怒濤の日々の始まり
子供が産まれてから、怒濤のように日々が過ぎていく。子供は、とにかくよく泣いた。泣く度に、おむつか乳かと世話を焼き、そのどちらでもない時には途方に暮れる。
幸い、この貧弱な胸でも母乳らしきものは出ている。おかげで、貰い乳をせずに済んだ。産む前にステフが大量に用意した布地は、大半が子供のおむつになって、無駄なく使えている。
のべつまくなしに泣かれて、細切れにしか眠れない。気絶するように眠っていても、次の泣き声で目を覚ました時には、全く寝た気はしなかった。
「何だか、卵から孵ったばかりの頃のルーイを思い出すね」
「ああ……そう言えば、あの時も大変だったな」
ステフがしみじみとそう言うので、同意の言葉を口にする。羽根竜のルーイが卵から孵った当初は、魔力給餌で二人して大変な思いをした。
最初に駆け付けたステフを親とみなしたルーイが、ステフの鳩尾に貼り付いで魔力を吸うので、ステフはすぐに魔力切れを起こす。そのステフに口移しで魔力譲渡しても、回復するや否や次の給餌で、まさに自転車操業状態だった。今の状況は、その時に近い気がする。
男二人があたふたと振り回される中、一番の落ち着きを見せたのは大猿のデューイだった。デューイは子猿の頃に、瘴気に中てられた所を助けてテイムに至ったのだが、それまでの間は大猿の群れに居て、大人達の子育てを間近に見ていたのだろう。子供を抱き上げてあやす仕草も、堂に入っている。
「思い切って、分業してみよう! 俺が乳をやって、おむつはステフ、寝かし付けや子守りはデューイだ」
「そうだな、それが一番順当だろうね」
「そうすれば、各々空き時間に他の家事したり寝たり出来る!」
「オレ、とにかく寝たい! 一晩中、起こされずに眠りたい!」
睡眠不足から可笑しな精神的高揚感で、二人して叫ぶ。デューイが呆れたように、子供を抱き上げ揺すりながらこちらを見ていた。
「じゃあ、次の授乳まで休むよ。デューイ、よろしく」
デューイは、分かったと言うように頷く。ステフと二人、倒れ込むようにベッドに入り、束の間の安らぎに浸る。
泣き声が聞こえた。もう、本当に泣いているのか空耳だか区別がつかない。朦朧としたままフラフラと起き上がり、子供の傍に行く。今回は、本当に泣いていたようだ。抱き上げて開けた胸に近付けると、勢いよく吸い付いてくる。本当に、細切れによく飲むなと感心した。
子供が飲み終わるのを見計らい、縦抱きにして背中をポンポンと叩く。これをしないと、寝かし付けてから乳を吐き戻して、せっかくの労力が無駄になるのだ。ステフがご近所ネットワークで情報収集していた中に、ちゃんとこの知識も入っていたのに、うっかりやり忘れて吐き戻されたことは数えきれない。
子供の口元から、けぷっと音が聞こえて、無事に胃の空気抜きが出来たらしいと分かった。そうっと静かに子供を寝床に戻す。産まれてから、子供用に大きめの籠に綿や布を敷き詰めて、移動出来る寝床を作った。これに寝かせて、その時に起きている方が子供を見ながら用事が済ませられるようにした。おかげで、何とか分業体制が成り立っている。
「そろそろ、この子に名前付けてやらないと」
「ヴィル、名前付けるの苦手だよな」
「ステフだってそうだろう?」
「苦手だよ。だけど、考えてるさ」
ステフが珍しくやる気を見せている。ここは、任せた方が良いだろうか。でも、二人の子供だ。任せ切りは良くない。自分でも考えておこう。
名前を思い浮かべると、今まで出会った人達の顔が思い出される。色々な名前や顔が浮かぶ中、一人の男の顔がはっきり思い出された。あれは、成人するまで暮らした村で、長老が亡くなった後、大勢の男達に襲われ逃げ出した時に、森の洞窟で出会った冒険者だ。雨でずぶ濡れになり、着の身着のままだった自分を助けて、その後独り立ちするまで付き合ってくれた人──
「ウルリヒ……」
「え?」
「いや、名前だよ。子供の名前、ウルリヒがいいな」
「ウルリヒか。それもいいけど、オレも考えてるのあるんだ。ユリウスなんてどう?」
「ユリウスとウルリヒか。どっちにしよう」
「他に意見も聞きたいね」
ステフはその名前に、どんな思いを込めているのだろう。聞いてみたい気もする。ステフにも、今まで話していなかったウルリヒの話をしてみたい。何と言ってくれるだろうか。
ちょうど、見舞いに訪れた少女に意見を聞いてみた。この少女はエルといって、街で知り合って仲良くなった従魔好きの子だ。今は王都に住んでいて、わざわざ祝いを届けに来てくれた。エルからは、ウルリヒが支持された。ステフも了承して、子供はウルリヒとなった。
「よろしく、ウル」




