書類の山は人を可笑しくさせる
ここは安土の地、天下統一に王手を掛けた織田家の本拠地、日ノ本の中心地となるべき場所。
そこで一際、目を引く建造物、安土城。
当初の縄張りよりも、どんどんと今も尚、広く広がって成長していく城。
最終的には、それまで日ノ本最大の城であった小田原城と比べて、約10倍の敷地面積を誇る城となる。
そんな城の主が住んでいる部屋よりも、厳重な警備がひかれているであろう特別室で、片手で生まれたばかりの赤子を抱えながら、山積みにされた書類を片っ端らに片づけていく女子が、額に青筋を立てながら叫んでいた。
「ふざけんな、休みが欲しい!どうしてこんなもんも処理できないのよ!簡単な案件でしょうが!」
女子の悲痛な叫びが、辺りに木霊する。
「姫、手を動かしましょう」
「なんだって犬ぅ、おめぇ、口答えしてんのか!」
「姫、犬に当たってもどうしようもないで御座る」
「熊ぁ、あんたもあたしに、意見してんのか!」
「どんなに言ったところで、部屋に持ち込まれる書類の量は減らないですよ」
「寧ろ、増えているで御座る」
死んだ魚のような目で、絶え間なく書類を部屋に持ち込んで来る者達を見つめる熊。
「半兵衛、十兵衛、官兵衛は何してんのよ!」
「三兵衛殿達は、各分野の省舎にて、生ける屍となっております」
「知ってるで御座ろう、姫」
「だよね」
掴んでいた書類をパラパラと、畳に落としながら、死んだ魚のような目になりながら、三兵衛に会いに行った際、書類で埋め尽くされた部屋に阻まれ、碌に会話も出来なかった事を思い出す市。
「手が足んない!猿呼べ猿ぅ」
「姫、猿も無理ですよ、諜報はここの比ではなさそうですよ」
「上位の忍びはすぐに姿を消して、居なくなるそうで、その手の技に疎い蜂の配下が主力となり、休みなく働いているそうで御座る」
「あんな蜂でも役に立てたなら、いいんじゃない?」
「姫は、蜂に対して酷過ぎで御座るな」
「あいつ等のやってたことを、そんな簡単に許すわけないじゃない、過去やった悪事の清算をさせなきゃ、生かしてる意味ないじゃないの」
「鬼で御座るな」
「違うわよ、更生する機会があるだけ、ましだと思わない?」
「この前、蜂に会った時に、あいつ(もう死にたい、もう死にたい、もう死にたい)って譫言の様に呟いてましたよ」
「ちょっと、やり過ぎてるかしら」
「「ちょっと処じゃねぇ!」」
「五右衛門!本当なの!母上様がお戻りになられたというのは!」
「はい、安土の城に入られた由」
安土の外れに広大な敷地を要し、全国から未来の日ノ本を背負うであろう人材を集め、教育している壱学問所の最深部にある学長室にて、山のように積み上げられた書類をかたっぱしらから、裁いていた通の手が止まり、満面の笑みを浮かべながら、報告にあがった五右衛門の顔を見つめる。
「こうしちゃいられないわ!早く母上様の元に向かわなきゃ!」
「御意」
「学長!この書類の山を如何されるのですか!」
「知らないわ!あなたがしときなさい、牛」
「へっ、なっなぜ」
「あなた、副学長でしょ?任命した時、あんなに喜んでたじゃない」
「まさか、このようなことになるとは、思いもよら、」
「理由はどうあれ、自分が受けた役目は、しっかりこなさないと生徒達の見本とならないでしょうが!」
「そっそれをお通様が仰るのですか!それに副学長は、寧々殿や松殿が辞退したから、」
「やかましい、さっさとこの書類を自分の執務室に持っていきなさい」
「りっ理不尽なぁ」
両膝を床に付けて、天を仰ぐ太田牛一こと、通称牛。
「まっあなた一人では、片づけることなど無理でしょうから」
「如何なさいますか?お通様」
通と牛の会話を、静かに聞いていた寧々が口を開く。
「そうねぇ、あの子達が使えるかどうか、試してみようかしらねぇ」
「まさか、佐吉達ですか」
「流石、寧々、あたしの考えを見抜いてるのかしら?」
「すべてはわかりませんが」
「彼らのことがすぐ出るのなら、あなたも試したいんではなくて?」
「では、そのように手配いたします」
「よろしく頼むわ、でもあなた、猿の嫁にはもったいないわ」
「ああ見えて、うちの旦那様は凄いのですよ、お通様」
「知ってるわ、あの母上様が、猿を見る時の目だけ、ちょっと違うと思ってるから」
疑いを持った眼差しを寧々にぶつける通。
「うちの旦那様は、信長様の恐ろしさと、お市様の優しさを裏切ることはしないと言えますよ」
「そうかしら、結構抜け目ないって、あたしは思ってるんだけど」
「でなければ、この乱世、生きては生けないのでしょうが、これからは変わるのでは無いでしょうか?」
通を優しく見つめながら、話す寧々に毒気を抜かれた顔をしてしまう通。
「あなたにはかなわないわね」
「そのようなことは」
「まっいいわ、それじゃ頼んだわ、寧々」
「はい、お任せを」
通と話した後、寧々は即座に動き、教室に居た佐吉達を無理やり引き連れ、牛の部屋に持ち込まれた書類をすべて短期間で処理してしまう。
