アーロンに忍び寄る危機
メジエール村の夏は、とっても暑い。
一年を通して快適な、妖精猫族の国で暮らしてきたミケ王子にとって、メジエール村の夏は我慢ならないほど暑い。
だからミケ王子は夏の日差しを避けて、家屋の床下に潜むことが多かった。
薄暗い床下が、もっとも過ごしやすかったからだ。
そんなミケ王子が、精霊樹の根元で涼しそうにしているメルを見つけて目を丸くした。
メルは椅子に座ってアイスキャンディーを齧りながら、木桶に足を突っ込んでいた。
しかも、その木桶には、大きな氷と水が入っていたのだ。
物凄く気持ちよさそうに見えた。
ミケ王子は羨ましくなった。
〈ちょっと、メルー。ズルくない?ひとりで涼しそうにして…〉
〈えーっ。だってミケ王子は、濡れるの嫌いでしょ?〉
〈うん、そうだけどさぁー。足の先だけなら、気持ちいいかもって思うんだ〉
〈なるほろー!〉
こんなとき面倒くさがらないで、ミケ王子の希望を叶えてくれるのがメルだった。
浅めの桶に水を張り、たくさんの氷を浮かべてミケ王子のまえに置く。
〈おーっ。ひんやり。ごくらく、ごくらく…〉
〈気持ち良いんだ?〉
〈微妙だけど、お腹にも冷気が来るよ。ありがとー、メル♪〉
〈どういたしまして…〉
暫しの間、メルとミケ王子は精霊樹の梢がザワザワと風に揺れる音を聞きながら、涼を楽しんだ。
〈ミケ王子って、妖精猫族の王子さまでしょ?〉
椅子に腰かけたまま、目を細めて寝てしまいそうに見えたメルが、唐突に話しかけてきた。
〈そうだけど、今さらどうしたのさ?〉
〈わたしは去年の春に、この樹から生まれたじゃない。てか、生まれたのね…。だから、色々なコトを知らないでしょ。ミケ王子とは、ずっと仲良くしてるけどさぁー。もうちょと、妖精猫族やミケ王子のコトを知りたいと、思ったのネ…!〉
〈へぇー。それは光栄です…。妖精女王さま〉
〈そうやって、茶化さないの…。ねぇねぇ…。ケット・シーって、イタズラ好きなんですってね…?確かクリスタさまは、そんな事を言ってたなぁー〉
メルは眠たそうな顔で、ゆっくりと話した。
気だるい夏の昼下がりには、心地よく感じられるテンポだった。
〈そうだねー。妖精猫族は好奇心旺盛で、とにかく人間の真似をするのが大好きなんだ。イタズラも大好きだよ…。ボクたちの気性は、風の妖精に近いから…。楽しいことが、だぁーい好きなのさ♪〉
〈でもさ…。イタズラが好きなのと、イタズラが上手なのは別でしょー。わたしは歌が好きだけど、ちっとも上手にならないもん〉
〈あーっ。メルの歌はねェー。残念ダヨネ…。だけど、ボクはイタズラが上手だよ。イタズラの天才とも、言えるかな!〉
〈ホントにー?〉
〈なにそれ…。疑わしそうに…。ホントですよ。何たって、ボクは王子だけど…。故郷では、イタズラ・キングと呼ばれてましたからねェー!〉
こうして、またしてもミケ王子は、メルの策略に嵌っていくのだった。
数時間後…。
ミケ王子はアーロンがラヴィニア姫のために購入した屋敷をしげしげと眺めていた。
赤いレンガ造りの可愛らしい屋敷だった。
デュクレール商会が、メジエール村に所有していた不動産のひとつである。
(これは、お金持ちの家だぁー。中庭の花壇も、キレイに手入れされてるし…。メルのウチと違って、敷地内に野菜が植わってない…!)
黒い…。
鼻の頭から、尻尾の先まで真っ黒いネコが、屋敷の柵をぴょんと飛び越えて中庭に着地した。
ミケ王子の外見は、メルの魔法で黒猫に偽装されていた。
忌まわしい呪いを運ぶ、黒猫である。
(さてと…。先ずは、アーロンの部屋を見つけて…。メルに指示されたイタズラを仕込まなきゃ…!)
