かおりかおる1
生き物は臭い。
何故、人は人を特別扱いできるのだろう。友情を築き、切磋琢磨しあうことができるのだろう。異性、同性を、特別なものとしてみることができるというのだろうか。
疑問で仕方ないのだ。
人間は、臭い。
体も行動も、その感情すら臭くて臭くて仕方がない。元からそうだったのに――後からさらに、その臭さというものを思い知る羽目となってしまっている。だから、神聖視したり善性の生き物であるようにその腐臭漂う口で語られる神経が理解できない。
排泄物の臭いがどれだけましか、存在がどれほどましか、なんて事は人生で知る必要がないことだった。
ちょけてでもいなければ、やっていけない。
それでも自分は普通だなんて思って、合わせようなんてするもんじゃなかった。そう、ガーフィールドは後悔している。
思い返せば、こうなる前――元からして、子供のころからすでに、臭いというものが苦手だった。
何かしらのトラウマがあったわけじゃない。ただ物心ついたころには苦手になっていたのだ。
その発する元の人間というものと深く接することが苦手になるまでに、そう時間はかからなかった。かといって、ガーフィールドは拒絶したいわけではない。例えば、友情を感じないわけでもない。性欲がないわけでもないし、肉体的な問題もない。異性に性的欲求がないわけでもないのに――対面するとそういう気持ちがどうしても続かない性質であった。スポーツにしても、格闘技にしても。ある瞬間とても気持ちが萎えてしまう。臭いを感じたその瞬間に。
自分の臭いには慣れる、なんて話もあるが、ガーフィールドは自分の臭いすら時に耐えがたく鼻をもぎ取ってしまいたい気分になってしまう。自主練といった個人だけで行うそれでさえ、ぎりぎり。楽しい気分というものも一瞬でしぼんでいってしまう。好き合う楽しみに、性愛。競い合う喜びに、闘争心。それら全てを、臭いへの嫌悪が上回ってしまう。そんな自分自身にも、嫌気がさしてしまうまでさして時間はかからなかった。
同性だろうが異性だろうが、生き物は臭い。いいにおいだとかいっている裏には必ず生物臭が存在する。話題についていけない。感情を共有できない。受け入れたいのに、受け入れられない。どうしても、ガーフィールドはそれを超えることができなかった。
誰にも、突き詰めては言えたことなどない悩み。
そんな自分に悩む毎日を暮らしているある日、『超人への歩み』という――いわゆるカルトといわれているようなそれ――に通っている友人を得た。
怪しげなそれに、どうしてか、常日頃己を隠して付き合いを続けていたせいなのか何度か『気分転換になるかもよ』などという言葉を避けがたく、その施設への付き添いなんてこともしてしまいながら、その人物と仲良くなっていった――
そんな、ある日の真昼間。奇妙に、どうにも不思議な雰囲気のそれに、悩みを軽い形で話したときその友人はガーフィールドに『面白い事がある』といってあることを口にした。その『悩みを話す』こと自体が、ガーフィールドの考えからするとありえないのだが、そのタイミングではそのことに気が付くことができなかった。
伝えられたのは、夢の選別、という言葉。
そう呼ばれるものがあるということ。
素質があり、選ばれしものは夢にて力を得る、という。
明らかに明らかなそれにガーフィールドはその瞬間はっとして、正気に戻った気分で『いや、今まで付き合いでついて言ったりはしたけれど、自分は本当はそういう事には興味がないんだ』――とガーフィールドは縁を切る気でいったものだが、相手は『別に試さなくても構わない』といった。『この話を聞いたことが大事なんだ』と続けていった。
『これで、もう準備とは終わりなんだから』と続けられた。
胡散臭げなその言葉に、自分でも驚くほどガーフィールドは詐欺にでもあったような、どうしてか裏切られたような気分になってしまって激高し、それに感情のまま殴りかかろうとして――ふと、自分が一人であることに気が付いた。唐突に立ち上がったらしいガーフィールドに、周りにいたらしい顔見知りの友人数人が驚いているのが見えた。
戸惑いながら周りを見回した後、元に視線を戻した時――いるはずの友人だったものは、いなかった。
代わりに、その日は共に行動した覚えのない友人たちが周りで心配そうに、あるいは不審げに見ていた。
しかしいたのなら、見たはずだ。そう思ったガーフィールドが『彼はどこにいった?』と聞けば、友人たちには『彼とは誰だい?』と返される。
名前を言っても同じだ。
『そんな名前、聞いたことがないよ』と誰しもが口にする。
付き合いでいったはずの怪しげなものの数々も、『ガーフィールド一人でいっていただろう?』と、共に付き添いで言った者すら『お前が誘ったからついていったんじゃないか』というのだ。
おかしい。間違っている。そう叫びだしたくなる。
辻褄が合わない。自らの頭の中ですら。
ガーフィールドは、その友人だと思っていた存在の名前は知っているが――今現在、それ以外、何も知らない。頭の中を検索しても、それ以外なにも。情報が思い浮かばない。
そんな人間と、一体どうやって仲良くなった? なろうと思えた?
いいや。
そもそも、どんな顔をしていた――?
