パンドラボックス2
そして、光太は追いかけた。もはや本能的にだろうか、全力を出して近づこうとした。当然といえば当然だろう。この行動自体は、誰が責められるというのだろう。劣悪な環境化でのストレス、人恋しいというのも無論あった、そして――見た目を信じるなら――少女であろう人間が生きていける環境でもないという相手への思いやりもそこにはある。
責められるとすれば。それは、光太の中でより高い感情が――逃がしてはいけない、というものと、一人にすべきではない、というそれがどうにも思いやりからのものではないものだった事だろうか。
しかし、なんにせよ現実は光太の思いはどうあれ――少女は逃げ続けている。
それも、怪物たちから逃げているわけではない。いや、怪物というか、化け物たちからも逃げてはいるようではあるが、それより増してというべきか。
明らかに、光太を見て逃げているのだ。むしろ、化け物たちより積極的に光太から逃げているようにさえ見えるくらいに。そのくらい、はっきりとした逃走。
それに対して光太は『どうして逃げるんだろう?』と考えた。追いかけながら『どうして逃げるんだい!? お話ししようよ!』と実際叫んだ。ひとしきり叫んだり追いかけたりした後、書き込んだり悩んだりした後、やっと我が身を振り返るという行動をした。
そして気付いたのである。
俺、まず見た目真っ黒じゃん、と。影みたいになってるじゃん、と。人の形をしているけれど、人の形をしているだけとも言えるじゃん? と。それ人間とは思えなくね? と。
そして、そんな人間の形をしているがどう見ても人間には見えないだろうものが追ってくる。どうして逃げるんだ! とか叫んでも来る。
さて、信じられるだろうか。
光太は首をひねりながら、逆の立場で考えてみた。影のようなものがわかる言葉――そもそも言葉は無条件に通じると信じている時点であれだが――で全力で追いかけてくる映像。正直、怖いなぁと他人事のように思った。
そうしてよくよく考えてみれば、姿も行動も発言も判定はまるでダメだといってもいいのかもしれない、そう光太はようやく気付く。
そりゃ、逃げるよな。むしろ、止まったら殺されるフラグじゃね?
と、光太はそう納得を得る。次に、でも、じゃあどうしろというのだろうか? とも思いながら光太は首をひねった。
少女を追う事を諦める、という選択肢はない。光太はそれを選択できない。
心の上でもそうだが――何より、先に進む上でそれが必要だという事を確信してしまっているからだ。思考の余地がないほどに。それを曲げることができないと確信しているからだ。
この状況をどうにかすることに少女の存在が必須であることを確信してしまっている以上、相手の反応がどうであろうが――光太の行動が変わることはない。
光太はもはや、全身が真っ黒に覆われている。はた目から見たら、光太だとはわからないだろう。真っ黒な塗料で塗られたよりも酷い、何かよくわからない黒に包まれた顔のない黒。
そんな自分の事にはあまり頓着はしていない。いや、初めはしたが――それはもう終わったのだ。一通り凹んだ。立ち直った。だから、もう気にしない。思い出したようにしても、即座に立ち直れる程度でしかない。自分の今の姿が、相手がそれを化け物だと思うだろう、という想像ができる上で、だ。
はっきりいって、異常である。誰が例えば顔面が徐々に無理やり別人にされていっていることに、慣れたからと平気で活動なんてできるようになるだろう。それが徐々に広がっていく様を毎日見せられて、どうして正気を保っていられるだろうか。
だが、光太は嫌だろうが慣れてしまう。悩みに溺れることはなく進めてしまう。
最終的には心をすり減らすことにもならない状態になることができるという事だ。
そうしてここまできている。
その異常とも呼べるような精神は、常日頃掲示板ではネタとしてみられる部分も多くは露呈していない――クソゲ、と呼ばれる同じような難度だろうダンジョンにいるものたちや、察しが良くよく絡む一部の他の難易度のものが多分そうかもしれない程度に気付いているくらいだろうか。それでも、ここまでとは思ってもいないだろう。掲示板等では強がっても、思っているより疲弊していると考えられている。
こうして少女を探し回れるくらいになるまでに、光太はブログのように挙げている日記もどきで書くより、同難易度の仲間と呼ぶべき者たちへ愚痴で吐くより、はるかに死んで生き返りを繰り返している。
光太は特別に体が強かったり身体能力があるわけでもなければ頭がそこまで早く回るわけでもなく、察しが特別よかったりもしなかった。超能力のような何かも持っていない。だから、何度も何度も死んで覚えていった。それしかなかったのだ。
それができるという事に、おかしさは感じなかった。光太の中では当然のことに過ぎなかったからだ。
光太の心は折れ曲がりはする。けれど、決してそのまま折れたままにはならないし、砕ける事もない。
それは――恐らく、長所と呼ぶには歪すぎている。
光太にとって自分の心とは元の形に戻るのが当然とばかりに、繰り返すことでそれに慣れて立ち直り速度は早まり続けた。
それはきっと、人生一度きり、こんなファンタジーな状況にでもならなければ――多少頑固だよな、立ち直るの早いよな、くらいで終わるようなもの。それ以上はなくてもよかったものだろう。
死という、誰しもが最後には恐れ、近づけば恐怖し、体験すればもう嫌だと、生き返らずに殺したままにしてくれ! とすらいいたくなるようなもの。いくら掲示板等で冗談めかして言っても、ダンジョンにいるものは、終わらない死を恐怖し、遠くへ離したいものだと考えているそれを。人間以外だってそうなるそれを。『まぁ、立ち直れるから嫌だけどいいか』と言える。言えてしまう。口だけでなく、実際そうできてしまう。
そんな過剰な苦しみでもなければわからない才のような何か。