何故かと言えば…。
(それは…。メルと約束をしてしまったからです…)
先程までミケ王子は、メルと楽しく念話を交わしていた。
他愛のない、ヤンチャな経験談のはずだった。
それなのに…。
いつの間にやら、アーロンをイタズラで困らせる計画が、実施されることになっていた。
気がつけば、ミケ王子はアーロンを陥れる工作員に、任命されていた。
(確かに…。イタズラが得意だと、メルに自慢しました…。困難なミッションほど燃えるとか、口を滑らせた覚えもあります…。メルが課題を示したとき、『ボクなら簡単にできるよ!』と鼻で笑いました…。『そんなの朝飯前さ!』とか、言い放った記憶もあります)
そう…。
すべて自業自得だった。
ミケ王子は屋敷の中庭をトボトボと歩きながら、溜息を吐いた。
(なにもメルに、騙された訳じゃないんだ…。これは自分自身への、チャレンジなのさ!)
いいや…。
完全に嵌められていた。
ミケ王子の自業自得だけれど、まんまとメルに唆されたのも事実だった。
メルはミケ王子を煽て上げ、コトバ巧みに挑発した挙句、イタズラ工作員としてアーロンの元へ向かわせたのだ。
花丸ショップで購入した、大量のかぼちゃパンツを持たせて…。
◇◇◇◇
屍呪之王が世に現れてから滅せられるまで、彼の邪霊に縛られて生涯を終えた者は数えきれない。
アーロンもまた、若くして屍呪之王を鎮魂する役目に就き、悲惨な現実と向き合う日々を帝都ウルリッヒで過ごした。
いつ如何なる時も、アーロンの心を支えてくれたのはクリスタの存在である。
アーロンが知る限り、クリスタは出会ったときから『調停者』だった。
(クリスタさまは我が師であると同時に、心の母でもある…)
勿論、本当の母親ではない。
アーロンは、実母の面影を知らない。
それ故に魔法の師匠であるクリスタを母のように慕っていた。
そんなアーロンなので、屍呪之王が滅せられた以上は帝都ウルリッヒに未練などなかった。
自分もクリスタが住むメジエール村で、のんびりと暮らしたかった。
偉大なる精霊樹に寄り添いながら…。
だからウスベルク帝国のボンクラ貴族どもがラヴィニア姫の受け入れを拒んだときに、これ幸いとメジエール村への引っ越しを決めたのだ。
アーロンはデュクレール商会に依頼して、手頃な住居を用意させた。
メジエール村に到着すると、さっそくファブリス村長に有能な使用人を紹介して貰い、ラヴィニア姫やユリアーネ女史の生活環境を整えるために雇い入れた。
こうして必要な手続きを終わらせたアーロンは、恵みの森にあるクリスタの庵を訪れた。
「こんにちは、クリスタさま。ご機嫌は如何でしょうか?」
「おや…。アーロンかい。オマエも学ばないねェー。この村では、森の魔女と呼べって教えただろ!」
「言われてみれば、そんな事もあったような…」
薬草畑の手入れをしていたクリスタに、アーロンは帝都土産の菓子折りを手渡した。
「まったく…。屍呪之王が消えちまったら、オマエの緊張感も消え失せちまったのかい…?ちょっと外で待っといで…。今すぐ、片づけるから…」
クリスタはアーロンの手土産を提げて、住居の中に戻った。
「やれやれ…。いきなり訪ねて来るんじゃないよ。こっちにだって、色々と都合ってモノがあるんだよ…。まったく…。寿命が縮まったよ!」
ぶつくさと文句を言いながらも、クリスタの手は新しく作った術式プレートに霊力を注ぐ。
クリスタに指示された風の妖精たちが、テーブルに置かれていた基本の魔法書を片づけていく。
ペンやメモの紙切れ、作成途中の魔鉱プレートに、新しい魔術式の概念図なども、次々と運び去られる。
「スムーズだね。命令文がガチャガチャしていないから、働いてくれる妖精たちに迷いがない…」