夏、じりじりと肌は焼かれ、汗もかいては蒸発する中。心からの寒気。体が、自然と震える。
おかしい、そんなことは。夢。夢がなんだかんだとかいっていた。しかしこれこそまさに白昼夢だ、とガーフィールドは青ざめる。現実で悪夢という夢を見せられたようだ。そう頭を掻きむしりたい気分。
しかし、そうすることも、それ以上追求することも、できなかった。皆がおかしな目で見ているのはガーフィールド。つまり、おかしいのは自分だという事。少なくとも、この場で、自分以外はそう感じていて当たり前。ガーフィールド自身がどう思っていようが、ここである事実はそれだけだと気付いたからだった。
逃げるように、帰るしかなかった。
そしてその夜、夢を見た。
いない誰かが言った通りに、夢を。誰もいないといったのに、いたということを証明するように。
どんな夢だったのか――ガーフィールドは、今でもはっきり思い出せない。いった誰かの顔と同じように。
夢。単なる夢。
そうだったらどれほど助かっただろうか。
ガーフィールドは、異能に目覚めた。夢を見たその日から。
嫌がらせのような、超常の能力を。
ガーフィールドが得たのは、臭いを感知できるということ。
夢から目覚めた瞬間に、それに気づいたのだ。今までないにおいで世界が溢れている、と。自らの戸惑いという臭い、錯乱の臭い。出会う人からも感じたことのない複雑に絡み合った臭い。
それが、感情等の臭いなど感じないはずのものだと理解できてしまう。本能的に。当たり前のように。
それは常よりなお、耐えがたい、臭い。
どうしようもないと、意味がないと半ば頭ではわかっていても、ガーフィールドは自分の鼻を思いきりぶん殴った。そうすることを我慢できなかった。鼻がひしゃげる嫌な感触と、痛み。血が流れだす。それで鼻はふさがって詰まったはずだった――臭いの通り道はない。しかし、それを貫通して――血の臭いと同時に今までの臭いもいつも通りに感じ取れてしまう。
超常の力。
望んでない、むしろ望むべくとは逆のもの。
ガーフィールドは、ただその事実に絶望する。
それでも時間は止まらない。
ガーフィールドは人生に絶望感を抱えても、自死しようとは思わず、しかし誰にも自分に起きたことをいう事はできず、いつも通りに過ごそうとした。そうするしかなかった。それ以外の方法が思い浮かばなかった。制御はきかない。効かせる方法がわからない。むしろ、どうにかしようとする度、その精度は増していっているようにすら感じる。その種別さえできるようになっていく。
どの臭いが、どういう感情か。どういう状態か。
何がどの臭いで起こっているのか。この臭いがする時そこで何が起こっていたか。ここでどれだけの臭いが起きる事件があったか。
吐き気がした。
トイレの個室に逃げ込むことが増えた。トイレとは、基本的には積極的に誰も関わってくることはないテリトリー。苦手の一つだった、トイレ独特のすえたような臭いが、今は安らぎにすら感じるほどにガーフィールドの余裕はなくなっていっていた。
我慢しても、それでも楽しいことも嬉しいこともあるからとしていた友人付き合い。
その中に漂う、欺瞞の臭い。負の感情の臭い。嫌いという臭い。利用してやろうという臭い。騙してやろうという臭い。下に見る臭い。臭い。臭い臭い。臭い臭い臭い。
全てが臭い!
頭ではわかっている。十割の善性で存在する人間はいない。そんなことは、わかっているつもりでいた。
いられたのは、それがわからないからだと知った。知ってしまえば、捕らわれる。見ないふりはできない。嗅がないことができない。いつでも伝わってくるそれを、ガーフィールドは器用に回避することができなかった。 突きつけられたクソを見ないふりをして、綺麗な部分もあると言えるほどガーフィールドは悟れない。
子供は、少しはましだった。しかし、その子供ですら時折強烈な負の臭いを放ってくる。
純粋に甘やかされている幼い傲慢など、まだとるに足らない。
それよりも、人間という生き物にはそういう環境に寄らないものがあるのだといわんばかりに周りは普通なのに景色が歪んで見え、その臭いがしみるように涙が浮かぶほど強烈で耐えがたい巨悪な臭いを放つ子供もいた。
好きなのにどうしてこんなことをするのだろう、自分が悪いから仕方ないのだろうか。辛い、痛い、でも愛してほしい。そういった子供のにおいなどは、別の意味で涙がでるほど最悪だ。
どうしようもなく、その臭いが耐えがたく、色々と手出しをする生活を送ることが増えた。それは様々なトラブルを生み、同時に感謝もされる行為。
けれど、ガーフィールドはそれを誇らしいとも思わないし、安心すらできない。その感謝の臭いの影にすら、負のそれは渦巻いている。我慢できない吐き気がするそれが。
それからただ逃げるために、そうしないよりマシだからという理由だけでガーフィールドは人助けのような行為を続けていた。そうするたびに人の臭さを知り、そ自分が誰より自分の欺瞞を知っているから、自分も含めてクソの臭いの方がよほど香しく素晴らしいのだと思うようになっていったのだ。




