いざっ、帝都へ!
タブレットPCがアップデートされてから、メルにとって有用かつ不愉快な機能が実装された。
お知らせチャイムである。
メルが何処に居ようとも、何か起きると頭の中でチャイム音が鳴り響く。
システム設定画面から解除を試みたのだが、チャイムの有る無しは選択できなかった。
更にプログラムフォルダーを開いて見たら、空っぽだった。
Cドライブに並んでいるフォルダーは全てダミーで、OSすら存在しない。
これはもう、パソコンではなかった。
ビックリである。
「はぁー。まぁーた、鳴りだしよった…。ええ加減にせぇヨ!」
精霊樹の二階にあるベッドで、メルがブツブツと悪態を吐いた。
お昼寝タイムを邪魔されて、かなり機嫌が悪い。
チャイムのしつこさに、メルは泣きっ面だ。
まことに以って煩わしい。
タブレットPCを起動させて、チャイムの解除アイコンをタップするまで、ずぅーっと鳴り続けるのだ。
そのような理由があって、メルはデイパックを手放せなくなった。
散歩のときも、遊びに出かけるときも、タブレットPCを持ち歩かなければいけない。
さもないと、とんでもなく長い時間、チャイム音に悩まされ続けるからだ。
「さてとぉー。こんどは、何ですかぁー?」
メルはウンザリとした顔で、タブレットPCを起動させた。
メルの横には、すまし顔のミケ王子が座っていた。
「にゃぁーっ♪」
その首もとで、金色のメダルがキラリと光を放った。
帝都ウルリッヒの高級料理店で、総支配人から貰った粗品だ。
王冠のマークと店のロゴが刻印されている。
箱に入っていたアレである。
ミケ王子の機転で、幼児ーズに帝都土産を渡すことができた。
だからメルは、ミケ王子に金のメダルをプレゼントした。
猫に小判かと思いきや、ミケ王子は大喜びだった。
〈ねえねえ、メルさん。どうかしら…。似合うかなぁー?〉
ミケ王子が、不機嫌そうなメルに話しかけた。
〈うん。とっても、お洒落だと思いますよ〉
〈そう…?ボクも…。そうじゃないかと、思っていたんだぁー〉
〈ミケさんが喜んでいるところ、実に申し訳ないですけれど…。わたしは、とっても忙しいのです!〉
メルはタブレットPCを操作しながら、面倒くさそうに言った。
チャイム音を停止させるべく、点滅しているタブをタップ。
点滅していたのは、イベントのタブだった。
ウインドーが開くと、そこには強制イベントの赤い文字。
『エーベルヴァイン城にて、精霊樹の守りを強化しよう!』
どうやら帝都ウルリッヒまで行かなければ、イベントに参加できないようだ。
(うはぁー。ペナルティー有りじゃん。キゲンは十日間ですと…?アホかぁー!)
『グギギギギーッ!』と、メルは奥歯を軋らせた。
船では間に合わなかった。
間に合わないと思う理由は、二つほどあった。
第一に、デュクレール商会の帆船は、メルの都合で停泊地を飛ばしたりしない。
メルの正体は隠されているから、『緊急事態なので急いでもらいたい!』と頼んでも、聞き入れてはもらえまい。
第二に、クリスタの協力を仰ぐとしても、次に帆船が来るまで待って期限を守れるのか…?
