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血染めの蝶  作者: 結月澪
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黒船と武士

時は、嘉永6年6月。

浦賀へ、黒船が来航した。日本人が初めて見た艦は、それまで訪れていたロシア海軍やイギリス海軍の帆船とは、違うものであった。黒塗りの船体は、帆以外に外輪と蒸気機関でも航行し、帆船を1艦ずつ曳航(えいこう)しながら煙突からはもうもうと煙を上げていた。その様子から、日本人は「黒船」と呼んだ。


宗次郎が、試衛館にやって来て、早、3ヶ月。入って来た時よりは、話せる人も増えていた。


その1人が、井上源三郎だ。


1847年頃、天然理心流の三代目宗家・近藤周助に入門。佐藤彦五郎が天然理心流の出稽古用に設けた道場で土方歳三らと共に稽古に励んだ。又源三郎は近藤勇の兄弟子でもあり、彼らとはこの頃、親交を深めたとされる。1860年、免許皆伝。然し、免許皆伝まで10年ほどかかった努力家タイプの人物だ。


「宗次郎?」


木刀を振るう宗次郎に声をかける井上に、宗次郎は、素振りをやめて、彼に向き合った。


「どうしたんです?源さん。」

「実はな。」と、言いにくそうな井上に、宗次郎は、首を傾げた。


宗次郎と出かける約束を取り付けて欲しいと勝太に頼まれた井上は、なんと切り出そうか、頭を悩ませる。此処に来るまでも、色々と考えたのだが、どうにもしっくり来ない。


そのまま、宗次郎に声をかけてしまった井上。よく考えてから、声をかければ良かったのだが、何しろ、今日に、今日の頼まれ事に、戸惑っていた。



————全く、勝太さんには参る。 黒船を見に行こうなどと、どうやって言ったらいいか。


宗次郎は、勝太とは、話さないのは、知ってるし、一緒に行くとなれば、説明せねばならない。


何も言葉を発しない井上に、宗次郎は、首を傾げる。早く何か、言わなければ。と井上が口を開きかけた時だった。


「おぅ!宗次郎!ちょっと付き合え。」

「え?・・・でも、今、源さんと————」

「いいって。いいって。大丈夫だからな?源さん。」


と、片目を閉じて井上に合図したのは、土方であった。


「あ、あぁ。行っといで。」


宗次郎の背をグイグイ押す土方。それに従い、身体は、前へと進んで行く。


そんな2人の姿を見送りながら、井上は、盛大にため息を吐いた。


「全く。歳に頼むなら、初めからそうしてくれよ。俺は、こう言うのは、苦手なんだ。」


そう言って、井上は、苦笑いを浮かべ、すでに見えなくなった2人がいった方向見て、フッと笑った。


「全く、自分で誘えばいいものを。」


勝太は、ソワソワと宗次郎が来るのを待って居た。一度ぐらい、出かけたいと思って居た勝太だったが、どう誘えばいいのかさえ、分からず、しかも、行き先なんて思いつかず、ずっと、宗次郎を誘う事が出来なかった。


そこに、舞い込んで来た黒船来航。船を見にいくなら、男も女も関係ない。それに、勝太も見て見たかった。そう言えば、土方が、んじゃ、行くか!っと、言ったのが、昨日の話だ。


歳に任せて、大丈夫なのだろうか?


不安は、山積みだ。なにしろ、土方のあの性格だ。ちゃんと説明して連れて来るなんて、多分、無理。


そして、案の定と言うべきか、


「ちょっ!土方さん!なんなんですかっ!?」


と、宗次郎の戸惑った様な、怒った様な声が聞こえてきた。

「大丈夫だって。悪い事は、しねぇから。」

「まず、悪い事ってなんですかっ!」


そんな、2人の言い争う声が聞こえて来た。


「はぁー。やっぱりか。」


と、勝太は、肩を大きく落としたのだった。


土方に無理矢理連れて来られた宗次郎は、勝太の姿を見て、動きを停止させた。


勝太も、宗次郎を見てしまえば、言葉が上手く出てこない。


「………。」

「………。」


土方は、2人を見て思う。


初めましての見合いじゃあるまいし、何なんだ?こいつらは。と。


「ほら、とっとと、出発するぞ?帰って来るのが夜中になっちまうだろ。」


と、勝太と宗次郎の背を押して、出発を促した。


黒船を見に行くと告げられた宗次郎は、ただ2人についていくだけだ。

しばらく無言のままの2人を見て土方は、盛大にため息をおとす。


「あのな、葬式じゃねぇんだよ。な?折角なんだから話しながら行こうぜ。」


「……。あ、ああ。そうだな。歳。」

「………。」



ガチガチの勝太に、無言の宗次郎。土方が間を取持ちながら、浦賀へとついたのは、日が高く上がった時であった。


目の前に見たことの無い大きな黒い船。

それを目に、宗次郎のクリクリとした大きな目は更に見開いていった。


歳なりの反応をみせた宗次郎に、土方も勝太も顔を見合わせて笑ったのだった。


宗次郎が驚くのは、無理もない。そんな大きな船を見た事などないのは、土方も勝太も同じである。日本の人、皆が驚き騒ぎ立てた程だ。


ちなみに当時の町のうろたえぶりを詠んだ有名な歌がある。


「太平の眠りを覚ます 上喜撰(じょうきせん)たったしはいで 夜も眠れず」


「上喜撰というのは高級なお茶でそれを4杯飲むだけで夜も眠れなくなる」


という意味と


「天下泰平であったのに蒸気船が4隻来ただけで夜も眠れぬほど人々は大慌てしている」


という2つの意味を上手くかけた歌だ。其れ程までに、日本国内は、大騒ぎだった訳だ。


3人は、今、まさに、その大騒ぎの黒船を目にしている。これから国は、どうなっていくのか、そんな不安が勝太を襲った。それと同時に湧き上がってきたのは、幼い頃から夢見た、『武士』という憧れの姿だ。


しかし、勝太は、農民の生まれである。道場主は、なれたが、農民の生まれである勝太が、武士になれる事は、まず、不可能である。


黒船を見ながら、勝太は、複雑な心境となっていく。だが突然、土方が口を開いた。


「なぁ。勝っちゃん。

————俺はよ。武士になりてぇんだ。」


勝太が口にすら出来なかった事を、目の前の男は、いとも簡単に、口にした。その男もまた、農民の生まれであるにも関わらず————。


そんな事は、無理だ。そう出かかった言葉は、無意識のうちに飲み込まれた。なぜなら、その言葉を発して仕舞えば、憧れであった事全てが、そこで全て終わってしまう気がしたからだ。


「————そうだな。なりたいな。武士に。」


人は、きっと言うだろう。「馬鹿げた夢。」だと。農民である自分達に、刀を振るい国の為に戦う事なんて、許されては居ない。


だからこそ憧れるのだ。自分には、決してなれるはずが無い「武士」という身分に————。


土方は、勝太を見て、目を細めた。まるで、それでいい。そう言っている様な土方の表情に、勝太は、苦笑いを返した。


宗次郎は、黒船に目を奪われながらも、2人の会話は、しっかりと耳に入っていた。


————バカなんじゃ無い?武士なんて、なれる筈がないのに。


そう思いながらも、2人の関係は、羨ましいと思うのだ。だってそうだろう?2人共に、武士に憧れを抱き、身分など関係なく、それを貫ける強い意志を持っているからこそ、口にできるのだ。


この日から、多分変わったのだと思う。

近藤勝太と、土方歳三への見方が————。













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