028_継暦141年_夏/02
ルルシエット城。
現在においては親征したビウモード伯爵がその玉座に腰を下ろしている。
何を不満に思うのか、苛立ちがその顔から浮かんでおり、
どろりとした瞳が城の外の風景へと移る。
ビウモード伯爵。
本来であれば大いに祝福されるべき伯爵の誕生日は親征の途上、馬の鞍で年齢を一つ重ねて33となった。
物静かというよりも、自らの中の暗い感情を抑え込むために寡黙であることを選ぶ男であった。
しかし、彼は元々が寡黙だったというわけではない。
伯爵家の長男として生を受け、不自由なく育った彼は幼い頃から罰当たりなことも好んでするような悪童であった。
それでもその頃はまだ可愛げのあるものばかりで、
いっそ天真爛漫と捉えることもできる程度だった。
流石に十代も半ばを越えた頃にはそのやんちゃぶりもなりを潜めて、
勉学に打ち込む時間も増えた。
伯爵領と言っても、既にはるか昔に彼ら爵位を持つものが主と奉ずる王の存在はなく、
一国の王同然であるのが伯爵であり、その領地は国土そのものでもあった。
『王たる伯爵』として、国を栄えさせるために必死になるのは当然のことだと考え、
時折そのようにこぼす彼に次代の伯爵への安心感を周囲は得ていた。
より多くの知識を得るため、彼は請願を学んでいた。
請願こそがビウモードに富と安定をもたらすと信じたからだ。
その確信を得たのは年齢が二十を越えた頃。
伯爵太子という立場だけでなく、
請願研究者としても彼の名前が聞こえ始めた頃のことだった。
請願は一代限りの特異性──『超能力』そのものを特定の工程や技術によって封印し、
適正のあるものであれば封じられた超能力の複製を得ることができる。
一度得てしまえばそれは発動の鍵となる名前の宣言がなくとも、
自動的・自発的に発動するものもあり、或いは自らの意思で止めることができないものすら存在する。
それ故に請願は取扱に関して極めて厳重な措置を取っているのだが、
その厳重さを無視できる立場にあったからこそ、彼は一つの請願に目をつけた。
聖堂や請願ギルドには未だに一度も使われていないもの、
つまりは適合者が存在しない請願が数多ある。
彼が目をつけたのはまさしく、知識を司ると言われていた請願のようなものであった。
元となった超能力の持ち主はおぞましいとすら言える自らの精神に身を焦がした人物であり、それによって多くの罪を犯した。
彼の超能力が封じられ請願となったのは、
一種の処罰でもあったとされているし、自らが望んだものだとも言われていた。
どうあれ、その人物は随分と過去の人間であるため、真実を知るのは難しい。
彼の超能力であったものが、請願の形で残っていたものの、
手をつけるものが全員精神を焼かれるためにビウモード請願ギルドにて厳重な封印がされていた。
彼が今のようなどろりとした瞳をし、自領の安定第一のための行動を考えなくなったのは、それに触れてからだった。
「ルルシエット卿の動きは」
「衛星都市ペンシクに退いたきり、現状動きはありません」
伯爵の問いかけに対して家臣の一人が報告する。
「ツイクノク軍の到着に変更はないか」
ツイクノクはルルシエットの北北東辺りに位置した都市。
ルルシエットへの道のりは『お隣』と表現するほどの近くでもない。
そして馴れない他領への遠征になろうことから、ビウモード伯爵は遅参の可能性を問う。
「ええ、問題ないかと思います」
最後に受け取った連絡の時点では、だが。
家臣の返答を受けながら、伯爵に根を張った『請願』が彼の中で、その心に何かを囁いている。
その声を聞くことができるものはどこにもいない。
「……少ない確率に夢を見るのも面白い」
寡黙なるビウモードは、ほんの小さく笑みを作る。
