かおりかおる5
「そうだよ。俺は人間が気持ち悪かった。臭くて臭くてたまらないからだ! どんな人間だって強烈なにおいがする。感情のにおいがする。ごまかして生きる、その皮の下では負の感情がドブよりも臭いを発している。どんな綺麗な言葉を吐いたってその口からクソ以下の臭いが漂ってくるんだ。混ざりあって、より悪臭が漂う! そうだよ。確かにそうだ」
ここで、初めてガーフィールドは誰かにそのことを自分の意志で吐き出した。前のように、流されたように、ごまかすようにではなく。
そうしようと思ってそうするのは、確かに勇気がいった。アルセンのことを、どうでもいいと思ってはいなかった証明でもあった。それは、それを知れたことは。言葉に出した、その行動の対価として――ガーフィールドにとっても確かな救いであった。
ガーフィールドの絞り出すような言葉に、アルセンの表情が少し明るくなる。
「臭い、臭いか。そうか……簡単にそういうべきじゃないとはわかっているが、辛かっただろう? でも、どうだろう。彼女たちは、彼女たちからはもう、そんな臭いを感じないんじゃあないか……?」
「あぁ。感じないよ……感じないし、何も臭いがない人間がいるんなら、それはもしかしたら素晴らしいことなのかもしれないって思ったことがないとは言わない」
「そうだろう! だからこっちにこい。我慢する必要なんてないんだ、ガーフィールド!」
アルセンの表情は、ついに笑顔になる。矛盾に染まった己に気が付かない。
そんなアルセンを目にしても、ガーフィールドの心は痛む。痛む心があることを喜ぶ自分に、また嫌悪を重ねながらも。
「ここが、ここが楽園なんだ。ガーフィールド、私たちのようなはぐれものでも、安心して生きれていいじゃないか……! 幸せを少しでもつかんだって許されるんじゃあないのかガーフィールド……!」
その手をつかむこともできただろう。ガーフィールドは、そうする選択肢もあったと思う。それもきっと、慣れることができただろう。
その手段があると提示していることに間違いない。アルセンの手をつかめば、彼女と呼ぶそれは自分たちのものになるだろう。悩みがなくなるかもしれない。いいや、悩むことをしなくなるだろう。プレイヤーたちと敵対しても、恐らくどうにでもなる。ここまで数をそろえられて自在に操れるのであれば。
「俺だって、きっとお前だって幸せになる権利はあるさ……!」
だが、そうしなかった。
「でも、それだって他人を踏みにじっていい理由にはならないんだアルセン……!」
そうしなかったのは、自分のためだけではないとガーフィールドは思いたい。そうできる自分がまだあるのだと――共感できる誰かに、最後まで理解しない方向に進んでほしくないという気持ちが、本心で言えるそれがあるのだと。
アルセンの表情が、明らかに歪む。それは不快というにはあまりに重い臭いだった。悲しみに溺れそうになるくらいの、そんな。
ガーフィールドは、ただ言葉だけを捉えない。言葉と、臭い。言葉だけで矛盾があるが、臭いが――アルセンも、きっとそうだ、そうして欲しかったんじゃないか、という可能性。
「どうしてだよ、じゃあこのままでよかったのか? 僕たちは、彼女たちを結局殺してしまう毎日を続けて! 彼女たちは、ただそれを受け入れて! 何が、それが、どれが幸せって呼べるんだい……? 僕は」
「お前は、お前はどんなに変な行動をしたって一定のラインは超えなかった。それはきっと、誤魔化しかもしれなくとも、美徳だったんだよ……けれど、だとしても……どうしてそんなになるまで耐えてしまったんだ……!」
ガーフィールドの口から出ているのは、明らかな否定だ。けれど、アルセンは、できるはずの攻撃の一切をしようとしない。そうしないことが、ガーフィールドの行動を何より証明しているように思えた。だから、言葉を重ねることにどれだけ痛みを感じても、やめる気にはならない。
それが、初めてできたかもしれない本当に友達だといえる存在をなくすかもしれなくとも。
嘘にしたくない。
「臭いがなくなるっていうのは、生きてないってことなんだよアルセン! お前だって、今共感してほしがってる。俺という人間に話している時点で、そうしようと思ったことがっ……お前だって本当は、何も言わない人形が欲しいだけなんじゃないって気付くだけでよかったんだアルセン!」
それが、致命的な言葉だ。それをガーフィールドは理解している。アルセンの表情が抜け落ちた。他人が見ればそれこそまるで人形のように思えるかもしれないが、確かに臭いが漂う事が表情通りの感情でないことを伝えていた。
「共感、そうか。共感か……あぁ、そうだった。そうだな、君は人間だった……」
「俺たちは、ほかの誰かから見れば、よっぽど哀れなのかもしれない。
俺なんて、誰にもばれてないけれど――本当は憂さ晴らしに掲示板ではうんこうんこ言ってるような奴なんだ。それを知られれば、猶更哀れに映りもするだろう。けれど、自分たちからそうなってやる必要はないんだよ」