全ての苦しみ、その耐性というか、受け止められてしまう柔軟性と呼ぶべきなのか。生物として、人間としてはどこかむしろ歪まないからこそ歪んでいるともいえるような、そんな。
「うーん。手ぶらで言っても逃げられる。大丈夫だよ! と言って逃げられる。なんでだろう? 言葉が通じない? いや、翻訳されてるって話では? クソゲだけ適応外って話ですか? 人じゃないとか? わかんねぇなぁ! クソかよぉ! ……クソだったわ。ここに道理が通じると思ってしまうなんて、俺が間違っていたんだ……」
立ち返り、拾った手をそっとおいて光太は首をひねる。
しかし光太にどんな異常性があろうが、少女にはわからないはずだ。本人にもあまり自覚はないし、例えば心を読めるとしてもわからないだろう。表向き、その思考だけを読んだならそこには普通過ぎる思考くらいしか通常みることはできないだろう。異常な状況で、普通という認識をしてしまうくらいの思考をしている、という意味での異常という点は見れたとしても。行動として見でもしなければ。
「プレゼント作戦……いやそれ以前にガン逃げ状態なんだって話なんですが」
だからというわけでもないが、答えが出せないでずるずるただただ追いかけるままになってしまっている。
少女は必死に逃げる。それはもう、すごい勢いで逃げていく。
まるで、捕まったら終わりだというように、逃げ続けるのだ。
「……死ぬのって、辛いはずだけどなぁ」
逃げる。少女はいつでも光太から逃亡する。それは――逃げる先が、その結果が、他の怪物に殺されるとしても、なのだ。それが明らかでも、そちらのほうに行くのだ。
自殺するように。
自分にとっては立ち直れる速度もあがったものだし、繰り返せるし立ち直りも早くできると思っているとはいえ――光太はそれでも一応、それが辛いことだとは思っているし知っている。同じように、生き返るのだとしても。
そう、少女は生き返っている。別個体ではないとどうしてかわかる。何度も見つけて、何度も逃げて、そして同じく死んでいる。繰り返している。部品が落ちていたのは、つまりそういうわけだった。見えないところでも死んでいる、殺されている。
同じように生き返るというかどうかは光太にはわからなかったが、復活しているのは確かだ。けれど、率先してそうできるかといえば、そういうわけではないはず。
このパンドラボックスというダンジョンにおいて、光太は当たり前と思っていたことがある。
それは、怪物同士では殺しあわないという事。巻き込むことはある。けれど、率先して敵対行動をとって光太がいないところで殺しあっている様子は見つからなかったという事だ。
そんな中で、少女という存在はどうだろう。どうみても、怪物たちに襲われている。しかし同じ立場のようにも思えない。これは不思議な感覚だが、どうしてかわかるのだ。己とは違うのだと。どちらかといえば、化け物共の方の気配の方が近い気すら光太はしている。
しかしそんな存在を、どうしてかより積極的としか思えない勢いで怪物たちは殺しているように光太は見えている。速やかに殺す。そうするのが当然というように殺す。時に少女の近くまで行けた光太すら無視して殺す。
結果、少女はバラバラになる。首だけ飛ぶ。心臓が射抜かれる。内側から膨れ上がるように爆発する。毒々しい色に染まって全身が溶ける。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。
死に続ける。何度も何度も繰り返し、その様を見てきた。
何度も何度も繰り返し、そうなっただろう後の現場も見てきた。
少なくとも光太が見た限りにおいて、毎回少女は苦しみ、叫び、血反吐を吐きながら、目に色々な感情を乗せて死んでいっている。光太の慣れたようなそれとは違うありさまだ。
それは必ず死ななければならないといわんばかりに殺されているようにも見えた。
だから戸惑う。
そしてその上で、光太から少女は逃げるのだ。死ぬのは苦しいと理解しているだろうに、ただ逃げる。逃げ続けている。見つけてから一度も自分から攻撃してくることも、守ってもらおうとも、巻き添えにしようともせず。逃げて、死に様だけ残す。
化け物より化け物を見たというように、怯えたような感情すら見せて。
光太という、今のところ唯一追いかけはしても攻撃はしていないはずの存在であるのに。殺してなどいないはずの存在なのに。
「……まるで、殺されるよりも俺に近寄る方が恐いといっているみたいじゃあないか? 実際言っているようなものだし……それって、かなり酷くない? 精神攻撃っていうんなら……あぁ、有効だと思うよ。ビッグマウス改の罵倒なんかより、ずっと心に来るね」
はぁ、とため息をつきながら、光太は凹む。解決策が見えないこともあるが、そこまで嫌われるなんて、という気持ちで毎度こりずにがっくりする。そこまで年下に嫌われたことがないから――そう、例えば、妹の友達だとか、妹自体にだって――
「…………」
無表情に、顔を上げる。それはそうだ。そもそも、もう表情がでるような顔がない。
どんな感情を抱こうが、表情をとれる部品は見えなくなっている。
わからぬ口ですぅっと息を吸う。
どこかで、ぴし、と、音が鳴った気がした。光太は、何故だか自分の体にヒビでも入った気持ちになった。
なぜだろう。
自分の内側が気になって仕方ない気分が湧く。自分を開きにするような趣味はないはずなのに、どうしてか中身を見たくなるような。ただ開くだけでは見れない、その奥底を見たいような――そんな。
まるで、一人の体ではなくなったみたいな気持ちになった。自分の心はもう立ち直っている。けれど、何か不思議な感覚がそこにはあった。どこか懐かしさすらあるような。
「……………………」
不思議だった。わからないし、見えない。見れないもの。奇妙な感情と感覚が湧いて仕方がないというのに――
それが、不快でないことが、何よりも。




