再会
まだまだ交渉は続いていたが、こちらの体力がもう限界だった。ずっと授乳出来ないまま放置したせいで、胸が張って熱を持ち、微熱まで出始めた。早く処置して休まないと、益々悪化してしまう。
「ステフ……俺、もう限界……」
「辛そうだね、ヴィル……先に下がらせて貰って、休もうか」
「……ああ」
ステフが体調不良を理由に、協会本部長に退出を求める。本部長はこちらを見ると、心配そうに眉を顰めた。
「顔色が優れんようだな、『翠聖』は。拉致騒ぎからずっと緊張を強いられてきたんだ、疲れも出るだろう。後のことは俺らに任せて、しっかり休め」
「分かった。頼む」
許可を得てから、ステフに抱えられて移動する。部屋を出る間際、縋り付いたステフの肩越しに居並ぶ面々を一瞥した。皆一様に硬い表情を浮かべていて、交渉が一筋縄にはいかないことを覗わせた。
ステフに悠々と横抱きにされて歩いていると、その後をトールとサイラスが追って来て、一緒に神殿の建物を出た。道々、トールが事情を話す。
「ウルリヒは、うちのカミさんが面倒見てるよ。カミさんの知り合いを当たって、ウルリヒに乳を分けてくれる人を頼んでいる筈だ。二人とも、疲れただろう? 今日はうちへウルリヒを迎えに来るついでに、そのまま泊まるといい」
「トールさん、ありがとう。何から何まで、助かるよ」
「ありがとう。親子共々世話になる」
ステフ共々、トールに礼を言う。トールは気にするなとでも言うように、ステフの背をバシッと叩いた。叩かれたのはステフでも、横抱きにされて密着した躰には衝撃がダイレクトに伝わる。正直言って、今は腫れた患部に響くから、有難くない。
神殿を出て向かった先の厩舎に、トールとサイラスの騎獣であるディーンとフロルが待っていた。トールに抱えられてディーンの背に乗り、トールの家に向かう。ステフはサイラスとフロルに同乗して、ディーンを追走した。
ディーンはこちらを気遣ってか、あまり振動を与えないよう静かに走る。主と違って、繊細な気遣いの出来る騎獣だ。ディーンもフロルも元々王都在住の冒険者所有の騎獣だからか、人波を縫って駆けるのに慣れていた。野育ちのヒューイでは、こうはいかないだろう。そう時間も掛からずにトールの家へ辿り着いた。
ステフはフロルから飛び降りると、ディーンの背から抱き降ろしてくれた。トールは厩舎にいたクランの少年に二頭の手綱を預けて世話を指示する。サイラスに付き添われ、トールの家に入った。
「いらっしゃい、サイラス、ステフ。ヴィルは大丈夫かしら?」
戸口で待ち構えていたトールの妻から労われ、弱々しく微笑み返した。ステフも神妙な顔で会釈する。サイラスが夫人に聞いた。
「ウルリヒは?」
「今、やっと寝付いたところよ。暫くは起きないと思うわ。ヴィルも今のうちにゆっくり休んでおいたらどう?」
夫人に促され、ステフに抱き上げられたまま二階の客間へ通された。ベッドに寝かされると、夫人やサイラスが水桶や布、着替えなどを差し入れてくれる。ステフが礼を言って受け取ると、二人は客間を後にした。
「胸、痛むだろう? 早く処置してしまおう」
「頼む」
ほぼ丸一日放置状態の胸は、飲まれなかった乳が溜まり炎症を起こしている。痼りの出た胸から溜まった乳を搾り出して捨て、胸を冷やして手当てしなければならない。ウルリヒを生んですぐの頃、よくこの状態になり、温めたりマッサージしたりと試行錯誤しながら、ステフと共に乗り越えてきた。おかげで、ステフはこうなった時の処置に慣れている。
着ていた神官服の前を寛げ、胸を露わにする。手が触れるだけでも痛みが走るそこを、ステフはゆっくりとマッサージした。じわりと乳が染み出してくる。
「……痛っ」
「ゴメン、少し我慢して」
ステフは水に浸し絞った布を胸に当てながら、腫れた胸から溜まった乳を吸い出す。それを器に吐き出すと、常なら薄い乳白色のものが、色濃く黄色味を帯びている。ステフは腫れがひくまで両胸を交互に吸い出し、合間に胸をマッサージするなど淡々と処置を続けた。
「そろそろ痛みがひいてきた?」
「ピークは越えただろうな」
「よかった。お湯を貰って来るから、躰を拭いて着替えようか」
「……ん、そうする」
ステフがお湯を貰って来る間に、着ていた神殿の神官服を脱いだ。やっと、この鬱陶しい服とオサラバ出来る。戻って来たステフに躰を拭いて貰っていたら、足首の拘束跡を見咎められた。
「ヴィル、これ……」
「ああ、それ、足枷付けられてたんだ。脱出した時、神官の奴等に嵌めてやった! ざまぁみろだ」
「……痛かったろう? あの時、オレが残ればよかった」
「そんなこと……悪いのは奴等だ、ステフじゃない」
泣きそうな顔をするステフの頭を抱き寄せる。そうして暫く背を撫でていると、ステフがおずおずと言った。
「あの……ヴィル? この状態はヤバいよ……オレ、理性が保たない……」
そういえば、まだ服を着ていなかった。慌ててステフを解放し、持って来てくれた着替えに袖を通す。水桶や布を片付けて戻って来たステフに、両手を差し伸べて添い寝を強請った。
「まだ熱っぽいから、一緒にいて」
「ウルが起きるまではね」
ベッドに並んで横になり、寄り添って眠る。ステフの少し高めの体温も匂いも、薄く躰を覆う筋肉の硬さも、すべてが好ましく愛おしい。離れていた間、ずっと求めていた場所に、やっと帰って来られたんだと安堵した。穏やかに眠りの波が訪れて、暫しの安らぎに浸る。
どの位眠っていたのだろう。遠くで泣き声がする。ウルリヒだ。躰を起こそうと身動ぐと、それより早く隣のステフが起き上がった。
「ウルが泣いてる。連れて来るね」
額に口吻を落とし、ステフは部屋を出て階下に向かう。程無く、派手に泣き続けるウルリヒを抱いてステフが戻って来た。ウルリヒは泣きながら、こちらに向かって小さな手を広げる。
「ただいま、ウル」
乳腺炎、痛いですよね……(+。+)
出産経験者なら一度は通る道かな?と書いてみました(^^;)




