090_継暦136年_冬/A07
よお。
小道へと走ろうとしているオレ様だ。
足がもたつく。
インクを多大に消費したからかキレが悪い。
転びかけた瞬間にイセリナがオレの腕を支えてくれる。
小さく頷いて、歩調を合わせて進んでくれた。
守ろうとしていた娘に助けられるとは、なんとも恥ずかしい。
が、恥ずかしがってばかりもいられない。
後ろから暴力的で攻撃的な気配が近づいてくるのがわかる。
ダルハプスだ。
七人もいるなんて聞いてない。
が、個体差のようなものはないようで追いかける速度も一緒だ。
死んで錯乱するあたり、肉体は七つあれど、根は、つまりは精神は一つなのかもしれない。
「大丈夫ですか、ヴィー様」
「うん、ありがとう」
とにかく、走ろう。
小道を抜け、それでも走る。
戦いの音は聞こえない。
どちらかが敗走したか、痛み分けか。
求めている人間の姿を考え、その人物がいることを祈る。
だが、祈りは別の形で現れた。
「悪いなあ、こっから先は行き止まりなんだ」
現れたのは通せんぼするように立っているチンピラども。
数は四人。
見たことがある奴もいた。
ディバーダンに雇われていた連中の一部だ。
なるほど、数が少なく見えていたが裏切って行方をくらませていたってわけか。
で、姿を現したのはオレやイセリナを通さないためか?
ええい、祈りはしたがお前らの登場を祈ったわけじゃない。
足元には煙草の吸殻が捨ててあるあたり、予測してここにいたと言うよりは道を塞ぐために配置されていたに過ぎないってことか。
「お前らの後ろには怖いディバーダンやらケルダットがいると思うんだけどさ」
「なんのことだ?
俺たちはここの道を通すなってとある商人様に言われているだけだ。
ディバーダンだかなんだかは知ったことじゃないなあ」
チンピラの一人が煙草を投げ捨てると、
「お話している暇はあるのかあ?
後ろからおっかないのが近づいているようだけどなあ」
「へへへ、かわいそうになあ」
ダルハプスのことまで理解してこの余裕。
或いは、それほど驚異的な存在であるとは教えられていないだけか。
(魔剣はまだ使えるよね、アルタリウス)
『使えます……ですが、ここで使えば先細りですよ』
(ダルハプスが七人残ってるんだもんね。
……けど、)
ここでチンピラに時間を使うわけにはいかない。
勝利条件はダルハプスをとっちめることもあるが、今満たそうとしているのはその条件じゃあない。
『そう、ですね。
罪のない少女の命や尊厳が奪われるのだけは、ええ、許せません。
ここは無理をしてでも押し通りましょう』
ロザリンドのことを思ったのだろう。
イセリナも、ロザリンドも、あの七人の元伯爵にとっては道具、消耗品程度の扱いに過ぎない。
「一度だけ言う。……どけ。そうするなら殺しはしない」
魔剣から燐光が漏れはじめる。
撹拌機能はインクの消費が大きい。
刃の延長に留める。十分だ、一息で殺せる。
もとの魔剣の持ち主ならば確実に。その経験を借り受けているオレでもそれはできるはずだ。
「ガキが、脅しのつもりか?」
「どうかな──」
返答と同時に斬りかかろうとした瞬間に四人のうち、もっとも後ろにいたチンピラが派手に飛び散った。
体も臓腑も空中に煌めいている。派手だ。
闇を引き裂くようにして現れたのは獣人だった。
「悪い悪い、よそ見しちまってたよ。往来で突っ立ってるほうが悪いよな?」
獣人ケルダットがチンピラの一人を斬り殺したと思った瞬間に残りの三人も振り向く間もなく殺されていた。
その手には『握刃』と呼ばれる剣がある。柄を持つと、指を延ばすような形状で刃が付いているもので、西方の一部から伝わってきたものとも言われる。
遅ればせて祈りは通じた。
オレが求める運命は、オレの望む方向へと転がり始めている。
「ケルダット、いいところに来たね」
「うん……?」
彼からしてみれば仕事で追いかけていた(そしてお節介の助言も与えた相手)に再会したことで、命乞いではないだろうが、交渉の一つでも持ちかけられるかと思っていたのだろう。
しかし、オレが発した言葉は歓迎のそれだった。
「状況がわかってんのか?
