傷ついた翼犬
新居の扉を開けて、中に入ろうとすると、ステフが引き止める。何事かと振り向くところを、やおら抱き上げられた。横抱きにされたまま扉を潜り、すぐ床に降ろされる。面食らって、暫く言葉が出なかった。
「……ステフ、今の、何」
「新居には、嫁を抱き上げて入るって聞いて」
「誰に」
「ホリー」
ステフのパーティーメンバーで紅一点のホリーから、何やら入れ知恵されたらしい。ホリーはパーティーリーダーのアベルと恋仲らしいし、自身の夢も重ねてステフに語ったと思われる。
「それで、これか……俺が嫁?」
「嫌だった?」
「うーん……まぁ、いいや」
「オレは嬉しい」
ステフの邪気の無い笑顔を見ていると、細かい事は何だかどうでもいい気がしてくる。新居での最初の夜は、二人で寄り添って眠った。
翌朝、二人でさっと野営の準備をして、街の西へ向かった。協会で聞いた、飛龍の目撃情報がある丘を目指す。荒れ地を通り過ぎる間、鼠などの小型魔物がうようよしていたが、ステフが長剣と軽量盾で手馴れた風に蹴散らした。出会った頃と比べて、ずいぶん前衛が板についてきている。
「ステフはパーティーでのポジション、決まって無いって言ってたけど、最近は前衛なのか?」
「予備の盾役かな」
「じゃあ、メインは誰」
「グスタフだね。挑発が上手いんだ。アベルが攻撃で、ネイサンが斥候と撹乱、ホリーが回復と支援役ってところかな」
以前にも聞いてはいたが、アベル達は四人でバランスが取れている。後から入ったステフは、ポジションが定まらないままだ。それでも、持ち前の人当たりの良さと前向き思考で、日々努力してきたのだろう。
荒れ地を抜けて、丘に差し掛かった。目撃情報はこの辺りの筈だ。周囲を見回しながら、坂を登って行く。微かに、血の臭いが風に乗って流れて来た。身を潜め、丘の向こう側を窺う。
「あっ、ヴィル、あれ……」
「多分、翼犬だな」
そこには、何かと争って傷ついた翼犬が、血塗れで踞っていた。翼犬とは、その名の示す通り翼を持った犬の魔物で、大きな個体は見上げる程の大きさになる。この翼犬はこの種の中では小柄な部類だろうが、人の身とは比べようもない。翼犬の大きな躰に残る爪痕や噛み傷から、争った相手も相当な大きさと攻撃力の持ち主と察せられて、息を飲む。とりあえず、辺りにはもう翼犬以外の気配は無く、目の前に居る手負いの獣をどうするかが課題となった。
「今なら、簡単に止めが刺せそうだけど」
「ちょっと様子を見よう」
二人でそろそろと翼犬に近付く。翼犬は、既に反撃する気力も無さそうで、瞼を閉じている。更に近付くと、うっすらと瞼が開き目が合った。何となく、翼犬の意識が伝わってくる感じがする。この翼犬はまだ若く、うっかり格上の相手とやり合って為す術無く倒され、自分の命が尽きかけているのを悔しがりながらも受け入れている。静かに死を待つ獣に、そっと手を差し伸べた。
「悔しいか?もっと生きたい?」
心の中で、そう呼び掛けてみる。翼犬が頷くような仕草をする。両手で翼犬の首元を撫でながら、凭れ掛かるようにしてその頭を抱き、目を閉じる。ふわっと躰の奥から温かく淡い光が湧いて出てきて、抱く手を伝わって翼犬全体をその光が覆う。
「わぁ、すごい、ヴィル」
ステフの声で我に返った。どのくらいの時間が過ぎたのか分からないが、傷ついていた翼犬は、流れていた血も止まり傷も塞がった状態で横たわっていた。再び、翼犬と目が合う。
「俺と来るか?」
今度は声に出して問い掛けると、翼犬は頷き、こちらの顔をべろりと舐めた。首元の毛並みに半ば埋もれながら、わしゃわしゃと撫でてやる。翼犬のテイムがなされて、用意しておいた手綱をかけていると、それまで呆然としてこの光景を眺めていたステフが目を輝かせてこちらを見る。
「オレも撫でていい?」
「この子に聞いてみな」
「ワンコ、オレはステフだ、よろしくな」
翼犬はやや煩そうに眉間の皺を寄せたが、唸ることは無く、ステフを受け入れた。ステフが大喜びで、大きな翼犬にぶら下がるようにして撫でているのを眺める。同時に、周囲の気配を探っておく。魔物らしき気配は無いが、少し違和感を覚える場所があり、そちらを探ってみた。
そこは、丘と荒れ地の境目にある灌木の茂みで、一部の枝がなぎ倒されている。近付いて中を覗くと、何か丸い重そうなものが落ちていた。灰色と茶色の混じったような、硬い丸石といった感じで、一抱え位の大きさなのに、持ち上げようとしても一人ではびくともしない。ステフを呼んで、二人がかりで持ち上げてやっと動かせた。
「これ、何だろう。卵?」
「分からないけど、気になる」
「じゃあ、持って帰って様子見ようよ」
丸石を転がして麻袋に入れ、袋の口を絞った紐を翼犬の首に掛ける。そのまま手綱を引いてその場を離れ、二人と一頭で来た道を戻って行く。途中で日が暮れて、荒れ地で野営することになった。地面の起伏を利用し、なるべく目につかないような場所に陣取り、火を熾す。野営の定番スープを作り、堅焼きパンと食べる。翼犬には、途中で狩った鼠から屑魔石を抜いて与えたが、文句も言わず丸ごと咀嚼した。
「この子の名前、どうするの?」
「ステフならどんな名前付けたい?」
「ヴィルがこの子助けて懐いたんだから、ヴィルが名前付けてよ」
「……ヒューイ」
「いい名前だね!よろしく、ヒューイ」
翼犬改めヒューイは、ふふんと鼻を鳴らした。