それに気がつく家臣はここには一人とていない。
ルルシエットを見回っているヤルバッツィであれば、彼の表情の変化に気が付いたかもしれないが。
「何か仰られましたか?」
「いや、気にするな。
私は先んじてビウモードへ戻る。護衛はヤルバッツィを指名する。
引き継ぎの準備を数日内までに済ませておけ」
彼の急な舵切りは今に始まったことではない。
家臣たちも慣れているのか、嫌な顔一つせずに承知した。
「ルルシエット卿との決着に立ち会えぬは、心残りか」
ぽつりと彼はこぼした。
その真意を理解できるものは、やはりこの場に一人とて存在はしない。
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連絡会との交渉は振るわなかった。
ルルシエット解放のために味方を増やすため東奔西走するイセリナだが、
イミュズの連絡会に関しては彼女の説得の手腕云々というよりも、
連絡会そのものが
「ごたごたしている魔術ギルド同士の諍いに関わりたくない」というものに根ざしていた。
イミュズの魔術ギルドは連絡会がある都市の支部なだけあって、連絡会への影響が強い。
その支部がビウモードの魔術ギルドと協力すべしと声高に叫べば、いかに魔術ギルド同士の呼びかけであったとしても連絡会に席を持つギルドが反ビウモードの勢力に力を貸すと発言してしまえば軋轢が残ることになる。
尤も、イミュズ魔術ギルドにおいては先日、主流派の、そこから更に急進的な考え方を持つメンバーがビウモードとの合流を諦めたことでひとまずはビウモードへの合流は防がれた。
彼らが合流を諦めたのは、旗振り役の魔術士が『多くの人員が流出してしまった』ことが他の支部で問題とされ、その立ち位置と権力を失ったためだ。
ただ、未だにビウモードの魔術ギルドは戦力を集め、ビウモード伯爵への協力姿勢を崩していない。
ともかく交渉こそ不調に終わったものの、得るべきものがまるでなかったわけではない。
ルルシエットからビウモード伯爵が去るという情報を連絡会の幹部がこっそりと教えてくれたのだ。
その人物は元々ビウモード魔術ギルドから連絡会に送られたものであり、情報の出どころを考えれば確度が高いものだと思ってよいだろう。
その人物自身、ビウモードと大いに反目し合った人物だ。
諸手を挙げてとはいかずとも、疑いの眼差しを向ける理由はない。
(ですが、この情報だけでは弱い……。
イミュズの連絡会を味方に引き入れられなかった以上、
ルルシエットの手札を増やす手段として、私自身がビウモードに行くことでその補填とするべきでしょうね……)
正直、ビウモード伯のところに再び行かねばならないのは手が震える。血の巡りが悪くなるほどに拒否反応がある。
連絡会の人間が全員退室した部屋で外を見上げるイセリナ。
(ヴィーさん。
貴方に救われた命です、無闇に使い潰したりはしません。
ですが、危険な場所へと踏み込む無茶は許してくださいますか)
彼女はもういない、冒険者の少年に心のなかで語りかけていた。
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よっす。
油断して死ぬっつう、賊らしすぎる死にっぷりを発揮したオレだぜ。
今回のオレはいつも通りだ!
賊兄弟が周りにいるぜ!
で、現在地点はといえば、根城にしているのはペンシクっつう都市の近くらしい。
都市つっても城郭都市ではなく、伯爵が住んでいる場所でもないそうだ。
ルルシエットの衛星都市で、同都市が発展に限界があるからって作った商業メインの都市らしい。
そう!つまり交易が盛ん!
となれば?
そう!賊も盛ん!
となれば?
そう!治安低下も盛ん!
そうなれば?
賊の集合祭りの開催の合図だ!