後の事ではあるが、寧々や通は自信を持ち、市に報告すると、彼らを使う事を進言して、織田家の重要な場所に派遣され、頭角を現していくことになる。
通は五右衛門を引き連れ、安土城に入ると、特別室に向かっていた。
「おまちを」
「これより先は限られた方しか入れぬ場所」
通の進む先に居た二人の若い男が、通の前に立ちはだかる。
「私のことが分からないという事は、新しく入った方かしら?」
首を傾げながら、男の顔をまじまじと見つめる通。
「なんだ小娘、我らの事を聞くよりも、自らが名乗るのが筋であろう」
「まっまて、源三郎」
「んっ?なんか可笑しい事を、俺は言ったか?仙千代」
「よく考えてみろ、この安土の城に居る娘が、只の娘であるわけがなかろう」
「どんな娘であろうが、人に名を尋ねる時は、先に名乗るのが礼儀であろう」
「たしかにそうではあるが、」
「おい、黙って先に進もうとするな!」
「そのまま口論しておられたら、よかったのに、メンドクサイ」
二人で口論を繰り出している横を、すり抜けようとしていた通は、笑顔のまま毒を吐く。
「面倒臭いとはなんじゃ!小娘」
通の襟首を握って、上に釣り上げる源三郎。
「小僧、死にたいのか」
「えっ、」
「下せ」
源三郎の首元に、刀を添えて冷い言葉を吐く五右衛門。
刀を首元に添えられた源三郎は、ゆっくりと通を下した後、両腕を上に上げる。
「五右衛門!手が早すぎ!」
「お通様には、言われたくはありませんな、しかしその動きは、悪くありませんが」
「なっ、」
「まだ動きに無駄がありますな」
下された通は五右衛門に注意するが、五右衛門は気にした素振りも見せていない。
そんな時、素早く動いた仙千代は、刀を抜いて対峙しようとするが、五右衛門の空いていた左手に握られた苦無を、仙千代の首に押し当てて、無力化する。
「確かに礼儀がなってなかったわ、あたしは通、この先に居るお市様の子よ」
「「なっ!お通様」」
五右衛門に刀をあてられていた事を、忘れているかの如く、素早く膝を屈して頭を下げる両名。
「それで、あなた達は?」
「はっ、武田家家臣武藤昌幸が嫡男源三郎と申します」
「織田家臣森可成六男、仙千代で御座います」
「新しい伯父上様の小姓かしら?」
「「はっ」」
「伯父上様の小姓であるあなた達が、此処に居るって事は、母上様にお会いに行くところってとこかしら」
「そうです、上様より、お市様にご挨拶をして来いとの仰せで」
「なら今日は、遠慮して頂戴」
「「えっ」」
通の言葉に、意味が分からず困惑する二人。
「今日は、あたしが母上様を独り占めしたい、だから遠慮して」
「なっ!そんな我儘聞けるわけっ」
「わかりました!我らはまた別の機会に!」
「何言ってんだ!仙千代!」
「いいから来い!源三郎!」
仙千代に引きずられるようにその場から、離れていく二人。
そんな二人を見ながら、「ごめんなさい」と二人に聞こえないような小さな声で話す通。
「なんで、俺達が遠慮しなくちゃならないんだ!答えろ仙千代」
顔を赤らめながら、話す源三郎に呆れた顔をして、仙千代が答える。
「お通様の顔を見ていなかったのか、あの顔は、子が親の愛情を欲しがる時の顔だ」
「っ!」
「お市様は、個人の時間など皆無の方なのだぞ、それでなくとも奥州遠征で暫く離れ離れだったのだ、その位、察してやれ」
「くっそうだったか、気づかなかった、すまなかった」
「いや、私からも、その方らには、謝罪しなければな」
「おっお前は、」
二人の話していた場所に、五右衛門が現れると二人に謝罪する。
「私は、百地衆副棟石川五右衛門、お通様警護の任に就いておる」
「えっ百地衆!」
「五右衛門だと!御屋形様が褒めておられた忍びの手練れか!」
「ほう、わが名も知れるようにはなったのか?」
まんざらでもない顔をする五右衛門に、二人は頭をこくこくと下げる。
「仙千代と言ったか、お通様の事を察してくれて助かった、礼を言う」
「いえ」
「お通様は、ご自分のお気持ちを表面に出す事が苦手でな」
「苦手?そんな訳ないだろ!俺達に、遠慮しろって言ったぜ、あいつ」
「おい、あいつでは無い、お通様だ」
「仙千代、さっきから可笑しいぞ、お前が一番あいつ、いやお通様のような、すました女が嫌いだろうが!」
「おっおかしくないぞ」
源三郎に突っ込まれて挙動不審になる仙千代。
「お通様は、お市様の事になると人が変わられるのだ、我慢強く、思慮深いが、お市様に事になれば、すべてを捨て去るようなお方なのだよ」
「「・・・」」
遠くを見つめるように、悲しそうな顔をして、話す五右衛門に何も言えなくなる二人。
「もう少し、おぬし達と話してみたいが、お通様の元に、戻らねばならんのでな」
「わかりました」
「どうせ、また会うことになろう」
「えっ」
仙千代が、驚いた声を上げた時には、もう五右衛門はその場から消えていたのだった。




