ちょっと目を離した隙に
貴公子レアンドロは巫女姫たちに窮地を救われて、何とか遊民居住区域にある事務所へと帰りついた。
「レアンドロ…!やられたのか…?」
「………くっ。おまえ、酷いケガじゃないか!」
「とにかくシャツを脱いで、負傷個所を見せろ。ソファーに座るんだ」
「湯を沸かせ。治療道具を持ってこい!」
「皆さん、慌てないで…。わたしは大丈夫です…!」
時刻は既に明け方となり、レアンドロを探していた仲間たちも事務所に戻っていた。
「くっそー。治療師も居なけりゃ、霊薬も無いってのに…。レアンドロ、傷の状態を見せろ!」
フレッドがヨルグから治療道具を受け取って、テーブルの上に並べた。
「フレッド、申し訳ありませんでした。本当に、傷は問題ないんです」
「馬鹿か…。そんな血塗れで、問題のないはずが無かろう!」
「途中で助けられました。回復魔法で、傷は完全に塞がっています。いまは失血の眩暈と、疲労があるだけです」
「とにかく、腹を見せろ!」
フレッドは嫌がるレアンドロのシャツを捲り上げた。
負傷個所は固まりかけた血に覆われて、汚れを拭わなければ診断のくだしようもなかった。
「ヨルグ…。煮沸したタオルをくれ…」
「あいよ。フレッド…!」
「スミマセン…。わたしの不注意です。フレッドの言いつけを守らずに、単独で襲撃しました」
レアンドロは、素直に規則違反を詫びた。
「おまえの単独行動は、知っている…。後から駆けつけた俺たちは、おまえの仕事を確認した。ビョルンを排除したのは、実に良い判断だ。その他にも、顔の広い幹部どもを三人ほど潰したな。だが、命令違反とケガを負わされたのはダメだ。よくやったと、褒めてやる訳にはいかん!」
フレッドは傷口と思しき箇所を慎重に清拭しながら、早口で評価を伝えた。
フレッドにとって部下の命は重い。
悪党どもと引き換えにして良いモノではなかった。
レアンドロが弱ってさえいなければ、二、三発食らわしてやるところだ。
「褒めては貰えませんか…。確かに、褒められた話ではありませんね…」
「なるほどな…。腹の傷は、キレイに塞がっている。オマエが出会った治療師は、アビーより腕が良い。とんでもなく悪運が強いな。こんな腕の良い治療師に、よくもまあ出会えたもんだ」
「ヒトじゃ、ありませんでした」
事務所の応接室が、いきなり沈黙に支配された。
「このっ、馬鹿タレが!」
ヨルグがレアンドロの頭にコブシを振り下ろした。
「痛い…!」
レアンドロには冗談を口にする資格が無いし、また冗談を口にして良い場面でもなかった。
「野良犬にでも、舐めてもらったのか…?」
「ヨルグ…。ケガ人の頭をゲンコで殴るのは止めてください」
「お前なぁー。どんだけ、オレたちが探したと思ってやがる。心配させやがって…」
「済みませんでした。追手を撒くために、地下迷宮に潜りました」
レアンドロは、仲間たちに頭をさげまくりだ。
「地下水道から地下迷宮へと、通じているのか…?」
「ウドは地下水道の崩落場所を知らないのですね…。わたしも、それを知ったのは偶然です。昔の記憶を頼りに逃げている途中で、地下迷宮へと続く亀裂を思いだしました」
「そこで、人外のモノに助けられたのか…?」
「はい。顔のない…。緑色に光る女性たちが、三人いました」
ウドの質問にレアンドロが頷いた。
「質の悪い冗談じゃなかったのか…?」
ヨルグが申し訳なさそうに、レアンドロから視線を逸らした。
地下迷宮となれば、非常識な化物もありだ。
太古の昔より、数多の生贄たちが埋けられてきた、文字通りの忌み地である。
しかも今、呪われた地下迷宮はメルたちによって支配者を解呪され、無秩序地帯と化していた。
何が現れようと、おかしくはなかった。
「まさか…。地下迷宮の亡霊かよ…!」
信心深い狩人のワレンは、懐にしまってあるお守りを握りしめた。
幾つになっても、死霊、怨霊の類は怖いのだ。
殺し屋にも、そういう臆病な気質の連中が少なからず存在した。
いや…。
むしろ他人から恨まれる殺し屋だからこそ、無念を抱えた死者の霊が怖ろしかった。
他人に知られるのが恥ずかしいから、普段は強がって見せているだけだ。
「彼女たちが言うには、わたしから精霊樹の匂いがすると…。で、メジエール村の出身かと訊ねられたので、正直に答えました」
「ほぉー。こりゃまた、えらく事情通な亡霊じゃないか…」
フレッドが苦笑いを浮かべた。
レアンドロが地下迷宮で遭遇したのは、隠し事が通じないヤバイものだと思われた。
これはもう、『調停者』が扱うべきレベルの案件だった。
フレッド如きが、無策で抗える相手ではない。
ましてや負傷したレアンドロでは、為す術もなかっただろう。
「おまえの判断は間違っていない。嘘を吐いたところで、亡霊たちには通じなかったはずだ」
フレッドは、あきらめたように言った。
「デスヨネェ―。それで彼女たちは、わたしに『殿』をメジエール村まで連れて行って欲しい、と告げました」
「トノって、怨霊の親玉かよ…?オレはゴメンだぞ!」
ワレンが血相を変えて断った。