ディバーダンの野郎はもう逃げたぜ」
「逃げたってことは死ななかったんだ」
「俺に握刃を抜かせるくらいには追い詰めたし、準備次第じゃあいつが勝っててもおかしくはなかったが──」
言葉を続けようとしたケルダットが武器を構えて大仰にバックフリップを行う。
だが、大仰には見えたがそれは正解だった。
彼が立っていた場所には影で作られた巨大なトゲが突き立つ。
そして、そのトゲが急速に変化し、人型に変わる。
「逃げられると、思っているのか」
移動速度は同じかと思ったが、なるほど、自分を投擲すりゃもっと早く行動できる。
流石に分裂したことも、体がモヤになったこともないから予想できなかったことだ。
「ここで必ず、貴さ」
ぱぁんと影が爆ぜる。
「話してるのはこっちなんだ、邪魔すんな。
どこから迷いでてきたかのか知らんが、アンデッド如きが」
「おお……見事」
『とはいえ、撹拌できていない以上はやがて復活します』
「見ての通りだよ、ケルダット。
オレ様たちは今追われてるんだ」
「見ての通りって部分はアンデッドに追われているってことしかわからんね。
墓場で悪さでもしたのか?」
「まさか、そこまで暇じゃないよ。
アレはアンタの雇い主の、そのご先祖様さ
どうやら家庭内でイセリナを取り合ってんだってさ」
ケルダットは「……ほう」と少しだけ興味を引かれたような声を上げる。
「それじゃ、俺は雇い主の家族を手に掛けちまったってわけか?」
「アンデッドを手に掛けるって表現は正しいのかな。
あんまり長く話している時間はないんだけどね」
ちらりと後ろを見る。
流石に投擲はしてこない。
どうにもダルハプスの速度は並でも、妙な遠回りをしたりしているようだ。
移動ルートの上でアンデッドを祓うような儀式を過去にしたことがあるとか、そういうことかもしれない。
それにトゲにして投擲、そしてちょっとした距離をスキップする今の方法を取るにしても、
単体ではケルダットに蹴散らされるだけなのも理解したのだろう。
撹拌されなかったとしても死は死であるのか、断続的に自らを投げ込んできたりはしなかった。
であれば、他者の手で形を崩されれば多少の牽制にもなるのかもしれない。
が、考察を深めている時間も、やっぱり存在しない。
「手短に言うよ」
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俺、ケルダットはこれでもそれなりに知られた傭兵なんだぜ。
傭兵ケルダット。
ヒト種どもは獣人を見てもイマイチ年齢が判断できないようなので舐められることも多いが、これでも四十年以上この稼業でのしてきた。年寄りっちゃまあ、業界的には年寄りかもしれない。
この少年の説明は端的で、理解しやすいものだった。
それまでの経験を振り返っても要約のうまさで言えば一番かもしれない。
こういう奴が雇われた先でいてくれると仕事が楽になるんだよな。
話が逸れた。
ビウモード家には現在の伯爵と、先祖の二つが存在している。
先祖はアンデッドに堕ちて、何かしらの事情で嬢を狙っている。
少年が話したのはそうした大枠のことだった。
俺がビウモードで知っている状況は、現在の伯爵が嬢を大事にしていることくらいしかわからないが、
少年──ヴィルグラムはその辺りを引き合いに出して、
アンデッドが現在の伯爵家と敵対していることを示して見せた。
ついでにアンデッドを蹴散らしたので既に俺もそいつの敵だとも言われた。心をくすぐるというか、怖がらせるのもうまい。
俺のことをもう少しだけ話そう。
ビウモード家にべったり、ってわけではないが、雇われる機会は少なくなかった。
先代ビウモード伯は手を汚すことに躊躇のない人物ではあったが、民をやたらに犠牲にしたりはしない。
あくまでなにか目的があって手を汚しているようであった。
俺に振ってくる仕事は目的を相当に断片化したものの達成だったから何をしようとしていたかまではわからないが。
ともかく、先代への雇用と達成率から俺はビウモード領で信頼される傭兵の一人となった。
諸々の事情……例えば護衛であっても入れないような会合の場であったりするときに不便もあり、勿論それまでの仕事を評価されてもありで、騎士として叙勲もされた。
叙勲してくれたのも先代だ。
騎士の身分は領外でも通用する便利な身分、ビウモードの仕事を受ける比重が多くなったのも騎士になってからだったな。
言語化したことはなかったが、こう考えれば傭兵なりの忠義の示し方ではあったんじゃないか。格好つけすぎかね。
嬢を売り飛ばそうとした馬鹿な貴族も、そいつが子供だった頃から知っている。
昔はあんなろくでもないやつではなかった。
……いや、うーん、どうだろうな。姑息なガキではあったか。
ともかく、屋台骨を揺るがすようなことまではしない。
些細な悪事かどうかを判断するくらいの頭はあった。