表情が『え? あれお前なんそれは引くは』というようにドン引きした臭いとともに一瞬変わったが、すぐに戻る。それが優しさからであることも、ガーフィールド知っている。それに気付いてほしいのだ。
ガーフィールドは、自分が言えた話ではないと思いながらも――アルセンに。自分を嫌いになりすぎる必要なんてないという事を。そういう優しさや、良いところがあるという事実も認めたほうが楽になるのだという事を。
「俺に、こんな提案をしている時点で――お前は、止めてほしかっただけなんだよアルセン。落ちていこうとしながら、踏ん張っていたんだ。ここまでしたら同じ外道だと誰かは言うかもしれないけど、俺はそうは思いたくない……! だから、やめようアルセン」
もっとネジくれた性格なら、楽だったのだろうと思う。
アルセンも、ガーフィールド自身も。
大事をしでかそうとしていた割に、たかがこんな説得ともいえないような会話くらいで揺さぶられてしまう程に、自分の行動に嫌悪を感じてしまうくらいなら。
しかし、そうであるからこそ、まだどちらも人間であると言える。そう思う。
「でも、もう、しでかしてしまったんだ……僕は……」
「……喧嘩だ。これは。なぁ、アルセン。知ってるのは俺とお前だけだろう? じゃあ――黙っていれば、わからない」
そして、一度晒しあえたなら、猫をかぶる必要もないだろう。
「喧嘩……? こんな、抵抗もない彼女を巻き込んでおいて? そんなことで、いいの? 裁かれるべきなんじゃないか……?」
「どうせ、元に戻せるんだろ? 戻したから許されるだなんていってるわけじゃない。じゃあないけれど……大体、誰が裁く権利なんて持ってるっていうんだ? 被害者っていうんなら――彼女たちになるわけだが」
いや、それは……という表情をアルセンがする。それはそうだろう。意志というものが薄弱だから、こうできたことは言われなくともガーフィールドにもわかる。
裁いてくれといったところで、というのは目に見えている話。
「自分自身が悪いことをしたと思うなら、自分自身で悪いと思ってろよ。それなりの行動をこれからしていけばいい。裁かれたいなんてのは、ここでは何も解決しない以上ただの自己満足だ。違うか?」
それはきっと、今までよりはよっぽどマシだと思うのだ。何も解決していないかもしれないけれど、お互いにとって。それは、大事なことだと思うのだ。
それを、大事なことだと感じることこそが。
きっと、お互い足りなかった。人を知ろうとすることが。ごまかそうとするばかりで、そもそも混ざろうとしていなかった。怯えることが悪いとは言えない。けれど、それでもと思うのなら――ほかの誰かを見つけた時くらい、踏み出せる自分でありたい。
「君、やっぱり本性はあれだったんだね――優しくは、あるんだろうけど。それで、いいのかな……?」
ひきつったような笑い。どこを見ているのかわからないが――ガーフィールドにはっきり向けられた顔。
それが、事の終わり。
「いいさ。俺はなんだかんだ、そのくらいの貢献をしてきた自負がある!」
「開き直りすごいですね」
「臭いがなくなるわけじゃない。けれど、臭うから人間は生きている。生きていける。
臭う事が悪いんじゃない。悪臭を漂わせる事を恥じぬ事が悪いのだ。
悪臭を放ってさえ、行動に移さない美しさを受け入れない事をこそ恥じるべきだ」
「なんか綺麗にまとめようとしてるけど、自分の発言を自分に当てはめようよ……」
嫌いなところがお互い無くなったわけではないし、自分の性根が変わったわけでもない。関係が深まったようで、そうなるには時間もかかるだろう。お互いの深い部分で、また摩擦が起こらないわけもない。他人にこのことを知られる時がくるかもしれないし、そのトラブルもあるかもしれない。
それでも、ガーフィールドは昨日までの自分より、進めた気がしたし、こうして話せてよかったと思えた。アルセンの表情も、ここにきて一番、安心したように変わっている。
「掲示板のアレっぷりは正直、僕より酷いと思う。君だって行動を改善すべきだ」
「うんこといって何が悪い。お前よりましだ」
つまるところ、本性がコミュ障な二人が、わかりあうために大事を起こしかけてなあなあにしただけ。それがなんともしまらなくとも、結末になる。
自己嫌悪の塊で、他人だって相変わらず苦手。本音をぶっぱなせばいいというわけでもないから、猫をかぶる日々も続くだろう。
それでも、自分を知っている誰かが共にいるのなら、いつか愉快な結末を迎える話だってできて、それ以外だって笑って話せる過去にできる時もくるだろう。
そう思えた自分を、少しだけガーフィールドは好きになれた。
目の前にいる友達も、そうなれればいいなと心の底から思えたことも。
かおりかおる/おわり