「わたしが頼まれたのです。まあ…。命の恩人に頼まれたのですから…。『殿』とやらが危険でない限りは、手助けしたいと思っています。メジエール村に、厄介ごとは持ち込みません」
「わかった。よぉーく、分かった」
「はぁー。フレッドさんよ。今の話で、何が分かったんだ?」
ヨルグが怪訝な顔になった。
「メルと同じだ。俺たちの支配を受け付けない。簡単に言えば、手に負えないってやつだ」
「ほぉー。それで…?」
「いっくら考えても、無駄だぞ…。同じ匂いがしやがる。俺には、それが分かった。この件は、お終いだ。話し合うだけ、バカらしいわ…」
「あーっ。オレにも分かった。見なかったコトにするんだな…?」
「聞かなかったコトにするんだよ…!」
「どっちでも、同じだぜ」
ヨルグは納得顔でウンウンと頷いた。
「俺はレアンドロにスープを作る。失った血を補充せにゃならんだろ。ワレンとウドは、事務所の周囲を偵察してくれ。ビョルンを討ち取られたヤクザ連中も、犯人探しに追手を差し向けているだろう。先手を打たれるような間抜けは、絶対にするなよ…!ヨルグはレアンドロを手伝え。洗浄魔法で血を洗い流し、着替えさせてやれ…」
フレッドは無表情で部下たちに指示を与えた。
「なんの話か分かった…」
ウドがボソリと呟いた。
「メルと同じか…。よし、了解したぜ」
「メルちゃんは、ネコを連れて宙に浮かびますからね…」
ワレンとレアンドロも頷いた。
「余計なことは、考えないで良いぞぉー。気を遣って先回りしても、ぜぇーんぶ無意味になるからな。亡霊の話は忘れるんだ。経験者の言葉を信じろ!」
メルの名をだされたら、フレッドの部下たちはあらゆる追求を断念する。
五歳になったばかりの凄腕シェフは、フレッドたちの身近で息づく不思議ちゃんだった。
触って確認できるオカルト現象だ。
追求すれば、常識人の頭がおかしくなる。
只、そう言うモノとして、謙虚に受け入れるしかないのだ。
◇◇◇◇
「不届き者どもめ…!」
二の姫が頭上を見上げ、吐き捨てるように言った。
「わんわんわん、わんわんわんわんわん、わぉーん!」
ハンテンも天井を睨んで激しく吠えたてる。
「異教徒どもが、われらの精霊樹さまに傷をつけようとしておる」
「姉さま…。由々しき事態でありますね。わたしが愚か者どもに鉄槌を…」
「いいえ。アナタは、ここで殿の御守りじゃ。わたしが、成敗して来ようほどに…」
「えーっ!」
三の姫は、侵入者の処罰を引き受けたかった。
ハンテンと二人きり(ひとりと一匹)で石室に残されるのは、絶対にイヤだった。
だが精霊樹の守り役は、厳しい上下関係に支配されていた。
カースト最下位の三の姫には、発言権がなかった。
「それでは、留守居役をよろしく頼みましたぞ!」
「………はい」
二の姫は不服そうに項垂れる三の姫を睨みつけると、精霊樹に同化して地上へ転移した。
「ちぇっ…。年功序列って、最低最悪の制度よね。姉さまたちは引退も卒業もしないで、ずーっと頭の上に居座っているのよ。まさしく絶望的だわ…。わたしの下に四の姫が居るはずだったのに、あの子はひとりで勝手に生きてるし…。これって、どうなのよぉー。ちょっと答えなさいよ、ハンテン…!」
「ハフハフ、わん…!」
ワンでは、話が通じない。
三の姫には不満を溢す相手も、悩みを相談できる相手も居なかった。
(ともだちが欲しい…。切実に、友だちが欲しいの…。だれかに、優しくして貰いたい…)
孤独だった。
「わんわんわんわんわん、わんわんわんわん!」
「あーっ。煩い。今度は何なのよ?水…。おやつ…。お尻が痒いの…?」
侵入者だった。
地下水道から、迷宮に忍び込む複数の男たちがいた。
「モォーッ。こんな時に、入って来るんじゃないわよ!」
メジエール村に所縁のある若人を探しに行った一の姫は、未だに戻らない。
二の姫は精霊樹を守護するために、先ほど出かけたばかりだ。
ここは三の姫が、何とかするしかなかった。
封印の石室は、精霊樹のコアである。
余所者どもを石室に近寄らせてはならない。
なんとしても地下迷宮から、追い払わなければいけなかった。
「ねぇ、ハンテン。アナタは、ちゃんと留守番できる…?」
「わん…!」
ハンテンが、プルリと尻尾を振った。
「わたしが戻るまで、ここでおとなしくしてるんだよ」
「わん…!」
ハンテンは、更に尻尾をクルクルと回転させた。
「それじゃ、行ってくる。直ぐに戻るから、お利口さんにしてるのよ。分かったわね」
「キューン…」
珍しくハンテンが、三の姫に頭を撫でさせた。
しかも、ペロペロと指先を舐めまくる。
(ハンテン、可愛い…!)
三の姫は、チョットだけハンテンに絆された。
漸くハンテンと、心が通じ合えたような気がした。
(何だか胸が、ほっこりする…)
とても、いい気分だった。
「それじゃ、サクッとやっつけてきますね」
「わん…!」
「すぐ戻りますから。ハンテン…。殿は心配しないでください」
「わん、わん…」
ハンテンは三の姫が石室から姿を消すと、ニンマリ笑った。
それは…。
悪い子の顏だった。