アンデッドがどうのこうのって話は知らない。
ただ、伯爵の妹であるメリアティは『なにかの呪い』を受けているらしく、いつも苦しんでいたそうだ。
その改善のために薬草の獲得やら治療ができるかもしれない術士の護衛なんかも仕事で受け持った覚えがある。
数ヶ月前だったか、メリアティそっくりな嬢が現れたとき、家臣たちの間で色々と噂が立ったものだ。
例えば、伯爵閣下は妹を愛するあまりにそっくりな愛妾を連れてきた、だとかそういうものだ。
制御しにくいのは噂ばかりではない。
何かしらの研究で必要だとしてイミュズから呼び寄せた学者のナウトンは、
嬢に対してあれやこれやと調べているようであり、その調査の結果やら何やらは伯爵のお役には立っていたらしい。
ただ、ナウトンは随分と好奇心が強かったようで嬢のことだけに留まらず伯爵家の内部のことやら、協力関係にあった管理局まで嗅ぎ回りはじめた。
そんなことをしていりゃ、やがて消されるだろうなとも思っていた。
手を下す仕事を受けるのは俺になるかとも思っていたが、実際に伯爵の息のかかった連中によって手をくだされたわけではなかったものの、やはりナウトンは死んだ。
その死んだ状況、つまりは護送の件はおかしかった。
あとになっておかしいと気がついた、というべきだが。
あの悪ガキ貴族があれほどの悪事を計画するわけがない。
嬢の重要性の深度を理解しきれてなかったとしても、伯爵が重要視していることは理解していたはず。
であれば、何者かが介入したのだ。
欲望を刺激したのか、俺が考えもしないやり方をしたのかまではわからない。
ただ、先程蹴散らしたアンデッドと、ヴィルグラムの言葉で状況がようやく飲み込めた。
ヴィルグラムが語った伯爵と元伯爵による伯爵家の中の対立。
随分と昔に先代伯爵の仕事を持ってきてくれた先輩も似たようなことを言っていた。
今の今まで忘れていたのはそうした対立になるような相手は影も形もなかったからだ。
なんと云っていたか……。
『伯爵家の邸の闇には近づくな』
だったか。
あのときは正直、大貴族とも言える伯爵家なのだから闇の一つや二つあるだろうとも思っていたのだったか。
まさか先輩が言っていた闇とは、先程のアンデッドのことをピンポイントで言っていたとは思わなかった。
つまり、邸のどこかにアンデッドが潜んでいたということだろうか。
いや、またも脱線したか。
上手い要約だけでなく、こちらを動かそうとする心が揺さぶられるような交渉技術を少年からされたせいでガラにもなく動揺しているのかもしれない。
話は戻そう、ナウトンだ。
ナウトンに暗殺者を向けたのは伯爵だとして、嬢まで巻き込みかけた。
これに関しては伯爵もまさかそこに嬢がいるとも思っていなかったのだろう。
嬢を巻き込むように計画を進めたのはアンデッド、
死者であればこそ嬢の生死もまた関係のないもの。
何かしらの方法で嬢もアンデッドにすればよいと考えたとか、そういうのは発想の飛躍か?
突飛な考えは寝る前にでもするべきで、今考えるべきことでもないか。
俺の今の雇い主はビウモード伯爵。嫡子から伯爵になって日も浅い青年。
傭兵は受けた仕事はきっちりと果たす。
嬢を回収し、伯爵家に連れ戻す。アンデッドには渡すまい。
そうなれば、やるべきはなにか。
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「イセリナ。
少しだけのお別れだ。
……安心して、必ず自由にするって約束は果たすから」
「ヴィー様?」
オレは彼女の腕を掴むと、全力でケルダットに投げる。
短い話の中だったけど、とりあえずアイツにイセリナを渡しておくことが現状で取ることができる最大の防御だ。
これまでイセリナは無事だった。
恐らくは伯爵の目が届く範囲ならばダルハプスに手を出される可能性が低いのだろう。
「ケルダット、絶対に伯爵に届けてよ」
「ああ。俺の仕事の完遂率ナメんなよ」
ケルダットにがしりと掴まれたイセリナは叫ぶ。
「私も一緒に戦います、戦わせてください」
「まだ何もできてない。何も返せてない」
そんな言葉を。
自由を教えるって言ったのに反故にするようなことになったのに。
いや、反故になるかどうかはこれから次第。
「イセリナ、またね」
「いやっ! 私も……! ヴィー様!」
ケルダットは暴れる彼女を掴みながらもその場を脱する。
やがて、濃密な黒いもやが周囲に現れた。
『ダルハプス残数、六』
人の心は近くにいる人間に影響されやすい。
アルタリウスはひどく冷静な声音で対象の数を言う。それはオレに冷静であるようにと努めさせるためなのが理解できた。
(一緒にダルハプスを消し飛ばしてやろう、アルタリウス)
インクが注がれ、ケネスの魔剣が再び燐光を発しはじめる。
さあ、三回戦目の始まりだ。




