書く。
帝国公用文字は表音文字なので、あいうえおに当たる記号を三十文字ほど覚えれば何となく読めるようになる。
ところが書くとなると、一般に定着した単語表記と発音のズレを学ばなければいけない。
単語と発音のズレには色々とあって、どうしても単語の記憶が必須となる。
メルは、それが面倒くさい。
だから耳で聞いた音のままに、記号を並べて書く。
この自分ルールで、他人に通じさせようというのだから、どんだけ女王さまなのか…?
まあ…。
四角四面なアーロンに、メルのワガママ文字が通じる筈も無いのである。
斯くして、メルのメッセージは、読めなくて当然という結論に落ち着いた。
「そもそも…。五才と言えば、もう一人前のオトナですよ。なんでも、ジブンでしなければ…。手紙だって、きちんと書けなければダメです」
「ウチのお母さんも、同じこと言ってたなぁー」
「オレは、まだ四才だ…」
「ダヴィは、ギリギリでセーフね。でも、メルはアウトよ!」
「うへぇー!そんなん、おっかしぃーわ。ナットク、行きません。わらし…。セイエージュに生ってたの、去年の春ヨ。したっけ、まぁーだ子ろもデショ?」
こんな時ばかり、赤ちゃんの振りをしても通らなかった。
「と言うコトは、ですよ…。わたしは皆さんが目論んでいたより、ずぅーっと重い罰を受けたことになりませんか…?」
アーロンが揉み手をしながら、幼児ーズに語りかけた。
メルに頼むより、すでに味方として取り込んだタリサやティナに訴えかける方が、望む効果を得られると判断したのだ。
「そうであるなら、何かしらの救済処置があってもよいのでは…?わたしが嵌められたのだと、皆さんから説明して頂ければ、少しは救われるのですが…」
「そうねェー。メル…。アンタの字が汚いから、アーロンさんはオウチに帰れなくなっちゃったのよ」
「横入りでシンキョを失うのは、カワイソウ過ぎます。家族のシンライも、無くしてしまうなんて…。メルちゃんの呪いは、ザンコクですね!」
「ちょっ、おまぁーら…。ぜぇーんぶ、わらしかい…?わらし、ワルイですか?!」
メルより酷いコトを計画していた癖に、幼児ーズは少しも分かっていなかった。
メルは顔を真っ赤に染めて、『ムキィーッ!』となった。
幼児ーズに、アーロンに、珍しく気を遣った挙句が、この有様である。
どれだけ、気遣いが下手くそなのか…?
(ミンナから…。文字が汚くて、残酷だと責められている。コレハ、どぉーいうコトですか…。ちょっと理不尽じゃない…?僕には、とうてい納得できないよ。ダレかが悪いにしたところで、それは僕じゃないでしょ!)
自分の選択が間違っていなかったと、皆を納得させるだけの言語力がメルにはなかった。
根性も気合も誠実さも、まったく足りていなかった。
とっても悔しかった。
とくに、『文字が汚くて読めない!』と詰られたコトが…。
メルは不貞腐れて、アビーの元に逃げ帰りたくなった。
これはガン泣きのシチュエーションだ。
裏切り者どもめ…。
「おまぁーら、ズルい!」
とうとうメルは、泣きべそをかきながら叫んだ。
ダヴィ坊やが、メルをガシッと抱きしめた。
「メル姉…。オレは…。オレだけは…。メル姉がワルイ子じゃないって、信じてるからな!」
「でぶ…。オマエ…!」
メルは反射的にダヴィ坊やに向き直って、『むちゅーっ!』とキスをした。
友情のチューである。
何ひとつ理解されていなくても、ひとりポッチでないコトは大事なのだ。
因みに、メルとダヴィ坊やがアーロンから渡されたのは、辞書のように厚い高価な単語帳だった。
帝国公用語を学び始めた、貴族の子供が使うテキストである。
挿絵もたくさん添えられている。
このテキストは、皇帝陛下も使用したスペシャルな品だった。
「ゴハンをあべる。おいしいな…」
「メル…。ゴハンはあべないよ。食べるでしょ!」
「だって、アーオンの本に、あべると書いてあったわ!」
「あーっ。そういうコトか…。アベルと書いて、食べると読むのです」
タリサがしたり顔でメルに教えた。
「まじか…?」
メルは単語帳を睨んで、酸っぱい顔になった。
「タリサー。殴るって探してるのに、見つからないぞっ!」
「殴るは、マナゲルで引かないと載ってないよ。マナゲルと書いて、殴るです」
「マジか…!」
