1942年12月24日の東部戦線
キリスト教において、12月は1年のうちで最も重要な時期のひとつである。
――そう、イエス・キリストの降誕を祝う「クリスマス」がある。
第二次世界大戦時のドイツでは、国民の多くがプロテスタントやカトリックといったキリスト教徒であった。
当然、前線で戦う兵士の中にも信仰を持つ者たちがいた。
彼らは、戦争という非情な現実の中で、この聖なる日をどのように迎えていたのだろうか。
本短編で描かれるのは、戦局が厳しさを増す中、防衛にあたるドイツ軍と、苛烈な攻勢を仕掛けるソ連軍が激突した「チル川の戦い」の直後。
血と氷に覆われた戦場で、ドイツ軍が迎えた24日の夜、「クリスマス」の記録である。
1942年12月24日。
東部戦線の南部、チル川流域。
チル川で繰り広げられた3週間にも及ぶ死闘は、ようやく終わりを告げようとしていた。
ソ連軍の執拗な攻勢から陣地を守り続けたドイツ軍は、チル川流域の戦線を辛うじて維持する。
援軍として素早く駆け付けた第11機甲師団も、数日前にはこの地域を離れていた。
前線には、束の間の静寂が訪れていた。
だが、それは決して「平穏」ではない。
雪の下には砲弾の破片と血痕が残り、凍りついた地面には、まだ多くの死体を抱え込んだままだった。
そのような場所であっても、時間だけは進む。
この世の地獄に、クリスマスが訪れたのだ。
チル川周辺、ドイツ軍第336歩兵師団の防御陣地。
寒さに震える兵士たちは、焚き火の周りに身を寄せ合っていた。
凍てつく空気の中、火の熱だけが、かろうじて生を感じさせてくれる。
「随分と長い間、故郷に帰れてないな。手紙は来るけどさ……」
「暖かい飯と、暖かい毛布が恋しいよ」
「母さんに会いたい……前から病弱でさ。俺がいないと」
この夜だけは、階級の違いは意味を持たなかった。
誰もが等しく兵士であり、親の子であり、あるいは親であり、家族の一員だった。
「ディートリヒ中尉は、どうします?戦争が終わったら」
部下からの問いかけに、若い将校は少し考えてから答えた。
「私か……そうだな。故郷に帰って、花屋でもやりたい。銃を握るんじゃなくて、花をね」
一瞬の沈黙のあと、小さな笑いが起こった。
ディートリヒ中尉も、つられて笑ってしまう。
だが、その夢を嘲る者は、誰一人としていなかった。
「……故郷が恋しいな」
誰かが、ぽつりと呟いた。
その時、静寂を破るように、隣の陣地から美しい歌声が響いた。
突然だった。
「……O Tannenbaum, o Tannenbaum, Wie treu sind deine Blätter」
ディートリヒ中尉をはじめ、兵士たちは皆、その方向を見た。
やがて歌は重なり、近くの陣地へ、さらに周囲の部隊へと広がっていく。
凍てついた大地に、人の声だけが、温度を持って響いていた。
皆が静かに歌う中、低く唸るようなエンジン音が、ゆっくりと近づいてきた。
第336歩兵師団が運用している「オペル・ブリッツ」である。
車体には、できる限りの装飾が施されていた。
枝を括り付け、紙切れを星の形に切り抜いただけの、即席のクリスマス仕様である。
「メリークリスマス!」
乗員の1人が叫び、兵士達に菓子パンと酒、そして煙草を配って回る。
1人につき、小さな菓子パンが1つ。
ディートリヒ中尉は不思議に思った。
普段なら滅多にない豪華な配給である。
思わず聞いてしまう。
「珍しいな!こんな配給は」
「あぁ!祖国と軍団からの贈り物だよ!俺たちが挙げた戦果への労いだってさ!」
「……そうか!ありがたくいただこう!」
少ないように思えたが、今だけはそれで十分だった。
兵士たちは、確かに祝えたのである。
地獄の戦場を戦い抜き、生きてクリスマスを迎えられたことを。
この日、第336歩兵師団の参謀は、日誌にこう記した。
『クリスマスの祝賀は、情勢に相応しい形で、将兵達によって静かに行われた。
司令部宿舎および幕僚本部において、質素な祝賀会が催された。
緊迫した状況にもかかわらず、師団の全将兵に対し、酒、タバコ、菓子パンの配給が行われた。
また、果てしない氷雪の草原には、いくつものクリスマスツリーが見られた』
「負の側面」を描かず、このような内容を書くことに、決して迷いがなかったわけではありません。
……視点を変えれば、1942年の12月、スターリングラードで包囲されているドイツ第6軍がいますし。
チル川の戦いに興味が湧いた方は、是非調べてみてください。
よくドイツ軍は「連合軍に対して兵力不足」と言われますが、それを如実に表している戦いの一つです。
第336歩兵師団は、チル川の戦いにおいて、その戦線維持に多大な貢献を挙げています。
この歩兵師団がいなければ、援軍に駆け付けた第11装甲師団も自由に動けなかったでしょう。
……当時、故郷から遠く離れた前線の兵士たちにとって、クリスマスという日はどれほどの意味を持っていたのでしょうか。
私は熱心なキリスト教徒でもありませんし、当時を過ごした訳ではない。
それでも、この日を祝い、過ごすことに、きっと意味があるのだと思います。
私は、そう思いたいです。例えその意味が、どれだけ薄っぺらいものであろうとも。
どうか皆さんも、良き一日を!
……これを言うには、ほんの少し早い気もしますが……
Frohe Weihnachten!!
https://youtu.be/ZLqbkBPNEUU?si=Z-36RjdmV5s0gTwc
(O Tannenbaum, o Tannenbaum, Wie treu sind deine Blätter)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%BF%E3%81%AE%E6%9C%A8_(%E6%9B%B2)
(馬鹿みたいに長くなってますが、wikiへのリンクです)




