新作披露会
インゲ女史と契約してから、数カ月が過ぎた。その間、街で普通に冒険者生活を送った。採集したり、討伐したり、時には指名依頼で浄化に行ったりと、穏やかな日々だった。
そして、今回またインゲ女史から王都に呼び出されたのは、例の新作披露会の為だ。毎回、趣向を凝らした演出で、国中の話題に上るクリューガーブランドの披露会で、選りに選ってトリを務めろという。
「俺には、荷が勝ち過ぎじゃないか?」
「私の今回の披露会は、貴方のキャラクターイメージに拠る処が大きいのよ。だからこそ、トリは貴方以外に考えられないわ!」
「はぁ……」
ただ、救いなのが、トリを飾るのがあのペア衣装なので、一人ではないことだろう。ステフと並んで歩くのなら、トリの重圧もやや軽くなる気がする。
準備期間も込みで呼び出されたので、披露会は一週間後だという。その間に、衣装の微調整や最終チェック、演出の確認などを行う。尚、出演者には、ウオーキングの訓練も義務付けられていた。
「歩くのに訓練がいるのか?」
「人に見られることを意識した、美しい歩き方というのは、訓練しないと出来ないものよ」
「そういうものなんだ……」
まさしく、未知の世界だ。契約した依頼なら、依頼人の要求には応じるべきだろう。ステフと共に、訓練場所に指定された建物に出向く。そこは、がらんとした広い部屋で、板張り床と壁一面の鏡があった。
「何に使う部屋なんだ?」
「何にも無いねー」
「ここは、踊り子や舞台俳優が稽古に使う部屋だ」
ギョッとして、声の聞こえた方を振り返ると、そこには見慣れない人物が立っている。長身痩躯で黒っぽいシンプルな服を着ており、白いものが目立つ焦茶色の髪に、榛色の目の初老男性だ。
「驚かしたかね? 私はウオーキングトレーナーのニールだ」
「ヴィルヘルムだ。冒険者をしている」
「オレ、ステフっていうんだ。よろしく」
ニールと握手を交わし、雑談していると、訓練を受ける出演者達が三々五々集まって来た。その中に、知った顔が混じっている。
「お前も出るのか、『紅刃』」
「いい加減、二つ名呼びは辞めてくれ、ヴィル。俺は、あの婆さんには大きな借りがあるんだ。恩返しの一環で、披露会には毎回出てる」
「そういえば、インゲ女史を親戚と言っていたな。じゃあ、『紅刃』は貴族様ってことか?」
「貴族じゃないし、二つ名呼び辞めろ!」
そうこうする内に訓練が始まり、会話は途切れた。訓練内容は、ただ歩くだけと思ったら大間違いな、ハードなものだった。姿勢良く、真っ直ぐ歩く。ひたすら歩く。漫然と歩くのとは、使う筋肉がまるで違う。日頃の冒険者生活で、体幹が強いことだけは役に立った。
自分とステフの他は経験者ばかりらしく、基礎訓練が終わると自主練習になった。ステフと二人、延々と訓練が追加された。ニールは厳しいトレーナーだった。背筋を伸ばせ、脚を真っ直ぐにしろ、指先まで神経を使えと、絶えず叱責が飛ぶ。
「この契約、早まったかな」
「でも、ヴィルが変な連中を躱すのに、必要なんだよね?」
「それはそうなんだが、キツい」
歩くだけでこんなに疲弊するなら、当日の会場で衆目に晒される負担は、どれ程だろう。中央神殿への牽制とするには、過ぎた負担ではないか。
「こんなもん、慣れだ」
いつの間にか傍に来ていた『紅刃』が、気楽なことを言い、肩を叩く。ムッとして振り返るより先に、ステフがさっと庇うように間に入る。
「初心者は、その慣れまでが長いんだよー」
あくまで笑顔のままステフは言い、『紅刃』は苦笑いで離れた。
そして、新作披露会当日、会場となる王立劇場に来た。劇場内は、客席の中に細長い通路が作られ、舞台は通路の幅だけを残して幕が下りている。出演者達は、幕の隙間から客席の通路を歩き、ターンして戻って来る。楽屋は、新作衣装が吊されたハンガーが並べられ、裏方は出演者の化粧や髪の仕上げに余念がない。
楽屋に通されると、インゲ女史の助手達に化粧だ何だと寄って集って弄られ、衣装を着せられた。ステフは最後しか出番が無いので、付き人状態だ。
「ヴィルヘルムさん、次です!」
進行係に呼ばれ、通路に出る。暗い場内を、一本の通路だけが明るく照らされている。闇の中を、目の眩むような光に照らされて、脇目も振らずに歩く。教えられた通りの歩き方をして、端でターンして戻って来た。頭の中は真っ白だった。
「ヴィル、大丈夫? 顔色悪いよ」
「ステフ、俺、この仕事向いてない」
怖い。魔物の群れや瘴気溜まりに突っ込んで行くより怖い。顔の見えない観客達の異様な熱気に包まれ、無数の目と思惑に晒されるのが怖い。こんなものを「慣れ」と言い切る『紅刃』は、どんな神経をしているのか。
その後も、進行係に呼ばれる度に、通路を歩いた。怖さは、一向に治まらなかった。そして、最後のペア衣装を着て、ステフと並ぶ。二人で通路を歩く為、すれ違う出演者はいない。通路に出ると、場の空気が一気に変わった。あちこちから、感嘆の溜め息が聞こえる。二人で通路を歩くと、先程までの怖さはあまり感じなかった。
通路の端まで歩き、ターンしようと立ち止まると、打ち合わせになかった『紅刃』が、スーツ姿で背後に立っている。『紅刃』の手がこちらの顔に伸び、触れようとするところへ、裏拳を見舞う。『紅刃』が両手でガードしたところへ、今度は回し蹴りを打ち込んだ。その足を『紅刃』に捉えられ、動きを封じられそうなところを、捉えられた足を軸にローリングソバットを放って体勢を崩し、逃れた。
『紅刃』の躰を蹴って離れ、距離を取る。すかさずステフが間に入り、こちらを庇うよう背に隠して、ガードの構えを取った。双方、睨み合って静止した時、舞台からインゲ女史が拍手しながら現れた。
「さすがは現役の冒険者さん達ね。素晴らしい組み手だわ!」
緊張していた会場が、拍手と歓声に沸いた。インゲ女史の意図が何処まであったのか知らないが、こちらにとっては心臓に悪いサプライズ企画だ。ただ、あれだけ大立ち回りを演じたのに、衣装は何の綻びもなかった。さすがは一流ブランドだ。