ルルシエットとビウモードの戦いの影響もあって、この辺りでは出稼ぎに来ている賊も相当数いるらしい。
オレもまた、その一人ってわけだ。
だから、記憶の中にこの賊の群れがどれほどの規模なのかを理解しているものはない。
少なくとも村程度であればあっさり支配できるくらいの戦力はあるだろう。
今回の肉体の年齢は十代そこそこ。
取り立てて何かがあるわけでなし、が、若さってのはそれだけで武器だ。
年がいってるとその分蓄積した知識とか周辺の情報が多かったりはするが、動きの鈍さは致命的だからな……。
周りを見渡すと、各々好き勝手にしている。
寝っ転がっているものから、殴り合っているもの、一心不乱に虫を捕まえてケバブにしているもの、靴の匂いをずっと嗅いでいるもの、武器を研いでいるもの、
オレは少なくともそうした行動はせず、ここいらの賊が以前手に入れた戦利品の、その空き箱に座っていた。
周りにも箱がそれなりにあるが、中身はすっかり空っぽになっている。
箱に印字されたところを見ると中身がビールだったらしい。奪った当時はお祭り騒ぎだったことだろう。
この集団に特筆するべきものはなし、と思っていたが、一点だけあった。
オレと同じように周りを見渡している人物がいた。
賊らしい格好だが、どこか違和感もあった。周りの連中はまるで気にしていないようだが。
やがてこちらに目を向けるとすーっと近付くと、実に人懐っこい笑みを浮かべて挨拶をしてきた。
深い藍色の髪に、大きな瞳。
女の賊ってのはまあ、声を上げて珍しい!というほどでもないが、目を引くのは多くの賊に共通する汚らしい風貌と違って、どこか洗練された美しさを備えている点だった。
「やあ、少年。
その隣、いいかな」
それに……酸っぱい匂いがしない。
顔の汚れも垢やら何やらではなく、炭かなにかで描かれたもののようにも見える。
この女は何か、妙な気配がする。
自称『百万回は死んだ』経験があると胸を張って言えるわけだが、その経験から、彼女と付き合えば死ぬ確率が高いのではないかという警鐘が聞こえてくる。
いいじゃないか。
むしろ普段は警鐘もなしに飛んでくる流れ矢だの、他の賊の諍いに巻き込まれて気が付いたら死んでいただのばっかりなんだ。
死ぬにしたって派手がいい。
それにメリハリでもあれば生きれるかどうかの選択肢が生まれやすいというのが今まで死んできて、心か魂か、或いは別の器官が理解しているところでもある。
「ああ、いいよ」
そこらの空き箱を持ってきて隣に置く。
一応手で払っておいた。
まあ、オレの手が綺麗だとは思えないのでむしろ汚れたかもしれないが。
「ありがとう。
紳士的だね、君は」
「どうも」
彼女のためにはあまり目立つ真似はするべきじゃなかっただろうか。
一応周りを見渡すも、誰も彼女に反応していない。
不思議なもんだ。
賊だったらまっさきに声を掛けそうな気もするんだが。しかも良くて声を掛けるくらい。
悪ければ身内で殺し合いに発展するような状況もありうる。
賊とは悲しい生き物なのだ。
「君も賊なんだよね?」
「そりゃあ、見ての通り」
「子供が賊かあ」
「賊子供が珍しい?」
「珍しくはないのだろうけど、……珍しいじゃなくて、悲しい、かな」
変な女賊だ。
「その話しぶりからすると、流れ者?
オレは出稼ぎというか、色々あってここに流れてきたんだけど」
「うん、そうだよ。
名前は……」
この感じ。
オレもやった奴だ。
つまりこの女は名乗ろうとした後に名前を考えている。
「私の名前はルル。
君は?」
……こいつ、ルルシエットの方角見てたな……。
オレもまあ、名乗るにしたって偽名なんだから人のことを咎められやしないんだが。
椅子にしてる箱からビール、ビル……うーん。
「ビル……いや、ヴィル、ヴィルグラムだ」
前回の名前に加えただけの安易な名付け、だって?
まあ、いいじゃないか。
それにヴィルグラムなんて偉そうな名前で格好いい。身なりは賊でも心は王族、なんてな。