ダヴィ坊やが遠い目になった。
それでもメルとダヴィ坊やは、暇さえあれば帝国公用語を勉強した。
タリサやティナに見下されるのが、すごく嫌だったからだ。
◇◇◇◇
タルブ川の岸辺に泳ぎ着いたハンテンは、大きな猛魚をお尻に付けたまま森に入っていった。
犬かきで陸地を目指しているときに襲い掛かってきた間抜けな魚は、お腹が空いたら食べるつもりだった。
タルブ川の猛魚は、ひとたび獲物に食らいついたら死んでも離さないと言われる恐ろしい魚だけれど、屍呪之王にしてみればオヤツでしかない。
自分から食いついていてくれるので、運ぶ手間が要らないのも素晴らしかった。
お尻の痛みなど気にもならない。
「フンフン…。アオォーン!」
ハンテンは空気の匂いを嗅ぎ、邪霊の超感覚を研ぎ澄まし、ラヴィニア姫の居る方角を探る。
そして正しくメジエール村がある西の方に向かって、走りだした。
樹々の合間に夕日は沈み、森を夜闇が覆い尽くす。
それでもハンテンの足は止まらない。
ハンテンを襲った猛魚は、えら呼吸ができずに事切れていた。
それでも言い伝え通り、確りとハンテンに噛みついていた。
途中ハンテンは、低木の陰に小さな魔獣の仔が倒れ伏しているのを発見した。
薄目を開けたチビは、お腹を減らして動くことも出来ないようだった。
「クゥーン…」
その鳴き声も弱々しく、今にも命の灯が消えてしまいそうだ。
『困っている子がいたら、助けてあげましょう』
ハンテンはラヴィニア姫の言葉を思い出した。
『ハンテンは強いのですから、弱い子を助けて上げなければ…』
倒れている幼獣が何であるかは分からないけれど、ここは助ける場面だった。
ケガをして血がでているし、ひとりで生きるには幼すぎる魔獣だ。
ひとりポッチの同志として、仲良くするのも悪くない。
「わん♪」
いや、むしろ助ければ、旅が賑やかになりそうだ。
是非とも助けよう。
「わんわん…」
ラヴィニア姫だって、喜んでくれるに違いない。
ハンテンがチビを助けようとした其のとき、周囲から複数の唸り声が聞こえてきた。
群れを作って狩りをする、獰猛なケモノたちの威嚇音だった。
十数匹に及ぶ、マダラ狼の群である。
ハンテンたちは、すっかり取り囲まれていた。
暗闇の中で、あちらこちらに、ギラギラと輝く目が瞬いた。
『ハアハア…』と生臭い息遣いが聞こえて来る。
チビとハンテンを食べる気だ。
生意気にも、屍呪之王を狩るつもりである。
ハンテンのヤル気ゲージが、ムイムイと上昇した。
俺TUEEEモードのスイッチが入った。
「ワオォォーン!」
ハンテンは間近にあった大岩に、頭から突進した。
『ゴチーン!』と恐ろしい音が響いて、マダラ狼たちの動きが止まった。
自分たちの獲物と思っていた相手が、想像と違うコトに気づいたのだ。
ピンク色をした小さな肉の塊は、頭がカチ割れそうな勢いで大岩と衝突した筈なのに、プルプルと尻尾を振って笑った。
よく見れば、お尻に大きな魚が喰らいついていた。
マダラ狼たちが尻尾だと思っていた部位は、間違いなく魚だった。
「ヘッ、ヘッ、ヘッ…!」
コレハ、もしかすると強敵かも知れない。
マダラ狼たちは野性の勘で、ハンテンの異質さを見抜いた。
「ワンワンワンワンワン…!」
ハンテンが吠えまくると、マダラ狼の包囲網にほころびが生じた。
その開けた隙間の先には、ひときわ大きな個体がいた。
群れのボスだ。
「グルルルルルルルゥーッ!」
マダラ狼のボスはハンテンを威嚇するように唸り、のっそりと動きだした。
ハンテンは、お尻に大きな猛魚を付けたまま、ゆっくりとマダラ狼のボスに近づいて行った。
両者、威信と命を賭けてのタイマンだ。
久方ぶりのバトルである。
千年…。
いいや、もっと長い間、ヨイコにしていた気がする。
ワクワクで、ハンテンの胸はハチ切れそうだった。
オスの血が滾った。
二頭のケモノが己の存在を示すべく、お互いにグヌヌと睨み合う。
周囲に控えたマダラ狼たちは、ひんやりとした闇に漂う邪霊の気配を畏れて動けない。
もはや一触即発の間合いだった。
夜空を流れゆく雲の切れ間から、青白い月の光が差し込んだ。
森の中に開けた空き地は、充分な広さを持っていた。
「わぉーん!」
決闘には、うってつけの舞台デアル。