おそらく無理である。
メルには帆船の運行スケジュールが分からなかった。
それでも、大雑把な推測なら出来る。
メジエール村に物資が運び込まれるサイクルを思い起こすに、デュクレール商会の帆船は二十日に一度ほどしかやって来ない。
前回から、十日くらいしか経っていない。
もうこれは絶望的だった。
要するにゲートを開くしか、メルには方法が残されていなかった。
一億ポイントが、転移ゲートに消える。
(さよなら…。僕の花丸ポイント…)
メルはタブレットPCをシャットダウンして、デイパックに放り込んだ。
〈ねえねえ、メルさん。忙しいのは、終わりましたかぁー?だったら、ボクの話を聞いて下さいよ…〉
ミケ王子はメルの様子に気づかず、身体を擦りつけて甘えた。
〈あのですねェー。妖精猫族は、ひとの真似が大好きだけど…。これまでに…。ちゃんと料理店のテーブルで食事をした仲間は、一匹も居ないんデスヨ。きっと、ボクが最初です。このメダルは、その証拠とも言えるでしょ。だから宝物なんです…〉
〈あーっ。そう!〉
〈サシェを買った帝都の店に、妖精猫族のカワイイ娘が居まして…。このメダルを見せて、自慢したいなぁー。また、帝都に行けると良いなぁー〉
〈あーっ。そう!だったら、その願いを叶えてあげましょうか〉
まったく、ミケ王子は迂闊なネコだった。
〈えっ…?メル…。どうしたの…?何処へ行くの…?〉
メルはミケ王子の首っ玉を攫むと、精霊樹の地下室に向かった。
トンキーは寝ていた。
ずーっとベッドの横で、気持ちよさそうに寝ていた。
メルとミケ王子が騒いでも、一向に起きる気配は見せなかった。
運の良いブタである。
◇◇◇◇
ミケ王子はメルが帝都へと繋げたゲートに、放り込まれた。
「にゃぁーっ!」
そして気がつけば薄暗い石室のなか、緑色の巫女姫たちに囲まれていた。
〈やあ、こんにちは…。初めまして、木の精霊の皆さん。ボク、妖精猫族のミケと申します〉
〈ネコさんは、どうやって此処に来たのですか?〉
〈精霊樹の結界に扉を作るとは、いったい如何なる魔法か…?〉
〈無作法なネコよ。おまえの目的を正直に申せ。嘘を吐けば、ヒゲを一本ずつ引っこ抜きますぞ!〉
二の姫の台詞が、ミケ王子を震え上がらせた。
ここで敵認定されたら、生皮を剥がれてしまうかも知れなかった。
〈そう言われましてもですね…。ボクは、ここに放り込まれたのでして…。目的とか、別にないんですよね〉
ミケ王子は失礼にならないよう、慎重に言葉を選んで巫女姫の質問に答えた。
そもそも敵意など端から無いのだから、嘘を吐く必要はなかった。
〈おまえに意図が無くとも、おまえを遣わした主人には有るやも知れぬだろう〉
〈心当たりがあらば、隠そうとせずに話しなさい〉
〈そうですねェー。これはボクの想像ですけど、たぶん主人は試したのじゃないかと…〉
ミケ王子が悲しそうに俯いた。
〈ナニを試したのですか?〉
〈いやぁー。ちゃんと異界ゲートが使えるかどうか、知りたかったんじゃないですかね。『安全安心が好き♪』って、言ってましたから〉
〈なんて可哀想なネコ…!〉
三の姫が、ミケ王子に同情した。
〈あっ…!主人から念話が来ました。こちらを訪問したいそうです〉
ミケ王子は、メルが来ることを巫女姫たちに伝えた。
〈訪問だと…?ふざけたことを抜かしおって…。どうせ精霊樹を狙っておるのだろう…!〉
〈さすれば、思い知らせてくれん!〉
〈それは、やめて…。攻撃なんてしたら、絶対にアナタたちが後悔するから…〉
〈ヒトの手から、餌を得るネコよ。われらを侮るでないぞ。相手が高位の魔法使いであろうとも、この手で打ち滅ぼさん!〉
〈ボクの主人は、ヒトじゃないし…。妖精女王だから…。木の精霊なんて、簡単にボコられちゃうよ〉
ミケ王子の言葉を聞いて、瞬時に巫女姫たちは硬直した。
そのとき静かに扉が開いて、小さな幼女が顔を覗かせた。
「おハロー。みなしゃま…」
メルがワンピースの裾を摘まんで、宮廷風の挨拶を披露した。
クリスタに教え込まれたけれど、使う機会がなくて残念に思っていたカーテシーだ。
だが精霊樹の守り役たちは、メル渾身のカーテシーを見ていなかった。
三人とも畏れ入って、床にひれ伏していたからだ。
「ちっ…!」
メルは面白くなくて、舌打ちをした。