認めたくないが、魔法王は正しかった。
クリスタには、基礎から学び直す必要があったのだ。
だけど、それをアーロンに知られるのは絶対にイヤだった。
「片付いたから、入っても良いよ!」
「お邪魔します…」
「そんで…。オマエは何しに来たんだね?」
クリスタが不思議そうに訊ねた。
「えっ…。引っ越しの報告です。先日、ラヴィニア姫とユリアーネ女史を連れて、メジエール村に来ました。メジエール村の中央広場付近にある屋敷を購入して、ファブリス村長に移住の許可も貰いました…。わたしは、メジエール村の住人になったんです」
「ハァー?オマエは…。ウィルヘルム皇帝陛下の、相談役だろうに…?お役目を放りだして、何をしとる…!」
「いやぁー。だって、屍呪之王が居なくなれば、皇帝陛下の相談役も必要ないでしょ」
アーロンは平然とした顔で言い放った。
クリスタは千年も生きながらバカが治らない弟子を前にして、グヌヌと唸った。
「ウスベルク帝国は、メジエール村の存在を他国から隠すためにあるんじゃ。今となっては、精霊樹を守る盾の役割も持つ…。屍呪之王が居なくなっても、ウスベルク帝国には頑張ってもらわんと困るんだよ。てことはだ…。アーロン、オマエの役目も終わっちゃいないのさ…。分かったら、さっさと帝都に帰りな!」
「えぇーっ!嫌ですよ。もう、うんざりするほど働いたんだ。そろそろ、のんびりと余生を過ごしたいんです」
「そんなもん、知ったコトじゃないね。オマエは死ぬまで働くんだよ…!」
まさに鬼のような台詞だった。
だけどアーロンは、クリスタの命令に逆らうことを善しとしない。
『調停者』が、世界のために身命を捧げているのだ。
弟子である自分は、どう振舞うべきなのか…?
考えるまでもなく、答えは明白だった。
死ぬまで働くしかない。
『トホホ…』である。
「そういえば魔女さま。メルさんが、お店を開きましたね…」
悲しくなったアーロンは、クリスタが淹れてくれた茶を一口啜ると、楽しい話題に切り替えた。
「噂には、聞いておるよ。精霊樹の加護で、店が生まれたとね…」
「うんうん…。たしかに…。あれは店を開いたと言うより、生まれたと表現するのが正しい!」
「あたしは、まだ見に行ってないんだよ」
クリスタはアーロンの話に興味を惹かれた。
『基礎魔法の復習が終わるまでは…』と、メルの店に行くのを我慢していたのだけれど、アーロンに先を越されてしまったのが少々悔しかった。
今更ではあるが、弟子の癖に生意気である。
「可愛らしいお店ですよ。わたしは、トンカツテーショクと言う料理を頂きました…。それはもう、ビックリするほど美味しかったです」
「オマエだけ食べたのかい?」
「そんな訳がないでしょ。ラヴィニア姫やユリアーネ女史も、一緒でした」
「よく食べさせてもらえたね…。『酔いどれ亭』が開いたら、直ぐに無くなるって聞いてるよ」
メルのスペシャルメニューは、未だに需要と供給のバランスが取れていない。
幸運に恵まれた者だけが、食べることのできる料理だった。
「はい…。運よく、お昼時にぶつかりまして…。子どもたちの分が、テーブルに用意されていたんです」
クリスタは嬉しそうに話すアーロンを見て、表情を引きつらせた。
「おっ、オマエ…。子どもたちのゴハンを横取りしたんかぃ…?」
「失敬な…。ちゃんとお願いして、順番を譲ってもらったんです。アビーさんに、取り成してもらいました」
「メルが怒ってなかったかね?」
「メルさんは幼い姿ですが、立派な料理店主ですよぉー。飛び込みの客に融通するくらい、当然じゃありませんか。怒るなんて、あり得ませんね…♪」
アーロンはクリスタの心配を笑い飛ばした。








