窮地
食事も終わり、場を移す。ラウンジで酒などを供するようだ。皆、ここぞとばかりに、普段は飲めない高い銘柄のものを飲んでいる。一人で果実水を飲むのも、肩身が狭い。
落ち着かないので、中座して用を足そうと、使用人に声を掛けて案内して貰う。扉を出て、長い廊下を進むうちに、ちょうど通り過ぎかけた部屋の扉が薄く開いた。隙間から腕が伸びて、こちらの腕を引く。抵抗する間もなく、薄暗い部屋へ引っ張り込まれた。
「うわっ、何……」
「お待ちしていましたよ、美しい人」
「げっ! お前は」
引っ張り込んだ腕の主は、退席した伯爵三男だった。全く度し難い馬鹿だ。学習能力が無いにも程がある。ヤツは、人の躰をベタベタと触りながら、何やら譫言のように呟き、部屋の奥へと追い込んでくる。
「美しい人、貴方にはこんな無粋な衣装よりも、このようなドレスがお似合いですのに」
「巫山戯るな!」
「どうか私に、貴方のお世話をさせてください、美しい聖女様」
「触るな、離れろ!」
あまりの気持ち悪さに、距離をとろうと後退ると、その分ヤツに押し込まれる。ジリジリと追い詰められて、ふと何かに足を取られた。長椅子らしきものに躓いたようで、座面に背中から倒れた。その上から、ヤツがのしかかってくる。
何とか引き剥がそうと抗って、揉み合う内に着ていた借り着から嫌な音がする。縫製が悪いのか、ヤツの腕力が意外に強いのか、服がかなり悲惨な状態になっていった。尚も迫りくるヤツの顔面を押し遣り、部屋の窓に向けて叫んだ。
「ステフ、助けて! ヒューイ、ここだよ!」
暫く長椅子上の攻防を続ける内に、部屋の窓から声が聞こえた。
「ヴィル、窓から離れて!」
その直後、大音響と共に窓が丸ごと破壊された。ヒューイが前脚を振るったらしい。破られた窓から、ステフが飛び込んで来る。こちらの有様を見るなり、血相変えてヤツに殴り掛かる。ステフに殴り飛ばされたヤツに、今度はステフの肩に乗っていたデューイが飛びかかった。デューイが滅茶苦茶に爪を振るい、ヤツは瞬く間にぼろ雑巾と化した。
「ヴィル、大丈夫?」
「ありがとう、ステフ。助かった」
身を起こすと、揉み合いの間にあちこち破れてボタンの飛んだ服がはだける。ステフは痛まし気にそれを見て、前をかき合わせると、肩を抱いた。デューイも戻って来て、ステフの肩からこちらを気遣わし気に覗く。窓の破れ目から、ヒューイも顔を覗かせた。心配ないよ、と合図する。
「何事だ?」
物音に驚き、駆けつけた使用人に辺境伯を呼んで貰い、現場を見せつつ事の次第を話す。辺境伯はこちらの掻い摘まんだ説明を聞きながら、苦い表情を浮かべる。辺境伯と一緒に部屋へ来たトール達も、この惨状に呆れていた。サイラスが、こちらの服の有様を見て言った。
「とりあえず、着替えてから話そうぜ」
「用意させよう」
使用人に指示する辺境伯に言い募る。
「控室に自分の服がある」
「こちらの落ち度だ。償い位はさせてくれ」
ステフが付き添い、使用人に案内されて、控室に行く。別の使用人から服を二着渡された。先程の略礼服と違い、平服らしいが、庶民の着る物とは大違いな代物だ。
「何で二着ある?」
「お連れ様の分です」
ステフと顔を見合わせて、再び使用人に顔を向ける。使用人は会釈して控室を下がった。渡された服を手に取って、広げて見る。手触りのいい生地を使った白いシャツに、シンプルな上着と下衣が揃えてある。上着の色は、こちらは緑色で、ステフのは水色だ。下衣はどちらも紺色だった。
「仕方ない。着替えるか」
「何でオレまで……」
「トールに言わせれば、貴族様相手に、深く考えた方が負けらしいよ」
「……分かった」
着ていた略礼服を脱ぐと、改めて先程の状況に身震いする。上着の袖は取れかけ、ボタンは全て飛ばされるか解れて糸でぶら下がった状態だ。掴まれた手首に赤黒い痣が残り、布で擦れたのか、肩や背中がひりつく。
傷の検分をしていると、同じく着替え途中のステフが手を止めてこちらに寄った。背中の擦り傷や手首の痣に触れる。
「ヴィル、痛い?」
「無我夢中だったから気付かなかったけど、俺も結構ボロボロだね」
「くそっ! アイツ、もっと殴ってやればよかった!」
「充分だよ、ステフ。デューイも目一杯仕返ししてくれたし」
そう言って、傍の椅子に大人しくしているデューイを撫でる。デューイも嬉しそうに、こちらの手に擦り寄る。ステフがデューイに張り合うように擦り寄ると、傷に触れていた手を回して抱きしめてきた。思わず、流されかけたが、タイミング良く扉がノックされた。
「お着替えはお済みでしょうか?」
「……あ、あと少し」
着替えながら、ステフがこちらの乱れた髪を括り直す。以前にも、ステフの髪紐の扱いが意外に器用だと感じたことを思い出した。暫くして、着替え終わった頃を見計らって来た案内役に連れられて、辺境伯らが集うラウンジに戻った。




